9月19日(土)に、「カバラ」のお話会をさせていただくことになりました!
主催は、前々回の記事でもご紹介させていただいた、姉妹ヒーリング音楽ユニット「ミチカホール」の山根ミチルさん。
ミチルさんが聞きたいお話を聞く会、という趣旨で月に1回、色々なテーマのお話会が開催されており、光栄なことに9月の回に指名していただきました。
少人数ということもありますが、ありがたいことに満員御礼となり、現在はキャンセル待ちとなっております。本当に感謝感謝です。
カバラにほんの少しでも触れたことがある方なら、その深淵さと難解さをいやでも感じられることと思います。
私も、勉強すればするほど分からないことの方が増えていき、挑戦してはあえなく心折れる‥を繰り返してきました。
少なくとも半年前だったら、あまりに理解不足すぎてとてもじゃないけど「カバラ」をテーマにしたお話会をやろうなんて思わなかっただろうと思います。
しかし、その理解度が0.1%が3%くらいになったくらいから、少しずつ「なるほど」の割合が増えていき、「おお!」「マジか!」と新たな発見に心躍るたびに、ずぶずぶとその世界に魅了されていきました。
過去の記事でもその時の心境を書きましたが、まさにこれです。
お話会当日は私の「おお!」「マジか!」と思ったポイントばかりお話するためかなり偏るとは思いますが、少しでも一緒に「おお!」を共有できたら嬉しい限りです。
ちなみに今日、カバラの本を読んでいて、やはりこれは絶対にお伝えしたいなと改めて感じたことがありまして、それは
何千年も昔、古代イスラエルで生まれた智慧を、手軽に手に入れられることへの感謝
です。
なんかこうやって書くと、いい子ちゃん発言っぽくて恥ずかしいですが…
遠い遠い昔の誰かが、この智慧を未来に残したい、とか、絶対にこれは失ってはいけない、といった危機感なのか情熱なのかは分かりませんが、そう思ってくれたから、今日まで残っているわけです。
カバラに関する書籍で気になるものがあっても、調べてみると「散逸してしまい原本は存在しない」という結末をよく目にします。
書籍の著者はもちろん、その書籍を残すために努力をしてくれた方々がいたからこそ、私たちは時代を超えて多くの情報を手にすることができているのだと思うと、やはり情報そのものに頭をめぐらせるよりも前に、まずはこの本を手にできていることに感謝をしたいなと思います。
ちなみに今、わたしは、「ヴェールを脱いだカバラ」という本を読んでいます。
この本は1887年にイギリスで出版され、2000年に邦訳版が出版されました。
私はなんとなくクセで、翻訳本の場合は訳者がどなたなのか知りたくて奥付を見るのですが、この本の訳者さんはなんと、翻訳家でも何でもない一般の方(というと失礼ですが)。
この本を訳するために独学でラテン語を習得し、15年をかけて完成させたんだとか。
出版社から出版のオファーがあったわけではなく、ただただ「日本には本格的なカバラの書籍がない」という危機感から翻訳に挑んだそうなんですが、もともとの「ヴェールを脱いだカバラ」の著者であるS.L.マグレガー.メイザースもまた、当時、英語圏にカバラを本格的に解説する本がなかったために皆が母国語でカバラを学べるようにという思いで書き起こしたようで、イギリスと日本それぞれで「母国語でカバラの本を読めるようにしたい」と思ってくれる人がいたから、私はこの本を読めているんだと思うと、「感謝」という言葉では言い表せない感情が沸き起こります。
個人的にこういった「連綿と続く歴史」みたいなものに弱いんだと思いますが、お話会でも、少しそのへんの歴史をお伝え出来たらなと思います。
また一方で、本に書かれていることを鵜呑みにすることの危なさも、感じたりしています。
その違和感は、最初は「自分の理解が足りないから」だと思っていましたが、さまざまな時代の、さまざまな著者さんの本を読むうちに、違和感の正体は著者本人の「意図」にあるのではと思い至りました。
本を書く目的が、純粋にカバラを伝えたいからという人もいれば、カバラを通して世の中に浸透させたい「教え」があるからという人もいて、後者は、こういう教えを世に広めたいという「意図」が、カバラの解釈に入り込んでしまうのだろうと思います。
「女性は『不完全な存在』とされた」とか、違和感しかないですよね。
本当にカバラでそんな風に定義されてるのかなとモヤモヤしていたところ、前述の「ヴェールを脱いだカバラ」の中に
カバラの教えでは、男と女は神の前に等しい。男と女は同権である。
女が男に劣っているなどということは絶対にない。
キリスト教徒は、女人は「造る」という定義の努力を根強くしているが。
という文章を発見し、やっぱり!と肚落ちした次第。
(その後も、他の本で同様の主張を発見)
これはとても分かりやすい例ではありますが、もっと巧妙に著者の意図が散りばめられているように思うので、自分のなかの違和感は決して無視しないようにしよう、とも思うのでした。
感謝しつつ、少し慎重になりつつ。
遠い昔の古代イスラエルの方々の苦難や歓びとともに、これからもカバラの世界に触れていきたいと思う今日この頃です。
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