経産省若手官僚よ もっとよく考えろ | 秋山のブログ

秋山のブログ

ブログの説明を入力します。

日経BPを読んでいたら興味深い記事を見つけた。経産省若手が炎上(するような)文書を発表したというものだ。

 

『不安な個人、立ちすくむ国家 ~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~』というテーマである(分かり易くさらっと読めるので、一読されたい)。

 

現在の状況に対する文書の理解は、情報化社会の発達によって、様々な権威から国民は自由になったけれど、答えが分からなくなって困っている。しかし権威に頼るような状況に戻すわけにはいかないので、新しい社会システムを作るべきであるということである(スライド6)。

この話はなかなかもっともらしく見えるが、原因を見誤っている。情報の氾濫で分からなくなったわけではない。答えがなくなったのである。昔は、特別な仕事でなくても働けば夫一人の収入で親も子も妻も養うことができたが、今それができるのは限られた職業しかない。そしてその職業につくのは誰にでもできることではないのである。もちろん労働者の収入が下がったのは、主流派経済学がそうなるように政策を誘導したからだ。

 

また収入の低下は、実際の状況よりも失業率の値を見かけ上低くする。ワークシェアリングされている状況になるということだ。すなわち放置してはいけない状況(スライド13)としてあげられている『定年後、まだまだ働きたいのに、働く場所がない』とか『若者の社会貢献意識は高いのに、活躍できていない』など、労働する場所が足りない原因も、労働者の収入を減少させる政策ということである。

老人がまだまだ働けること、働くべきであることを主張しているが(スライド14~19)、内部留保や大口の資本家の取り分が大きく労働者の賃金が低ければ、有効需要が足りずに老人の働き口は見つからない。それを作るには、国が日銀から借金をして雇い入れなくてはいけないだろう。ここで注意しなくてはいけないことは、ボランティアという手段は、熟練や生きがいには繋がるが、全体から見れば労働の単価を下げる行為であり、生産能力は上げても、生産性は低下させる(木を見て森を見ずである)。老人だから安く雇おうという話も同様だ。

 

その次に高齢者の医療費の話が出てくる。自宅で死ねずに病院で最期をむかえることを問題視(スライド21)しているようだが、素人が自宅でみる労力、複数の対象を同時にみる場合との効率の違いを考えないのは誤りだろう。80歳の入院費が大きな割り合いを占めている(スライド22)ことを示し、米仏の例(スライド23、24)を出して自宅でみることを勧めているが、日本は愚かなワークシェアリングを止めれば、他の先進国に劣らず人が余っているのであり、他分野の犠牲を払わずに問題なく医療を供給することができるのである。問題はほとんどの国民が働いただけの分をもらっていないので、お金が足りなくなるという話だけだ。

一方、医療等の福祉は再分配の分配先として昔から適切なところであり、国民の中の特に低中間層に対して生命すら諦めさせて給付を減らそうとする話の意図は、再分配されることを嫌っているのである。

 

母子家庭の貧困や、貧困の連鎖の話も出ている。『自己責任』扱いされていることを問題視している(スライド26)が、もちろん自己責任などでは全然ない。スキルが必要な仕事でも、共働きが必要な程、賃金が下がっているわけで、母子家庭が貧困にならないわけがないだろう。教育が足りないためというのは、自己責任であるという話になるので強調すべきではない。(教育を利用した搾取も存在する)

 

現役世代向け支出の割り合い(スライド30)に関して、日本が極端に低いことが示されているが、これは以前なら個人でそれなりになんとかなっていたし、日本の場合企業がやってきたのである。歴史的経緯を考えれば、不思議なことではない。日本では選挙に行く老人の意見が強いという主張をよく聞くが、老人の票を気にした国会議員が官庁に働きかけて配分を決めたなどの話はないはずである。

ただ、減らしやすい予算、減らしにくい予算という話はある。東大で若手の職員で任期制の率が増えている(スライド34)のは、愚かにも減らしやすいところを減らした結果であろう。

 

一人当たりGDPが増えているのに、生活満足度が下がっているという話(スライド38)は、GDPの理解が浅い。例えば国民が労働を増やして生産し、外国に何かを売ったその代金全てが会社の内部留保になった場合も、GDPは上がるのである。

 

情報化社会と情報に踊らされている可能性について(スライド43~47)書かれている。この論調は、個人の発信が容易になったことに対して否定的なものだが、昔よりマシであるというのが正しいだろう。マスコミが信用されなくなったのは、個人発信による情報によって、そのプロパガンダや嘘が暴かれたからだ。フェイクニュースがあっても、騙される人間はそう多くない。むしろマスコミがプロパガンダをおこなうことの方が騙される人間は多いだろう。

嘗ては専門的な知識を高めるためには、多くの書籍を買って本棚に並べる必要があったが、今ならばネットで多くの知識が手に入る。ネットに嘘が多くあるからといっても、書籍であれば大丈夫であるという保証はないのであるから、現在の方が環境としてずっと好ましい。多くの国民が、見極める目を持つことになれば(そのための教育があったほうがいい)、より高い段階に進むことができると思う。

 

この後(スライド49以降)どうすべきか結論に入るわけだが、既に示したように、現在の問題点の理解において全く達していないために、結論も誤りばかりだ。

『本格的に少子高齢化が進むなか、過去に最適だった仕組みは明らかに現在に適応していない』→仕組みが変わった(経費交際費を厳しくし、法人税累進課税を下げ、非正規労働を解禁し、消費税を導入した)ことによって適応しなくなったことを理解していない。少子高齢化が原因であるというプロパガンダを盲目的に信じている。

『既得権や固定観念が改革を阻んでいる』→既得権が阻んでいるというのはプロパガンダ。拒んでいるのは、費用の増大を防ごうという考え(例えば今話題の獣医師で考えれば、獣医師が足りない→獣医師を増やす→供給が増えた分だけ費用も増大させる必要がある→費用を増やしたくない、又は費用が増えないだろうから収入が下がるのは嫌だ→獣医師は増やさないといった話)だが、これは誤りだ。総費用の増加こそ経済成長である。

『働ける限り貢献する社会へ』→人が余っていることを理解していない。足りないと考えて介入すれば、改革したつもりにも関わらず、どんどん悪化するだけである。

『子どもや教育への投資を財政における最優先課題に』→財政均衡主義を捨てることが重要である。他を切り捨てる必要はない。

『官が担うのではなく、意欲と能力ある個人が担い手に』→これはどうも財源まで含めて個人がやるということらしい(スライド61)。全く非効率であり、あり得ない。

 

『教育の充実を図るためには新たな財源を見つける【負担増】か、その他の予算を削減する【給付減】しかない』(スライド57)とか、『住民自ら協力して道路工事 財源捻出』(スライド61)などの愚かな意見が出てくるのは、貨幣に関する理解が足りないために、財政は均衡させるべきだと考えているからだろう。しかしそれは正しくない。国は家計や企業と全く違い、自らそのためのルールを作っていない限りは、問題ないのだ。

現代の貨幣は借り入れによって生じ、返済によってのみ消滅するものであり、取り引きで持ち主を変えても消えることはない。国が借金を負って使っても、戻ってくればよいのである(戻ってこなくても多少のインフレになる程度の影響しかない)。貨幣の循環において、資産家の搾取による穴が空いていることが問題で、それによって国家にお金が十分に戻ってこないことに対して、支出を削ったり、搾取しているもの以外から取ったりすれば経済を悪くするだけだろう。ピケティ氏が資産課税を提案しているのが有名だが、現実的には財政政策(+金融政策)によるインフレ税が妥当だろう。

主流派経済学は、資産家のためのプロパガンダをおこなうための経済学なので、インフレを嫌い、財政政策が害があるということにする詭弁を垂れ流している。主流派は、短期的な変動はあっても供給力はほぼ最大限供給力を使っているので、政府がさらに使わせると民間が使うべき供給力を奪ってしまい害があると言っているのだが、最大限使っているというのが間違っているのである。しかし残念なことに官僚は国家試験において、その間違った内容を試験されるのだ。正しい政策を考えることなどできるのは、ごく一部の人間であるだろう。結局今回の話は、経産省若手官僚ができていないということを示すことになった。