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「スタンフォード大学で一番人気の経済学入門マクロ編」から、ラスト。

 

最終章では今後の世界経済の動向と、それを正しく導くための答えに近づくために経済学を学ぶことが有益であるといった話でまとめている。しかし現実では、主流派である新古典派経済学の誤りこそが格差を助長し、世界中に問題を引き起こしているのである。それに気付かないで(意図的かもしれない)無邪気にすすめているいるのがこのスタンフォード大学での講義だ。

 

ここしばらく検討してきたように、新古典派の手口は実に巧妙である。

経済政策の目標に性質の違うもの(インフレの低下)を入れたり、長期と短期は違う(長期ではセイの法則が有効?)などという方便を使う。需要と供給の問題に雇用を単純化し、賃金が高いことによって失業が生まれるなどと、現実と全く一致しない話を強弁したりもしている。新古典派経済学に批判的な人間でも、うっかり信じてしまいそうな罠が数多く存在するのだ。

放任主義への誘導もしっかりと見られる。放任主義の問題点をあげてさもそれを理解しているように装いながら、そのような問題は『ときに』しかおこならないと過小評価し、対応策が逆効果になる例(正しい主張のこともあれば、間違いもある)をあげてしない方がいいかのような話に持って行っている。

 

経済学が正しい答えに到達するために重要であるということに関しては、異論はない。新古典派に騙されるわけでなくても、素養がまったくなければ、人々は陥りやすい誤り、例えば重商主義や倹約主義のような間違った考えを主張してしまうかもしれない。それはそれで有害である。すなわち必要なことは、新古典派ではない正しい経済学に再構築するということになる。

再構築の方針は、当然エビデンス重視ということになろう。ノーベル経済学賞受賞者の意見だからなどというのは、何の根拠にもならないことも強調しなくてはいけないだろう。まあこれは、今まで散々主張してきたことである。今回強調しておきたいことは、この本でおこなわれたことの逆、市場の失敗の正しい理解である。市場の失敗は『ときに』しかおこらないことではない。市場は常に失敗に満ちていて、常に目を光らせる必要がある。そして経済の最適な状態も、それゆえにほとんど達成されることがない。GDPギャップは常に大きい状況であろうし、失業率はどこの国でも現在自然失業率と言われている値よりも低くできうるだろう。もちろん一般均衡など絵空事である。(均衡や最適化を仮定すれば、数式化して解を求めることが容易になる。だからと言って100%でないものを100%であると仮定しておこなえば、例えば以前取り上げたGDPギャップの推移を見ても分かるように、とんでもなく滑稽な結果が導かれる。むしろ正しい結果がでることなどないだろう。モデルを作る時にも悪影響である)

 

経済学における均衡こそが、最大の詭弁である(均衡という概念が有益な証券市場のようなものもあるが、何に関しても有効であると考えることに問題がある)。私自身もかなり長い間騙されてきたし、私が評価している鋭い経済学者等の多くも騙されたままである。

均衡がなければ、高度な数学を使った流行りの手法の多くは全く無意味になるだろう。しかし絶対に間違った結果しか出ない方法などに固執する必要は全く無い。均衡がなければ、経済学の研究ができないわけではなく、有益な研究はいくらでもできるのだ。むしろ有益な研究結果の評価において、珍妙な理由付けをおこなわなければいけなくなっている分、足を引っ張っていると言えなくもない。

 

今回、新古典派がどのようにプロパガンダをおこなっているか分かったのは収穫だったと思う。嘘付きは(講師自体も騙されているだけかもしれない)真実を少しずらして嘘をつく。どのような理論でも、疑って考察することが重要だ(理論の形成された経緯に関して知る必要があるかもしれない)。そうすればどこまでが真実で、どこからが嘘なのかわかるし、その真実は大変有益なものである(例えば均衡に達するのは嘘でも、希少性は価格を上げる圧力になるだろうし、価格上昇は販売数を下げる圧力となるだろう)。完全な経済学の再構築までしなくても、確認した真実、若干の修正で得た真実だけからでも多くの正しい方針が導けるのである。