結婚と生活の変化 | 秋山のブログ

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いろいろAmebaニュースを眺めていたら、最近のわかものの結婚観の記事があった。自分が若い頃を思い出してみれば、現在と相当違う。そして結婚観が違う大きな理由を考えてみれば、環境自体も相当変わっているのである。

昔の話をしてみる。年配の方には懐かしく、若い方には驚くような話かもしれない。
独り身、一人暮らしの頃は、仕事に行って帰ってくれば、自分で食事の支度をしたり、洗濯、部屋の掃除をしていただろう。そして余った時間、余ったお金で友達と飲みに行ったり余暇を楽しんでいたわけである。そして、結婚するとこの生活がガラっと変わる。多くの場合、女性は退職して(女性は短大卒が多く、会社にいっても結婚までの2、3年だけ勤めることが多かった)、専業主婦になる。女性の分の収入はなくなるが、生活水準はそれほど落ちない。一方、個々におこなっていた家事は、より効率的になるだろう。男性は開放された分、より多く仕事ができるかもしれない。そして女性は、家事より大変な、出産育児という大事業をおこなうということになる。

今はどうだろう。
独り身、一人暮らしの生活は、ほとんど変わらない。しかし遊びにいくためのお金は十分にはない。ビデオを見たり、ゲームで遊んだりといったことになりがちだ。結婚した場合も、ほとんどの場合共働きでなければ暮らしていけない。そうすると出産育児にまわす時間はなくなるわけである。自分でやらない分、人に頼めば余計にお金もかかることになり、その点からもあまり子供は持てないということになる。
一緒に生活するメリットが明らかに以前より少なくなっている中、結婚に対する希望も小さくなって当たり前だろう。

この話の趣旨は、専業主婦を勧めているのではない。生活費に対して、収入が少なくなっていることを言っているのである。昔もシングルマザーはいて、大いに苦労して子育てをしてきたが、現在のような悲惨な状況ではなかっただろう。これは今の人間の努力がたりないからではない。6人に一人の子供が貧困に喘ぐほど、収入が得られなくなっているのである。

少子高齢化で労働人口が減ったので、女性が働かなくてはならないと勘違いしている人もいるかもしれない。しかしそれは全くの間違いだ。労働者が足りなくなっているのであれば、労働者の賃金はどんどん上がって当たり前だろう。しかし全くそんなことはない。以前書いたように、コンビニは24時間営業なので、9時から5時までの商店に比べて何倍もの人間を必要とする。就労人口は減っていくのに、わざわざ以前より生産性を下げているのだ。そんなことをやっていてどうして足りないという話になるのだろうか。

では、何故生活費に対して収入が減ったのだろうか。それはトリクルダウンに基づく制度の改悪が次々をおこなわれたからである。
累進課税は緩和され、法人税、キャピタルゲイン課税も下げられた。これで得られていた税収は、例えば教育費等に使われ、生活にかかる費用を下げていたのである。一方消費税や様々な控除の廃止などで、生活にかかる費用はどんどん増加していった。
インフレをとにかく防ごうという考えも最悪であった。インフレを防ぐ方法として、金利を高めに保つことが推奨され、企業の収入のうち、多くを賃金ではなくて金利の支払いに当てるようなった。さらには、企業が賃金を増やすのではなく内部留保を増やし始めたのである。
ピケティが証明したように、働いて得る収入よりも、資産が勝手に増えて得る収入の方が大きくなり、その傾向はどんどん強くなっている。

これを改善するためにはどうしていったらいいか。多くの国民が、新古典派の嘘に騙されないようになるしかない。スティグリッツ教授の書籍が、私としてはお勧めである。しかしこれですらなかなか難しいであろう。新古典派の価値のないモデル・数式は、上級職の国家試験に出るため官僚を目指すなら学び、習熟しなくてはならないが、東大文Iの文系最上位のエリートでも、なかなかその間違いに気付けない(だから間違った政策が実行される)。そのくらい人々を騙して搾取しようとする新古典派経済学の手口は巧妙である。
経済学に詳しくない一般の人がとりあえず覚えておくべきことを、二つあげてみたい。
一つ目は、労働者の賃金を下げることに繋がる理論がまず間違いであるということであろう。著名な経済学者で、賃金が下がった方が失業が減る等々述べるものもいるが、間違った経済学の有害な結論に過ぎない。そしてこれにはいろいろなバリエーションがあって、例えば、配当を増やそうとか、労働者の流動性を高めようとかいうのも、賃金を下げようという話に通ずる誤った考えである。
二つ目は、現在おこっている経済的な問題の大部分は、既に述べたように、労働者の取り分が減っていることに起因する。少子化とかグローバル化とかによる必然ではなくて、全て人災であるということである。有効需要の概念こそ経済を考える時の核とすべきことであろう。
そしてそれらを認識したならば、いろいろなことを少しずつ勉強すべきだろう。正しい主張をしている経済学者は、日本にもいる。そしてさらに正しい思考法で考えよう。偉い先生が言ったからとか、皆が言っているからではなくて、どのような機序でそうなるのか、証拠はあるのかといったことに注意してもらえるようになれば、騙される人はどんどん減っていくだろう。この状況が改善されることを切に願う。