購買力平価と為替 | 秋山のブログ

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塩沢教授よりご教示いただいた購買力平価に関する資料を勉強してみた。曖昧であった理解がより明瞭になり、深まったと思われる。ただどうも購買力平価には根本的な問題があるようだ。私なりに考察してみようと思う。

購買力平価説による為替に関する取り組みを説明すれば、為替の長期的トレンド(様々な影響による短期の変動を除外した根本的な仕組みと捉えてよいだろう)は、相互の国の物の価格によるものである。そして、一物一価の法則によって同じ物は同じ価格と考え得る。そこで以上のことをもとに、実際に測定しうる消費財バスケット(消費財の組み合わせ)の価格を比較することで、為替の適正値を求めたり予想に役立たせようということであると思える。

一物一価という考えの根本には、商品の交換がある。自由に交換可能であれば、日本で1000円、米国で1500円の電卓(資料に出ていた例)は、日本で買われ米国で売られ、その結果日本での価格上昇、米国での価格低下がおこり、同じ価格になるというのがカラクリである。もちろん、移送費も関税もあるので、それが完全に成り立つわけはないが、成り立たない理由はもっと根本的な話である。企業が生産し値段をつけ販売するという行動を、交換に置き換えてしまっていることが、間違いなのだ。一物一価がきれいに成り立っているiPod(資料に出ていた例)は、企業がその価格で売ろうと考えたのに過ぎない。国内における販売でも、輸出であっても、企業は生産コストを意識した価格において見込まれる需要の分だけ生産するので、価格は需給の均衡によって決まるわけではないのである。
資料では、絶対的購買力平価での実証研究がおこなわれない理由として、一物一価を成り立たせるための裁定取引がおこなわれていない可能性をあげているが、これを言ったら完全に自己矛盾であろう。一物一価が成り立つからという根拠を否定していることになる。また、現実を見てみれば、裁定取引で利益を上げようとする人間はいるが、全体に占める割合は小さく、裁定取引でによる価格の変動は滅多に見かけない。
つまり、一物一価の部分に関しては現実的な根拠はない。

資料では絶対的購買力平価より相対的購買力平価の方が、成立条件が緩いことを数式で示している。一物一価が成立するとしても、消費財バスケットの中の複数ある製品の構成比が違ければ、絶対的購買力平価が成り立たないことを数式をもって示しているが、ほぼ独立した複数の要素からなりその構成の違う消費バスケットを一つの値で正確に代表させてしまうことが不可能なのは、数式を使うまでもなく自明のことであり、数式は単に分かりづらくしているだけのように思える。
資料では、絶対的購買力平価ではなくて相対的購買力平価で実証研究がおこなわれる理由として、物価水準でなく物価指数で各国が統計を出していることもあげている。これはその通りであろう。
資料の相対的購買力平価の問題に関して言えば、一物一価が成り立つからといった明確な根拠が提示されていない。絶対的購買力平価の論理的な不具合、研究をする都合から、相対的購買力平価の研究がおこなわれているとも取りうる。さらに物価の上昇率が各国で違うところで、その違いが為替によってある程度調整されると考えれば、一物一価でなくても相対的購買力平価は成立しても不思議はない。

資料では、為替の差分が定常過程にあるかどうか(相対的購買力平価が長期のトレンドとして成立するか)、単位根検定をおこなっている。その結果は100年というとんでもない観察期間ををもって成立が証明できたという話だ(実データで検証していないが、ここは信じるものとする)。これは、相対的購買力平価は長期トレンドとして成立するが、影響を与える他の要素(雑音)がいかに大きいかということを示しているのだと思われる。

そして資料では、PPPパズルに関して述べている。『経済モデルではこのような実質為 替レートの性質を説明できない』ということで、PPPパズルと呼ばれているそうだ。
単純に言えば、長期トレンドであることを過大評価しているのではないかと思う。新古典派が希少性を過大評価しているようにだ。為替を決める他の要因が主たる要因以上に効果があっても何も不思議はないはずである。

為替の実際のところを考えてみよう。為替の長期トレンドが、相互の国の物の価格によるものであるというのは、おそらく正しいだろう。しかし一物一価などということは、現実ではないだろう。例えば、魚好きの国と、肉好きの国があったならば、同じ魚と肉でも価格は全く変わってくるだろう。その国における物の価格は、その国の人間の嗜好や、産業の構造、貧富の差等々、さまざまな要素によって規定されるもので、それは株の価格と同様で、人間の思考によって決められるものである。しかしそうであっても、その思考、価格は頻繁に変化するものではないので、あたかも一物一価のような関係(一効用一価と表現すべきかもしれない)、相対的購買力平価が成立することになるということではないだろうか。そう考えればこの話は辻褄が合うのである。
その上で、短期においては、為替市場による為替の変動が加わってくる。各国の経常収支や、金利等の情報がさらに加わって、市場関係者の思惑で大きな変動がある。これは株式市場においてその変動を予想できないように、適切な予想などできるわけがないだろう。均衡値からの乖離が解消される期間など、無意味としか考えられない。為替と物価の推移から大凡の関係を出すことはできても、それは裁定取引で作られた均衡点などではないのだ。

経済学は何でも均衡状態にしたがる悪い癖を止めた方がよい。