正しい基礎付けを | 秋山のブログ

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医師専用の掲示板で、経済に関する他の医師のコメントを観察してみれば、嘆かわしいことに多くの場合、素人と変わりがない。実際のデータを見て、それを評価することに関して、高度に訓練された人間の多い医師が、どうしてここまで間違えるのかと考え、さらに観察したところ、(誰かが言った)何らかの命題を基礎として論理を組み立てているのだ。例えば、「財政ファイナンスをすればハイパーインフレになる」とか、「少子高齢化なので、どんどん生活が厳しくなる」とかの知識を適当に組み合わせて、それぞれ辻褄が合うように考えるといったことをやっている。間違っていることをきちんと説明しても、自分ではそれを指摘できないがこちらに何らかの問題があるに違いないと思い込んで、なかなか考えを修正することがない。そしてこれは新古典派を信じる人間にも同じことがおこっているように思うのである。

命題等が正しいことを証明するためには、実験してひたすら予測が一致するか、観察した事実が一致するかを、とにかく数多く繰り返すしかない。数学の公式が証明するなんてことはないのである(データの検証には数学は必須だが)。そしてそうやって真実である可能性の高められた強固な基礎をもとに、考察を続けていくしかない。
それから、いろいろな事象が、そのような強固な基礎によってモデル化されなくてはいけない。何故そのようになるのかということが不明のままとか、又はモデルの途中の命題自体は実証と一致しないということでは、結果のデータが大凡一致してもかなり危うい。これをやらかしている例は、掃いて捨てる程ある。国の破綻と負債のGDP比の論文や、インフレと失業率の関係など、かなり著名で多くの人が信じているものが多々ある。

この基礎をミクロ経済学の成果でおこなうという考えがあり、それが現在の経済学の大きな躓きの原因の一つである。というのは、合成の誤謬(本来はそんな指摘をされる前に自ら気付かないといけないレベルの話だ)といったことが見られるように、マクロへの適用が致命的にいい加減だからだ。無理やり使っているといった印象も持つ。(もちろん、マクロで役に立ちうるミクロの成果もあるだろう。注意深く使うことで基礎になりうることもあるだろう)

さてそれでは、経済学の正しい発展のために知っておくべき基礎にはどんなものがあるだろうか。今まで書いてきたもの、教えていただいたものの中にそれにあたるものはたくさんある。例えば、信用創造によって金融資産が増えていくこと、生産者が作る量を需要の予想から決めていくということ、価格が生産費用に利益を上乗せする形で決められること、物価の上昇過程とそれには借入の影響がおおきいこと、生産性の上昇と需要の飽和によって一次産業二次産業三次産業と人が移動して成長していくイメージ、価格の上昇は販売量を落とすがそれによって均衡など訪れないこと、等々。こういう基礎をどんどん増やしていって、それを現実に応用するスキルを身に付けていくことが、正しい政策を打ち出せる唯一の方法であり、経済学を学ぶ正しい方向性だと思う。
思えば、これは人体を診て治療を考えるやり方に似ている。人体に架空のモデルを作って、そこから答えを導き出すことはできない(古代の医学においては宗教的なモデルが使われていたりもする)。解剖して知った人体の構造や、様々なデータから、答えを組み立てていくしかなく、答えをだせるかどうかも不確実だ(精度や確実性を上げるためには、確実な知識を地道に増やしていくしかない)。宗教的なモデルの方が、明確に答えを出してくれるだろう。しかし、その明確な答えは間違いばかりであり、正解する率としては不確実な方法の方が余程高いののである。こんなところも現代の新古典派の現状とそっくりだ。