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信用創造 という概念がある。
企業は銀行から借り入れて事業を起す。であるから表のように、負債を負っている状態が普通である。
信用創造という点から考えれば、その事業が十分返済できるようなものであることが重要である。

表の最初の方では、企業の借り入れと家計の資産が、物価の上昇以上の勾配で急激に上昇している。
所謂バブルの頃であるが、地価等の投機による必要以上の上昇によって担保能力が上がり多くの貸し出しがなされた。堅実な事業の他に、盛んな消費あってこその事業や、事業として疑問を持たざるを得ないようなものも少なからずあった。

そしてバブルは潰れた。やりすぎのバブル潰しと、禿鷹に餌をやるような空売り解禁等で、地価や株価は、今度は期待値以下まで急落することとなった。担保能力の低下で、上記のダメな事業は言うに及ばず軌道にのっている事業すら潰れることとなった。そして清算して足りなくなった分が銀行の損失となったのである。

銀行に莫大な公的資金が投入されることとなった。銀行の経済における役割は重要である。投入自体には異論はない。しかし、どのようなことがおこなわれてどうなったかを知ることは重要である。

公的資金が投入される際に、国家の収入が増加したわけでも、国家の他の支出が減少したわけでもない。国は国債を発行して資金を調達してそれを銀行に注入したわけである。
銀行に預金として積み上げられているお金を国が借りる形で借りて、それを銀行に入れたということである。

投入した優先株の配当について全て調べたわけではないが、検索すると配当見送り等の記事が出てくる。
過去の損失に対して、新たな法律を作ってまで特別に長く相殺できるようにして、銀行の利益を国は守ったが、同時に銀行が持っている国債には利息がしっかりかかり国は銀行に利息を払っている。
投入後数年で、銀行は投入したお金を返済しているけれど、返したからOKなんてことはなく、かなりの額を実質ただでもらっているのである。

信用創造で積み重ねられた預金総額にかかる金利と、全貸し出し先から受け取る金利の差が銀行の利益である。バブル崩壊で信用は激減しているはずなので、家計等資産も、企業負債も激減してしかるべきなはずなのだが、減少はあまり大きくない。それがおこっていれば、銀行の収益は相当減っているはずである。しかしそれは減ることもなく、むしろ銀行は最高益を更新して、たちまち優先株を返済したりしているのだ。

自然利子率とか潜在成長率とかの概念 があるが、高齢化と人口減少傾向にある今の日本はこれが低い(景気の良し悪しで左右されない部分)。そしてこれらと実質金利の差が景気に大きな影響を与えている。大雑把に言えば、実質金利の方が高いのならば、企業に投資するより持っている方が得なので投資も進まず不況が続くということだ。

名目金利はゼロより下げられないところで、デフレであれば実質金利はデフレ率以上のプラスにしかならない。経済が活発になるような低い利率にはなりようがないなんてことも起こりうる。経済が悪いからデフレになっていると主張する人がいるが、そうであるならばまさにデフレスパイラルで、自然には回復しようがないであろう。

高い利息(実質利率)で、銀行は有力な融資先を見つけなくても大きな収益を得られるようになっている。
企業活動への融資が少なくなっている状態で、庶民へ十分な賃金が渡らなくなっていて、内需も伸びてこない。
企業活動が停滞していること、国民の賃金が抑制されていることから、国の税収も伸びない。
このような構造の中、国は財政再建をうたい、国民から国へのお金の移動を太くする消費税増税を提言している。

まとめると、
バブルで膨らんだ信用のはじけてなくなった分を国が肩代わりした。
国から銀行へのお金の大きな流れができあがった。
国民や企業から国への流れは小さくなっている。
銀行が儲ける構造はそのまま、国は国民の方から金を持ってこようとしている。