<2024年10月29日・加筆修正>
(17)プレプラン
プレプランのときは、『ヨウ素125線源永久挿入による小線源療法治療者カード』へのサインが必要なため、奥さん(または、保証人)を連れてくるように、と言われる。
プレプランの内容は、私の師匠・ichiさんが「じじ..じぇんじぇんがん」の中で詳しく解説してあるので省略するが、私の場合、検査直後、お尻の穴から血が出たのにはびっくりした。
だが、次の日には、治っていた。排便痛もなかった。
ただ、プレプラン終了後の排尿痛は、きつかった。
すぐに条件反射が形成されてしまい、トイレのドアを見ると、恐怖が走るようになった。だが、その排尿痛も、次の日には消えた。
プレプランでは、あのイヤな尿道カテ-テルは入れられたが、これも、生検同様、案ずるより産むが易しだった。
プレプランで印象的だったのは、生まれて初めて、おしっことともに空気がプスプスと出たことだ。ヘンな感じはしたが、それだけだった。前立腺の超音波画像を撮るとき、空気を入れて膀胱を膨らませたためだろう。
(18)密封小線源治療
プレプランと同じ部屋(手術室)で、おこなわれる。担当の放射線科医とは初対面なので、挨拶したいと思うが、すぐに岡本圭生医師に麻酔注射を打たれて、寝かされてしまうので、声しか聞こえない。名前も顔も知らないまま、手術は終了する。
手術の内容は、ichiさんが「じじ..じぇんじぇんがん」の中で詳しく解説してあるので省略するが、「ブラキセラピ-のほうが針生検(経会陰式)よりも楽だなぁ」と感じたことが印象的だった。
しんどさは、針生検(経会陰式)>プレプラン>ブラキセラピ-の順だ。
しかし・・・退院した日の深夜・・・いきなり尿閉になった・・・
午前1時頃、尿意を感じて目が覚め、トイレにいったのだが、いくらがんばっても尿が出ない。
退院してから(尿道カテ-テルを抜去してから)、それまで(眠る前まで)、排尿痛もなく、ごくふつうに出ていたのに、いきなり尿閉になったので、びっくり仰天した。兆候は、まったくなかった。
尿閉は、不快というよりも、気持ち悪かった。
すぐに岡本圭生医師に、「昼は、調子良かったのに、深夜、いきなり尿閉になりました」という内容のメ-ルを書き始めた。
しかし、メ-ルを書き終えた頃(15分後)、尿意を感じて、トイレにくと、ちょろちょろと出た。
残尿感はあったが、出たので、ほっとした。
そこで、メ-ルは送信せず、しばらく様子を見ようと考えた。
忙しい岡本圭生医師の邪魔をしてはいけないと思ったからだ。
(註:尿閉になったのは、このときの15分間の1回きりだった。)
次の日の夜も、尿意で目が覚めたときは、(昼は、ふつうに出るのに)、ちょろちょろしか出ないが、しかし、完全な尿閉ではない。残尿はあるが、出ることは出る。
だが、いつ完全な尿閉になるのか不安だったので、岡本圭生医師に報告だけしておいた。
すると、岡本圭生医師からすぐに返事がきた。
要約すると、「移行域からも癌が見つかっているため、通常よりも、尿道線量は高めに設定してあります。排尿状態をチェックしてみないとわかりませんが、場合によっては、自己導尿をおぼえてもらったほうがいいかもしれませんので、来週の火曜日に受診してください」という内容だった。
「自己導尿」という言葉を聞いて、ヘタレの私は、パニックになった。
しかし、幸いなことに、その火曜日の診察では、とくに問題はない、ということで、八味地黄丸を処方されて、終了した。
ほっとした。
それからも、日中の排尿はまったく問題ないのに、深夜にトイレにいくときだけ尿閉気味になる。
その差がありすぎる。
こういう症状は、ネットにも本にも書いていなかった。
そこで、師匠のichiさんに聞いてみた。
だが、ichiさんは、自分にはブラキセラピ-による副作用はなかったので、わからない、という回答だった。
岡本圭生医師にも質問してみたが、「わからない」という答えだった。
今も謎のままだが、仮説はある。
「ブラキセラピ-時の傷による炎症仮説」だ。つまり、ブラキセラピ-手術の際、針を刺入したときにできた傷から炎症がおこり、その炎症により前立腺が腫れ、その腫れのせいで尿道が狭窄した、という仮説だ。私の場合、通常よりも、尿道に近いところにもシ-ドが入れられているので、尿道に近い傷が腫れると、尿道が狭窄してしまうことは容易に想像できる。
また、炎症は、一般に、昼よりも、夜のほうが激しくなる。深夜だけ尿閉気味になることも、この仮説で説明できる。
さらに、リラックスしているときに尿閉気味になることが多いので、副交感神経も深く関与していると思われる。
そのほか、シ-ドから発せられる放射線でも炎症が発生するので、この炎症による腫れも原因のひとつではあったことはまちがいない。
ただ、註で述べたように、尿閉になったのは、退院した日の深夜の一回だけで(15分間だけで)、そのあとは、少しずつ回復していった。
深夜のトイレ事情は、3ヶ月後には、改善し、昼と夜の差は、ほぼなくなった。
なお、第一部で述べたように、ハルナ-ル、フリバス、ユリ-フをそれぞれ2週間以上、試したが、どれも効かなかったので、途中から、勝手に(岡本圭生医師に言わずに)服用を中止した。
(19)ポストプラン
術後1ヶ月におこなうポストプランでは、尿検査や血液検査のほか、CT、MRI、レントゲンとフルコースの検査をする。
もう、この頃になると、CTやMRIに慣れてくるが、それでも、検査は疲れる。
ただ、横になっているだけなのだが、やはり、緊張しているのだろう、私のような怖がりは、精神的に疲労してしまう。
(20)トモセラピ-による外照射(43.2Gy)
トリモダリティの最終章が放射線外照射だ。
1.8Gyを24回、月~金に照射する。
外照射では、前立腺のほか、精嚢へも照射する。
岡本圭生医師に地元の病院を紹介してもらった。その病院は、トモセラピ-(TomoTherapy社製)を有し、スタッフも医師も優秀だった。
当初、私は、師匠・ichiさんと同じく、自分にも血尿、血便という副作用が出るものと思っていた。
また、岡本圭生医師からも、「外照射をしたら、排尿障害が悪化するおそれがあるので、外照射が終わったら、すぐに受診するように!」と、強く言われていた。
だが、副作用らしい副作用は、あまり出なかった。
お尻の穴がムズムズする、という副作用と、切迫尿意くらいだった。
ただ、この切迫尿意は、それなりにやっかいだった。
なぜなら、私の場合、水の音を聞くと強い尿意が出る、というものだったからだ。
家の中で(台所や洗面台で)水の音を聞くと、その音に刺激され、猛烈にトイレに行きたくなる(滝の音は、だいじょうぶ)。しかも、その尿意は、我慢のできない尿意だ。つまり、量に関係なく(たいしてたまっていなくても)、すぐにトイレに駆け込まないと、漏れてしまう。
外照射中は、クルマにガソリンを入れているときも、その音で尿意が刺激され、トイレに駆け込んだこともある。
今でも、この切迫尿意は続いているが、かなり我慢できるようになっている。
外照射中、一番、苦労したのは、排便のコントロールだった。
外照射は、「膀胱満タン、直腸の便はゼロ」の状態で受けることが理想だ。
膀胱に100cc~150ccほど尿をためるのは簡単だが(水分を多めにとり、照射1時間前からトイレに行かなければ達成される)、問題は、排便のコントロールだ。
私は、下痢体質で、便秘はほとんどしない。
だが、外照射が始まる前の診察で、担当の放射線科医は、画像を見て、直腸に便がたくさん映っている、と指摘し、その対策として、リンゼス錠0.25mg(毎朝、2錠)を処方した。
しかし、下痢体質の私には、リンゼス錠は効き過ぎた。
服用すると、きっちり2時間半後に激しい下痢をおこす。水のような下痢だ。おなかも痛い。
一錠に減らしても、ひどい下痢をする。
これでは、排便コントロールはできても(直腸をからにすることはできても)、体がもたない。
このことを放射線科医に報告すると、「では、リンゼス錠は中止しましょう」ということになった。
そこで、私は、放射線科医にユリ-フと防風通聖散の処方をお願いした。
第一部でも述べたように、ユリ-フの副作用である軟便を利用しようとしたのだ。そして、念のため、防風通聖散にも軟便になる作用があるので、それも利用した。
この作戦は、大成功だった。
しかも、防風通聖散は、体重を減らす効果もあるので、一石二鳥だった・・・はずだが、こちらは、効かず、体重はまったく減らなかった。
こうして、外照射は、20回目までは、順調だった。
しかし、外照射21回目のとき、事件がおきた・・・
照射が始まるタイミングで、どやどやとスタッフが数人、照射室に入ってきた。
あれ?機械の故障かな?と思ったが、なんと! 直腸にガス(おなら)がたまっているとのこと。そして、横にされ、キシロカインを塗られ、お尻の穴にチュ-ブを入れられた。
これが本当のガス抜きだ。
そして、尻の穴にチュ-ブを入れられたまま、15分間の外照射がおこなわれた。
恥ずかしかったし、ショックでもあった。
(註:こういう処置は、それほど珍しいことではないようだ・・・)
次の日、担当の放射線科医から、「食べるときに一緒に飲み込んだ空気でしょう」と言われた。
確かに、思い当たるフシがあると言えばある。
この日、外照射を受ける数時間前、メロンがおいしくて、ガツガツ食べたのだが、このとき、大量の空気も一緒に飲み込んだのかもしれない。
ただ、21回目のときは(チュ-ブを入れられた日は)、おなかは、いつもと同じ調子だったので、ショックが大きかった。おなかが張っているような感覚はまったくなかった。照射前に、きっちり排便もできていた。だから、その日もスム-ズに終わる、と確信していた。それなのに、いきなり、チュ-ブを入れられたので、ショック倍増だった。
怖がりの私は、以後、なにがなんでもチュ-ブを回避しようとした。
外照射は、あと3回を残すだけだったので、下痢を覚悟で、22回目以降は、リンゼス錠を半錠、服用した。下痢はしたが、なんとか無事に、24回の外照射を終了することができた。
放射線科の3ヶ月検診のとき、担当の放射線科医に晩期障害について、質問してみた。
私「おかげさまで、早期障害(急性期障害)は、ほとんど出ませんでしたが、早期障害が出なかった人は、晩期障害も出ないのでしょうか?」
放射線科医「いえ、早期と晩期では、メカニズムが違うので、早期が出なかったからといって、晩期もでない、とは限りません」
私「晩期障害は、どんな症状が出ますか?」
放射線科医「もっぱら、出血です。血尿、血便です」
私「それは、鮮血ですか?」
放射線科医「はい、血管が切れて出血することが多いので、鮮血です」
私「晩期というと1年後とか2年後に出るのでしょうか?」
放射線科医「はい。3年後に出る人もいます」
私「では、鮮血があったら放射線科を受診したらいいのですか?」
放射線科医「はい、一週間以上、鮮血が続くようでしたら、受診してください」
私「ブラキセラピ-にも晩期障害というのは、あるのでしょうか?」
放射線科医「あります!ブラキセラピ-は、ものすごい量の放射線なので、排尿障害や血尿の可能性はあります」
私「血尿、血便が出たら、どういう治療をするのですか?」
放射線科医「まず、膀胱内視鏡検査や大腸内視鏡検査をして、それが、晩期障害によるものなのか、それとも、膀胱がんや大腸がんなど、別の病気によるものなのかをチェックします。そのあとで治療法を検討します」
私「ひ-!内視鏡ですか?怖いです!」
放射線科医「まぁ、チビ太さんの場合は、便秘もないし、糖尿病もないし、脂質異常症(高脂血症)でもないし、ワ-ファリンも飲んでいないので、血便の心配は低いかもしれません」
(21)石田記念 大阪前立腺クリニック
岡本圭生医師は、現在、「石田記念 大阪前立腺クリニック」(京阪本線・森小路駅(もりしょうじえき)から100m)を開業している。
(第二部 了)
第三部(トリモダリティ療法終了日から1年後以降の副作用)
(1)ホルモン療法終了後1年半(トリモダリティ療法終了後1年2ヶ月)の状態
{1}放射線の晩期障害(LDR および 外照射)が少し出てきた。
外照射後10ヶ月くらい経った頃(LDR後1年)から、徐々に晩期障害が出始めた。具体的には、頻尿・頻便、そして、排尿痛だ。
現在、排尿痛は軽度ではあるが、日に数回はある。
排尿痛には、五淋散が効くようだ。
頻尿・頻便のほうは、今のところ、日常生活には支障がない程度だ。
頻尿には、湯治が効くような気がする。また、補中益気湯と牛車腎気丸も少し効いているような気がする。
血尿、血便は、今のところ、ない。
大腸がん検診(便潜血検査)では、昨年も本年も、陰性だった。血尿のほうは目視。
{2}最近になって、少し、筋力が戻ってきた。
そのせいか、なにをするにも、楽になった感じがする。
たとえば、つい最近まで、筋力低下のせいで、コ-ヒ-ミル(手動)で豆を挽くことすらしんどくて、「粉で買ってこようか」と考えたほどだったが、今は、筋力が戻り、以前と同じように(ホルモン療法をする前と同じように)、疲れることなく、挽くことができるようになった。
ホルモン療法を開始してから、コ-ヒ-豆を挽くことすらめんどうに感じる日々だったが、今は、コ-ヒ-豆に限らず、「しんどい」・「めんどうくさい」と思うことが減ってきた。
そのせいか、フットワークが軽くなってきた。
また、靴下をはくとき、一本足になると、以前は、ふらついたが、今は、安定して一本足立ちができるようになった。
いろんなことが以前と同じようにできるようになったこと(回復したこと)は、とても、うれしい。
筋力が回復して、初めて、「ああ、筋力低下が、めんどうくさい、という気持ちを発生させていたんだなぁ」としみじみ思った。
回復しないと、めんどうくさい、と感じる理由に気がつかないまま、時がすぎてしまう・・・
なぜなら、筋力低下に見合った活動をしてしまうため、つまり、「自分は、適度に活動(運動)をしている」と感じてしまうため、活動量の低下に気がつかなくなるからだ。
たとえば、(オイルの交換時期が長くなっていることで気がついたのだが)、クルマの月間走行距離が、治療前の半分になっていて、びっくり仰天した。「以前と変わらず、アクティブにあちこち出かけている」と思っていたのに、現実の自分は、ひきこもっていたのだ。
{3}思考能力もアップした。
以前は、考えることすらめんどうくさくて、新しく買った電気機器の取扱説明書すら読むのがおっくうだったが(読まなかったが)、今は、苦痛でなくなった(読むようになった)。
段取り力も、改善した。
これも、回復したからこそ、過去の不調に気がつくことができた。
(回復しないと、不調を自覚しないまま、「歳も歳なので、こんなもんかなぁ」と、漫然と生きてしまう!)
{4}まとめ
これら{2}と{3}の変化(回復)は、テストステロンの上昇とシンクロしているので、テストステロンが、これらの回復の要因と考えていいと思う。
(ただし、約1年前、テストステロンが一過的に、4.202ng/mlまで上昇したことがあったが、このときは、脳の機能と筋力は改善していない。上昇が一過的だったから、と思われる。)
この一年半を振り返り、「ホルモン療法の副作用はすさまじかったなぁ・・・」と、改めて思った。
今年の夏頃から、少しずつダウンレギュレ-ションが解除されつつあるようで、テストステロン量は、3.90ng/mlまで上昇したが、まだ、まだ、足りていない気がする。
しかも、テストステロンは、右肩上がりで上昇していくのではなく、上下しながら上昇している感じがする。日によって、テストステロン量が少ないと感じる日がある。
治療前のテストステロン量を測ってもらっていないので、いま何%まで回復しているのかわからないが、私の場合、6.0ng/ml程度は、必要な気がする。
なぜなら、今も、完全に「元の筋力・元の体調」に戻っているわけではないからだ。
以前の6割くらいまで回復した感じはするが、しかし、女性化乳房や基礎代謝量(基準値以下)や肥満(体重増加)など、いまだに治っていないことがある。