チビ太のもの申す前立腺がん体験記 7

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<2025年4月24日・加筆修正>

 

 

(17)プレプラン

 

 プレプランのときは、『ヨウ素125線源永久挿入による小線源療法治療者カード』へのサインが必要なため、奥さん(または、保証人)を連れてくるように、と言われる。

 プレプランの内容は、私の師匠・ichiさんがHP「じじ..じぇんじぇんがん」の中で詳しく解説してあるので省略するが、私の場合、検査直後、お尻の穴から血が(少々)出たのにはびっくりした。

 だが、次の日には、治っていた。排便痛もなかった。

 

 プレプラン終了後の排尿痛は、きつかった。

 すぐに条件反射が形成されてしまい、トイレのドアを見ると、恐怖が走るようになった。

 だが、その排尿痛も、次の日には消えた。

 

 プレプランでも、あのイヤな尿道カテ-テルは入れられたが、これも、生検と同様、案ずるより産むが易しだった。

 

 プレプランで印象的だったのは、生まれて初めて、おしっことともに空気がプスプスと出たことだ。ヘンな感じはしたが、それだけだった。前立腺の超音波画像を撮るとき、空気を入れて膀胱を膨らませたためだろう。

  

 

(18)小線源の手術

 

 プレプランと同じ部屋(手術室)で、おこなわれる。

 担当の放射線科医とは初対面なので、挨拶したいと思うが、手術室に入ると、すぐ岡本圭生医師に麻酔注射を打たれて、寝かされてしまう。手術台からは、放射線科医の後ろ姿しか見えず、声しか聞こえない。その結果、名前も顔も知らないまま、手術は終了する。

 

 小線源の手術は、これも、ichiさんがHPの中で詳しく解説してあるので省略するが、「小線源治療のほうが針生検(経会陰式)よりも楽だなぁ」「がんの治療なのに、こんなに楽でいいのだろうか?」と思うほど楽だった。そして、あっけなく終わった。

 術後も、平穏だ。テレビを見て過ごした。

 

 しんどさは、針生検(経会陰式)>プレプラン>小線源の手術 の順だ。

 

 

 退院した日(次の日)は、排尿痛もなく、絶好調だった。 

 

 だが、退院した日の深夜、いきなり尿閉になった・・・

 

 午後11時頃に眠り、午前1時頃、尿意で目が覚めた。

 すぐトイレにいったのだが、いくらがんばっても尿が出ない。

 

 尿閉は、不快というよりも、気持ち悪かった。とてもヘンな感じがした。

 それまで尿閉の兆候はまったくなかったので、びっくり仰天した。

 

 すぐにパソコンのスイッチを入れ、岡本圭生医師に、「深夜、中途覚醒したとき、いきなり尿閉になりました」という内容のメ-ルを書き始めた。

 しかし、メ-ルを書き終えた頃(15分後頃)、再び尿意を感じたので、トイレにくと、ちょろちょろと出た。

 残尿感はあったが(実際、残尿はあったが)、とりあえず出た。

 

 ほっとしたニコニコ

 

 そこで、メ-ルは送信せず、しばらく様子を見ようと考えた。

 忙しい岡本圭生医師の邪魔をしてはいけないと思ったからだ。

 

(註:尿閉になったのは、後にも先にも、このときの15分間、1回きりだった。)

 

 次の日の深夜も、尿意で目が覚めたときは、(昼は、ふつうに出るのに)、ちょろちょろしか出ない。

 でも、完全な尿閉ではない。残尿感はあるが、出ることは出る。

 

 だが、いつ完全な尿閉になるのか不安だったので、岡本圭生医師に、メ-ルで報告だけしておいた。

 

 すると、岡本圭生医師からすぐに返事がきた。

 要約すると、「移行域からも癌が見つかっているため、通常よりも、尿道線量は高めに設定してあります。超音波で検査してみないと排尿状態がどうなっているのか、わかりませんが、場合によっては、自己導尿をおぼえてもらったほうがいいかもしれませんので、来週の火曜日に受診してください」という内容だった。

 

 「自己導尿」という言葉を聞いて、ヘタレの私は、またパニックになったガーン

 

 しかし、幸いなことに、その火曜日の診察では、とくに問題はない、ということで、八味地黄丸を処方されて、終了した。

 ほっとした。

 

 それからも、日中の排尿はまったく問題ないのに、深夜だけ尿閉気味になる。

 

 その差がありすぎる。

 こういう症状は、ネットにも本にも書いていなかった。

 

 そこで、師匠のichiさんに聞いてみた。

 だが、ichiさんは、自分には小線源治療による副作用はなかったので、わからない、という回答だった。

 岡本圭生医師にも質問してみたが、「わからない」という答えだった。

 

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註:岡本圭生医師は、自分にわからないことがあると、「わからない」と即答する。

 こういう姿勢を、私は、尊敬する。

 なぜなら、これこそ科学者としての姿勢だからだ。わかっていることとわかっていないことをきっちり分けて思考しているからだ。そして、自信があるからこそ、「わからない」と即答できる。

 だから、「わからない」と言われても、安心できる。

 

 じつは、そのあと、同じ質問を3人の医師にしてみたが、知らないことを恥ずかしいと思っているのか、あるいは、プライドが傷つくと思っているのか、「わからない」と回答した医師は一人だけだった。残りの2人は、必死に回答しようとしていたが、納得できる説明ではなかった。私でも思いつくようなものだった。これでは、安心は得られない。

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 今も謎のままだが、仮説はある。

 「ニ-ドル(シ-ドを入れるために使う針)によってできた傷による炎症仮説」だ。

 一番の根拠は、炎症は、一般に、昼よりも、夜のほうが激しくなることだ(風邪をひいたときも、夕方から熱が出るのは、そのせいだ)。

 つまり、ニ-ドルによる傷から炎症がおこり、その炎症により前立腺が腫れ、その腫れのせいで尿道が狭窄した、という仮説だ。私の場合、通常よりも、尿道に近いところにもシ-ドが入れられているので、尿道に近い傷が腫れると、尿道が狭窄してしまうことは、充分、考えられる。

 深夜だけ尿閉気味になることも、この仮説で説明できる。 

 そのほか、シ-ドから発せられる放射線でも炎症が発生するので、この炎症による腫れも原因のひとつではあったことはまちがいないだろう。

 また、リラックスしているときに尿閉気味になることが多いので、副交感神経も関与しているかもしれない。

 

 ただ、尿閉になったのは、退院した日の深夜の1回だけで(15分間だけで)、そのあとは、少しずつ回復していった。

 3ヶ月後には、昼と夜の差は、なくなった。

 

 なお、第一部で述べたように、術後、ハルナ-ル、フリバス、ユリ-フをそれぞれ2週間以上、試したが、どれも効かなかったので、途中から、勝手に(岡本圭生医師に言わずに)服用を中止した。

 

 

(19)ポストプラン

 

 術後1ヶ月におこなうポストプランでは、尿検査や血液検査のほか、CT、MRI、レントゲンとフルコースの検査をする。

 さすがにこの頃になると、CTやMRI検査に慣れてくるが、それでも、検査は疲れる。

 横になっているだけなのだが、やはり、緊張しているのだろう、私のような怖がりは、精神的に疲労してしまう。

 

 

(20)トモセラピ-による外照射(43.2Gy)

 

 トリモダリティの最終章が放射線外照射だ。

 1.8Gyを24回、月~金に照射する。

 外照射をする病院は、岡本圭生医師と放射線技師に紹介してもらった。その病院は、トモセラピ-(TomoTherapy社製)を有し、スタッフも医師も優秀だった。

 

 外照射では、前立腺のほか、精嚢へも照射する。

 

 外照射は、外側から前立腺へ照射するので、皮膜外浸潤がある場合は、有利だ。

 また、体験記1でも述べたように、私の場合、すでに、ブラキセラピ-でも、前立腺の皮膜の内側ギリギリにシ-ドを留置してもらっているので、内外から、挟み撃ちをするように、皮膜外浸潤がんに照射するようになっている。

 これは、トリモダリティ療法、および、外照射併用ブラキセラピ-のアドバンテージだ。

 

 当初、私は、師匠・ichiさんと同じく、自分にも血尿、血便という副作用が出るものと思っていた。

 また、岡本圭生医師からも、「外照射をしたら、排尿障害が悪化するおそれがあるので、外照射が終わったら、すぐに受診するように!」と、強く言われていた。

 

 だが、幸いなことに、血尿も血便もなく、排尿障害もあまりなかった。

 お尻の穴がムズムズする、という副作用と、切迫尿意くらいだった。

 

 ただ、この切迫尿意は、それなりにやっかいだった。

 なぜなら、私の場合、水の音を聞くと強い尿意が出る、というものだったからだ。

 家の中で(台所や洗面台で)水の音を聞くと、その音に刺激され、猛烈にトイレに行きたくなる(滝の音は、だいじょうぶ)。   

 困ったことに、それは、我慢のできない尿意だ。つまり、量に関係なく(あまりたまっていなくても)、すぐにトイレに駆け込まないと、漏れてしまう。

  

 外照射中は、クルマにガソリンを入れているときも、その音で尿意が刺激され、ガソリンスタンドのトイレに駆け込んだこともある。

 

 外照射中、一番、苦労したのは、排便のコントロールだった。

 外照射は、「膀胱満タン、直腸の便はゼロ」の状態で受けることが理想だ。

 前立腺を動かないようにするためだ。

 

 膀胱に100cc~150ccほど尿をためるのは簡単だが(水分を多めにとり、照射1時間前からトイレに行かなければ達成される)、問題は、排便のコントロールだ。

 

 私は、下痢体質で、便秘はほとんどしない。

 だが、外照射が始まる前の診察で、担当の放射線科医に、「直腸に便がたくさん映っている(残っている)」と指摘され、その対策として、リンゼス錠0.25mg(毎朝、2錠)を処方された。

 

 しかし、下痢体質の私には、リンゼス錠は効き過ぎた。

 服用すると、きっちり2時間半後に激しい下痢をおこす。水のような下痢だ。おなかも痛い。

 一錠に減らしても、ひどい下痢をする。

 これでは、排便コントロールはできても(直腸をからにすることはできても)、体がもたない。

 

 このことを放射線科医に報告すると、「では、リンゼス錠は中止しましょう」ということになった。

 そこで、私は、放射線科医にユリ-フと防風通聖散の処方をお願いした。

 第一部でも述べたように、ユリ-フの副作用である軟便を利用しようとしたのだ。そして、念のため、防風通聖散にも軟便になる作用があるので、それも利用した。

 

 この作戦は、大成功だった。

 

 しかも、防風通聖散は、体重を減らす効果もあるので、一石二鳥だった・・・はずだが、こちらは、効かず、体重はまったく減らなかった。

 

 こうして、外照射は、20回目までは、順調だった。

 

 しかし、外照射21回目のとき、事件がおきた・・・

 

 照射が始まるタイミングで、どやどやとスタッフが数人、照射室に入ってきた。

 

 「あれ?機械の故障かな?」びっくりと思ったが、なんと! 直腸にガス(おなら)がたまっているとのこと。そして、横にされ、パンツをおろされ、お尻の穴にキシロカインを塗られて、チュ-ブを入れられた。

 

 これが本当のガス抜きだ。

 

 そして、尻の穴にチュ-ブを入れられたまま、15分間、外照射がおこなわれた。

 恥ずかしかったし、ショックでもあったえーん

 

(註:こういう処置は、それほど珍しいことではないようだ・・・)

 

 次の日、担当の放射線科医から、「食べるときに一緒に飲み込んだ空気でしょう」と言われた。

 確かに、思い当たるフシがあると言えばある。

 この日、外照射を受ける数時間前、メロンがおいしくて、ガツガツ食べたのだが、このとき、大量の空気も一緒に飲み込んだ可能性がある。

 

 ただ、21回目のときは(チュ-ブを入れられた日は)、おなかは、いつもと同じ調子だった。おなかが張っているような感覚もなかった。照射前に、きっちり排便もできていた。だから、その日もスム-ズに終わる、と自信があった。

 それなのに、いきなり、チュ-ブを入れられたので、ショック倍増だった。

 

 怖がりの私は、以後、なにがなんでもチュ-ブを回避しようとした。

 外照射は、あと3回を残すだけだったので、下痢を覚悟で、22回目以降は、リンゼス錠を半錠、服用した。下痢はしたが、なんとか無事に、24回の外照射を終了することができた。

 

 

  放射線科の3ヶ月検診のとき、担当の放射線科医に晩期障害について、質問してみた。

 

私「おかげさまで、早期障害(急性期障害)は、あまり出ませんでしたが、早期障害が出なかった人は、晩期障害も出ないのでしょうか?」

放射線科医「いえ、早期と晩期では、メカニズムが違うので、早期が出なかったからといって、晩期も出ない、とは限りません」

私「晩期障害は、どんな症状が出ますか?」

放射線科医「もっぱら、出血です。血尿、血便です」

私「それは、鮮血ですか?」

放射線科医「はい、血管が切れて出血することが多いので、鮮血です」

私「晩期というと1年後とか2年後に出るのでしょうか?」

放射線科医「はい。3年後に出る人もいます」

私「では、鮮血があったら放射線科を受診したらいいのですか?」

放射線科医「はい、一週間以上、鮮血が続くようでしたら、受診してください」

私「ブラキセラピ-にも晩期障害というのは、あるのでしょうか?」

放射線科医「あります!ブラキセラピ-は、ものすごい量の放射線なので、排尿障害や血尿の可能性はあります」

私「血尿、血便が出たら、どういう治療をするのですか?」

放射線科医「まず、膀胱内視鏡検査や大腸内視鏡検査をして、それが、晩期障害によるものなのか、それとも、膀胱がんや大腸がんなど、別の病気によるものなのかをチェックします。そのあとで治療法を検討します。たとえば、直腸出血の場合は、内視鏡的にアルゴンプラズマ凝固法で止血することが可能です。」

私「ひ-!内視鏡ですか?怖いです!」

放射線科医「まぁ、チビ太さんの場合は、便秘もないし、糖尿病もないし、脂質異常症(高脂血症)でもないし、ワ-ファリンも飲んでいないので、血便の心配は低いかもしれません」

 

 

(21)石田記念 大阪前立腺クリニック

 

 岡本圭生医師は、現在、「石田記念 大阪前立腺クリニック」(京阪本線・森小路駅(もりしょうじえき)から100m)を開業している。小線源治療のほか、監視療法もおこなっている。

                                      (第二部 了)

 

 

 

                  第三部(トリモダリティ療法終了後の副作用など)

 

(1)トリモダリティ終了後1年8ヶ月(ホルモン療法終了後約2年)の状態

 

{1}放射線の晩期障害(LDR および 外照射)が少しだが、出た。

 

 トリモダリティ療法が終了した直後は、頻尿・頻便・切迫尿意などはあったが(早期障害)、その程度は小さかった。

 そして、これらの早期障害は、数ヶ月後には、消えた。

 それからの(消えてからの)半年間は、とても快適だった。

 

 平穏な日々が続き、私は、「晩期障害は、出ないのではないか」と、淡い期待をいだいていた。

 

 だが、寺田寅彦が言ったように、「災害(天災)は、忘れた頃にやってくる」。

 

 トリモダリティ療法が終了して8ヶ月ほど経った頃から(LDR後10ヶ月頃から)、徐々に晩期障害が出始めた。

 

 頻尿・頻便・排尿痛・切迫尿意だ。ただ、これらは、日常生活に支障が出るほどの障害ではなかった。

 また、尿線も細くなった(尿の勢いが少し弱くなった)。

 

 排尿痛は、今回、新たに出てきた。 

 

 これまで、プレプランのとき、尿道カテ-テル抜去のあとに、一過的に(数回)排尿痛が出たことはあったが、それ以降、一度も排尿痛が出たことはなかった。LDR手術のときも、経会陰式生検のときも排尿痛はなかった。

 だが、トリモダリティ終了後、8ヶ月たった頃、排尿痛が出てきた。尿道カテ-テルの抜去後の痛みとは、また違う痛みだ。炎症による痛みだと思う。

 排尿痛自体は軽度ではあるが、日に数回はある。そして、便意を感じたときも前立腺あたりが痛くなる。

 

 ただ、この排尿痛は、排尿痛が発生してから数ヶ月後には消えた。

 

 担当の放射線科医に聞くと、排尿痛は、小線源に由来するものだろうと言う。

 私の場合、尿道線量が高いので(移行域からもがんが見つかっているため、通常よりも高い設定になっている)、深く納得した。

 

 

 切迫尿意も出た。外照射中のように、水の音を聞くと、強い尿意を感じ、お漏らし寸前になることもあった。

 ただ、この切迫尿意も、症状が出てから数ヶ月後には、なくなった。

 

 

 これら切迫尿意と排尿痛には、五淋散が効いた。

 頻尿には、湯治が効いたような気がする。また、補中益気湯や牛車腎気丸も効いたように思う。

 

 

 頻便には、ビオフェルミンが効くように感じるが、効き過ぎると便秘気味になるので、服用量の調節がむずかしい。

 

 ただ、これら頻尿・頻便も、日常生活には、なんとか支障がない程度だった。

 現在は、どちらもほぼ消えた

 

 血尿、血便は、ない。

 大腸がん検診(便潜血検査)をしたが、昨年も本年も、陰性だった。血尿のほうは目視。

 

 

 以上、まとめると、放射線の晩期障害は、出ることは出たが、数ヶ月間だけだったし、その程度も、日常生活に支障がないレベルだった。

 

 

{2}ようやく、最近になって、鬱状態が少し改善した。そして、筋力も少し回復した。

 

 ホルモン療法が始まってから2年間、鬱による意欲低下、および、筋力低下のせいで、「なにをするのもおっくう」「なにをするのもめんどうくさい」という状態が続いたが、ようやく最近、少し改善してきた。

 

 たとえば、ごく最近まで、コ-ヒ-ミル(手動)で豆を挽くことすらしんどくて、そして、めんどうくさく感じて、「粉で買ってこようか」と真剣に考えたほどだったが、今は、以前と同じように(ホルモン療法をする前と同じように)、疲れることなく(しんどいと感じることなく)、楽に挽くことができるようになった。

 

 フットワークが、少しだが、軽くなった。 

 

 さらに、靴下をはくとき、一本足になると、以前は、微妙にふらついたが、今は、安定して一本足立ちができるようになった。

 テニスをしても、体の動きが安定するようになった。

 以前は、家の中で、ふらつく理由がないのにふらついたり、ふつうに歩いていても転倒しそうになることがあったが、今は、それもなくなった。

 また、最近まで、床にものが落ちたとき、それを拾い上げることも面倒に感じたが、今は、それもなくなった。

 

 いろんなことが以前と同じようにできるようになったこと(心身ともに回復したこと)は、とても、うれしい。

 

 

 筋力が回復して、初めて、「あぁ、心も鬱だったが、筋力低下も、ひどかったなぁ」としみじみと感じた。

 

 筋力低下には、じつは、もうひとつ、やっかいな面がある。

 

 それは、問題意識の低下だ。

 

 すなわち、活動量が減っても、筋力低下に見合った活動をするので、「自分は、以前と同じように活動している」と認識してしまい、なんの対策もしなくなることだ。

 

 たとえば、クルマの月間走行距離が、治療前の半分以下になっていたことだ。

 オイルの交換時期が長くなっているので気がつけたのだが、それを知ったときは、びっくり仰天した。

 自分としては、「以前と変わらず、活動している」と思っていたのに、じつは、ひきこもっていたのだ。

 

 これ以降、「え-、○○○? めんどうくさいなぁ」と感じたとき、(これまで、おっくうに感じたら、それをしなくなっていたが)、「ちょっとだけ無理をしたら、それができるのであれば、実行しよう!」というふうに方向転換した。

 

 そうしないと、知らないうちに活動量が減り、いつまでも筋力が回復しないからだ。回復しないどころか、老化という要因もあるので、加速度的に筋力が低下してしまう。

 老化自体も進んでしまう。

 

 負のスパイラルになる。

 

 要するに、ホルモン療法をしたあとは、少し無理してでも、山登りやテニスをしないと、心身ともに一気に老化が加速してしまう、ということだ。

 

  

{3}思考能力もアップした。

 

 ぼ-っとすることが激減した。

 また、以前は、考えることすらめんどうくさくて、新しく買った電気製品の取扱説明書すら読むのがおっくうだったが(読まなかったし、読んでもよく理解できなかったが)、今は、読むようになったし、また、理解力も回復してきた。

 

 段取り力も、改善した。

 

 これらも、回復したからこそ、過去の不調(ブレインフォグも含む)に気がつくことができた

 (回復しないと、「歳も歳なので、こんなもんかなぁ」と、問題意識がないなま、漫然と生きてしまう!)

 

 

{4}まとめ

 

 これら{2}と{3}の回復は、テストステロンの回復とほぼシンクロしているので、テストステロンが、これらの回復の要因と考えていいと思う。

 

 この2年を振り返り、「ホルモン療法の副作用は、すさまじかったなぁ・・・」と、改めて思った。

 

 最近、ダウンレギュレ-ションは、少しずつ解除されつつあるようで、テストステロン量は、なんとか基準値内(今の測定器による基準値は、1.31ng/ml~8.71ng/ml)を保っているが、しかし、右肩上がりで上昇(回復)しているわけではない。

 たとえば、半年前は、3.90 ng/mlだったが、今は、3.60 ng/mlに減ってしまった。

 

 高齢者なので、回復への道のりは遠いようだ・・・

 

 2年近く、テストステロンは、基準値内ではあるが、しかし、体感的には、まだまだ、足りていない気がする。 

 治療前のテストステロン量を測ってもらっていないので、いま何%まで回復しているのかわからないが、私の場合、5.0~6.0ng/mlは、必要な気がする。

 

 今も、「元の筋力・元の体調」に戻っていないからだ。

 

 たとえば、筋力は、階段の登り降りをすると、以前の7割くらいまでは回復したような気はするが、しかし、女性化乳房や基礎代謝量低下(今も基準値以下)や肥満など、いまだに改善していないことがある。

 

 ホルモン療法が終了してから、2年になるが、いまだに、どことなく不調だ。

 

 後遺症(副作用)を感じる。

 

 なかなか治療前の状態に戻らない・・・

 

 

 以上のような我が身の現実を考えると、「延命のためのホルモン療法や、延命のための抗がん剤治療は、したくないなぁ」と強く思う。

 

 なぜなら、私の場合、ホルモン療法は、たった3ヶ月間だけだったのに、副作用が強すぎたからだ。テストステロンの回復も悪い。

 それゆえ、もし、ホルモン療法が2年、3年と長期になったら、たとえ、その後でホルモン療法を中止したとしても、一生、テストステロンが回復せず、基準値以下のままとなる可能性は高いだろう。もし、そうなったら、たとえ運良く、延命できたとしても、高い確率で、半分ボケたような状態になったり、体もヨボヨボになったりする。

 

 これでは、本末転倒だ。

 

 人間は、ただ生きていればいい、というものではない。

 

 また、抗がん剤治療をすると、副作用は、ホルモン療法よりもひどい場合が多いし、免疫機能は低下するし(肺炎などの感染症で死亡する確率は上がるし)、倦怠感もひどくなるし、寿命も短くなる。

 

 もちろん、がんが体内にあると、つまり、再発しているのに無治療を決め込むと、もっと寿命は短くなる

 

 だからこそ、抗がん剤治療して延命を図るのだが、しかし、抗がん剤治療それ自体も寿命を短くするので、私の場合、実質、どれだけの延命できるのか、期待できそうにない。

 また、抗がん剤治療をしたとき、どれだけ良好なQOLを維持できるのか、(私は、副作用が出やすい体質のようなので)、こちらも、期待できそうにない。

 

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註:一般論だが、固形がんの場合、がん細胞の数が(総数が)1兆個(約1Kg)を越えると、人は死亡すると言われている。抗がん剤は、がん細胞の数を減らすことで延命を図るものだ。すなわち、一回目の抗がん剤治療で、数千億個まで減らし、その後、がん細胞が増えて、再び、1兆個を越えそうになったら、また別の抗がん剤で数千億個まで減らし・・・を繰り返すことで、延命を図る。

 だが、抗がん剤は、正常細胞にもダメ-ジを与えるので、個人差はあるが、QOLは低下し、かつ、寿命を短くしてしまう。

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 QOLが低下して本末転倒にならないよう、つまり、「延命はできたけれど、抗がん剤の副作用で、寝たきりになった(あるいは、認知症になった、とか、ブレインフォグが治らない)」ということにならないよう、私のような高齢者は、再発した場合、「治療をする」という選択だけでなく、「治療をしない」という選択、あるいは、「緩和ケアする」という選択を検討する必要があると思う。

 

 たぶん・・・私は・・・再発しても・・・治療は・・・しないと思う・・・

 

 

 

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