<2024年7月19日・加筆修正>

 

(8)前立腺がんを甘く見てはいけない。

 

 その1でも述べたように、世間では、「前立腺がんは、進行が遅く、おとなしいがん」と言われており、「前立腺がんは、かんたんに治る」「前立腺がんで、死ぬことはない」と思い込んでいる人は多い。

 

 私も、「高リスクのがん」と言っているのに、ハハハと笑いながら、「前立腺がんなら、心配ないでしょう」「すぐに治りますよ」と言われたことがある。その人は、励ましているつもりなのだろうが、私には、無責任な発言にしか聞こえなかった・・・

 

 たしかに、「85歳で死んだ人を解剖してみたら、前立腺がんが見つかった」という例は多い。

 

 これは、どういうことかというと、「前立腺がんは存在したが、死ぬまで悪さをしなかったので(前立腺がんが死亡の原因にはならなかったので)、別の病気で亡くなった」ということだ。

 

 こういう前立腺がんは、「良性腫瘍」と言ってもいいようながんだ。

 潜在がん(ラテントがん)と言う。

 ほっておいてもいいがんだ。だからこそ、監視療法が成り立つ。

 

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註:前立腺癌診療マニュアル(金原出版)によると、1983年~1993年に、前立腺がんと診断された人の前立腺を病理検査をした結果、潜在がんであった人は、全体の35%だった。

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  だが、「その1」でも述べたように、前立腺がんは、すべてが、おとなしいわけではない。

 

 凶暴な前立腺がんもある

 

 高リスクのがんだ。

 

 その中でも、特に、グリソンスコア(GS)が9~10、すなわち、4+5、5+4、そして、5+5のがんは、凶暴だ。

 この場合の凶暴とは、「進行が速い」、「転移しやすい」、「再発しやすい」(治りにくい、がんが死滅しにくい)、「浸潤しやすい」という意味だ。

 

 「GS9以上のがんは、潜在がんとは、別物」と思ったほうがいい。

 

 なぜなら、GS9以上のがんは、3+3と比べると、同じがんとは思えないほど凶暴だからだ。

 

 冒頭でも述べたように、高齢でも、若い人同じくらい進行が速いことがある。老人だから進行が遅い、とは限らない。

 

 「4+4」も、高リスクに分類されるし、GS7と比較すると、それなりに危険(凶暴)ではあるが、しかし、「4+5」「5+4」「5+5」は、別格といっていいほど凶暴だ。

 

 だが、自分がどのタイプのがんなのか、すなわち、おとなしいがんなのか、それとも、凶暴ながんなのかは、生検をしてみないとわからない。

 生検を嫌がる人は多いが(怖がりの私もそのひとりだが)、生検は避けては通れない。

 

 覚悟が必要だ。

 

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註:おおよそだが、GS6以下の低リスクと診断される人は、全体の30%~40%、GS7の中間リスクは、30%~40%、GS8以上の高リスクは、20%~30%、と言われている。

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 しかも、悲しいことに、その生検も絶対ではない。

 

 なぜなら、前立腺のすべての部位に針を刺せるわけではないからだ。見落としが発生してしまう。

 前述したように、3+3と評価されても、3+4のところに針が刺さっていなかっただけ、ということがある。

 

 また、人が(病理医が)判定するので、病理医によりGSが違うことがある。

 たとえば、ある人は、最初の病院で、「14本中、1本が陽性で、GSは2+3」と判定されたのに、同じ系列のほかの病院では、「14本中13本が陽性で、GSも、4+3」と判定されている。

 これほど違うことはまれだが、病理医によって判定が違うことは、比較的よくあることだ。

 逆に、グリ-ソンスコアが下がる人もいるが、次の病院の評価のほうが正しいのかどうか、私たち患者にはわからない。

 

 病理医に、得意分野と不得意分野があるために、このようなことがおこる。

 

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註:かくいう私も、前医の「3+4(1本)、4+3(2本)、4+4(7本)」から、「4+4、4+5」(3+4と4+3は、存在しない)に変更された。

 前医のとき、すでに4+4が7本もあって、もともと「高リスク」だったが、岡本圭生医師の再評価では、グリーソンスコアが4+5と、超高リスク(NCCN)となった。

 

 しかも、私の場合、「5」の中でも、solid patternがある最強クラスの「5」だった。さらに、陽性率が59%もあるので、画像的にはcT2cN0M0であっても、被膜外浸潤の可能性は高いし、精嚢浸潤の可能性も高い。さらに、微少なリンパ節転移や微少な骨転移が、治療前に、すでにおきている可能性もあるしかも、その確率は、低くない。20%~30%ほどある・・・

 

 初診のとき、岡本圭生医師から、「もし、全摘していたら、80%以上の確率で再発していただろう」と言われた。同感だ。

 solid patternの「5」があるとは、そういうことだ。

 

 また、しみじみと「早く受診して良かったねぇ」とも言われた。

 これは、初診の頃、がんに勢いがあったこと、そして、solid patternがある「5」があったからだと思われる。

 理想は、1年前、すなわち、「PSAが2.0→3.6に急上昇したとき」であったと思う。

 師匠のichiさんは、「1.6→3.2」に急上昇したときに受診している。さすが師匠!すばらしいタイミングだ。

 

 solid patternがある「5」は、ほかの「5」よりも、さらに転移、浸潤しやすく、かつ、進行が速いため、私が受診したときは、根治できなくなるギリギリ一歩手前だった可能性がある。つまり、もし、あと1年遅かったら、根治できなくなっていたかもしれない。

 だから、岡本圭生医師は、しみじみと「早く受診して良かったねぇ」と言ったのだと思う。

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註:なお、「グリーソンスコアは、治療しないでいると、年々、上昇していく」と思っている人がいるが、それは、まちがい。

 グリーソンスコア(GS)は、変わらない人のほうが圧倒的に多い。

 つまり、GSが高い人は、がんが発生した時から高く、GSが低い人は、発生時から低い、ということだ。

 

 一般に、GSが低い人ほど変わりにくいと言われている。

 

 ただ、100%の人が一生、変わらない、というわけではない。まれにだが、上がる人はいる。

 

 なお、その1でも述べたように、再発した場合は、その再発がんのGSは上がることが多い。

 

 ただ、複雑なのは、たとえば、3+3だった人が3+4に上がっても、それは、GSが上昇したからではなく、2回目の生検のとき、もともとあった「4」に針が刺さったから、という可能性がある、ということだ。

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 皮膜外浸潤があったかどうかは、全摘のあとで病理検査して確定する。また、リンパ節郭清(リンパ節の摘出)をして、それを病理検査してリンパ節に転移があったどうかが確定する。

 cT2aとかpT3bというのを見たことがあるだろう。

 最初の「c」は、clinical(臨床)の「c」で、「CTやMRIや生検の結果を基にした」という意味だ。「p」というのは、pathology(病理)の「p」で、手術で摘出した前立腺やリンパ節の組織切片を作って調べた結果、つまり、病理検査した結果、という意味だ。

 

 当然、後者が真実だ。

 

 DWIBSやPET・CTで検査しても、微小ながんは映らないので、「c」よりも「p」のほうが悪くなることが少なくない。

 

 また、生検でも、20%くらいの確率で、実際のGSよりも低く出ると言われている。

 

 それゆえ、私たち患者は、一ランク悪い病期(ステージ)だと思っていたほうがいいのかもしれない・・・

 

(その1でも述べたが、インテル社の元社長・アンディ・グローブ氏は、当時のMRIやCTの性能の低さを知っていたので、「T2b」よりも一ランク悪い「T3b」を想定して、治療法の検討をしたのではないか、と私は想像している。)

 

 

 

(9)では、なぜ、ブラキセラピ-は、普及しない(主流にならない)のか?

 

 私の勝手な想像だが、一番の理由は、日本泌尿器科学会編集の「前立腺癌診療ガイドライン」2016年版で、ブラキセラピ-が低評価を受けているからではないかと思う。

 

 藤野邦夫さんも、この点を嘆いている。

 

 ブラキセラピ-のQ&Aは、7つあるが、C1の評価が6つB評価は1つだ。

(註:5段階評価で、上からA、B、C1,C2,Dとなっている)

 

 しかも、そのせっかくのB評価は、「尿禁制等の排尿機能の保持において,前立腺全摘除術よりも優れており,EBRT(放射線外照射)とは同等である」という、副作用の項目だ・・・

 

 このB評価は、妥当だとは思うが、肝心の残りの項目は、すべてC1だ。

 

 C1とは、「科学的根拠はないが、おこなうよう勧められる」というものだ。

 Bは、「科学的根拠があり、おこなうよう勧められる」というものだ。

 

(註:Aは、「強い科学的根拠があり、おこなうよう強く推奨される」、C2は、「科学的根拠がなく、おこなわないよう勧められる」、Dは、「無効性、あるいは、害を示す科学的根拠があり、おこなわないよう勧められる」となっている。)

 

 たしかに、ありきたりのブラキセラピ-をしている病院(低リスクの患者にしかブラキセラピ-をしていない病院)なら、C1という評価は、妥当かもしれない。

 

 しかし、どこの病院でも、C1相当のブラキセラピ-をしているわけではない。

 

 技術力の高い病院が少なからずある。

 また、ブラキセラピ-には、論文という科学的根拠がある。

 しかも、それは、中・高リスクにおいては、全摘よりもブラキセラピ-のほうがはるかに治療成績がいい、という内容の論文だ。

 岡本圭生医師をはじめ、東京医療センタ-の医師たちや海外の医師たちが論文を出している。

 それも、国際誌に発表している。

 つまり、充分すぎるほど科学的に証明されている。

 

 論文があって、治療成績もいいのに、ブラキセラピ-にC1評価するのは、おかしい。

 岡本圭生医師など、治療成績のいいブラキセラピ-があるのだから、それを紹介して初めて、公平、かつ、科学的となる。

 

 なによりおかしいのは、日本泌尿器科学会は、2016年版・前立腺癌診療ガイドラインの158ペ-ジから159ペ-ジにかけて、「特に、高リスク症例におけるLDR、EBRT、ホルモン療法の3者併用療法(註:トリモダリティ)は、高線量の放射線療法に、ホルモン療法が加わり、良好な治療成績が期待できる」と言っておきながら、トリモダリティ療法を高リスクの第一選択として推奨していないことだ。

 

 第一部の冒頭で、私が「多くの医者(特に前立腺癌診療ガイドラインの作成委員)は、技術者であって、科学者ではないなぁ」と感じたのは、こういうことが理由だ。

 

 しかも、最後の「良好な治療成績が期待できる」という表現は、曖昧で、適切ではない。

 

 ここは、はっきりと、「高リスク患者におけるトリモダリティ療法の治療成績は、全摘や放射線外照射よりも、はるかに良好だ」と書くべきだと思う。

 さらに言えば、(患者の幸せを考えるならば)、「高リスク患者におけるトリモダリティ療法は、ほかの治療法と比較して治療成績が非常にいいので、第一選択として患者に勧めるべきである」と記載すべきだと、私は思う。

 

 再発で苦しんでいる人の多くは、高リスク患者だからだ。

 

 その1でも述べたように、再発すると、しんどくなるだけでなく、根治は、きわめてむずかしくなる。

 だからこそ、初回の治療で、できるだけ再発しない治療を選ばないといけないのだが、しかし、せっかく根治をめざしても、半数の患者が再発してしまう(高リスク患者は、もっと高い率で再発している)(例:高リスクの全摘の再発率は、70%)。

 

 「再発しないこと」は、患者の切なる願いだ。

 

 この患者の悲願を、ぜひとも、日本泌尿器科学会に、わかっていただきたい。 

 

 せめて、高リスク患者には、全摘、放射線(外照射)に加えて、トリモダリティ療法という3つ目の治療方法があることを、現場で説明するよう指導していただきたい。

 

 もし、日本泌尿器科学会が本気になれば、トリモダリティ療法を普及させることができるはずだし、かつ、普及させることで、高リスク患者の再発率を激減させることができるはずだ、と私は思う。

 

 

 

 では、なぜ、前立腺がんの治療(特に高リスク)は、そのように方向転換されないのだろうか・・・

 

 ただの妄想話だが、そして、歯切れの悪い話だが、聞いてほしい。

 

 私が医学部(偏差値では、上位の大学)で非常勤講師をしているときに感じたことだ。

 

 それは、(私の体験、というサンプル数がひとつしかなくて申し訳ないが)、「ものすごい詰め込み教育をしているなぁ」ということだ。そして、「これでは、学生は、優秀な技術者にはなれても、科学者にはなれないだろうなぁ(科学的方法論を学ぶ暇がないだろうなぁ)」と感じた。

 実験実習のあとで、実験結果を考察する時間(学生に、実験結果から結論を導き出すための論理構成を教える時間)はあったが、科学的思考が身つくほどの内容ではなかった。ただ、たまに科学的センスのある学生(学部学生)がいて、その発想と能力に驚いたことがあるが(今ごろ彼は、優秀な医師になっているだろうなぁ、と思い出すときがある)、しかし、そうでない学生のほうがはるかに多かった印象がある。

 記憶力の良さだけで入学した学生だろう。

 素直すぎて、素朴な疑問をいだかない学生たちだ。彼らは、教えられた通りの治療をそつなくこなす医師にはなるのだろうが、創意工夫をするタイプではなかった。

 

 要するに、論理的な思考能力の弱い学生だ。

 

 私は、そういう多くの学生たちを見て、「知識があれば、マニュアル通りにはやれるが、しかし、患者は、みんなそれぞれ背景が違うので、科学的方法論を教育しないと、それぞれの患者に合わせた最適な治療ができない医師になる恐れがある、そして、その病気の本質はなにか、いままでの治療法でいいのか?という思考(探究心も含む)ができないと、医師になってから成長できなくなる」と感じた。

 

 だが、カリキュラムを見ると、とてもそんな時間的余裕はない。

 しかも、もし、時間に余裕があったら、詰め込み教育を強化して、医師国家試験に合格させたほうがいい、という雰囲気が学部にはあった。

 

 たしかに、医学部において、医師国家試験合格率100%は、正義だ。

 

 そして、医師国家試験の合格率を高めるには、「優秀な技術者を育てる」という教育方針は有効だ。思考力をアップさせる教育をしても、つまり、「みずから成長していける医師」を育てても、医師国家試験の合格率を高めることに寄与するとは限らないからだ。

 

 そのせいか、学生はもとより、教員側も必死に勉強していた。「教員同士でも、知識の量を競い合っていた・・・」と言うと大げさだが、しかし、知らないことがあると、それは、「教員として、恥ずかしいこと」という雰囲気があった。部外者の私でも、びびるほどだった。

 

 だが、一方で、昔から、「学生時代の成績が優秀だった人が、将来、優秀な医師になるとは限らない」と言われている。

 これは、「優秀な大学を卒業した人が、必ずしも、優秀な医師になるとは限らない」というのと同じだ。

 一般に、大学院入試の成績と、その後の研究者としての実力(実績)も一致しないことが多いが、同じ現象だ。

 

 要するに、学業成績と、科学的な思考能力(or 成長していけるか、という能力)は、必ずしも比例しない、ということだ。

 

 私は、優秀な医師とは、「知識が豊富なだけでなく、科学的な思考ができる医師(or 成長していける医師)」だと思っているが、しかし、困ったことに、科学的思考ができない医師は、科学的思考の重要さを知らない。

 科学的思考ができない医師ほど、科学的方法論を軽視する傾向がある。

 そして、思い込みの強い医師ほど、「自分は、思い込みは強くない」と、思い込んでいる。

 

 こういう医師は、成長できない。

 

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註:膀胱がんの話だが、トシさんの『おい!ガンになっちまったぜ!!』というブログが象徴的だ。

  (トシさんに断りなく引用して申し訳ないが)、このブログは、たまたま診てもらった非常勤の若い女医さんに膀胱がんを発見してもらったというお話だ。

 

 トシさんは、「彼女は、オレの尿に潜血反応あることに着目し、「原因があるはずです」とハッキリ言った。続けて尿の細胞診、レントゲン検査、超音波検査を提案し、翌週、大学から派遣される医師につないでくれ、ガンの発見となった」と語っている。

 

 私は、こういう科学的センスのある医師を心から尊敬する。

 

 トシさんは、その女医さんの前の2人の医師のせいで膀胱がんの発見が遅れてしまったことに対し、「オレは彼らを信じ、指示に従って来た。ところがその間にガンは確実に広がり、時だけが無意味に過ぎていたのだ。こんなバカなことがあっていいのか。なぜだ。なぜこんなことに。彼女のような医師に早く出会えていたら……」「診察室でのベテラン医師とのやりとりを思い出すたびに、やり場のない気持ちになる」と、嘆いている。

 

 同じがん患者として、トシさんの憤りはよくわかる。

 

 また、続けてトシさんは、「2人の医師たちは、尿検査のたびに潜血が見られたにもかかわらず、ガンではないだろう、と思い込み、ガンを見つける検査をしていなかったことをオレは知ることになった。2人の医師は、潜血がガン以外の理由であると結論を出したかというと、それもない。原因を追求することなく、診察を続けていた」「潜血の理由はなんだろう、という顔で首をかしげていたが、ガンを見つける検査を一つもやらなかった。細胞診なし、内視鏡なし、レントゲンなし、エコーなし(膀胱内の残尿量を見るためのエコー?はやった)。医者が医者の仕事をやっていない、こんなこと、あるのか!」「後で思ったのだが、これらは、すべて医師としてやるべき基本的なことではなかったのか。彼女は、「疑問をもったら追及する」という基本に忠実な医師で、当たり前のことを当たり前にやる医師だったのだと思う」とも述べている。

 

 ポイントは、「疑問をもったら追及する」という姿勢だ。

 この姿勢があるから、「当たり前のことを当たり前にやる医師」になるし、かつ、過去の経験を未来に活かせる医師になる。つまり、成長していく医師だ。

 だが、前医の年老いた開業医と総合病院の常勤医には、「疑問をもったら追及する」という姿勢はなかった。そもそも、疑問が発生していなかった。こんなだから、診療経験は豊富でも、医師として成長できなかったのだ。

 彼らは、記憶力だけで医学部に入った医師かもしれない・・・

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 ただし、こういうこと(科学的なセンスがないことや、疑問をもたないこと)は、一部の医師に限った話ではない。

 

 患者にも多い・・・

 

 いい大学を出た人は利口だと思っている人は多いが、アンディ・グローブ氏のような科学的思考ができるとは限らない。つまり、立派な大学を卒業しているからといって、科学的な思考能力があるとは限らない。

 

 別の能力だ。

 つまり、学業成績がいいことと、科学的な思考能力は別だ。

 

 また、もうひとつ、問題がある。

 

 それは、人格的な問題だ。

 すなわち、学業成績がいい人には、記憶力がいい人(特に、機械的記憶に強い人)が多いが、こういう人の中に、ASD(自閉スペクトラム症)気味であったり、自己客観視能力が低かったり、誠意や正義がなかったり、独善的だったり、自己中心的だったりして、どことなく人間的に成熟できていない印象を与える人がいることだ。

 

 これは、一部の医者だけでなく、一部の高学歴の人にも散見される。

 

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註:滋賀医大事件が発生したのも、そういう理由かもしれない・・・

 

 滋賀医大事件とは、滋賀医大の病院長や泌尿器科の教授が、岡本圭生特任教授を追い出した事件だ。

 

 岡本圭生医師の人気ぶり(全国から大勢の患者が集まっていた)と、岡本圭生医師の治療成績の良さをそばで見ていた泌尿器科医たちは、自分たちもブラキセラピ-をやろうと計画し、1回だけ、岡本圭生医師の手術現場を見学した。泌尿器科医たちは、「ブラキセラピ-を1回、見学すれば、経験がなくてもできるだろう」と考え、患者を集め始めた。その計画を知った岡本圭生医師は、「無謀だ!」「高リスク患者の命は救えない!」と、義憤にかられて内部告発をした。その結果、計画を阻止することはできたが、しかし、そのあと、岡本圭生医師は、患者の治療ができないようにされ、あげく、クビにされてしてしまった・・・という事件だ。

 

 「嫉妬」という理由もあっただろう。

 だが、私は、「当時の滋賀医大の医師たちに、患者の命を救いたい、という気持ちが小さかったこと」が事件の核心ではないか、と思っている。

 

 たとえば、岡本圭生医師に治療させないようにしたことだ。

 患者側からしたら、こういう滋賀医大の措置は、「患者の命をないがしろにしている」と感じる。なぜなら、一縷の望みをいだいて滋賀医大まで行ったのに、そして、目の前に岡本圭生医師がいるのに、治療してもらえないからだ。「人の命をなんだと思っているんだ!」と絶叫したくなる。

 

 患者会がデモ行進するのは、当たり前だ。

 

 もし、私が、当時、患者であれば、デモ行進に参加したと思う。なぜなら、私のような高リスク患者は、早く治療を開始しないと、全身に転移してしまうので、いつまでも待てないからだ。

 滋賀医大側は、こういう高リスク患者の切実な事情を知っていたのに、自分たちの事情を優先している。

 ここに滋賀医大事件の核心がある。

 

 また、たとえば、ある放射線科医は、裁判のとき、法廷で、「全国から患者が集まるのは、放射線科医としての自分の腕がいいからであって、岡本圭生医師の腕がいいからではない」という趣旨の証言をした。

 その放射線科医は、今も滋賀医大に在籍しているが、今、彼の下に全国から患者は集まってくるようなことは、もちろん、ない。

 『自分の立場を守るために、見苦しいウソをついた』とも解釈できるが(その苦しみは理解できるが)、しかし、もし、そうであっても、もう少し別の言い方があったはずだ。「男気」が欠けていると思う。「そんな見え見えのウソをついて、以後、精神的呵責なしに生きていけるのだろうか?」「我が子の前で、堂々と、「お父さんは、立派な医者だ」と言えるだろうか?」と、ひとごとながら心配になるが、しかし、じつは、そんな心配は無用だ。

 なぜなら、こういう人は、自分に都合の悪いことは、すぐに忘れてしまうからだ。不思議なことに、本気で忘れてしまう。また、こういう人は、人から恨まれることをしても気にしない。

 自己客観視能力がない人の特徴だ。

 

 また、たとえば、別の医師は、岡本圭生医師を陥れるために、公文書偽造までしている。

 

 学長も、初めは、「岡本圭生医師 推し」で、ブラキセラピ-を滋賀医大の目玉にしようとしていたのに、ある日、突然、追い出し勢力側に加担した。悪い意味で、「君子豹変す」だった。 

 

 私たち患者は、こういう現実は、「一事が万事」と思ったほうがいい。

 つまり、『当時の滋賀医大に、たまたま、このような医師が集まっていた』とは考えないほうがいい。

 自分の命をあずける医師がこんな人たちだと、私たち患者は不安になるが、しかし、それが現実だ・・・

 

 ただ、すべての医者がそうだ、というわけではない。

 当時の滋賀医大にも、腕が良くて、人間的にも立派な医師は大勢いたはずだ。

 だが、事件にかかわった医師のような人たちがいたのも事実だ。

 

 命の危機を感じると、患者は、ついつい、主治医に多くを期待してしまうものだが、つまり、人間としての立派さ(誠意や正義)まで期待してしまうものだが、しかし、「腕が確かで、患者の完治(患者の命)を真剣に考えてくれる医者であれば、それで充分」と考えておいたほうがいいだろう。

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註:前述のトシさんは、ブログの中で、次のようにコメントしている。

 「医師は、難関の医学部合格を果たし、人を救うために医学の勉強を重ねてきた人たちのはず。学問的に優秀な医師であっても、人を苦しめるような結果を招くことは許されません。人に寄り添う気持ちを持てば、それは避けられると思います」

 同感だ。

 人に寄り添う気持ちがないから、患者を苦しめてしまうのだと思う。

 ただ、「人に寄り添え!」と言われても、これも能力なので、指導しても、訓練しても、注意しても、人に寄り添えるようになることはきわめてむずかしい・・・

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 さて、思考力が弱い人のよくやる過ちは、ものごとを白か黒か(全か無か、100か0か、いい人か悪い人か)で考えることだ。

 

 二分法と言う。

 

 二分法で思考する人の多くは、たとえば、ス-パ-で食材を買うとき、人工甘味料や食品添加物が、「入っているか、入っていないか」だけで、ものごとを判断してしまう。含有量(%)を無視して、つまり、少し入っていようが、大量に入っていようが、おかまいなしに「入っているのは、すべてダメ!」という思考(意思決定)をする。

 

 二分法の極みだ・・・

 

 論文を書いたことがある人なら、つまり、自分で実験してグラフを作ったことのある人なら、二分法でものを考えることはしないはずだが、論文を書いたことのない人 and/or ふだんから物事を深く考えない人は、知識はあっても、その理解は、二分法であることが少なくない。

 

 もうひとつの重大問題は、「○○である」という表現と、「△△のようである」(□□かもしれない)という言葉を区別しないで、記憶し、かつ、ものごとを考えてしまうことだ。

 

 こういう人は、意外に多い。

 

 そもそも、科学(研究)とは、「△△のようである」→「○○である」へと格上げするために、莫大な時間と費用と人力をかけて証明する作業のことだ。

 

 

 さらに、その1でも述べたように、本を読めば利口になると思っている人は多いが、これも大まちがいだ。

 

 いくら本を読んでも、(そして、いくら論文を読んでも)、二分法的な理解をしていたり、あるいは、「○○である」と「△△のようである」を混同して記憶しているようでは、いくら知識が豊富でも、それを現実世界で応用することは、むずかしい。

 

 繰り返すが、「クイズ王」になっても、その意味と意義は薄い・・・

 

 なぜなら、判断力がなければ、現実は変わらないからだ、すなわち、自分の未来を良きものにすることはできないからだ。

 

 判断力を養うには、たとえば、分析的に思考することだ。

 

 分析的思考とは、たとえば、「○○は体にいい」という記事を読んだとき、「○○は、体のどこに、そして、どのような作用をするのか?」を考えることだ。次に、その情報の質を知るために、「それは、in vitro(イン・ビトロ)で調べられた結果なのか、それとも、in vivo(イン・ビボ)なのか、すなわち、試験管の中で、培養細胞に○○を与えて調べられた結果なのか、それとも、動物に直接、○○を投与して調べられた結果なのか」を注視する。その次は、人間に投与した場合の結果はどうか、を注視する。最後は、その○○を、多数の人間に、長期間、投与して、副作用はどうか、そして、その○○の有効率を注視する。さらに、もし、それが外国のデ-タなら、人種差も考慮しなければならない。(註:あとになればなるほど、情報の質は上がる)

 

 情報は、このように、情報の質を含めて記憶しておかないと、判断力は身につかない。

 

 

 インテル社の元社長・アンディ・グローブ氏を思い出してほしい。

 アンディ・グローブ氏は、自分の未来を良きものにするために、分析的に思考をした。

 

 だが、世の中には、分析的思考どころか、自分の頭で考えようとしない人が多い

 

 考えることを放棄している人は、つまり、自分の頭で考えることをしない人は、主流を好み、流行を追いかけ、権威に弱く(権威を信じ)、「寄らば大樹の陰」「長いものには巻かれろ」を選択する。

 

 だが、この選択は、「判断」ではない

 

 自分の頭で考えているわけではないからだ。

 ただ単に、長いものに巻かれているだけだ・・・

 

 考えることを放棄している人は、「主流の治療法は、なにか」「みんながしている治療は、なにか」を調べるだけで、こと足りる。

 

 たしかに、この方法は、楽だ・・・

 

 だが、長いものには巻かれて、いつも、いい結果が出るとは限らない。

(もし、長いものに巻かれて、悪い結果が出たとき、こういう人たちは、ああだ、こうだ、と言い訳する、または、人のせいにする。そうやって、自分のしたことを正当化する。弁解だけは一人前だ。こういう姿勢では、人は成長できない・・・)

 

 その点、アンディ・グローブ氏は、長いものに巻かれて悪い結果になることを恐れて、治療法選びは、自分の頭で考えることにした、つまり、自分で調査して、自分で考え、比較表まで作って、自分で判断することにした。

 

 そのことこそ、その1で述べた、「I decided to bet on my own charts」(自分で作ったグラフに賭ける(グラフを信じる)ことにした)、ということだ。

 

 だから、たとえ、失敗しても、言い訳したり、不当に人を責めたりすることはない。

 自分の未来は、自分の責任で決定する、という姿勢だからだ。

 

 

 さて、論文を書くことと、論文を読むことは、まるで違う作業だ。

 それゆえ、論文を書いたことがある人が論文を読むのと、論文を書いたことがない人が論文を読むのとでは、視点も理解も解釈も違ってくる。論文を書いたことがある人は、論文の裏側(デ-タの裏事情)を知っているので、そういう差が生じるのは、仕方がないことだ。

 

 だが、ふだんから自分の頭でものを考えている人は、論文を書いたことがなくても、論文を書いたことがある人と同等の洞察力や審美眼があるように思う。

 たとえば、論文を読む上で、まず、大事なことは、そこにある情報の質が高いのか、低いのかを判別することだが、ふだんから自分の頭でものを考えている人は、ある程度、判別できると思う。

 

 アンディ・グローブ氏も(アンディ・グローブ氏は、博士号をもっているので、論文を書いたことがあると思うが、分野は違っても、科学的方法論は同じなので)、前立腺がん治療の治療成績を比較検討するとき、情報の質は、考慮していたと思う。

 

 実験のデザインが悪い論文(サンプル数が少なかったり、調査期間が短かったり、対照実験が適切でなかったりする論文)は、つまり、情報の(デ-タの)質が低い論文は、その論文の結論や考察を鵜呑みにすることはできない。

 いや、鵜呑みにしたら危険だ。

 だが、論文を書いたことのない人(または、ふだんから自分の頭で考えない人)は、その判定が困難と思われる。

 

 これは危険なことだ。

 

 なぜなら、質の悪い情報と質の高い情報を同等に扱って思考すると、間違った結論を導き出してしまうからだ。

 たとえば、「○○で癌が予防できる」とか「△△で癌が治る」とか、世の中、さまざまな情報であふれているが、前述したような情報の質を考慮しないと、論文や本を読めば読むほどカオス状態になり、わけがわからなくなる。

 

 また、まれに、論文の考察や結論が間違っていることがあるが、つまり、著者自身が勘違いして(または、著者が混乱したまま)論文を書いていることがあるが(この場合、査読したレフェリーも、そのまちがいに気がつかなかった、ということだ)、論文を書いたことがない人(または、自分の頭で考えない人)は、そういうまちがいに気がつくことは無理だろう。

 

 その点、頭の中が整理されている人が書く論文は、つまり、一流の論文は、概して短く、かつ論理の展開が美しいが、そして、不思議なことに、何年たっても古さを感じさせないが、論文を書いたことのない人(または、ふだんから自分の頭で考えない人)は、その美しさがわからず、「かんたんなことが書いてある」と、軽くあしらってしまう傾向が見られる。つまり、質の低い情報のように扱ってしまう。そして、難解で、格調高く、かつ、長い論文をありがたがる

 

 だが、論文は、「お経」ではない

 

 中学生が読んでも理解できるのが論文というものだ。

 そもそも、論文は、中学生が読んでもわかるように書かなければならないものだ。

 

 一流の論文は、わかりやすく、かつ、「Simple is beautiful」となっている。

 

 だが、こういう肝心なことがわかっていない人は多い・・・

 

 難解で、長い論文は、じつは、ろくでもないことが多い。

 なぜなら、著者自身、論点を整理しないで、(ただし、当人は、論点は整理してあると思い込んで)、論文を書いてしまうことで発生することがあるからだ。つまり、著者自身、「わかっていないところはどこか」がわかっていないと、ああでもない、こうでもないと、いたずらに長くなってしまう。

(註:そのほか、なにかをごまかそうと思って書いている場合も、論理の展開が不自然だったり、曖昧な表現を使ったり、何を言いたいのか、わかりにくい、ということが発生する。)

 

 だが、困ったことに、論文を書いたことのない人(または、ふだんから自分の頭で考えない人)は、難解で、格調高く書いてある論文を「すごい」と評価する傾向がある。

 

 これは、論文だけの話ではない。

 

 本でも、ブログでも、人の話でも、同じだ。

 

 つまり、読んでいて、話が前に進まないなど、著者が何を言いたいのか、よくわからないのは(あるいは、中学生が読んで、理解できないのは)、読者の頭が悪いからではなく、著者が論点を整理して書いていないからだ。

 逆に、わかりやすく書いてある本や論文は、著者の頭脳が明晰だからだ。

 

 このことを勘違いしてはいけない。 

 

 

 さて、科学の世界では、他の人の書いた論文、たとえば、岡本圭生医師の論文(または、治療成績のいい論文)を無視してはいけないことになっている

 

 なぜなら、もし、無視すると、論文を受理してもらえないからだ。

 

 レフェリーから、「オマエは、岡本先生の論文を読んだか?」「これから岡本先生の論文を読んで、考察をやり直せ」「さもなくば、受理しない(オマエの論文は、掲載しない)」と言われるからだ。

 

 つまり、科学の世界では、人の論文は、無視しようにも無視できないシステムになっている。

 

 だから、まともな科学者なら、初めから無視するようなことはしない(ただし、知らなかった、ということはある。恥ずかしい話だが、私も、現役時代、知らなくて、レフェリーに指摘されて、あわてて修正したことがある)。

 こんなことは、英語で国際誌に論文を書いたことがある者にとっては、常識中の常識だ。大学院生でも知っていることだ。

 

 それなのに、「前立腺癌診療ガイドライン」2016年版は、ブラキセラピ-の治療成績の良さを無視しているように思える。

 

 ただ、前立腺癌診療ガイドラインの場合は、論文ではないので、つまり、査読する者(レフェリー)がいないので、引用する論文に偏り(または、自分に都合のいい部分だけを引用するという、かたより)があっても、誰からも文句は言われない。

 

 しかし、前立腺癌診療ガイドラインは、日本の泌尿器科医にとっては教科書みたいなものだ。

 

 そういう意味では、つまり、患者側からしたら、「前立腺癌診療ガイドライン」は、通常の科学論文よりもさらに公平で厳密でなければならないはずだ。

 

 2016年版「前立腺癌診療ガイドライン」は、たくさんの論文を引用してあるが、その文献の引用の仕方にも、かたよりがあるように私には感じる。

 

 もし、私が感じたことが真実なら、それは、科学者はやってはいけないことだ。

 

 なぜなら、科学とは、自分と反対の主張をしている論文(or 自分の主張に都合の悪い論文)を引用し、それを、論破するのが科学的方法論だからだ。

 

 そうやって、科学は発展してきた。

 

 21世紀になってから、「科学的根拠(エビデンス)に基づく医療」ということが叫ばれているが、少なくとも、前立腺がんの分野では、そうではないようだ・・・

 

 たとえば、2016年版「前立腺癌診療ガイドライン」にも、(そして、2023年版「前立腺癌診療ガイドライン」にも)、岡本圭生医師の論文は引用されていない。

 

 つまり、世界トップレベルの非再発率を誇る技術と論文を無視している・・・

 

 その1で述べたように、日本ですでに、「高リスク・トリモダリティ・9年後の非再発率90%」が実現されているのだから、日本泌尿器科学会が本気になれば、再発で悩む人は激減するはずだ。

 

 ぜひとも、「過ちては改むるに憚ること勿れ」であってほしい。そして、「君子、豹変す」になってほしい。

 

 

 せめて、私のような皮膜外浸潤の可能性が高い患者(高リスク患者)に全摘をするのは(B評価を与えるのは)、やめてほしいと願う・・・ 

 

 繰り返しになるが、私は、前医のとき、「GSは、4+4が7本(17本中、7本)、陽性率59%」という診断で、高リスクであったが、つまり、もし、全摘すれば、再発率は70%超であった可能性があるにもかかわらず、泌尿器科医(前医)から第一選択として勧められたのは、全摘だった。

 確かに、画像的には限局性がんに分類されるが、しかし、私の当時のGSと陽性率なら、ノモグラム的には、高確率で皮膜外浸潤があると推定されるのに、つまり、再発率することはほぼ確実なのに、前医は、平然と全摘を勧めてきた。

 

 前医が、なんのためらいもなく提案した理由こそ、前立腺癌診療ガイドライン(2016年版)に、「高リスク限局性前立腺癌に対する全摘にはB評価が与えられているから」だろうと思われる。

 

 

 一般的な前立腺がんの解説本も、前立腺癌診療ガイドラインに歩調を合わせているのか、限局性がんに対しては、「第一選択は、全摘だ!」「全摘が一番、確実な治療法だ!」という論調で書かれている。

 

 判で押したように、どの解説本にもそう書かれている。

 

 しかも、放射線(外照射)は、治療成績は全摘と同じなのに、第二選択という論調だ(低評価だ)。

 小線源治療に至っては、解説&紹介はされているものの、「物好きな人は、どうぞ」という論調だ。高い線量を出せる、という重要な情報も書かれていないし、高リスクにおいては、トリモダリティ療法の治療成績はとてもいい、という超重要なことも書かれていない。

 

 これでは、がん宣告されたばかりの患者が解説本を読んだら、「ブラキセラピ-は論外で、全摘か放射線の二択しかなく、全摘が最適だ」と解釈してしまう(私も、最初の頃、そう解釈していた)。

 

 そんな患者が医者に全摘を勧められたら、素直に従ってしてしまうのは当然だ。

 

 現場では、いまだに、多くの泌尿器科医は、(限局性がんの場合は)、高リスクの人でも、全摘を薦めているようだ・・・

 

 繰り返しになるが、岡本圭生医師のするトリモダリティ治療なら、高リスクでも、再発率は、わずか4.8%だ(それも、前述したように、前立腺からの再発ではない。治療前からすでに転移していたと考えられる再発なので、それがなかったら、再発率は、実質0%かもしれない)。

 

 

 多くの泌尿器科医には、たとえ再発率が70%超(高リスクの場合)であっても、「限局がんは、全摘が一番」という思い込みがあるように、私には感じる。

 そして、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と、切りまくっているように感じる。

 だが、患者側からしたら、たまったものではない。

 なぜなら、赤信号の先には、「70%以上の再発とPSAノイローゼと高い医療費」が待っているのだから・・・

 

 

 さて、次に、これも、私の勝手な想像だが、ブラキセラピ-が普及しないのは、患者側にも問題があるように思う。

 

 1つ目は、患者側の勉強不足だ。 

 これも、藤野邦夫さんが著書の中で指摘していることだ。

 

 たとえば、多くの人に「がんは、切って治す」という思い込みがあることだ。医師でも、そう思い込んでいる人は少なくない。

 恥ずかしい話だが、私も、当初、そう思い込んでいた。

 

 たしかに、感覚的に納得できる。

 

 だから、「がんは切除して治療するのが一番」という思い込みがあり、かつ、解説本を真面目に読んだ患者は、医師に、「全摘して、すっきりしましょう」「たとえ、再発しても、救済放射線治療ができます。つまり、チャンスは二度あります」などと言われたら、素直に、「はい、全摘をお願いします」と返答してしまうことは、容易に想像できる。

 

 2つ目は、ブラキセラピ-という、あまり聞いたことのない治療法に違和感を覚える、という理由だ。

 気持ちはわかる。

 

 さらに、また、自分の体に異物を入れる、という嫌悪感もあるかもしれない。実際、その生理的嫌悪感のせいで、全摘を選んだ人もいる。

 その気持ちもわかる。当初、私にもあった。

 

 だが、それは、ただの感情論だ。

 

 冷静に考えてほしい。

 そもそも、シ-ドを埋め込んでも、異物感は、まったくない(ただ、術後2ヶ月間は、「腫れている」という違和感はある。だが、その違和感は、ごく小さいし、3ヶ月もしたら完全に消える)。シ-ドの大きさ(シャープペンシルの芯くらいの太さ)を考えたら、異物感が発生しない理由がわかるはずだ。

 

 「いや、そうじゃなくて、異物をいれることそれ自体がいやだ!」という人がいるかもしれない。

 だが、感情論で自分の治療法を決めないでほしい。

 論理的にものごとを考えてほしい。

  

 繰り返しになるが、内照射(LDR)は、IMRTよりもはるかに高い線量を出せるし、つまり、確実にがん細胞を死滅させることができるし、かつ、副作用も小さい。

 

 多くの解説本にブラキセラピ-のシ-ドが映ったレントゲン写真が載っていて、不気味な感じを読者に与える。

 

 だが、怖がる必要はない!

 

 いや、こんなもので、怖がってはいけない!

 

 ブラキセラピ-は、「その1」でも述べたように、理想的な方法だからだ。

 

 しかも、ブラキセラピ-は、患者側からしたら、経会陰式生検とほぼ同じ手術だ。

 腰椎麻酔をして、砕石位(昔、この姿勢で、尿路結石や腎臓結石を破壊したことから命名された)で、生検用の針を刺すのが生検(経会陰式生検)で、シ-ドを埋め込むのがブラキセラピ-だ。時間は、30分~1時間ほどブラキセラピ-のほうが長くかかるが、しかし、患者側からしたら、しんどさは、経会陰式生検と変わらない。

 術後、麻酔が切れても、痛みはない。

 私の場合は、生検(経会陰式)よりもブラキセラピ-のほうが楽に感じたくらいだ。血尿も出なかった(生検のほうは、一ヶ月以上、血尿が出た)。

 

 冷静に考えれば、ブラキセラピ-を嫌悪する理由は、どこにもない。

 

  

 3つ目は、「その2」でも述べたように、本で調べても、ネットで調べても、岡本圭生医師、および、岡本圭生医師と同じくらいの技術を持っている医師たちにたどりつくことはむずかしい(いや、ほぼ不可能)、という理由だ(ただし、こちらの理由は、患者側に非があるわけではない)。

 

 これは重大なことだ。

 

 たとえば、市販されている医療系雑誌(例:手術数でわかる○い病院、名医の○る病院、名医ラン○ングなど)や本(藤野邦夫さんの本と安江博さんの本は除く)には、まったく記載がないので、岡本圭生医師にたどりつくことは不可能だ。

 

 ネットも、検索が下手だと、岡本圭生医師にたどりつくことはむずかしい。

 じつは、私は、1ヶ月間、必死になってネット検索をしたが、岡本圭生医師の名前すら発見することはできなかった。トリモダリティという言葉すら発見できなかった。

 

 知人に紹介されて、やっと「じじ、、じぇんじぇんがん」にたどり着くことができた。

 もし、知人に教えてもらえなかったら・・・と思うと、ゾッとする。

 

 

 しかも、そのネット自体にも重大な問題が潜んでいる。

 

 それは、検索すると、怪しげなクリニックのHPが上位を占め、有用なHPやブログは、下位、または、出てこないことがあることだ(このブログも、ふつうに検索したら、上位には表示されていないと思う)。

 

 「あやしげ」とは、たとえば、高額な自費治療で免疫細胞療法をするクリニックだ。

 全国に300近くもある。

 免疫細胞療法とは、活性化リンパ球療法、LAK療法、NK細胞療法、樹状細胞ワクチン療法のことだ。一時、がんセンタ-や大学病院でさかんに研究されたが、どれも、あまり効かなかった。効く人もいたが、効かない人のほうが圧倒的に多かった。

 

 だから、保険適応にならなかった。

 

(註:免疫チェックポイント阻害剤は、厳密には、免疫細胞療法ではない。「免疫」という言葉が入っているので、まぎらわしいが、こちらは「抗体薬」だ。そして、これは、保険適応になっている。ただし、前立腺がんに有効な免疫チェックポイント阻害薬は、今のところ、まだ、ない。もう少し時間がかかりそうだ。)

 

 免疫細胞療法は、1980年代から始まった古い療法だ。だが、怪しいクリニックの怪しいHPには、最新の治療法のような言い方をして患者を惑わす。

 そして、「標準的がん治療が無効、もしくは、効果が低かった人でも、当院で、最先端の治療を受けることができます」とか、「標準治療と、当院での治療を併用することも可能です」と患者を誘惑する。

 さらに、免疫細胞療法のメカニズムを素人にもわかるように解説し、「これは、がん細胞を攻撃するNK細胞を増やす療法です」と力説する。いかにも科学的という印象を与える。

 また、「海外でも、この治療をしています(実際には、海外で免疫細胞療法をやっている国はない)」「学会発表もしました(註:学会発表は、基本、無審査なので、会員であれば誰でも発表できる)」と信用させ、「実際、こんなにたくさんの人が良くなっています」と、良くなった患者の体験談を紹介する。

 

 クリニックの外観は、高級ホテルみたいに立派だし、やさしそうで美人看護師がいたりして、いかにも治りそうな印象を与える。

 だが、何人中、何人が良くなったのか、という具体的なデ-タは表示されていない。たとえ、あったとしても、なんの統計処理もされていない怪しげなグラフだ。

 

 だが、多くの人は、「治るかも・・・」と期待してしまうかもしれない。

 精神的に弱った患者がすがりつきたくなるように、うまいことHPが作られている。

 ものすごい文章力だ。

 

 さらに恐ろしいことに、前立腺がんに光免疫療法をしているクリニックまである!

 

 恥ずかしい話だが、私も、危うくひっかかるところだった。HPを見て、「えっ?前立腺がんにおいても、すでに光免疫療法が始まっているのか!」と勘違いしてしまった。そう思わせるHPだった。巧みすぎる!

 

 ネットは、玉石混交だ。あれこれ調べているうちに、こうした怪しげなクリニックに引きずり込まれてしまう危険がある。

  

 がん宣告を受けて、不安になると、人は、希望がほしくなるからだ。

 それゆえ、希望を与えてくれるHPに引き寄せられてしまう。

 困ったことに、怪しげな病院ほど、希望を与えるHP作りをしている。

 引き寄せられて当然だ。

 

 かつて、私もそうだったので、その気持ちは、痛いほどわかる。

 

 だが、冷静になることが必要だ。

 

 ひとつの目安は、「保険適応」だ。

 

 保険適応は、約30年前から、審査基準が厳密になったので、前立腺がんの治療において、保険適応になっていない治療(自費診療)は、「ほとんど効かない治療」、または、「ごく一部の人にしか効かない治療」と考えていいと思う。

 

 一般論だが、初めから自費診療を始めた人は(最初の治療に自費診療を選んだ人は)、死亡率が高い、というデ-タがある。

 その理由は、自費診療をしてみたが効かなかったので、数年たってから標準治療に切り替えたが、しかし、そのとき、すでに、がんはかなり進行してしまっていて、手遅れ状態になっていた、というものだ。

 

 要するに、ネット検索をするときは、「最初の治療は、標準治療の中から選択することが基本」ということだ。

 

 ただし、標準治療も、全員に効くわけではない。

 

 たとえば、薬品で言えば、前立腺がんで有名なドセタキセル(タキソテ-ル)も、全員に効くわけではない。有効率は、4割だ。つまり6割に人には効かない。そして、前述したように、効かない人には、副作用ばかりが出る。

 たとえ、ドセタキセルが効いても、その延命効果は、短い。ものすごく良く効く人は、2年以上の延命効果が出ることはあるが、多くはない。

 また、ドセタキセルと同じタキサン系のカバジタキセル(ジェブタナ)も、その有効率は50%以下だ。

 

 しかし、それでも、多くの(前立腺がん以外の)抗がん剤の有効率は、20%~30%程度なので、カバジタキセルやドセタキセルは、効くほうの薬に属する。

 

 保険適応に至らなかった代替療法(補完代替療法)の有効率に至っては、ドセタキセルやカバジタキセルの1/10~1/100程度と考えていいだろう。

 それゆえ、メインではなく、サプリ的な位置づけで利用するのがいいと思う。まったく効かないわけではないが、そして、効く人にはよく効くことがあるが、過剰な期待は禁物だ。

 

 繰り返すが、「これで、がんが消えた」とか「これで、がんを征圧できた」という宣伝文句に飛びつかないことだ。

 前述したように、サンプル数は充分にあるか、統計処理はしてあるか、をチェックし、熟考の上、自分の治療法(最初の治療方法)を決めてほしい。

 

 がんは、数百人~数千人にひとりくらいの割合で、何らかの理由(免疫システムの変化だろうと考えられている)で、がんが消滅することがある。自然退縮という。

 大腸がん、乳がん、肺がんなどで報告されている。前立腺がんでも自然退縮した報告がある。

 何がきっかけでおこるのか、詳しいことはわかっていないが、しかし、この統計学的にゼロに近い治療成績(または、宣伝文句)にすがりついてはいけない。つまり、怪しげな治療法でも、数千人もがん患者がいたら、その中の一人は、自然退縮する人が出てくる可能性がある。その一例を根拠に「このサプリは効きます!」とか、「この治療法は、こんなに有効です!」と宣伝されたら、たまったものではない。

 

 一事が万事ではない。

 

 こういう論法で人気を集めているHPやブログがあるので、厳重な注意が必要だ。

 

 がんになって、焦る気持ちはわかるが、どうか、冷静に思考してほしい、それが私の願いだ。

 

 

(10)高額療養費制度

 

 がんが確定したら、高額療養費制度を申請し、利用することをお勧めする。

 同一病院という条件はあるが、そして、年収にもよるが、百万円近い手術費用や放射線治療費が数万円程度になる。

 ネットで調べると、詳しく解説してある。

 

 

(11)障害年金と身体障害者手帳の申請

 

  現役の人は(若い人は)、がんになると、障害年金をもらえる可能性がある。

 65歳を超えるともらえない、とか、障害年金をもらうと傷病手当金は打ち切られる、など、いろんな制約はあるが、調べてみる価値はある。

 (前立腺がんとは関係ないが)、一般に、人工肛門、咽頭全摘出、新膀胱の造設などがあると、もらえる。

 そのほか、仕事に支障をきたすような副作用(抗がん剤の副作用で、倦怠感、しびれ、痛み、嘔吐、下痢、貧血など)がある場合、認められることがある。

 がんと診断されてから、1年半経過すると、受給資格が発生する。1級から3級まである。

 ただ、担当の医師が障害年金について知らないことが多いので、事前に、調べておく必要がある。

 

 そのほか、身体障害者手帳を申請することも可能な場合がある。

 

 いずれも、病院の相談室やソ-シャルワ-カ-に相談してみるといいと思う。

 

(第一部 了)

 

 

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