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2017-10-17 16:54:33

「いちいち生きづらい」

テーマ:マイノリティ

「おれの苗字が金本とか金村やったら、どんだけ楽かと思うわ」と、在日の友人が言う。
彼の苗字にも名前にも、在日であることを感じさせるものはない。
「仕事でも恋愛でも、こっちが『金村です』って名乗っただけで、むこうは『あっ、在日やな』って察してくれるやん。親しくなったあとで、いちいち生きづら思いをせんでええし」

「いちいち生きづらい」。この感覚は日本社会におけるマジョリティである日本人には分かりづらい。そしてこれは、在日の話に限ったことではなく、全てのマイノリティに対してマジョリティに属する(と思っている)側の人間が、無自覚のまま感じさせている不自由さだ。

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2017-10-15 17:35:29

在日コリアンと小商い

テーマ:在日コリアン

大阪に暮らす古い知人の在日二世のおばちゃんから久しぶりに連絡があり、「立ち飲み屋始めたから、大阪に帰ったら来てや〜」。
「またか、何軒店やったら気ぃ済むねん」
雀荘、スナック、焼肉屋、お好み焼き屋、これで5軒目。その前には、弁当屋とべつのお好み焼き屋とコインランドリーもやっていた。
60半ばを過ぎた体で、全部の店を飛び回っている。全店定休日が違うから、おばちゃんは年中無休だ。

 

どれもこれも、10数坪ばかりの小さな店で、どこかのビルに空き物件が出たと聞いたら、すぐに店をやりたがる。
息子は親から引き継いだ中古車ディーラーを繁盛させ、おばちゃんはなにひとつ食うには困っていない。

「もうええ歳やねんから落ち着きや。体壊すで」
「あほか、商売やめて家に引きこもったら病気なるがな」


ヒマさえあれば小商いをやりたがるのは在日の血に刷り込まれた「性分」だとしか言いようがない。在日コリアンはとにかく小商いが好きだ。いや、小商いをする在日の人は、好きか嫌いかは別として、小商いをしていないことには落ち着かない、というほうが正しいかもしれない。

 

「正月に帰って来るんやったらまたチェサ(法事)来たらええでぇ」。おばちゃんの家のチェサに、親戚でも在日でもない私が呼んでもらったのはもう20年も前のことだ。
家中のごま油臭い空気と、無理やり食わされたセキフェの味、山ほど並んだ料理の皿、ざわざわと話し声が止まない暖かい家族や親族の雰囲気が恋しくなった。

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2017-09-18 22:18:46

個人の「好き嫌い」を「大義」にすり替える東洋大学・藤本貴之教授

テーマ:マイノリティ

ネットでいわゆる「ウヨ」が民族差別するのもあまりにもアホらしい行為であると思うし、それにいちいち反応し、正義を振りかざすカウンターを唱えるのも嫌だなと思うので、ネットの話題に意見は言いたくないのですが。
でも、相手が大学教授というのであれば、話は別かと思うのでひと言。

 

このコラムを書いた東洋大学・藤本貴之教授は、水原希子さんへのヘイトについて、「日本のネット社会の国際性の低さや未熟さを感じる」と言いつつ、結局は自分の水原さんに対する「好き嫌い」でしかない話を屁理屈で固め、尤もらしく語る。

 

この藤本貴之氏の考えこそ「国際性が低く未熟すぎ」て驚く。「ネットの炎上」の話でおいとけばいいものを、大学教授がわざわざ持ち出し、ネタにして拡散することの意味を、この人は分かっているのだろうか?
そして、個人が自分の出自を語ったり、ルーツを重んじこだわることも「面倒くさい余計なことをするな」と言ってるのと同じ、あまりにも偏った考え。
誰を好きになろうが嫌いになろうが、なに人を好きになろうが嫌いになろうが、個人の勝手なので好きにしたら良い。
でも「好き嫌い」の話なら、「好き」「嫌い」と書けばいいだけのこと。

 

しかし、藤本氏はそうは書かず、理屈を続ける。

>『水原希子は、父親がアメリカ人で母親が在日韓国人ある。しかしながら、在日韓国人の母親は、もしかしたら生まれも育ちも日本で、国籍や出自が韓国だとしても、その実態は「ほぼ日本人」である可能性は高い。』

 

『「ほぼ日本人」である可能性は高い。』ってなんだ??

さらに、『日本人としてアイデンティティを持ち、生活をしているのであれば、日常生活であえて出自をアピールする必要もない。今後、日本がますますグローバル化してゆく中で、それらは「どうでもイイこと」として消えてゆくべきものだろうし、そうであるべきだ。』と、続く。

日本人ではないアイデンティティを持ちながらも日本を愛し、日本で暮らす人間は排除せよ、というに等しいことを言う。

 

その考え方を裏付ける文章が、さらに続く。

>『靖国神社(の毎年30万人が訪れる夏祭り)に行く事をあやまち、平和主義の否定のように表現することに対し、水原希子は、日本という国、民族を侮辱する行為になるとは感じなかったのだろうか。少なくとも、靖国神社に対して愛着を持つ少なくない日本人を悲しませるヘイト行為であるとは感じなかったのだろうか。』

 

前途したように、個人の「好き嫌い」や「政治的思考」「宗教的関心」「歴史認識」など、「人それぞれの好き勝手な話」で、靖国に行って御霊に祈ろうが、それを嫌だと思おうが、各人の自由で誰かに文句を言われることではない。しかしこの藤本氏は、その「個人の領域」にまで介入し、水原さん個人を攻撃しようとする。

思わず、「いったいお前はだれのつもりでモノいってんの?」と言いたくなる。

 

そして、コラムの締めはこうなる。

>『だからといって、「水原希子こそヘイトだ!」と攻撃するようなことはあってはならない(残念ながら散見される)。ヘイトと感じたことに対して、同じようにヘイトでやり返すことは一番やってはいけないことだ。そういう意味では、今回の明らかに行きすぎた水原希子への差別的なヘイト攻撃に対して、世間がおおむね批判的であることには、少なからず安心させられる。

ヘイトに対するヘイト返しはネットでは事態を悪化させる最悪の選択肢である。炎上を加速させる基本メカニズムでさえある。水原希子の日本否定とも取れる言動に対して怒りや落胆を覚える人は少なくないだろうが、ヘイトツィートを展開してしまった人は、その段階で「負け」であると心得るべきであろう。

何よりも、ヘイトに対するヘイト返しをしないことこそが、我が国の成熟したネット文化を作り出すことにつながるのだ。』

 

もう藤本教授には笑うしかない。

「最も残念で、最も過剰反応してるのはお前やんけ!」と、あちこちで突っ込める中学生の作文レベルの文章。藤本氏に「ネットのルールを分かってないやつ扱い」された彼の言う「ネトウヨ」の皆さんこそ不幸だと言うしかない。この教授先生に比べたら、水原さんを叩いていると藤本氏が言う「ネトウヨ」の多くは、ただ自身の「好き嫌い」を表明しているに過ぎず、よほど真っ当だ。

 

まあこれが、無名ネット民の意見ではなく、公に意見を言えば何らかの影響力のある教授が、さも論理的で公平であるかのような書きようで、教授という立場を名乗って公にした言葉とは呆れ果てる。

こんな人物に教えられる東洋大学の学生さんたちは学費を返してもらったほうが良い。
自分の出自さえさらりと語れない社会ってなんだ。

 

https://news.infoseek.co.jp/article/mediagong_23922/

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2017-03-16 16:35:41

友人の誕生日に

テーマ:ブログ

2016年3月16日、シリアで拘束されているジャーナリスト、安田純平の映像が流されてから1年が過ぎた。
彼がシリアのイドリブにおいて武装組織に拘束されてからもう1年9ヶ月になる。

 

昨年1月~2月にかけては私自身もトルコに行き、彼の情報を探り、彼を捕らえている「ヌスラ戦線」(現在はレバント征服戦線に改名)関係者に接触、解放要請の手紙を託した。
その後もヌスラ関係者やその他の反体制派組織を通じて、安田さんの安否確認を続けたが、ヌスラと他の反体制派組織との関係悪化や、アレッポ陥落などの状況の変化により、彼の情報は今はもう入ってこない。

 

しかし、彼ならきっと、拘束されている側であるとはいえ、コミュニケーションをはかり、元気にサバイバルを続けているはずだ。
シリアの反体制派支配地域にはもう、外国人ジャーナリストは入ることはできない。だが、そこにただ一人だけ安田純平という日本人ジャーナリストがいる。

限られた環境下とはいえ、彼はそこで何を見聞きしているのか。彼は今も長い「潜入取材」を続けている。


いつか、無事に生き延びて帰国した彼が書くであろうルポは、誰一人外国人が伝えたことのない貴重なルポになるはずだ。
今日は安田さんの43回目の誕生日だ。再会を楽しみに待ちつつ、彼の誕生日を祝う。

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以下、昨年「危険地報道を考えるジャーナリストの会」ウェブサイトに寄稿した原稿より。

 

http://www.kikenchisyuzai.org/2016/08/03/201608031904/

2017-01-01 18:43:44

論じられる「格差」への違和感

テーマ:日本

>格差をうみだす「学歴」 18歳で引かれる分断線

https://www.buzzfeed.com/satoruishido/gakureki-bundan?utm_term=.odLYBNEVy#.xeE05GKd7

 

この記事を読んでからずっと、何とも言えない違和感を感じていた。問題提起をする意義のある記事だとは思うのだが、何か読後感のモヤモヤが残る。それは「腹立たしさ」よりも「やりきれなさ」に近い。

 

ずっと考えていたが、結論としてはきっと、この記事を書いた記者も、問題提起をしている大阪大の吉川徹教授も、彼らが言うところの「下層」にご自身が身を置いたことがないのだろう。

だからこそ、低学歴=下層、高学歴=上層、という「分かりやすい分断状態」を仮設としてまず置き、そこから物事を見るという「間違った論法」を始めておられるのだと思う。

分からないことへのアプローチを、自分自身にとって分かりやすく始めるために。

 

さて、低学歴=下層なのか?

低学歴=貧困なのか?

それは、この記者や教授の思い込みが過ぎやしないか?

確かに、低学歴(高卒・専門卒)と大卒(ただの学部卒で大学院卒でもないのに「高学歴」というのも、いまどきよく分からない定義付けだが)には、その生活圏において大きな違いがあるのは分かる。

しかし、低学歴でブルーカラーの仕事をする人間が不幸で、貧困で、世の中への相対的満足度、収入などが低いと言えるのか。

あるいは、地元の高校や専門学校を出て、地元で仕事に就いて、結婚をして家庭を持った人たちを、「下に押し下げられている階層」と、彼らは一体「低学歴層」の暮らしの何を見て感じたのだろうか。

 

確かに、彼らが言う「低学歴層」には、低学歴ゆえに貧困に苦しむ人達もいるだろう。しかし、それは「高学歴層」の社会においても、一定の落伍者が出るのとさほど変わらない程度の確率なのではないか。「高学歴層」の中に、どの程度の「落伍者」や「社会に絶望している人たち」がいるのかは、全く述べられていない。

 

一方で、地方で高校を出てローカルな会社に就職し、あるいは家業を継ぎ、長年安定した収入を得て子どもを育て、「マイルドヤンキー」たちが大好きな趣味の車、人口密度の高いバーベキュー、趣味の世界を夫婦・家族・ローカルな友人と楽しみ、実家の近所に一戸建てを建て、地域社会の中で楽しい暮らしを送る人たちの姿は、この記者や教授の眼には入っていないのだろうか。

 

階層は確かにあるだろう。しかし、その階層は下から上へと積み上げられた「低学歴」を下層とする積み木状態ではなく、単に横に広がる階層にすぎないはずだ。

彼らが言う「積み木型の階層」の上にいる人が社会に投げかける問題提起のその根本にこそ、ものすごく一部の社会しか見ていない人たちの現実離れした目線があり、その目線こそが社会の分断を助長しているといえるのではないか。

 

 

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