高根正昭『創造の方法学』講談社現代新書
創造の方法学 (講談社現代新書 553)/高根 正昭

¥735
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後悔先に立たず、とはこのことである。
春先に「読むべし」と指定されたにもかかわらず、『創造の方法学』というタイトルからしてなぜか遠ざけてしまっていた本書。読み始めると止まらなくなり、夜更けまで読み入ってしまった。本書の内容はまさしく私がこの3年の春学期、新人王・エコノメ右腕カップ・三田論発表等を通じて、先生をはじめとする諸先輩方に口を酸っぱくして言われていたことであった。そのすべてがこの一冊に明記されていた。そして私はそれが理解できていなかった。そんな私が春学期に最も読むべきだった一冊は、どんな研究書よりも本書だったに違いない。全ては遅きに失してしまった。
嘆いてばかりもいられない。続けよう。本書は、知的創造とは何か、そしてその方法論について解き明かすことを試みており、その中で筆者のアメリカ留学の経験がふんだんに散りばめられ、大変読みやすくなっている。中でも特に私が活目した点は、筆者が「経験科学における研究過程のモデル」とは、「理論、仮説、観察、経験的一般化、仮説の検証、理論の修正」を無限に繰り返すものであると述べている箇所にある。これこそが、私が今後学習を続ける上で最も重要で、どれ一つとして怠ることの許されない土台であろう。そしてこの土台ができあがったとき初めて、「考える」ことが許され、知的活動を始めることができるのではないだろうか。これこそまさしく現代の社会科学における方法論の真髄といえよう。
アメリカの大学では、「読み・書き・算数」・組織的な読書を重視しているという点からも、ゼミ内での活動一つ一つの意味が再確認できることがわかる。「知的創造活動」というと少々仰々しいが、大学で何かを学び、そして何らかの知的生産を行うための基礎的訓練として、ゼミ内で行っている学習はまぎれもなく正攻法だったのだ。
本書が出版されて、もうすぐ28年目になろうとしている。しかし、本書が描いた方法論は現代においても決して力を失うことなく、私のようないわば「知的初心者」を知的創造へと導いてくれるのである。

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後悔先に立たず、とはこのことである。
春先に「読むべし」と指定されたにもかかわらず、『創造の方法学』というタイトルからしてなぜか遠ざけてしまっていた本書。読み始めると止まらなくなり、夜更けまで読み入ってしまった。本書の内容はまさしく私がこの3年の春学期、新人王・エコノメ右腕カップ・三田論発表等を通じて、先生をはじめとする諸先輩方に口を酸っぱくして言われていたことであった。そのすべてがこの一冊に明記されていた。そして私はそれが理解できていなかった。そんな私が春学期に最も読むべきだった一冊は、どんな研究書よりも本書だったに違いない。全ては遅きに失してしまった。
嘆いてばかりもいられない。続けよう。本書は、知的創造とは何か、そしてその方法論について解き明かすことを試みており、その中で筆者のアメリカ留学の経験がふんだんに散りばめられ、大変読みやすくなっている。中でも特に私が活目した点は、筆者が「経験科学における研究過程のモデル」とは、「理論、仮説、観察、経験的一般化、仮説の検証、理論の修正」を無限に繰り返すものであると述べている箇所にある。これこそが、私が今後学習を続ける上で最も重要で、どれ一つとして怠ることの許されない土台であろう。そしてこの土台ができあがったとき初めて、「考える」ことが許され、知的活動を始めることができるのではないだろうか。これこそまさしく現代の社会科学における方法論の真髄といえよう。
アメリカの大学では、「読み・書き・算数」・組織的な読書を重視しているという点からも、ゼミ内での活動一つ一つの意味が再確認できることがわかる。「知的創造活動」というと少々仰々しいが、大学で何かを学び、そして何らかの知的生産を行うための基礎的訓練として、ゼミ内で行っている学習はまぎれもなく正攻法だったのだ。
本書が出版されて、もうすぐ28年目になろうとしている。しかし、本書が描いた方法論は現代においても決して力を失うことなく、私のようないわば「知的初心者」を知的創造へと導いてくれるのである。
松浦玲(2003)『新選組』岩波新書
新選組 (岩波新書)/松浦 玲

¥777
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新撰組。
私は新撰組について考えるたびに、ついつい男に生まれて良かったなと思ってしまう。彼らの「生き様」に、自身の人生を必死になぞらせ、感慨に浸ってしまうのである。
それはさておき、本題に入ろう。新撰組に関する書籍はこれまで星の数ほど出版されてきた。しかし、局長、いわば新撰組の「主役」である近藤勇に関する資料・調査はなぜかそれほど見られない。そう、司馬遼太郎の『燃えよ剣』に典型的に見られるように、世間一般では土方歳三・沖田総司の両名の人気が圧倒的で、新撰組研究にもその点ではっきりと偏りがみられるのである。つまり、局長近藤に興味関心がそそがれていないのである。百歩、いやっ千歩譲って、近藤には人間的魅力が欠けていて、土方・沖田はそれを有していたとしよう。しかし、近藤は、郷里に対して送っていた数多くの長い手紙を残している。これは新撰組研究に大きく貢献するものではないか。近藤の残した新撰組に関する「手がかり」が近藤ともども冷遇されている現状はいかがなものなのだろうか。そして、それにより世間一般には真実とは歪められた「新撰組」がイメージされているのではないだろうか。これが本書の問題意識である。
本書は新撰組における思想としての「尽忠報国」論等、大変興味深い論が展開されている。
歴史的ロマンによって創作的に描かれつつあった新撰組の歴史を冷静に見つめ直す、私にとって少し辛くもあったが良い機会であった。

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新撰組。
私は新撰組について考えるたびに、ついつい男に生まれて良かったなと思ってしまう。彼らの「生き様」に、自身の人生を必死になぞらせ、感慨に浸ってしまうのである。
それはさておき、本題に入ろう。新撰組に関する書籍はこれまで星の数ほど出版されてきた。しかし、局長、いわば新撰組の「主役」である近藤勇に関する資料・調査はなぜかそれほど見られない。そう、司馬遼太郎の『燃えよ剣』に典型的に見られるように、世間一般では土方歳三・沖田総司の両名の人気が圧倒的で、新撰組研究にもその点ではっきりと偏りがみられるのである。つまり、局長近藤に興味関心がそそがれていないのである。百歩、いやっ千歩譲って、近藤には人間的魅力が欠けていて、土方・沖田はそれを有していたとしよう。しかし、近藤は、郷里に対して送っていた数多くの長い手紙を残している。これは新撰組研究に大きく貢献するものではないか。近藤の残した新撰組に関する「手がかり」が近藤ともども冷遇されている現状はいかがなものなのだろうか。そして、それにより世間一般には真実とは歪められた「新撰組」がイメージされているのではないだろうか。これが本書の問題意識である。
本書は新撰組における思想としての「尽忠報国」論等、大変興味深い論が展開されている。
歴史的ロマンによって創作的に描かれつつあった新撰組の歴史を冷静に見つめ直す、私にとって少し辛くもあったが良い機会であった。
夏目漱石(2000)『行人』岩波文庫
行人 (岩波文庫)/夏目 漱石

¥588
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私は、元来小説というものをあまり読まない人間です。尤も決して意識的に遠ざけて生きてきたわけではないのでしょうが、かといってさして必要に迫られたわけでもなかったので、こんな体たらくになったしまったのでしょう。
しかし、ついにその時が来たと言いましょうか、もはや読まずにはいられない状況に相成りました。その状況を一言で申し上げますと、自分があまりに「口下手すぎる」ということです。ただ単に人見知りな点も否めないのでしょうが、特に年上というかご年配の方々とお話をさせていただく機会を与えて頂いたときに、何を話せばよいのか言葉が出ない。話すべきことはあってもどのように話せば心地よく伝わるのかがわからない。心地よくとは少し語弊がありますが、要は「情緒ある日本語を話したいなぁ。」と。ご年配の方の耳に馴染まない「若者言葉」を極力使いたくないのは勿論なのですが、それ以上にご年配の方々に少しでも居心地良くいてもらうためには私は何を伝えればよいのか、、、と自分なりに考えました。
その答えはいまいちわかりません。というかそれは試行錯誤の中にしか答えに辿り着けない種類の問いなのかなぁ、と思います。しかし、ただ闇雲に悩んでいても進歩がないので、何か一つ間違っていてもいいから方針を打ち出そう、と。そこでなんとか辿り着いた仮説が「日本を大事に思っているということを伝える」です。
私は、人の営みの中でも、何かを後世に伝えていくというはとても大事なことだなぁ、なんてたまに思います(そして人として能力値が低すぎる自分でもそれの役割なら担えるかなぁ…と)。そしてご年配の方にとって自分が大切にしていた何かが伝わっていることを実感することは幸せなのかぁ、と考えまして、とりあえず日本という大きな的に決めよう、と。
だからと言って、別に愛国心を唱えるわけじゃないし(笑)、言葉の節々に変な主張を挟むのも可笑しい(それはそれでおもしろいですが)ので、とりあえず日本語を大事にしていこうかなと。といっても何も押し付けがましい感じにではなく、それとなーく、哀愁漂わす日本語を学びたいと考えました。その方法として小説を読むことを思いつきました!特に有名な文学だと、教養として話の種程度にはなるかもしれないし、一石二鳥!笑
前置きが長くなりましたが、「行人」についてでう。
物語ですが、ある夫婦がいて、その学者である夫は自身の弟と、妻の仲を疑います。学者ゆえの性なのか、人を信じることができなくなった夫は、弟と妻の二人を試すために二人だけで一つの宿に一晩泊まってきてくれ、と頼みます。人を信じれなくなった学者の顛末はいかに…というような現代人の私にも共感間違いなしのお話です。
人の持つ葛藤というのはいつの時代も変わらないのだろう。この学者の葛藤は、晩年期、病に伏せながらも持ち続けた漱石自身の葛藤だったのかもしれない。
――君の心と僕の心とは、一体どこまで通じていて、どこから離れているのだろう。
と、夫は友人に問いかけ、友人の親身な気持ちに対しても「偽善でしかない」という答えを出してしまう。
気がふれてしまわないだろうかと家族から心配され、孤独を深めていく夫の追い詰められた状況に、どこかで考えさせられる一作である。

¥588
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私は、元来小説というものをあまり読まない人間です。尤も決して意識的に遠ざけて生きてきたわけではないのでしょうが、かといってさして必要に迫られたわけでもなかったので、こんな体たらくになったしまったのでしょう。
しかし、ついにその時が来たと言いましょうか、もはや読まずにはいられない状況に相成りました。その状況を一言で申し上げますと、自分があまりに「口下手すぎる」ということです。ただ単に人見知りな点も否めないのでしょうが、特に年上というかご年配の方々とお話をさせていただく機会を与えて頂いたときに、何を話せばよいのか言葉が出ない。話すべきことはあってもどのように話せば心地よく伝わるのかがわからない。心地よくとは少し語弊がありますが、要は「情緒ある日本語を話したいなぁ。」と。ご年配の方の耳に馴染まない「若者言葉」を極力使いたくないのは勿論なのですが、それ以上にご年配の方々に少しでも居心地良くいてもらうためには私は何を伝えればよいのか、、、と自分なりに考えました。
その答えはいまいちわかりません。というかそれは試行錯誤の中にしか答えに辿り着けない種類の問いなのかなぁ、と思います。しかし、ただ闇雲に悩んでいても進歩がないので、何か一つ間違っていてもいいから方針を打ち出そう、と。そこでなんとか辿り着いた仮説が「日本を大事に思っているということを伝える」です。
私は、人の営みの中でも、何かを後世に伝えていくというはとても大事なことだなぁ、なんてたまに思います(そして人として能力値が低すぎる自分でもそれの役割なら担えるかなぁ…と)。そしてご年配の方にとって自分が大切にしていた何かが伝わっていることを実感することは幸せなのかぁ、と考えまして、とりあえず日本という大きな的に決めよう、と。
だからと言って、別に愛国心を唱えるわけじゃないし(笑)、言葉の節々に変な主張を挟むのも可笑しい(それはそれでおもしろいですが)ので、とりあえず日本語を大事にしていこうかなと。といっても何も押し付けがましい感じにではなく、それとなーく、哀愁漂わす日本語を学びたいと考えました。その方法として小説を読むことを思いつきました!特に有名な文学だと、教養として話の種程度にはなるかもしれないし、一石二鳥!笑
前置きが長くなりましたが、「行人」についてでう。
物語ですが、ある夫婦がいて、その学者である夫は自身の弟と、妻の仲を疑います。学者ゆえの性なのか、人を信じることができなくなった夫は、弟と妻の二人を試すために二人だけで一つの宿に一晩泊まってきてくれ、と頼みます。人を信じれなくなった学者の顛末はいかに…というような現代人の私にも共感間違いなしのお話です。
人の持つ葛藤というのはいつの時代も変わらないのだろう。この学者の葛藤は、晩年期、病に伏せながらも持ち続けた漱石自身の葛藤だったのかもしれない。
――君の心と僕の心とは、一体どこまで通じていて、どこから離れているのだろう。
と、夫は友人に問いかけ、友人の親身な気持ちに対しても「偽善でしかない」という答えを出してしまう。
気がふれてしまわないだろうかと家族から心配され、孤独を深めていく夫の追い詰められた状況に、どこかで考えさせられる一作である。