日々感じたこと・読んだ本 -5ページ目

『成瀬は天下を取りにいく』(宮島未奈 新潮社)を読んで

滋賀県大津市膳所に住む成瀬あかりを主人公とした物語で短編の連作。

成瀬が中学2年生の時から高校3年生までの間の6つの短編から成っている。

最初の一作の書き出しが

「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」からはじまるが、

この一言こそが成瀬あかりという個性的で魅力的な女子の性格を雄弁に物語っていると思う。

同級生を姓で呼ぶ。

捧げる、という古風めいた言い回し。

そして「西武」という地元のものに対する愛着。

「~思う」という決意の強さ。

「デパートにひと夏をささげる」という型破りな発想

 

上記の「姓で呼ぶ」「古風めいた言い回し」「地元のものに対する愛着」「決意の強さ」「型破りの発想」

これらおよそ現実にはいそうにない女子中学生の特徴をもち、自ら「200歳まで生きる」ことを目標にして己を信じ、己を律しながラ生活する、まるで女武士のような気持ちのよい女子。

書店さんが選んだ「最も売りたい本」の今年の1位に選ばれたのも、読んでみてよくわかった。

彼女のまぶしさ、行動の線のきれいさ、聡明さ、KYという弱点さえも美しい、そんな、郷土愛にあふれた真っすぐな女子とそれをとりくまく友人たちや大人との爽やかで楽しい読後感を感じさせてくれる佳作ぞろいだと思った。

 

そして、単行本の表紙もいいが、一枚めくった中面のタイトルページのイラスト、このイラストのかわいらしさにやられてしまった。このへなちょこだけど目線がキリっとしてて自分の道を行こうとする意志の強さと清廉さ、そして、マスクに下手な字で手書きされている

「ありがとう

西武大津店」

のいたいけで泣かせるメッセージ。

 

まったくもって魅力的なヒロインの登場だ☆彡

このワクワク感は昔読んだ漫画『バタ足金魚』(望月峯太郎)の「わけわかんねー」男、花井薫の登場を彷彿させてくれるた!

 

読んですぐ次作『成瀬は信じた道をいく』を購入した。

 

 

ポール・オースター『幽霊たち』(柴田元幸訳 新潮文庫)を読んで

ポール・オースターの作品としては読むのは3作目。

不思議な作品です。

登場人物はすべて「色」の名前で判別されていて、

主人公はブルー、そしてその監視対象がブラック。

主人公は私立探偵で、ずっと張り込みをしてブラックの日常を観察していますが、

このブラックがなにやら一日中机に座ってものを書いていて、

ブルーはその姿を向かいの建物からずっと張り込みしている。

そういう日々が延々と続くという物語です。

やがて、ことの真相があきらかになって、ブルーは段々と精神が不安定になり・・・・。

 

なんだか、「人生とはなにか?」を感じさせる読後感です。

自分はブルーみたいな人生を送ってないか?

あるいはブラックみたいな人生を送っていないか?

誰かにコントロールされてないか?

偽ってないか?

などなど。

ポール・オースター『ブルックリン・フォリーズ』(新潮文庫 柴田元幸訳)を読んで

前回『ムーン・パラス』を読んで、作風が気に入ったので読みました。

ニューヨークの下町における老境にいる男の人生の機微と哀感を

主に親族や近しい近所の人たちとの間で勃発する様々な事件から感じ取られます。

 

近隣の人たちとの絆と肉親との深い関係は、大都市ニューヨークのユダヤ人ならではの特徴ですね。

サリンジャーの『フラニーとズーイ』にも共通するものを感じました。

サリンジャーといえば、本作の後半部分の登場人物ルーシーちゃんの様子が、

『九つの物語(nine stories)の『コネチカットのひょこひょこおじさん』に出てくるラモーナという娘の存在に似ています。

傷つき、その防御策としておとなには理解できない不思議な習癖をもってしまうところがそっくりでした。

 

全体の感想としては、「せつない」という印象です。

 

主人公がたまたま私と同じ年齢(59歳)であることもあって、その境遇や心境など感情移入せざるにはいられませんでした。

病や死や、友情、愛や絆と蘇生・・・。

コミカルなタッチの中にも人生の真実を様々教えてくれるような内容でした。

主人公はいわば「惨め」な状況ではありますが、これってもしかすると「中高年のための太宰治作品」のような共感性と没入感があるのではないかなと一瞬感じました。私は太宰には共感もなにも得ることがなかったので知らないのですが、太宰ファンののめり込み具合に相通じるものがあるかなと。

 

ラストシーンがとても悲しいのです。

直接「あの事件」を語ってはおりませんが、あまりにもインパクトが強すぎて・・・。

そう、実はこの物語は、一人の初老の男の日常を克明に描いているのみならず、それに影響を与えている、同時代の社会問題が底流に流れているようにも思います。

断絶と無理解、喪失感と無常(もののあわれ)とカルトを抱える都会に住む現代人が最後に帰れるところは「近しい人との絆」なのだなと。