藤原緋沙子『ひょろ太鳴く 鳶坂 夏』~人情江戸彩時記~(新潮文庫表題『月凍てる』)を読んで
この作品は~人情江戸彩時記~(新潮文庫表題『月凍てる』の第2話。
こちらも作者藤原緋沙子先生の作風の魅力がぎっしり含まれていました。
・物語の印象を強めるアイテムが活き活きと描かれている・・今回は鳶
・男女、肉親、ご近所、それぞれの愛情、細やかな人情が描かれている
・季節と場所が物語の色彩を与える(今回は、坂、と 夏)
・一見ありがちな登場人物設定で、落ち着きどころが見えそうな物語の筋ではあるものの、そんな読者にも「読み進める楽しさ」を徐々に感じさせてくれる話の展開
などです。
烏にいじめられている鳶の雛を助けて、家に連れて帰り育てた、主人公の父。
やがて鳶は成長するも、職場で折り合いが悪い父は、仕事を干され、酒におぼれ、妻はあいそを尽かし出ていってしまう。その後のお世話を続けた一人娘おやえがこの物語の主人公。
やがて娘によい人ができ、幸せに手が届くと思う矢先に、ある事件が起こってしまう・・・。
この父の存在、そして、おやえを見初めたはずの直次郎がおやえとの結婚の約束を反古した真相、そして父との対決と和解など。
実に人情に満ちたドラマが続き、ラストがどうなるのか想像もできない物語でしたが、ラストシーンに「明日への希望」が感じられ、心温まる余韻が残る傑作でした。
藤原緋沙子『夜明けの雨 聖坂 春』~人情江戸彩時記~(新潮文庫表題『月凍てる』)を読んで
藤原緋沙子先生の『夜明けの雨 聖坂 春』を読みました。
~人情江戸彩時記~というタイトルをもった4部作のひとつで、出版は
新潮社より「月凍てる』という表題でまとめられています。
藤原先生の江戸後期の市井の女医・千鶴子を主人公にした一連の傑作時代小説『藍染袴御匙帖』のうち手元にある文庫を読み終えてしまったので、先生の他の小説も、ということで、地元の「不便な本屋」で見つけてきた古本。
一冊100円ということで即購入しました。
さて、結論から申しますと、上述した『藍染袴御匙帖』よりはやや硬質な文体かなと感じで、その理由がわかった瞬間に息をのみました。
これはあくまで私の推測なのですが、
「な、なんと、書き分けているのか・・・」
という驚きです。たとえば同じ時代小説の池波正太郎先生や、藤沢周平先生の文にもこのような驚きは感じたことがなかったから、これは発見でした。
思うに、千鶴子さんが主人公の時は、情景・風景描写もすべて、彼女の目線で書いている。つまり、目の前の光景の中で、彼女が注目するものを、彼女が感じたように書かれているから、そこは良い意味でほどよく女性的で、私などは、その優しく穏やかな情景描写が気に入ったのです。一方、主人公が男性になるこの作品では、同じ光景を見ていても、やや、端正でハードボイルドなのです。
その違いは、最初の18行で感じました。物語がはじまって最初の18行を、会話などがいっさいなく、歩いている主人公吉兵衛の心情に沿った感じで目に映ったであろう周囲の自然を描いているのですが、その描き方が、たぶん仮に同じ道を千鶴子さんが歩いている時に描かれるものとは違うなと。
そして、千鶴子さんを主人公にした作品に負けず劣らず、良い文章だったのです。
~人情江戸彩時記~シリーズを読むのも、楽しみになってきました!
物語りの中身については
貧しい長屋で育った男が自らの精進もあり大店の跡継ぎに養子となりおさまったが、
彼を取り上げてくれた先代主人がなくなり、義理母から苛められ、妻にも冷淡にされ、ばったり会った昔の悪友に知らされて、一時は付き合っていた幼馴染の女を訪れる・・・というものです。
物語は主人公の心情の揺れ幅が大きいのも特徴となっているため、ラストシーンの主人公の決断を思わず応援したくなりました。
藤原緋沙子『走り雨』(藍染袴御匙帖第4話)を読んで
第一巻『風光る」の最後に掲載されている『走り雨』。
藤原先生の作風の特徴は前回の『第三話 春落葉』で記しましたが、もうひとつ特徴があることをこの第四話『走り雨』を読んで確信しました。
それは、藩名もフィクションではなるのですが、実は、それぞれ実在の藩での出来事をモデルにして作っているということです。ですから、その藩(作品上ではエリアとして記されていますが)の精神土壌などをそこから参考にすることも楽しいということです。
この『走り雨』のモデルは、出羽の上山藩かと思います。
作中では出羽の本山藩とされていますが、領地削減により、江戸時代を通じて稀に見る大きな百姓一揆が起こった同藩の史実に着想を得て、藤原先生は、この作品の筆を進めたのかと推察しています。
そして今回の物語の中で最も鮮明なもの、それは、江戸のまちなかに響いた「鐘の音」ですね。
雪婆、とりもち、花蝋燭などなど、当時の暮らしを彩る文物をひとつひとつ丁寧に描いている時代小説。読後にえもいえぬ精神 浄化を感じるのは、登場人物の人柄や振る舞いだけが理由ではなさそうです!