日々感じたこと・読んだ本 -31ページ目

コナー・マクファーソン『海をゆく者』(脚本)を読んで

久々に脚本を読みました。隔月誌『悲劇喜劇』の1月号が「アイルランド演劇」の特集でしたので、食指が動き購入したのが2週間ほど前。その後、時間がとれなく、この週末にやっと掲載されている1作のみ読めましたが、結論、面白かった☆彡

 

アイルランドの演劇についての他の文章をまったく読まず、先入観を排して、純粋にこの物語だけをまずは読もうと思い、読み始めたのですが、以下、感想です。

 

❶人と人の関係が濃く、遠慮がないガチンコ

 

兄弟とその友人、そして友人の知人で兄弟とは初めて会う男が、クリスマスイブの晩からクリスマスにかけて、兄弟の家に入り浸って酒を飲みながら、ポーカーをやるという話なのですが、兄弟同士の会話、友人との会話などのくだけて親しみやすい言い方がとてもいい感じで、これは翻訳者の小田島恒志さんの力量によるところも大きいのでしょう。言いたいことをいい、ぶつかり、気遣い、後悔し、絶望しながらも、運命共同体として助け合っていくような親身な感じがあふれています。

 

そして

 

❷これぞアイルランドなのか!?人と「異なる生」とが織りなす違和感のない世界

 

ネタバレになるので言えませんが、それまで比較的無口だった兄弟の弟のほうで、このクリスマスに目が見えなくなった兄の世話をするためにか、実家に戻ってきた主人公のシャーキーの言動に絡んで、驚くべき事実が立ち上ります。

これ、恐ろしい。

 

私などは、アイルランドというと、小泉八雲(ラフカディオハーン)や、オスカーワイルド、そして、旅した時の西アイルランドの離れ島やダブリン、ゴーウェイでの印象しかないのですが、その印象を裏打ちするようなちょっと「人」とは違った生き物の気配が人と共生しているような感じを覚えました。

 

これぞ、国柄なのかなと感じました。

日本人の心性である野山などの自然の中や炊事場など家庭の隅々にもそれぞれの「神」が宿るという、得体のしれぬ恐れとおののきを、この物語には宿っているな、と感じました。

 

ぶるっと震えました。

そして、読後、いまだにこの文章を書いてる途中思い出して震えています。

 

❸知っていることと知らないこと、そのコントラストが物語に熱を加える

 

そう、ミステリーなどはその究極だと思うのですが、知っていることばかりを日々糧にして私たちは日常を過ごしていますからそこには一定の安寧さがあるはずで。一方で、思いもよらぬことが起こった時に、そこに大きなショックを受けることなく、それが幻想的な色を帯び、目の前に迫ってきたとしたら、わりとさらっと、なぜか、スムーズに受け入れてしまう「畏怖」と「諦念」のような心性をかの国の人と私達日本人はもっているような気がしました。

 

日本では1月いっぱい小日向文世さんが主役を演じて、各地で上演されていたようです。見に行きたかったな~。

 

 

藤原緋沙子 『鬼の鈴~秘め事 おたつ二~』を読んで

元、某藩の奥女中をしきっていた老女がある使命を胸に長屋の高利貸しを営む。周囲から親しまれるその女性、おたつは根っからの姉御肌。

 

まわりでおこる様々な事件のもと不幸になる人を放っておけず、彼女のまわりで起こる事件が描かれる。

 

表題にもなっている「鬼の鈴」は、藩の上役から濡れ絹を着せられた上に命を狙われるという元藩士が、浪人に身をやつし病の身をおしながら、生き別れになった娘をさがしているのを、ほっておけなくなったおたつが娘探しに顔見知りの人々からの協力も得て、解決しようとする話。

 

おたつさんの人柄がいきいきと描かれており、ああ、こういう人が周囲に一人でもいたら、この小説にもあるように貧乏だけど明るく助け合いながら生きていくという雰囲気が醸し出されるのだろうな、と思わせる名作です。

 

武家と町人と、二つの異なる人間社会に生きた主人公のおたつだからこその采配ぶりが見事であるし、根っからの人好きで、困った人を放っておけないきっぷの良さと義侠心は物語の感慨に深みを与えてくれています。

藤原緋沙子『月凍てる 九段坂 冬』~人情江戸彩時記~(新潮文庫表題『月凍てる』)を読んで

坂ものがたりの最終、第4話。

 

傑作である。

 

なんとも哀しい話だが、その哀しさは、気持ちの持ちようであって、本人の気持ち次第では、むしろ喜ばしいことになりうる・・・・そんな不確実ではあるが、「絶望」には陥らない作者独特の人を見つめる優しいまなざしを感じさせる結末をもつ。

 

主人公の又四郎、そして そのおさななじみのおふく。

この2人の運命のありようは、「世間」に対峙する男と、「恋」に生きる女の違いにより、押しつ押されつの関係に終止符が押される。

 

「これで本当によかったのか・・・」

と独りごちるであろう又四郎の後ろ姿を、

第二の人生の門出として捉えるか、それとも・・・。