多治見市のオリベストリートにある

ハナタロウ商店をお借りして


10/15日

第六回「かまわあん」茶道教室を開催しました。


今秋の多治見は

」で
盛り上がっています。


関連事業として、
茶碗の聖地にふさわしい、
抹茶茶碗の祭典


こちらの会場には
かまわあん茶道教室から、
貴也くんと、私の作品も出品されて
おりますのでぜひ御高覧お願い致します。




今月の軸は私の恩師である、
大徳寺 第五百三十世住持 
泉田玉堂老師 から賜ったご染筆です。



花入は貴也君の作品 で、
花もご自身に入れてもらいました。
ちょうど照葉の花水木が実り
薄紅のやつれの花入と合いました。

今月の座学は
名残 」と「炉開き」です。


かまわあん茶道教室のメンバーは
建築家、陶芸家、デザイナー、
ギャラリーオーナーなどなので

特に現在の茶道の趣向で使われている
窶風炉や金継の茶碗など
解説をしました。




 


窶やつれや金継も藁灰も

あくまで名残の表装に過ぎず

一番大切な事はそこではありません。

ここを同時に教えなければ

そんな茶の湯の名残は

全く意味がありません。



ここで茶の湯を修養する者に
一番大切な心構えは

古の茶の湯から脈々と伝わる

「侘びたるは良し、侘ばしたるは悪し」

という概念です。

その北辰は
室町時代の茶人 わび茶の始祖  
一節を何度も自服し
消化していただくという事です。


「枯れる」ということは、

良き道具をもち、その味わいを知り、
心の成長に合わせ位を得、

やがてたどり着く「冷えて」

「痩せた」境地をいう。

これこそ茶の湯の面白さなのだ。
とはいうものの、それほどまでに至り得ぬ者は、

道具へのこだわりを捨てよ。
たとえ人に「上手」と目されるようになろうとも、
人に教えを乞う姿勢が大事である。


それには、自慢・執着の心が何より妨げとなろう。
しかしまた、自ら誇りをもたねば

成り立ち難い道でもあるのだが。
この道の至言として、


わが心の師となれ 心を師とするな



さらに上記の哲学に
グッときた方は

きっと茶道教室で
一番學ばなければならないけれど
残念ながら學べない
茶の湯の心がご理解いただけると思います。



お菓子のいただき方を學ぶ玉木さん 


玉木さんには専門の日本酒のお話を
教えてもらいました。



本日の菓子は岐阜県名産の
富有柿 を用いた「柿のおもい」です。

甘酸っぱい酸味と
甘味のバランスが良い菓子です。


織部のぐい呑を研究する陶芸家のケンタ 







ヤングドーナツは地元岐阜県産
そして、うまい棒は茨城県産と
なんと駄菓子博士でもあった
グラフィックデザイナーの
山本さん のお茶も美味しそうに点ちました。

そして私の故郷
茨城県の子供達のソウル駄菓子の
ハートチップルを知らなかったので
今度紹介します。






茶の湯に菓子はつきものです。

しかし、誰もが最初の菓子は
わずかなおこづかいを握りしめて買った
あの懐かしい駄菓子でした。

なんだか
とてもご馳走でしたね。

まだまだ日本全国に
素敵な駄菓子があるはず。

たまには
そんな愛おしい駄菓子で一服も
悪くありません。