メール登場以前は、報告書や企画書を上司に提出して紛失されてしまうと、必ず渡したという証人を作っておかないと私が提出し忘れたことにされてしまいました。メールなら送信記録が残ります。さらにccを使えば証人を設けてもおけます。
 
 よく、Q&Aサイトや週刊誌の今年の新人はひどいネタで
「人の話を聞かない、メモを取らない、翌日には忘れる」
という先輩の嘆きを見ます。私はこんな新人を見たことありませんが、こんな上司なら大勢見ました。上司という人種は、もちろん全員ではありませんが、
「人の話を聞かない、メモを取らない、翌日には忘れる、提出した報告書は紛失する、それを部下のせいにする」
人種です。こういう生物であるという前提で対処しなければなりません。
 新人に仕事を教える人は中堅社員だと思いますが、上司より新人に対する要求水準の方が高いのでしょうか。それは気の毒な話です。新人が。
 
 私の今の職場はメールアドレス1人1つが浸透しているのと、私が上司や同僚と離れた場所で仕事をしているため、何でもメールを投げておけば済むのですが、世間にはまだまだ社内の人同士でメールを送り合う習慣のない会社や、社内メールを
「コミュニケーションを拒否している」「冷たい」
と受け取る職場もあります。どこででもうまくやっていこうと思ったら、口頭報告の技術が必要なのです。
 
 ここで言う報告は、形式的に報告しておけばいいケースです。新人ならともかく中堅になると、「上司に相談」は解決策のひとつに過ぎず、その案件のキーパーソンは実際には上司以外の人物であることがほとんどで、その人間と協調して問題解決にあたらなければならないのです。
 上司が権限を持っていればいいのですが、権限を持っているふりをしたハンコ押すだけ上司であることはよくあります。ほうれんそうなんてお互い時間の無駄だよな、と思いながらも、直属の上司が人事考課をするという宿命が会社員にはあります。
 それにつけても社内メールは便利だということです。ほうれんそう革命です。社内メールのない職場でうまくやれるかは、今も非常に自信がありません。
 
 
 5月13日の記事。週刊誌の今年の新人はひどいネタで、注意してもケロッとしていて反省がない、というのがありましたが、昔はちょっと叱ると辞める、傷つきやすくてうっかり注意もできない、と言われたもんです。ケロッとしていても駄目、気に病んでも駄目だんだな。難しいものです。ひどい新人よりひどい上司の方が圧倒的に多いぞ。
 Yahooニュース「会社すぐに辞めるのどっち?」(リンク切れ)
 
は、元ネタが日刊ゲンダイである時点で疑ってかかるべきでしょう。
「新入社員の3割が3年以内で辞める」
というのは私の新卒の頃には既に言われていました。こんなことをやたら喧伝することで、夢いっぱいで張り切っている新入社員が、1度の挫折で退職を考えてしまうことになったら大変です。
 
 中にはうなずけるものもありますが、私立より国立が危ないとか優が10個以上あると辞めるとか、
「優秀な新人ほど辞める」
イメージは目の錯覚ではないかと疑っております。優秀な人が辞めると目立つからそう見えるだけで。
「ウチの会社は優秀な人から辞めていく」
というセリフは、古代エジプト王朝の頃からあったという証拠はありませんが、純真なフレッシュマンの皆様は先輩にこう言われても
「自分も辞めなければ優秀でないことになる」
と動揺する必要はありません。
 
 私が一番長く勤めた会社でもこう言われていて、本当かなあと疑った私は、1年間に退職した人を書き出し、優秀かそうでないかを自分の主観で分類し、残っている人の優秀率から判定し、優秀な人の退職率はそうでない人の退職率を下回るという結論を下しました。
 何をもって優秀と判断するかが私の主観なのであてにならないと言えばなりません。上のYahooニュースでは、出身大学のランクが高く優の数が多いほど辞めやすいとしています。
 学歴と社会における能力は無関係という説が根強いですが、これも個々の事例を見れば無関係であったとしても統計的に見ればそれなりの相関関係はありそうです。なぜ無関係にしたいかというと
「努力が全て、全てが努力次第」
とあおるために違いありません。
 
 社会における能力というのも漠然としすぎてはいるのですが、高校生くらいの子と話すと、能力とは性格の良さだと思っている節があります。おそらく
「人間は中身が大事」「学校の成績で人間の価値は決まらない」
という子供の道徳 がまだ生きているからでしょう。性格の良い人はあまり会社辞めたりしないような気がします。
 
 結論としては、優秀の定義が人によって違いすぎるため、
「優秀な人ほど辞める」
が正しいかどうかは証明不可ということです。昔の私のような、
「自分を優秀だと思いこんでいる優秀でない人」
は辞めやすいかも知れません。気をつけましょう。
 
 
 5月11日の記事。またYahooニュースリンク切れ。自分が優秀でないことを知るのは必要なことです。
 ブログのネタになりそうな面白い話をせっせと提供してくれるアメーバニュースを見ていると、アメブロやっていてよかったと思います。なのにいつもそのネタをYahooで先に使ってごめんなさい。今回は、余命1年と宣告され、全財産使い果たした男が誤診と知って病院に賠償請求した ニュース。
 
 これは何と言いますか、日本の漫画だと家族が抱き合い、泣いて喜ぶシーンですが、怒る気持ちもとてもよくわかります。
 よく、明日が地球最後の日だったらあなたは何をしますか、という質問があります。明日地球が滅びるならあんなこともこんなこともするぞという野望(何?)はあっても、万一滅びなかったらメチャメチャ恥ずかしいので実際にはできない気がします。
 
 私も余命1年を宣告されたら、お金があればですが、仕事なんかしないでゆっくり旅行に行ったりおいしいものを食べたり、ついでにブログのネタにして
「私のこと忘れないでね。今度は人工知能に生まれてきたい
などとしんみり書いたりしたいです。それが
「誤診でした。あなたはあと100年くらい生きられます。よかったねえ」
と言われたら、金はない、仕事はない、ブログの読者様に対してみっともない(元々ネタだったと終生馬鹿にされるであろう)で、賠償金請求くらいしたくなるでしょう。それとも実際そうなったらほっとするものなんでしょうか。
 
 余命1年の患者でも、最後まで望みを捨てず延命治療に専念するものだと思っていました。ニュースの男性はもう治療をあきらめて遊んでいた様子です。これは舞台が外国だから、治療方針が選べたということなんでしょうか。日本だと駄目っぽい気がします。
「最後まであきらめてはいけない」
と説教されそうです。偏見ですけど。
 
 誤診でなく
「奇跡的に治った」
と言えばよかったんではと思いましたが、医師の倫理としてはまずいのですね、きっと。
「○○でガンが治った、消えた」
という(あやしげな)健康食品の宣伝も誤診だったりして。まさかね、ははは。
 
 
 5月10日の記事。アメーバニュースが最近イマイチ面白くないのですが、何か契約を切られたとかあったのでしょうか。面白くないとネタりか を使ってしまいますよ。しかしこのネタりかは、アメーバニュースを主たるネタ元の1つにしているのでした。
 主張する弱者という言葉があるのでそれに倣って命名しました。主張する弱者はいい意味で使うこともありますが、どちらかというと
「口ばかり達者で自力で這い上がろうという努力が足りない」
というニュアンスです。(また努力が出た)
 弱者という表現もこれから展開する論にふさわしいとは言えないのですが、ここで言葉の定義合戦を始めると別な方面へ行ってしまうので突っこまないであげて下さい。
 
 主張する弱者の主張は強者に向かいますが、説教する弱者の説教は同じ弱者もしくはさらなる弱者に向かいます。説教族襲撃事件の時の
「自分も障害者だ」
という説教は怖かったです。これは最強です。障害者=弱者です。小さな子供をぶん殴れる人がそうはいないように、弱者に対等に反撃できる人はいないでしょう。弱者であることは最も強いのです。
 
 しかし弱者というだけでは主張に正当性はありません。
「私の周囲の人は『必要な時だけ』私に手を貸して下さいます」
必要でない時に手を貸して欲しい人もいないでしょう。これはニートが
「私は『必要な時だけ』親から小遣いをもらっています」
と言っているのと一緒で、どこを自慢しているのか不明です。自慢げであることはわかりますが。
 
 私は定期的にムカムカきては、記事にするほどではないのでアメブロ版の添え文に書きます。10回くらい書いたけど、200回でも3000回でも書きましょう。
 私はフルタイムで働き、自分の収入で1人暮らしの生計をたてています。発達障害のことも周りに言っていません。人に助けてもらって生きている人に、甘えが見られるだの障害を盾に取っているだの言われる筋合いは一切ありません。
 
 が、これでは私が人に助けてもらって生きている人を差別しているようではありませんか。私が罵倒したいのは説教する人であって、その人が属している他の集の人に罪はありません。むしろ、助け合えることこそ大切なことだと思っています。私が誰かに助けてもらうこともあるでしょうし、私が助けてあげられることもあるでしょう。
 ネット上の議論では、その人の主張のみに焦点をあて、属性をあげつらってはいけないと言われます。やはり私が悪者っぽいですね。だったら悪者でいいです。
 
 自分が人に助けてもらっているのに他の人が助けてもらうのを責める人は、それが自分の首を絞めるとは思わないのでしょうか。強者と共に弱者を説教することで、自分も強者になったつもり、あるいは自分だけは強者の仲間に入れてもらえると思っているのでしょうか。
 前に、実名を出して正社員化を求めた非正規雇用の人の話 の中で、
「ああいう人たちって信じられない」
と言いながら「ああいう人たち」が必死に活動した結果権利が獲得されたらしっかり乗ろうと企んでいる人たちのことを書きましたが、それに近い印象を受けます。
 
 女の敵は女だそうですが、弱者の敵も弱者です。ウーマンリブとか女性解放運動とか私の生まれる前の話(か?)ですが、当時は同性にすら
「ああいう人たちって必死すぎてかわいくないわ、一緒にされたら迷惑」
と言われていたんではないかと容易に想像できます。
 説教する弱者は、同じ集に属する他の弱者を人質に取って反論を封じた上で、強者に守られた安全な場所から攻撃する分、強者より始末が悪いです。賛成しなくていいから黙っていて下さい。
 
 
 5月8日の記事。ちょっちぷんさんのトラックバック、「鏡との戦い」 。人は同族としか争わないのか。そして私もまた攻撃者となる、悲しい連鎖。それでも反撃せずに滅ぼされる側に、私はならない。私はそんなに優しくはない。
 間が空いてしまいましたが、「報告を上手に 」の続編。前の記事では、報告は結論を先に言うべきなのか、というところまででした。結論を先に言うのがセオリーだというのは間違いありませんが、部下のしどろもどろな報告をさえぎって
「結論は」
という上司というのは
「オレってビジネスマンだぜ」
と言いたげな匂いがプンプンします。そこで結論を言うと
「え。何でそうなるの」
と急に違うトーンの声で聞きます。そこでまた先ほどまで説明していた理由に戻るとまた
「結論は」
と言います。話聞けよ。
 
 日本語の組み立てやルールからすると、結論を先に言う、という話法がなじまない気がします。結論が最後までわからないのがよくも悪くも日本語です。結論という単語の意味もあいまいで、
 
1 結果がどうなったかという結論(過去の事実)
2 どうして欲しいかという結論(未来の希望)
3 誰がどう考えているのかという結論(当事者の意見)
 
などなどがあります。被報告者にとっての結論は自分が聞きたいことで、報告者にとっての結論は自分が言いたいことです。
 
 ここら辺は、もしかしたら私が鈍いだけで、普通は相手がどんな結論を求めているのか本能的に見抜いたり、事象によって求められる結論が違うことを無意識に知っているのかも知れません。私はどの仕事も同じように報告して、この前こう言ったら怒られたから今度はこう言おう、とやってまた怒られて訳わからなくなっている可能性はあります。
 
 私なりの結論としては、怒らない上司は部下の話が長かろうがしどろもどろであろうがちゃんと聞こうとするし、怒る上司は結論から言っても言わなくても報告の内容が自分の気に入らないものであれば怒るということです。(やや乱暴)
 前の記事の山田君の例で言えば、課長は契約が取れなかったから怒っているのであって結論から言わなかったから怒っているのではありません。
 
 前に「企画書 」という記事で、書き方が悪いと言われたので何度も書き直したものの、実は書き方でなく内容が気に入らなかった、という話を書きました。
 この辺はまだ自信がないのですが、本当に怒っている事象とは別な事象を指して怒る、ということはよくあるらしく、察しがつかないと、何度直しても怒られるし、相手にはこいつ何度言っても直らないと思われてしまうのです。
 この報告場面に限って言えば、報告の仕方にとらわれる必要はなく、とらわれるべきもっと肝心なことがある、ということです。このシリーズはまだ続きますが、また間が空くかも知れません。
 
 
 5月7日の記事。間が空くというよりすべった感漂うシリーズです。口頭での報告というのは双方向コミュニケーションだと書きながら気づきました。(遅い?)一方的な伝達であれば文章の方がいいのです。口頭で報告する意味は、事実を伝達しあうだけでなく信頼関係を築いていく過程を演じるところにあるのでテクニックはそんなに重要ではなかったようです。
「信頼関係を築いていく過程を演じる」
のは難しいですが。