定型発達者の中にもテキバキした人、モタモタした人、覚えのいい人、悪い人、人見知りする人、しない人がいることを考えると、従業員にASがいるからといって特に会社にとって生産性が悪いことはないと思っています。もっといえば劣っている部分の代わりに突出した部分もあるので、うまくフィットすれば普通以上の能力を発揮することもできます。

 自分のことだけいえば、私は電話も取れるし基準やパターンさえわかれば営業もでき、スケジュールを組み立てたり優先順位をつけたりすることもできるので、社会人ができないほど技能がないわけではありません。
 コミュニケーションや仕事の覚え方の問題は大きいですが、こういう障害だとわかれば理解してくれる人も多いでしょう。逆にいえば、理解がないと解雇されかねない大問題です。

 「知的障害のない自閉症」の存在すら知られていない今の社会でカミングアウトすることは私にはできません。理想は、
「世の中には掃除機を使うのに何段階もメモを取る人間もいるだろう。まあちょっと変わってはいるけど」
「こちらがいいと思ってもそれでは仕事を覚えられない人間も中にはいるだろうからどうしたらわかりやすいか聞いてみよう」
と普通に受け入れられることです。理想ですね。日本では難しそうです。
 同じ困難をお持ちの方でお若い方でしたらできるだけ専門技術を身につけ、専門職で就職することをお勧めします。自己管理できるなら自営業やフリーランスもいいようです。

 政府がニート対策に乗り出しているようですが、ニートの中には多くの軽度発達障害者が含まれているとも言われています。先日新聞で、就業経験のあるニートの4割の退職理由が「病気、ケガ」であるという話を読みました。嘘だらけで理解不能な社会の中で、二次障害を起こした私の兄弟たちも含まれているでしょう。
 五体満足でブカブカ語(本当でも嘘でもない定型発達者語)を使いこなせる人以外を排除しているのに、働かないニートを一生懸命働く人間が税金で支えるのはおかしいと問題にされています。
「そんなんじゃ社会でやっていけないよ」
私は何度言われたかわかりません。言う人は軽い気持ちのようですが、社会でやっていけないならニートになるしかありません。それとも死ねという意味なんでしょうか。あるいはブカブカ語ですか。(ブカブカ語って便利ですね。よくわからない言葉はみんなブカブカ語にしよう)

 軽度発達障害者の就業対策と、彼らが普通に世間に受け入れられることこそが最大のニート対策だと思うのですがいかがでしょうか。政府関係者はこのブログ見ていないでしょうけれど。

 

 

 4月25日の記事。

「社会でやっていけない」

という

「死ね」

に等しい言葉をなぜ多くの人が口にするのか不思議でしたが、これは完全に自己PR語ですね。

「私はあなたなんかと違い、立派に社会でやっていける人間だ」

という意味です。やっぱりいやな言葉。なお、

「それはこういう意味だと思う」「こう対応すればいい」

というコメントはお控え下さい。(このフレーズ久しぶりに使う)

 身体機能の困難を書くと温かいコメントをたくさんいただきます。「片付けられる女 」は私はお笑いのつもりだったのですが、掃除機メモに驚かれたようです。見本なしでパズルができない、目を動かせない、合わせられないなど、
「ああできないのね。それは大変」
と比較的理解しやすいようです。励ましの言葉は本当にうれしいもので、明日への活力になります。

 しかしコミュニケーションの困難については、正直反応は私にとっては厳しいものです。「そんな風に考えてはいけない」系のコメントが増えます。身体機能と同様「できない」「そうするしかない」ことが伝わりにくいようです。
 身体機能の困難はありますが、コミュニケーションの困難さの方が現実的に大きいのです。日本の社会は技能のない人間よりもコミュニケーションの取れない人間を嫌います。身体機能よりもさらに見えにくい障害だからこそわかって欲しいのですが、どう言葉をつくしても伝わりません。人によって違うと言われても私は見抜けないから、定型的な対処法をいくつか用意して場面によって使いわけるしかありません。それは魔法使いたちにはとても寂しい、悲しいことに感じられるようですが、私はそうしないと生きていけません。
 私は書き言葉によるコミュニケーション障害はないと思っていたのですが、やはり伝わりにくいでしょうか。それとも書き言葉の障害がないからでしょうか。

 先月のちょうど今頃も同じことに悩んでウダウダしたことばかり書いていました。その時、いつも来て下さるpenguin7315様が、
「言葉がすれ違っているだけで、私たちもだいたいは、わかっているんですよ。いえ、断定はいけませんね。わかっている人が、おそらく多いはずだと思います」
というコメントを下さいました。
 だから、もし通じていたならば、どうか「通じている」ことをコメントして下さい。
「こうすればいい」「このように考えたら」
という言葉も必要とは理解しますが、明日への活力になるのは優しい言葉です。ただただ、わかってくれる温かい言葉です。
 魔法を使えない私は、それをわかってくれている優しい魔法使いたちの言葉に癒されて眠りにつきます。

 

 

 4月26日の記事。暗いな。とても簡単そうに、

「こうすればいい」「このように考えたら」

と書かれていると一気にストレスがたまります。こんな記事書かなければよかったと、気持ちが沈みます。

知っていることを全部書いた訳ではないのに

「こんなことも知らないの」

と踏みにじられたみたいです。今もですね。応援してくれる人がいなければとても書き続けられません。

 おつき合いの長い方は私にとても上手にものを教えますね。あれはなぜでしょうね。みんな何を知っているのでしょう。

 しかしこの記事には全く効果はなく、その後も説教コメントは続き、一般に知られている展開(知らねーよ)になったのでした。ちゃんちゃん。

 レイチ様の紹介のサイト(相談に対してコメントがつく形式のもので、現在は削除)を拝見しました。私もこの相談者のように、
「社交辞令を真に受けて逆切れする人」
と思われていたのでしょうね。
「今度遊びに行くね」
までは社交辞令だと私でもわかります。広く知られていることですから。
「手伝いに行く」
と言われたら期待するかも知れません。でも何も連絡がなくても嘘つきとは言わないかな。

 具体的な時期(今度のゴールデンウイークとか夏休みとか)を決めていたのに冗談にされたら怒ります。それもちょっとした冗談を本気にする人とか思われたのかな。
 「パーティドレスを買うべきか 」の時はとても傷つきました。人数が多かったので一人ひとりに怒ったりしませんでしたが、それも最初はドレスを着る気はなかったけど気が変わっただけで嘘をついたわけではない、ということなんでしょうか。トラックバックしていただいたブログの記事でいうところのブカブカ語。後で変わることがOKなら、何を信じればいいのでしょうか。あれもこれもみんな、後で変わるかも知れないんですね。会話する意味があるんでしょうか。ならどうして、この世には言葉があるんでしょう。社交辞令のためにあるんでしょうか。

 私が一連の記事で問題にしているのはプライベートな友人とのやり取りではなく、ビジネス社会でのことです。取引先との駆け引きは別です。世界観がはっきりしていますから。
 同僚、上司とも取引先に近いビジネスライクな間柄であれば(勤務したことはありませんが外資系のような)多分起こらないと思います。会社の同僚、上司というのはある時は心のつながりに訴え、ある時は社会はそういうものだと豹変します。その機微はどこにも書いていません。
 社会人としてのエピソードを書こうとしたのですが、いろいろなことを思い出してしまい、フラッシュバックしそうなのでやめます。ごめんなさい。

 こんなこと、定型発達者はみんなが思っているわけではありませんよね。思っていたら怖くて外に出られません。でもあのサイトに書いてあるようなこと、散々言われました。自分が悪いなんて少しも思いはしませんでしたけれど。脳機能に障害があるなんて知りませんでしたから。
 生まれてきてごめんなさい。人の心の機微がわからなくてごめんなさい。うまく社会生活できなくてごめんなさい。私は思いやりがないから、人に迷惑かけたって平気だから、それでも生きていけるのです。

 

 

 4月24日の記事。書きながら気持ちが沈んでいきました。

 言葉が文字とおりの意味でないなら何のために会話をするのか、何を伝え合おうとするのか、まだ謎で、混乱中です。当時の私に教えてあげたい、それは自己PR語だ、

「あなたと仲良くしたい」

と言っているだけ、

「一緒に出かけよう」「手伝いに行く」

と言っている訳ではない、表面上の言葉に意味はない、

「あなたと仲良くしたい」

というその裏の意味に嘘はないのだと。この時点だと、混乱を深めただけかも知れませんが。

 「アスペルガー的ビジネス用語講座」のシリーズで私は定型発達者の「嘘」のメカニズムを解明しようとしました。コミュニケーション上の嘘を見抜く力のない私たちはそれを「雰囲気」ではなく「知識」で理解するしかありません。いやな感じに見えても、正常に見えるコミュニケーションを取りたいと必死です。

 コメントの中に、定型発達者の考える嘘と私の言う嘘は概念が違う、という指摘がありました。微妙に言葉の意味の理解にズレを感じることはよくあるので、多分そうなんだと思います。
 言葉尻にこだわる理屈っぽい、うっとうしい私に言葉という正攻法で向かおうとする人はとても少なく、よき訪問者に恵まれたことに感謝しています。

 定型発達者は
「言葉と行動が違ったからといって必ずしも嘘ではなく、相手の言葉の裏に騙そうという意図があることを知った時に初めて嘘と認定する」
のだそうです。この件はまだ続きがあるようなのですが、もちろん、例えば
「約束したけれど後で都合が悪くなった」
なら私だって嘘とは思いません。しかし約束したつもりだったのに、
「あれ、本気にしていたの、冗談だったのに」
と言われたらそれは怒ります。
 患者に本当の病名を言えない医者、当社は来年一部上場しますと毎年説明会で語る会社、この健康食品で10kgやせましたという広告、理由のある嘘はわかります。見抜くこともできます。

 冗談、お世辞、社交辞令、不可解な嘘でいっぱいの世の中とつながる手段はそれでも言葉しかありません。少なくともこちらは心のつながりが少しはあったと信じた会社の上司、同僚の嘘に、私は混乱します。私の問いかけにある人は
「社会人でしょう」
とあきれ、ある人は黙りこみます。
(頭悪いんじゃないの)
(困ったちゃん)
(変人)
さすがの私もそのあきれ返った表情からわかります。
「嘘を言ったつもりではなかったんだよ」
本当のことを言ったつもりだったんですか。なぜ嘘に変わったんですか。本当でも嘘でもないことを何と呼ぶのですか。あなたの言葉がわかりません。
 わからなかった私が悪いのですから恨んだりしません。ただ信じた間抜けな自分自身に傷つきます。騙されることそのものより、そのことで人の言葉を信じられなくなっていくこと、心が汚くなっていくことが怖いです。

 トラックバックした記事(現在は削除)にある言葉。
>コミュニケーションがうまくいかなくなる原因って、結局は「うそ」が発端になることが多いと思うのです。
>コミュニケーションに王道などなく、ただ本当のことを言うしかないのだと思います。

 それは「本当」なんですか。騙そうとする意図がなく、結果的に言葉と行動が違っている「本当」も含まれるのですか。皆様はどう思われますか。

 

 

 4月23日の記事。コメント欄で「嘘」について追求を受けて少々情緒不安定気味です。この記事にはトラックバックがありました。Leaving Hopeのミリアム嬢の記事「嘘でも真でもない言葉 」、ここに既に自己PR語の概念が描かれていました。

 やはりAS当事者であるミリアムさんは、私より先にこのことを知っています。それを追求しだすと混乱することもご存知です。私はあえて追及し、混乱したあげく、自己PR語にたどりつきましたが、それはそれでよかったと思います。そうしなければ たどりつけませんでしたから。

 この時はブカブカ語という分類を教えていただいたので、早速脳内カテゴリーに新設しましたが、そうするとほとんどの言葉は判断に迷ってブカブカ語に放りこまざるを得ないのです。現在は、自己PR語にも入れられない場合のみ、ブカブカ語に入れています。かなりすっきりします。

 「片付けられる女 」にコメントを下さった方に返信しようとしました(Yahoo版当時)が、長くなりそうなので今日の記事にしてしまいました。

 掃除機メモは驚かれたようです。ずっとそうなので、自分ではそんなに変だと思っていませんでしたが、やっぱり変ですね。もちろん1日の行動をあの調子でメモっていたら日が暮れてしまいます。いつもやっていることであれば、一般的に掃除機よりも難易度が高いと思われていることもメモなしでできます。
 表面的には
「なぜ難しいことができるのにこんな簡単なことができないの」
と周囲の混乱を招きます。

 変化に弱いのです。あらかじめ予定が決まっていることなら時間をかけて脳内準備ができますが、掃除機をかけることなど予測もできない場所でいきなり
「掃除機かけて」
と言われ、あわてずにいられましょうか。(きっといられるんでしょうけれど、普通は)
 驚きのあまり指令脳と動作脳の間の電線(?)が遊離し始めます。それを食い止めるためにも「書く」という作業は重要な意味を持ちます。指令脳と動作脳のコミュニケーションです。
 掃除機を毎日かければすむ話なのですが、掃除って家事の中でも後まわしになるんですよね。洗濯はしないと着るものがなくなるのでせざるを得ません。でも昨日散々シミュレーションしたので今なら書かずにできそうです。何でも書いてみるものです。

 そういう訳で、アバターも名前アイコンもなかなか作れません。アバター作成を商売にするつもりならともかく、定期的に変えなければならないものでもないし、1回限りのことのために「初めて」という難関をくぐり抜けるくらいなら、そのためのエネルギーを他のことに割いた方がましです。作ってみたいとは思うのですが、ゴールデンウイークに体調よかったらということで。

 

 

 4月22日の記事。実は「片付けられる女」は自己PR語だったのです。こんなに上手にお掃除できてすごいでしょみたいな。だから反応は意外。あ、これって他の人から見るとすごい大変なことだったんだ。

 メモを取るのは基本的にいいことだと思っていたので、それで怒られるのは怒る人が悪いと考えていました。でも、それはいけないことだった、というより理解不能なことでした。

 理解されれば何でもないことだ、とも思いました。しかしこれも私の想像以上にハードルが高いようです。ご主人がASのキラリさんとのコメントのやり取り。

「手に取るようによーくわかります、笑。シュミレーションしてますねえ、夫も。洗濯機の使い方教えたら、まずふたを開け、洗剤を入れ、ソフランはこの穴に(これは難易度高い)、ふたを閉め、このスイッチを押す・・・洗濯一つでも大変ですよね」

「洗濯はメモなしでできる私にもソフランは難易度が高く、今もあの穴に入れることができません。最近は柔軟剤入り洗剤もあって便利。仕上がりが違いますわ。」

ソフランの難易度の高さ、わかるでしょうか。「なぜ?」と混乱しませんか。