身体機能の困難を書くと温かいコメントをたくさんいただきます。「片付けられる女
」は私はお笑いのつもりだったのですが、掃除機メモに驚かれたようです。見本なしでパズルができない、目を動かせない、合わせられないなど、
「ああできないのね。それは大変」
と比較的理解しやすいようです。励ましの言葉は本当にうれしいもので、明日への活力になります。
しかしコミュニケーションの困難については、正直反応は私にとっては厳しいものです。「そんな風に考えてはいけない」系のコメントが増えます。身体機能と同様「できない」「そうするしかない」ことが伝わりにくいようです。
身体機能の困難はありますが、コミュニケーションの困難さの方が現実的に大きいのです。日本の社会は技能のない人間よりもコミュニケーションの取れない人間を嫌います。身体機能よりもさらに見えにくい障害だからこそわかって欲しいのですが、どう言葉をつくしても伝わりません。人によって違うと言われても私は見抜けないから、定型的な対処法をいくつか用意して場面によって使いわけるしかありません。それは魔法使いたちにはとても寂しい、悲しいことに感じられるようですが、私はそうしないと生きていけません。
私は書き言葉によるコミュニケーション障害はないと思っていたのですが、やはり伝わりにくいでしょうか。それとも書き言葉の障害がないからでしょうか。
先月のちょうど今頃も同じことに悩んでウダウダしたことばかり書いていました。その時、いつも来て下さるpenguin7315様が、
「言葉がすれ違っているだけで、私たちもだいたいは、わかっているんですよ。いえ、断定はいけませんね。わかっている人が、おそらく多いはずだと思います」
というコメントを下さいました。
だから、もし通じていたならば、どうか「通じている」ことをコメントして下さい。
「こうすればいい」「このように考えたら」
という言葉も必要とは理解しますが、明日への活力になるのは優しい言葉です。ただただ、わかってくれる温かい言葉です。
魔法を使えない私は、それをわかってくれている優しい魔法使いたちの言葉に癒されて眠りにつきます。
4月26日の記事。暗いな。とても簡単そうに、
「こうすればいい」「このように考えたら」
と書かれていると一気にストレスがたまります。こんな記事書かなければよかったと、気持ちが沈みます。
知っていることを全部書いた訳ではないのに
「こんなことも知らないの」
と踏みにじられたみたいです。今もですね。応援してくれる人がいなければとても書き続けられません。
おつき合いの長い方は私にとても上手にものを教えますね。あれはなぜでしょうね。みんな何を知っているのでしょう。
しかしこの記事には全く効果はなく、その後も説教コメントは続き、一般に知られている展開(知らねーよ)になったのでした。ちゃんちゃん。