レイチ様の紹介のサイト(相談に対してコメントがつく形式のもので、現在は削除)を拝見しました。私もこの相談者のように、
「社交辞令を真に受けて逆切れする人」
と思われていたのでしょうね。
「今度遊びに行くね」
までは社交辞令だと私でもわかります。広く知られていることですから。
「手伝いに行く」
と言われたら期待するかも知れません。でも何も連絡がなくても嘘つきとは言わないかな。
具体的な時期(今度のゴールデンウイークとか夏休みとか)を決めていたのに冗談にされたら怒ります。それもちょっとした冗談を本気にする人とか思われたのかな。
「パーティドレスを買うべきか
」の時はとても傷つきました。人数が多かったので一人ひとりに怒ったりしませんでしたが、それも最初はドレスを着る気はなかったけど気が変わっただけで嘘をついたわけではない、ということなんでしょうか。トラックバックしていただいたブログの記事でいうところのブカブカ語。後で変わることがOKなら、何を信じればいいのでしょうか。あれもこれもみんな、後で変わるかも知れないんですね。会話する意味があるんでしょうか。ならどうして、この世には言葉があるんでしょう。社交辞令のためにあるんでしょうか。
私が一連の記事で問題にしているのはプライベートな友人とのやり取りではなく、ビジネス社会でのことです。取引先との駆け引きは別です。世界観がはっきりしていますから。
同僚、上司とも取引先に近いビジネスライクな間柄であれば(勤務したことはありませんが外資系のような)多分起こらないと思います。会社の同僚、上司というのはある時は心のつながりに訴え、ある時は社会はそういうものだと豹変します。その機微はどこにも書いていません。
社会人としてのエピソードを書こうとしたのですが、いろいろなことを思い出してしまい、フラッシュバックしそうなのでやめます。ごめんなさい。
こんなこと、定型発達者はみんなが思っているわけではありませんよね。思っていたら怖くて外に出られません。でもあのサイトに書いてあるようなこと、散々言われました。自分が悪いなんて少しも思いはしませんでしたけれど。脳機能に障害があるなんて知りませんでしたから。
生まれてきてごめんなさい。人の心の機微がわからなくてごめんなさい。うまく社会生活できなくてごめんなさい。私は思いやりがないから、人に迷惑かけたって平気だから、それでも生きていけるのです。
4月24日の記事。書きながら気持ちが沈んでいきました。
言葉が文字とおりの意味でないなら何のために会話をするのか、何を伝え合おうとするのか、まだ謎で、混乱中です。当時の私に教えてあげたい、それは自己PR語だ、
「あなたと仲良くしたい」
と言っているだけ、
「一緒に出かけよう」「手伝いに行く」
と言っている訳ではない、表面上の言葉に意味はない、
「あなたと仲良くしたい」
というその裏の意味に嘘はないのだと。この時点だと、混乱を深めただけかも知れませんが。