新作です。テレビ中継終わりました。最後ひやひやしましたが、あっさりジャイアンツを下して優勝を決めてくれました。2年前と違い、当たり前のように強い阪神。当たり前のように優勝する阪神。当たり前のように日本一に、なるでしょうか。

 

 胴上げされた岡田監督も就任当初はひどい言われようでした。私も言ったが。(家族や友達にだけど)星野監督に比べてちゃちい印象。大学の後輩の鳥谷をえこひいきしすぎだの、コーチ陣はイエスマンばかりだの。

 

 ボケッとしたふりして(本当にボケッとしているのかも知れないが)批判にも柳に風でマイペースを貫いたのは本当に立派です。いちいちぐらぐらしてはだめです。(自分に言い聞かせている)簡単そうで、なかなかああはなれないのだ。見習いたい。よし、まずはボケッとするぞ。

 

 アスペルガーとADHDは両極の性質を持っていますが、表面上の不自由が似ていて判断に迷うことはあるようです。
 私の部屋もADHD並に散らかっています。たまには片付けないとと思うのですが、どこから手をつけていいかわかりません。

 部屋を片付けようとする時、用意するのは愛用の大きめの手帳。何をどこにしまうか、必要な用具は何か、買い置きはあるか、全て書き出し、作業に順序をつけます。買うものがあれば買いに行くことからスタートです。
 準備が終わったら手帳に書いてある通りに作業を進め、できたら○をつけていきます。手帳にない判断を迫られることがあっても、書いていないものについては放っておくしかありません。
 事前計画は重要です。例えば
「掃除機をかける」
だけではだめで

 1 掃除機を押し入れから出す
 2 掃除機を組み立てる
 3 コンセントに差し込む
 4 スイッチを入れ端から端までかける
 5 スイッチを切り、コンセントを外す
 6 掃除機をしまう

くらいは書いておく必要があります。途中で終わりになることもありますが、続きは明日やればよいのです。だから掃除機を組み立てて終わりになることもあります。

 アスペルガーに仕事をさせる時は指示内容を一覧表にしてチェックしながらさせるとよいと言われますが、指示するのは自分自身でもよいのです。(私はね)
 日常生活はみんなこうで、歯みがきや入浴、食事など習慣づいていることはさすがに書きませんが、特別ストレスがたまっている時はそれも全部書かないと身体が動きません。
 このための手帳を私は小学生の時から持っていて、「こういう時はこうする」といろいろ書きとめていました。

 これが会社で
「掃除機をかけてくれ」
と言われたらどうなるでしょう。習慣づいていることならすぐ動けますが、初めてのことはまずどうしていいかわかりません。
上司「何してんの」
私「言われたことをメモしています」
上司「掃除機出せって言っているでしょう。そんなことも書かないと覚えられないの」
パニクるから怒らないで下さい、ひいい、となっている間に、私は掃除機もかけられないとあきれられます。

 このブログの初期の記事に書きましたが、私は言語性IQ(通常のIQテストによるIQ)と動作性IQにかなり差があります。指令する脳と行動する脳がうまく連携取れていないんですね、多分。

 今ブログ書いているのは指令脳(こんな言葉ないかも知れませんが便宜上)です。ストレスがすごくたまると動作脳(これも便宜上)に私の指示が伝わらず勝手に行動するから注意が必要です。
 二重人格ではありませんよ、ちゃんと自我はつながっていますから。でも指示を書き出す時は人にやらせる感覚だし、指示を見ながら作業をしている時はやらされている感覚があります。

 

 

 4月21日の記事。指令脳ちゃんと動作脳ちゃん、ここで初登場でしたか。もっと前から出てきていると思っていました。

 指令脳ちゃんと動作脳ちゃんの概念で脳内の動きを説明しやすくなっただけでなく、現実世界でも役に立っています。

 自分だと思うから腹が立つので、他人(もしくはかわいい妹)と思えば、指示メモも的確になり、これくらいはわかるだろう、という推測をなくせます。耳で聞くのは動作脳ちゃんの役目、指令脳ちゃんがそれを無理に理解し、指示を出そうとするのではなく、動作脳ちゃんの担当分野はできるだけ任せておいた方がよさそうです。任せられそうにないことはあらかじめ道筋を作ります。

 普段から仲良くし、理解するようにすれば、動作脳ちゃんが出てきそうな時に引っ込んでもらい、パニックを最小限に抑えることができます。

 不思議な感覚を与えたようで、意外に反響をいただきました。

 ライブドアのブログ内検索で、このシリーズ第1段の感想を書いた記事 を見つけました。知らないところで自分の記事が話題になっているのはうれしいです。この方も、社会復帰に苦労している様子が他の記事からうかがえます。このシリーズの表現が、普通の人にはどんなにやらしく見えても、昔の私には必要だったように、私の兄弟たちも必要としているのだと思いました。
 社会に出る時「新入社員の心得」みたいな本をたくさん読みました。全部表面的なことです。前向きな言葉、意欲的な言葉、一般の方が心地よく感じる言葉の羅列は私達が社会を生き抜く力にはなれません。
 私が今一番好きな言葉は
「どんなに努力したってできないものはできない」
やらしいですね。できないことを知ったからこそ残された能力を最大限に生かそうという気になれたんですが。


「いい提案はどんどん出して欲しい。新人だからと遠慮することはない」

 発達障害者は一部分の能力が非常に優れていることと、目の付け所が普通でないことから、結構アイデアマンだったりします。しかし本当に提案したら
「君は新人でまだ何もわかっていないのだから」
と却下です。
「課長はああおっしゃったじゃありませんか」
と私たちは言いがちですが、いやがられるだけでいいことはありません。これは、こんなに風通しのよい職場です、ものわかりのいい上司です、という自己PRに過ぎず、提案を求めている訳ではありません。
 定型発達者は空気を読んでうまく立ち回れることもありますが、発達障害者は失敗しやすいのでやめましょう。


「あせらずじっくり仕事を覚えていって欲しい」

 間違っても本当にじっくり取り組んではいけません。1日も早く仕事を覚えなければと身を引き締めましょう。ただでさえ私たちは仕事を覚えるのに時間がかかるのですから。
 あせるなという言葉が自分だけに言われたら、それは相当あせられています。軽度発達障害者はだいたい気がつかないうちにとんでもないことをしています。やんわり注意されても注意されていることにすら気がつきません。
「はい、あせってはいません」
などと答えたら相手の気持ちを逆なでします。
「悪いところや直すところはないでしょうか」
と謙虚に聞いてみましょう。
「ないよ」
と言われるかも知れませんが
「少しはわかっているな」
と勝手に解釈してもらえる、かも知れません。

 今回も、心優しい定型発達者の皆様、決して悪意がある訳ではありません。信じて下さい。私たちは皆様の優しさがないと生きていけません。なお、上記内容を信じて失敗しても私を恨まないで下さい。

 

 

 4月19日の記事。1記事についた52コメントは多分Yahoo版では最高です。(アメブロ版は70コメントの記事あり)特に、自閉圏、定型発達者それぞれの「嘘」という言葉についての考え方が印象的でした。

 高機能自閉症のなにわのみっちゃんとの出会いもありました。

 自己PRという言葉がここでもう出てきています。私もよく直接的な自慢話をしていやがられましたが、嘘の仮面をかぶせた遠回しの自慢話の方が礼儀正しいのでしょうか。自慢話なら普通にやってもらえないでしょうか。理解しなければならないのは私なんですけど。

 新作です。小2の、アスペルガー症候群の男の子のお母様、sh-chia様の記事「やっぱり、障害級を勧められる! 」 にトラックバック。

 私はお子様たちの世代の実情には詳しくありませんが、知能の高い発達障害児の学校での過ごし方は次の3つのどれかになっているようです。

 

1 障害を隠して普通学級

2 障害を伝えて普通学級

3 障害児学級

 

 普通学級か障害児学級か、私の頃は幸か不幸かこういう悩みはなかったのですが、大人の世界に直すとこんな感じでしょうか。


1 健常者として健常者の世界で生きる

2 苦手なことをフォローしてもらいながら健常者の世界で生きる

3 障害者として生きる

 

 私は現在1を選択しています。今の社会でこの障碍を公表するデメリットこそあれ、メリットはひとつも感じないからです。もし2が許されるようになれば、私ももう少し幸せに生きられるし、もっと多くの人が社会で生きていけるのに、とは思っています。

 なんて書くとまた「甘えだ」と受け取る人が出てくるといけないので繰り返しますが、私の障碍のことはリアル知人は誰も知りません。親も兄弟も知りません。知っているのは医療関係者と、その紹介で知り合った発達障害者の知人だけです。現在生活している中で、障碍だからと許してもらったことも助けてもらったことも1度もありません。そして、これからもそうするつもりはありません。

 

 助けを求めることを甘えだと言われる限りは2を選択することはとても覚悟がいります。勇気をもってそうなさっている方は立派だと思いますが、私は勇気がないので

「障碍を言い訳にして怠けている」

などとののしられるのは絶対いやです。

 ブログ世界でこりました。世間の大部分はそんな人ではないと思うのですが、健常者と同じにできなければ健常者の世界で生きることを望むな、という声はなかなか消えないのでしょう。

 シャコー・ジレー。フランスの画家の名前のように響きのきれいな言葉です。嘘の言い換え表現だとしても、美しい言葉は好きです。とげがあってもバラはきれい。その美しさは色あせません。

 
 私は人の言葉を本当と嘘の2種類にしか分類できません。中間分類も可能ですが、
「こういう時は本当でこういう時は嘘」
という注釈が必要です。
 言葉がストーンと心の奥に浸透する前に呪文を唱えます。
(社交辞令、社交辞令、社交辞令)
そうでないと「本当」に分類してしまいます。そして途方にくれます。
 
 仕事関係者の中にも、私を理解しようと多大な努力をしてくれ、とてもうまくやってきた人もいます。その人たちはいくつか印象的な言葉を残しました。

 
「やる気を出してもらうためや励ますため、傷つけないためにそういう風に言うことはある。今もそれは間違っていないと思う。でもあなたには言うべきではなかった」

 
「あなたは嘘を言ってはいけない人」

 
「こちらが思いやりのつもりでも、あなたは本当か嘘かでしか評価しないから、信頼を取り戻すためには本当のことを言い続けるしかない」

 
誰だって自分の家族や立場の方が大事だ、と教えてくれたのもこの人たちでした。その時は本当でも後で嘘になった時は理由を説明してくれました。私の独特の過激な表現も理解しようと努めてくれました。

 そこまでたどりつくにはお互いに多くのエネルギーを費やしました。自分が定型発達者と違う世界を見ていると知った今は他の人にそれを求めることはできません。
 しかし私にどうにか社会の中を泳ぐ術を教えてくれたのは、この数少ない「本当のことを言ってくれた」人たちでした。どういう時人は嘘をつくのか。私たちが社会で生きていくには、こういうことを教えてくれる定型発達者に出会えるかどうかは、大きなポイントのひとつです。

 

 

 4月17日の記事。「アスペルガー的ビジネス用語講座1」の反響を受けて書きました。私が生きてこれたのは、私の「違う世界の言葉」を聞こうとした人たちのお陰です。私は嘘の意味をまだ知りません。私の言葉を聞こうとした人たちも、私の嘘が何を指しているのかわかりません。

 この人たちが特別善意の人とは限りませんが、奇跡の人々です。