「こうしてみてはどうか」
何の悪気もない親切なアドバイスを
「努力が足りない」
と言われているかのように受け取る私は、ブログでもコミュニケーション能力のなさを露呈しています。全てのアドバイスを拒否しているわけではありませんが、こう書くことで私はきっと、ためになる助言まで失っています。そのリスクを取っても
「努力が足りない」
という言葉(そんなこと言っている訳ではないのでしょうけれど)にもうこれ以上痛めつけられたくないのです。
 でも、どれならよくてどれならよくないのかわかりませんよね。言わないとわからない、本当にそうです。現実世界でも私はこうなのです。困ったものです。
 待てよ。
 自分のことを棚に上げて何ですが、他の方には言葉に出さない人の気持ちを読み取る力があるわけですよね。私の心は読んでもらえないのでしょうか。あの超能力は、発信側にも必要なのでしょうか。

 かんさつ日記「にゃん吉との不幸せな日々
R氏は相変わらず気がききません。作者orz様は何も言わず、腹を立てています。R氏には私と同様、受信能力はなさそうです。
 唐突ですが、私の小学校では、冬になると日直が1階の所定の場所にストーブ用の灯油を取りに行くことになっていました。私と男子の日直が取りに行った時、私が4階まで1人で灯油を運んだのに、男子の日直は教室の手前で私から灯油を奪い取り、いかにも自分1人で運んで来たかのように教室に入っていきました。先生はその男子にだけねぎらいの言葉をかけました。
 大人になってからの話ですが、私がお茶を入れてさあ配ろうという時に
「手伝います」
と現われてお盆を奪い取り、配りに行った女性がいました。お茶を受け取った人はその人にだけお礼を言いました。
 こういう経験の印象が強烈なため、私は
「人のやっていることを途中で奪い取るのはよくない」
という意識を持っています。
 いつも「手伝います」と言うべきか迷います。R氏のケースで言えば、orzさんはR氏が「手伝います」と言ったとしても怒ると思うのです。
(あんたの猫のことだろー、他人事みたいに言うんじゃねー)
その場に合った言葉を瞬時に選ぶのって結構大変なんですよね。

「私がやります」

と人のやりかけの仕事を奪い取るのも上記のような理由でどうかと思うし、

「手伝います」

はその後がさらに大変です。

1 遠慮されてしまったら、どこまで押し問答してよいかわからない(遠慮をそのまま受け取るとさらに気がきかないと火に油を注ぐ)
2 今1人でやっている仕事を2人でやろうとした場合、相手が指示してくれないと自分がどの部分を受け持ってよいかわからない(かえって怒らせる)

 他の人は相手の気持ちを読み取って適切な言葉を選ぶのでしょうけれど。R氏も本当は何も気にしていない訳ではなくて、発信能力がないためにそう見えるのではないのでしょうか。私のひいき目ですが。私だってその場にいたらいろいろなことが脳内をぐるぐるしてどうしていいかわからないと思うのです。

 

 

 5月18日の記事。これを書いた時、大前提として

「自分がやっていることを途中で取り上げられるのは誰にとっても不愉快なことである」

と考えています。しかしコメントを見るとそうではなさそうです。

「本来誰がやるべきかがポイント」

というコメントにまた混乱します。何日も立って落ち着いてから考え直します。もしかしたら他の人は、今やっている仕事を別な人に取られても平気なのでしょうか。

 リアル世界で、私がせっかく気を利かせて始めた仕事を

「僕がやるよ」

と奪い取られたら私は怒りで沸騰します。ただ相手が親切で言ってくれていることはわかるので、必死で我慢します。感情を抑えるのに必死で、遠慮し合うやり取りどころではありません。

 その結果、人に押し付けてずうずうしいみたいに言われたりします。お前がやるって言ったんじゃねーかよ。

 だから、自分がすべきである仕事を他の人がやっていても、私がやると言うのは悪いなあという気持ちになります。念のため、少し遠慮がちに、

「私がやります」

と言っても

「いいのよ、やっておくから」

と言われると、あまり突っ込むのも悪いかなと早めに引っ込みます。その結果人に押し付けたと言われるとまた私は混乱させられます。

 このあたりのことは、受け取り方が正反対なのに加えて、「遠慮し合う」という摩訶不思議な会話を何回か交わさなければならないという、かなり複雑な思考が要求されます。私が

「いいんです、私がやります」

と言うと、かなり必死な感じというか、キーキー声に聞こえます。自分の言葉が通じないことにいらだつといつも発音がおかしくなります。1回の遠慮で引っ込まないでもう1、2回はふんばらないといけないと思うのですが、キーキー声にぎょっとされることを恐れて次の言葉が出ません。

 この記事のシーンは、orz嬢視点からだと確かに気の利かない人ですが、R氏は内心どううまく対処していいかわからなかった、のかも知れません。

 人様のブログネタがシリーズ化してしまいました。私達のアイドル、R氏については「かんさつ日記 」をどうぞ。それから、作者のorz様、もしお目に触れましたら、私あなたのファンなんです、本当です、許して下さい。

 このブログの記事を読むと、いかに自閉の認知の世界が定型発達者とずれまくっているかを考えさせられます。(R氏を自閉と言っているのではなく、自分をR氏の行動に重ね合わせているだけです)
 子供の頃なら人のおもちゃを取るとか、人の言葉をさえぎるとか嘘つきとか、私は他の人の真似をしただけなのに、なぜ私だけの問題のように言われるのでしょう。

 
 おもちゃを取られたから、私も人のを取ったんです。話の途中で言葉をさえぎられたから、自分ももそうしていいと思いました。嘘つきにいたってはちゃんちゃらおかしいです。嘘をつくことを教えたのはあなたたちではありませんか。R氏のすぐばれる嘘なんて、定型発達者のつく、他人の人生設計を狂わせる嘘に比べたらかわいいものです。
「人にされたから自分も同じことをしていいということではないんだよ」
どうして私だけは許されていないのですか。魔法使いではないからです。

 
 これだけ認知の世界が違うと、どちらかが「違う」ということだけでもわかっていないと悲惨です。どちらも自分が一方的に我慢していると信じているわけですから。

 「かんさつ日記」の記事「理想の世界 」より。
 >R氏の理想の世界。周りの人すべてが僕を認めてくれて、好きになってくれて、僕のことをほめてくれる。何をしても許してくれる。
 似たようなこと、言ったことあります。昔会社の上司に
「私が何をしても絶対に怒らないで欲しい、全部ほめてくれ」
と頼みました。いつ怒られるかわからない環境でびくびくしながら働いてもうまくいかないから、絶対に怒られないという保証が欲しかったのです。
 驚くことに、その上司はそれを受け入れました。最後にちょこっと出てきて私の仕事の成果だけを持っていくような人でしたが、絶対怒られないという安心感で集中力もつき、何をやってもだめだった自分が意外に細々したことによく気がついたり、正確であることがわかりました。その代わり何かあればすぐ報告し、自分から謝罪しました。怒らないと約束してよかった、と思って欲しかったのです。

 
 怒られている時はピストルを乱射されている感じで、防衛一本槍になります。相手がピストルを捨て両手をあげて近づいてきてくれれば、私にもピストルを捨てることができました。
 R氏にもどうか、全てを許してくれる人が現れますように。理想の世界はちょっと無理かも知れませんが、今の私くらいは幸せになれますように。

 

 

 5月10日の記事。これまで原則Yahooの順番とおりにアップしてきましたが、シリーズものはなるべくくっつけた方がわかりやすいですね。という訳で当分R氏シリーズを続けます。

 講座と銘打っていますが、これは私の経験を元にした単なる読み物ですので、これが絶対正しいという訳ではありません。心優しい皆様、怒らないで下さい。



「前向きに考えよう」

 企業の管理職は前向きとかポジティブという言葉が大好きです。なぜこんな言葉が好きなのか最近までさっぱりわかりませんでした。いいことだけを考えればいいことが起こるというのは理論的にあり得ない気がしますが、定型発達者にはどうもあるらしいです。だから自分たちも、と思うのは危険です。

 
 叱られる
→期待されているからこそ叱ってもらえる、見放された人間は叱られない、と前向きに考える
→張り切って仕事する
→解雇される(左遷される、ボーナスを自分だけ半額カットされる)
→大混乱

 
という過程を何回か経験すると、いかに前向きという言葉が危険極まりないかわかります。
 私たちは人の感情の動きに鈍いので、こちらが「怒っている」と感じる頃には相手は相当怒っています。
「怒っているわけではない」
とあの人たちは言いますが、絶対怒っています。
 上記の言葉は保険のセールスがこの保険の悪いところを見ないでいいところだけ見てくれ、という営業トークと同じです。場面によってはうるさいから黙ってろ、という意味にもなります。
 私たちは予定外のことが起こると混乱します。クビになるかな、と思いながらなるのと、思ってもみなかったのになるのとでは心の衝撃が違います。人間不信や二次障碍を防ぐためにも要注意です。


「見てる人は見てるから」

 営業成績トップなのに最低の査定がつき、混乱するあなたを慰める無責任ワード。見てる人は見てるだけで何の役にも立ちません。「鳥が空を飛んでいる」と同じ意味だと思いましょう。
 「上司が変われば」「会社を変われば」とは思わないことです。発達障害者に社会は冷たいのです。あなたの力を発揮できる会社なら置いてもらえるだけでありがたいと考えなければなりません。評価にどうしても納得いかず苦しい思いをするなら手を抜いてもいいのです。


 怒らずに読んで下さった皆様、ありがとうございます。

 

 

 5月9日の記事。今は全部「自己PR語」として一括処理できてとても便利です。以前は言葉ひとつひとつを、数回に渡る経験から学ぶしかありませんでした。分類は便利です。

 定型発達者の読者様にはいやみったらしく見えていると思いますが、自己PR語が悪いと考えている訳ではなく、違う背景の言語であることを私は理解しなければなりません。そしてこのように理解することをずっと禁じられてきました。

「そんなこと言っていないでしょう」「何でそんな風に受け取るの」

それで全部ふりだしでした。でももう戻りません。違う脳機能を持った人間が社会常識を手探りで理解する方法のひとつとしてお許し下さい。

 自分の困難を表すのに「障害」という言葉が適当かわかりませんが、他に適当な言葉もないので好んで使っています。
 「障害」は最近はよくない言葉として、害の字を平仮名にしたり別な漢字をあてたりするのがはやっていますが、私は嫌いではありません。「障害」は私を許し、この世に迎え入れてくれた素敵な言葉です。それよりも、
「その程度は障害ではない」
という言葉の方が、私をわがままな健常者として世の荒波に放り出し、
「努力が足りない」「ダメ人間」
と責め立てます。
 「障害」が嫌いな人がいるのは仕方ありませんが、なぜ嫌いなのか、人の立場に立てない私にはよくわかりません。感情移入はできますが、そうするとせっかく好きな言葉が嫌いになり、幸せを1個失うので、できればしたくありません。私は好き、あなたは嫌い、でいいのかなと思います。(だからだめなんだってば)

 私の嫌いな言葉に「柔軟性(あるいはフレキシブル)」があります。よく
「柔軟性がない」
と怒られたり
「もっと柔軟に考えないと」
と嘘を正当化するのに使われるので、フラッシュバックワードのひとつになっています。
 しかし誰が説明なしで「柔軟性」が嫌いな人間がいると想像できるでしょうか。だから、誰かがうっかり柔軟性という言葉を使って私が暴れたとしても、その人が悪いとはちっとも思いません。お前が言うなと言われそうですが。
 暴れた私を見て
「言葉は難しい。こちらの意図どおりには伝わらない」
と考えこまれるとちょっと困ると申しますか、それこそ意図が伝わっていないような、何か違ったものを感じます。私は言葉に反応しているのであって意味に反応しているのではないのです。

 どんな言葉も人を傷つける可能性を持っていて、そんなことを言っていたら何も書けなくなるし言えなくなります。私は傷ついても傷つけても書き続けたいです。知るために。知ってもらうために。

 

 

 5月8日の記事。「障碍」は当て字だと思っていたらこっちの方が古いのだそうです。「障がい」は字面がきれいでないので、あまり使いたくありません。

 まだ言語感覚ゆれています。

「もっと柔軟に考えないと」

というのも、

「自分にはあなたと違って柔軟な思考力がある」

という自己PR語だと思うとそれほど腹も立たない、訳はありませんが、この頃は嘘の言い訳にしか聞こえませんでした。(嘘場面にだけ使われるとは限りませんが)嘘ついて混乱させておいて

「言葉は難しい」

って何だよ、という感じです。これが

「自己PRが通じなかった」

という意味だったとは。

 言語感覚のずれ、傷つくポイントの違い、私は驚くようなことをこれから学んでいきます。リアル会話でも

「自己PR語だ」

と気づくとうれしくなります。

 Yahooブログの「かんさつ日記 」 私は毎日うかがっていますが、訪問者履歴を見る限り先方から来られたことはないようです。(IDわかりやすすぎ)
 万一ご本人の目に触れましたら・・・勝手にネタにしてごめんなさい、私あなたのファンなんです。許して下さい。

 さて、このブログのテーマはちょっと変わった同僚R氏のお話。彼の特徴は
・人の話に割りこんで違う話をする。
・意見が違うと全否定されたと思いこむ。
・過去の不幸話をえんえんとする。

 どこかで聞いたような。先に断わっておきますが私はR氏を発達障害者と疑っているわけではありません。変人=発達障害者ではありませんよ。人格障害など他の疾患かも知れないしまるっきりの健常者かも知れません。
 しかし身に覚えのあるシーン炸裂。いくら何でもこんなにひどくないぞ、と思いつつも、自分も人から見るとこうなのだな、と反省です。

 私も批判されるの嫌いです。好きな人はいない、と一蹴されると話は終わるんですが、このR氏と同様、自分を全否定された気分になり、落ちこみ、いつまでも忘れられません。絶対ブログに向いていませんね。批判もどうぞ、と書いてある人はすごいです。
 もちろん知識としては知っていますよ。意見が違うだけで批判しているのではない、と知っていてもストレスがなくなるわけではありません。一生懸命自分に言い聞かせて我慢するだけです。
「批判ではない」
と言われて
「そうか批判ではないのか」
とまともに受け取ったら
「この前も言ったでしょう、何で直さないの」
と後でとんでもないことになります。ほめ言葉ですら皮肉という名の批判であることもあるのが魔法使いの一族の掟です。油断はなりません。

 圧巻は伝票処理を教えても教えてもわかってくれないシーン 。私はR氏に感情移入します。口で言われてもわからないんだよ。書いてくれ。何をどうするか、全部順序だてて一覧表にしてくれ。それでもしかしたら理解するかも知れません。しないかも知れませんが。
 この「かんさつ日記」の作者さんにはぜひがんばって続きを書いて欲しいです。そしてR氏はこの会社に居残り、生き抜いてもらいたいです。

 

 

 5月6日の記事。この後長期シリーズ化するわが分身、R氏のお話です。もし診断前にこのブログを見ても、自分のこととは思わなかったはずです。自己を客観視するのに役立ちました。このブログを書いたorzさんとはとうとう1度も言葉を交わしませんでした。私のこと気づいていたかな。(片思い中の中1生のようだ)

 伝票の記事の従業員さんのセリフ

「わからない言い訳してないで言われた通りやったら」

わからないのにできる訳ないのでは? なんで? 

 その後の研究(私のだが)により、どうも普通の方はわからないなりにそこそここなすということができるようです。私の仕事ぶりは100点か0点かの世界。わかればできるしわからなければできません。でも人に

「わからないことはできないよね」

と聞くと

「誰でもそうだ」

と言います。

「わからないとできない」

の意味が、それぞれに自分の体験を元にしているから、同じ現象を表していないのですね。だから今も

「そんなのよくあること」

という主旨のコメントには微妙にナーバスになることがあります。

 最後の私の心の声、

「口で言われてもわからないんだよ、書いてくれ」

も、診断前だったら言えません。自分の聴覚認知能力が他人より劣っていることも知りませんでした。聴力は正常なのに、耳で聞いた情報をうまく認知処理できない、という状況を、他の人だけでなく私自身も想像できませんでした。紙に書いてくれと言えば解決できたこともあったでしょうに。(それでも怒る人は怒るかも知れませんが)

 R氏のような人と職場で出会ったとして、私もうまくやれるかわかりませんが、一覧表くらいは作ってあげよう(私が作れるような立場であればですが)と思っています。