自分の困難を表すのに「障害」という言葉が適当かわかりませんが、他に適当な言葉もないので好んで使っています。
「障害」は最近はよくない言葉として、害の字を平仮名にしたり別な漢字をあてたりするのがはやっていますが、私は嫌いではありません。「障害」は私を許し、この世に迎え入れてくれた素敵な言葉です。それよりも、
「その程度は障害ではない」
という言葉の方が、私をわがままな健常者として世の荒波に放り出し、
「努力が足りない」「ダメ人間」
と責め立てます。
「障害」が嫌いな人がいるのは仕方ありませんが、なぜ嫌いなのか、人の立場に立てない私にはよくわかりません。感情移入はできますが、そうするとせっかく好きな言葉が嫌いになり、幸せを1個失うので、できればしたくありません。私は好き、あなたは嫌い、でいいのかなと思います。(だからだめなんだってば)
私の嫌いな言葉に「柔軟性(あるいはフレキシブル)」があります。よく
「柔軟性がない」
と怒られたり
「もっと柔軟に考えないと」
と嘘を正当化するのに使われるので、フラッシュバックワードのひとつになっています。
しかし誰が説明なしで「柔軟性」が嫌いな人間がいると想像できるでしょうか。だから、誰かがうっかり柔軟性という言葉を使って私が暴れたとしても、その人が悪いとはちっとも思いません。お前が言うなと言われそうですが。
暴れた私を見て
「言葉は難しい。こちらの意図どおりには伝わらない」
と考えこまれるとちょっと困ると申しますか、それこそ意図が伝わっていないような、何か違ったものを感じます。私は言葉に反応しているのであって意味に反応しているのではないのです。
どんな言葉も人を傷つける可能性を持っていて、そんなことを言っていたら何も書けなくなるし言えなくなります。私は傷ついても傷つけても書き続けたいです。知るために。知ってもらうために。
5月8日の記事。「障碍」は当て字だと思っていたらこっちの方が古いのだそうです。「障がい」は字面がきれいでないので、あまり使いたくありません。
まだ言語感覚ゆれています。
「もっと柔軟に考えないと」
というのも、
「自分にはあなたと違って柔軟な思考力がある」
という自己PR語だと思うとそれほど腹も立たない、訳はありませんが、この頃は嘘の言い訳にしか聞こえませんでした。(嘘場面にだけ使われるとは限りませんが)嘘ついて混乱させておいて
「言葉は難しい」
って何だよ、という感じです。これが
「自己PRが通じなかった」
という意味だったとは。
言語感覚のずれ、傷つくポイントの違い、私は驚くようなことをこれから学んでいきます。リアル会話でも
「自己PR語だ」
と気づくとうれしくなります。