月1回くらい暴走しています。その度に皆様になぐさめていただき、反省もするのですが、何かのはずみでまた暴走します。心理状態と体調がいいうちに1人反省会でも開きましょう。
 他の発達障害者ブログでも暴走は起こっているようです。それを防ぐためか、本当に日記だけになさっている方もいますが、せっかく自閉に生まれたのだから自閉にしか書けない世界を書きたいものです。
 診断が出て(同時にブログを始めて)3ヶ月、世間に受け入れられる人になりたいと試行錯誤しましたが、世間と同じ感覚を持つのは不可能、という結論にいたりました。

 私は(診断以前から)長い間かかって生活上のマニュアルを脳内に作りました。診断が出てからは、そこから得た知識を元にそのマニュアルを改定しようと試みました。定型発達者になりたかったからです。努力すればなれるとどこかで思っていました。
 しかし定型発達者の考え方を知識として理解しても、自分もその通りに反応するということができません。自分なりに歩み寄ろうとはしたのですが、
「定型発達者も1種類ではない、人によって感じ方は違う。正しいひとつはない」
という壁に阻まれます。感じ方のマニュアル化は不可能です。

 アスペルガー症候群の作家、藤家寛子さんの本に、自分の障碍のことを人に説明して
「最近そういう人多いよね」(立ち読みなので表現正確ではありません)
と言われて腹を立てるくだりがあります。こんなこと、身体障碍者や知的障碍者に言いますか。
「どうしたらいいかわからない」
と悩むうつ病の人に
「こうすればいいんだよ」
なんて言う人はいるのでしょうか。もしいたらかなり非道な人だと思うのですが、発達障碍者はこういったことを言われがちで、私の暴走原因にもなります。
 知らないから仕方ないと言われればそれまでなんですが、それに対して腹を立ててみせようものなら、いつ怒り出すかわからないと敬遠されます。そんなに理不尽な怒り方しているのでしょうか。多分しているのでしょうけれど。(すみません、現実世界と入り混じっています)

 こちらの世界から見ると、外の世界の人の方が無神経なことを平気で言っているのですが、向こうからはこちらがそう見られているようで、感覚を合わせることが難しいのです。
 私たちは失礼なことをしてはいけないけれど、他の人は私たちに失礼なことをしても構わないのが世界の掟、やな感じですか。私は社会に順応しようと努力しているだけで、自分を卑下しているわけでも外の世界に恨みがある訳でもありません。

 
 自分の感覚の方がおかしいことも、どこがおかしいのかも何となくわかります。だから、無神経なんて書いてごめんなさい。私が無神経なんです。それを私はもっともっと、知らなければなりません。
 私は私にしかなれない、この箱からは一生出られないから、出られないままで外を理解し、理解もされたいのです。努力はやめませんよ。いつか私も魔法使いを演じてみせましょう。
 だから、それでもよかったら、お友達になってくれませんか。

 

 

 5月24日の記事。最近暴走なくなった気がします。私にとってきついコメントをする人がいなくなったからでしょうか。言語体系の謎もとけてきたし、よい方向に向かっています。傷つく言葉、きついと感じる言葉を変えることはできませんが。ただ、この人はこの言葉では傷つかないのだなと知るだけです。

 この物語は、お気に入りブログ「かんさつ日記 」と、前の記事「人の振り見て 」のわたりどり氏のコメントを元にした私の妄想です。

orz「R氏、相談したいことがあるんだけど、30分くらい時間いい」
R氏「僕これからもうひとつのバイトあるんですけど」
orz「じゃあ明日朝いちでいい。待っているよ」
 何か怒られるのでは、まさか僕に気があるのでは、そんなはずないか、いつもあんなに怖い顔しているし、様々な妄想を抱え帰宅するR氏。(注:時間を置いた方が、脳内準備ができてよい。本人に身に覚えのある場合、いきなりだと攻撃的になる恐れがある)

 翌朝
orz「R氏は働いていていろいろ困ったことがあるんじゃないかと思って」
R氏「ええまあ」
orz「私も気が利かないからさ」
R氏「そうですね」
orz「人は言葉にしないと分かり合えないと思うのね。自分もこうだから相手もこうだとは限らないし、でも人は自分を基準にしか相手を理解しないし、コミュニケーションの問題っていろいろ難しいよね」
R氏「はあ」
orz「で、お互いに対する希望を書面に書いて交換するというのはどうかと思ったの。こう言って欲しいとか欲しくないとか、こうして欲しいとか欲しくないとか」
R氏「そんなこと、すぐ思いつきませんよ」
orz「私は作ったわよ、ほら」
R氏「むかつきますね。人のことぼろくそ書いて」
orz「希望だからね。R氏も書いてよ。それですり合わせましょう。その方がすっきりしていいでしょ」
R氏「ああ、あなたは僕にストレスをためていたのですね」
orz「そうだけど、私よりR氏の方がためているでしょう」
R氏「わかりましたよ、僕も書きますよ」

 最後ちょっと攻撃的になっていますが怒っていません。本当に攻撃的な時は最初から拳銃乱射です。こういう風に、会話にクロージングかける人だと思いましょう。


 R氏が私のお仲間なら、文章のやり取りの方がわかりやすいはず。自分でも文字で書くことによって状況を整理し、理解できるかも知れません。
 この物語はフィクションであり、登場人物は架空です。続編は、多分ありません。

 

 

 5月23日の記事。R氏に書面を同意させるまでどう持っていくか悩みました。口頭でのコミュニケーション難しそうな人ですから(本当は私のことなんですが)。

 やっぱりいきなりメールかメモでしか会話をしない、というのは冷たい感じです。口頭でのやり取りが

「正常なコミュニケーションのあり方」

ですから。私もR氏に現実で出会ったら書き言葉によるコミュニケーションに挑戦したいのですが、そこまでもっていくのが大変そうです。

 言葉には人を癒す力があります。私が職場で「何をしても怒らないでほめてくれ」という無茶な要求を通した時のように、今回も私の無茶な要求に多くの方が応じて下さいました。ごめんなさい。そして、助けてくれてありがとうございます。応援してくれる方のためにも真人間にならなくては。
 もう少し、加害者としての自分をしっかり見つめたいのですが、「怒りの仕組み 」を書いた時のことが尾を引いていて、勇気がありません。「あなたはひどい人間だ」よりも「そんなの誰でも同じ」の方が怖いのです。

 自分のこととしてではなく、人に仮託してなら書けそうです。その人はもちろん、R氏。参照: かんさつ日記  
 診断前の私はR氏同様、自分が悪いとは全く思っていません。そこで
「あなたのこういう点がよくないので改めるように」
と言われても防衛本能が先に立って聞く耳を持たなかったはずです。
 原因が自分の側にあることを知ってからは、変なことがあっても
「見ている世界が違う」
と強引に納得できるのですが、R氏はきっと自分が悪いとは思わず混乱しまくっているのでしょう。知っていると知らないでは大変な違いです。(しつこいですがR氏を自閉だと言っているわけではありません)
 あれだけ周囲に迷惑を振りまいているようでは許してあげてね、ではさすがに済みません。では、どうしても注意しなければならない時、どうすればいいのでしょう。鈍いから言われないとわからないし、言われたら防衛反応起こすし。

 自分のことは客観的に見れなくても、私はR氏を通して自分の姿を見ると結構反省できるのです。これは何かのヒントにならないでしょうか。
 苦言に全然傷つかないことはないけれど、すごく信頼している人、私を絶対攻撃しないと信じられる人の言葉なら、こちらが攻撃態勢に入っていない分、すっと入ってくることもあります。その前後10回くらいほめないといけませんが。
 今日はここまでしか思いつかないので、投げてみます。誰かがヒントを下さるかも知れません。こういうのはレイチ様が得意なのですが、最近お忙しいそうで登場がありません。どなたか、何か、思いつくことはありませんか。

 

 

 5月21日の記事。わたりとりさんのコメントを全文引用。

「R氏の記事を読んで、ひとつ提案。当事者同士で書面を交わしてはどうでしょう。相手に何を期待しているのか、何をやめて欲しいか、感情を交えず理由を添えて、具体的に書き出す。コミュニケーションの契約書みたいなものです。違反したら、罰があるわけではないが、言い訳は無し、とか。どんな人間でも、その時と場によって感情的なことや矛盾したことを言います。それは仕方の無いことですから、緩和措置をとるわけ。・・・実はこれ、私の会社の社長にやって欲しいんですがね^^」

順番に写していたのに、わたりとりさんの初登場シーンに気づきませんでした。他の人の初登場シーンはだいたい覚えているのに。
 長いおつき合いになりましたが、ごめんなさい、実はすぐいなくなるかなと思っていました。自閉症や発達障碍に興味ある訳ではなさそうだし、そのうち私の言動にあきれてしまうのではと。今や他の常連様にも慕われるリーダー格です。いつもヒントいただいています。ここでコメントしてくれないかな、とお待ちしております。

 「好きな言葉と嫌いな言葉 」の中で「障害という言葉は、自分を許してくれたから好き」と書きました。それと同様に、自閉症という名称も、私は好きです。とんでもない私をこの世に受け入れた魔法の言葉。誰に許されなくても、言葉は私の存在を許してくれます。
 「自ら閉じる」は正確な表現ではない、とも言われますが、短い言葉にあれもこれも詰めこむのは元々不可能です。少なくとも名づけた人がこめた意味を感じます。アスペルガー症候群の名称については「コミュニケーション障害 」で書きましたが、人名+症候群という、完全に理解を拒んだ名称です。誤解をなくそう、なくそうとすると最後にはみんなこんな名称になります。最もポピュラーな病名風邪、風が邪(よこしま)ですよ。語源は知りませんが、名づけた人の気持ちが何となく伝わります。

 嫌いな人がいたら申し訳ありませんが、私は私を救ったこの自閉症という名称が好きです。ここに来て下さっている方で、私を「自ら閉じている」と考える方もいるでしょうか。むしろ開きっぱなしですが。自開症ですか。
 それとも他閉症ですか。(本当にネーミングセンスないな)世界が私に対して閉じています。ガラスを叩いても心は届かず、向こうの心も私には聞こえません。私はこの世界から永久に出られません。脳機能障害(これが一番怖いよ)ですから。
「叩けば割れるのに割ろうとしないのは努力が足りないからだ」
割れなかったら、私は許してもらえませんか。
「こうしたら割れるかもよ」
できなかったらどうなるんですか。
「こんな工夫をしてみたら」
もういい、もういいから。
「そんなのやってみないとわからないでしょう」
こんなにやってもできないんだと、会う人ごとに死に物狂いの努力をしてみせないとわかってもらえませんか。
 外から見て私が閉じているなら、閉じたままで、私の存在を認めて下さい。許してくれる言葉が好き、追いつめる言葉は嫌いです。迷惑な私が迷惑なまま存在することを、どうか許して下さい。許すという言葉を、たくさんたくさん下さい。

 

 

 5月20日の記事。「世界が自分に対して閉じている」は言語体系の解明(私の個人的研究だけど)が進むほど強く感じます。外から見れば私が閉じているのでしょうけれど。

 びっくりするような物の受け取り方をする人たち、言葉の通じない人たち、会話のかみ合わない人たち。本当に閉じているのは私の方か?

 「光とともに」という漫画の帯に「自閉症というだけでわかってもらえるようになるといい」みたいなことが書てありましたが、私が願うといかんようです。

 私はこの頃異様に謙虚で、何とか自分の存在を世界に許してもらいたかったのですが、どうしても許せない人もいるようです。だったら結構。私も、そんな人たちを許さないから。が今の心境。

 複数のアスペルガー関連ブログで最近、睡眠障害のことが語られているので私も語ってみます。
「いくら寝ても眠い」
「8時間では足りない」
「昼寝が必要」
ははあ、なるほど。

 私の睡眠時間はそんなに長くありません。眠れないからです。いくら寝ても眠いのではなく、眠っていないから眠いという当たり前の結論です。
 布団に入っても2時間は入眠できません。布団の中で目を閉じたままの2時間は退屈です。だから余計なことを思い出して涙が止まらなくなったりします。数を数えても、1万までいくとむなしくなります。こんなことしているくらいならブログでも見たいのですが、起きていると翌朝がさらに辛くなります。
 これは赤ん坊の頃からで、赤ちゃんのくせに夜も昼も寝ない私に両親も困ったようです。弟が生まれると、あまりに寝るのでびっくりしたそうです。
 枕を変えるなど工夫はしましたが、眠れません。寝酒もホットミルクも効果は一時的でした。睡眠薬までは使ったことはありません。
 それでもいつかは眠るのですが、朝の目覚めは辛く、日中もよく眠気におそわれます。学生時代の授業中の居眠りはまだしも、社会人の会議中の居眠りは大変なことです。眠ってはいけない、いけないと言い聞かせているのにいつの間にかスッと意識が抜けます。高校生の頃ナルコレプシーを疑いましたが、診断基準を見る限り自分にはあてはまりませんでした。

 どうも布団に入ると布団が身体にあたるのが気になってリラックスできません。手足がいつも緊張していて寝るのも疲れるのです。
 こう書くと、布団が悪いと言われそうですが、そうそう布団を買い換えるわけにもいかず、布団を変えれば絶対眠れるという保証もありません。ホテルなどで上等な布団やウォーターベッドで眠ってもあまり状況は変わりません。旅行などで他の人と同じ部屋で寝ると、遅くまでごそごそ寝返りばかり打つので評判悪いです。
 ぐっすり熟睡することはできそうにないので、電車の中で座れれば目を閉じ、手足の緊張を抜くようにしています。全身に力を抜いてゆっくりしたいものです。普通は全身リラックスして眠れるものなんでしょうか。今夜ももうすぐ、退屈な2時間が始まります。

 

 

 5月17日の記事。私はあお向けに眠れないのですが、自閉症と関係あるという話も聞きます。筋肉が必要以上に緊張しているのでリラックスできないとか。