前の会社の同年代の元同僚が、亡くなりました。JR西日本の事故にはなかなか感情移入できなかった私も、知り合いの死に向かい合うといろいろ考えます。(相変わらず感情移入しているだけで相手の立場に立っていないのですが)
 人類の永遠の謎、人は死んだらどうなるのでしょう。意識は全て消えてしまうのでしょうか。魂はあるのでしょうか。誰もが経験することなのに、誰にもわかりません。

 私の性格的欠陥の原因は、脳の機能障碍です。魂が肉体から離れれば、脳の支配から逃れられれば、この性格は直るのでしょうか。霊魂は世間話なんかしませんよね(するかな)。違う肉体で生まれ変われば空気も読めるようになるのでしょうか。
 心は脳にあるとしたら、たとえ魂が存在するとしても、肉体から離れれば今ある心とは違うものになる気がします。知能は、記憶は、人格は、残るのでしょうか。人の最も核になる部分は心ではないのでしょうか。

 漫画や小説でよくある生まれ変わりもの、なぜか都合よく同時代の日本に生まれますね。外国人、動物、遠い宇宙の他の星に生まれ変わらないのはお約束です。理論的に考えると、生まれ変わりが仮に会ったとしても
「生まれ変わったら一緒になろう」
はほぼあり得なそうです。
 生まれ変わりがあってもなくても、脳に支配されない霊魂の存在を信じたいです。そして、今度地球人に生まれることがあれば、できれば普通に生まれたいです。

 

 

 5月31日の記事。これで5月分まで終わりです。ふう。知人の死に、妙に哲学的なことを考えてしまいました。コメントで

>こういった機能障害は霊魂が肉体にきちんと入り込めないために生じるという考えがあります

というものがありました。なるほどと思いました。うまくつながらない指令脳ちゃんと動作脳ちゃんの関係を、霊魂と脳の関係だと考えてもわかります。

「生まれ変わりはない」

と言える人は強いです。私はあると信じたいです。

 他人に陥れられたことばかり覚えている、いやな記憶力です。どう考えても自分が悪いとは思えませんでした。
 その時どう行動したらうまくいったのか、あの出来事を逃れられたのか、何度も考えました。人にも聞いて歩きました。その部署で一番仕事していたのは私だったから、それは周りの誰もが認めていたことだったから、それでも誰よりも怒られるのは期待されているからだという周囲の間抜けな慰めを信じたのも、どんなに考えても事故に遭ったという他ありませんでした。
「人間関係の問題で、片方だけが悪いということはあり得ない」
といろいろな本に(何でも本で学ぶ)書いてありますが
「私のどこがいけなかったの、どうすればよかったの」
と反発しました。

 しかし原因は私の側にありました。申し訳なかったと思っています。彼らがどんな風に私を見ていたか、どんな思いをさせていたか、今はよくわかります。(特に「かんさつ日記 」を読むと)
 私は加害者でもあったのです。知らなければずっと自分だけが被害者と信じ、時々はずみで思い出しては暴走していたでしょう。私なんかに出会ってしまって、本当にごめんなさい。

 トラックバック先の「銀色日記」では加害者としての痛みを描いています。もし痛いと思って下さったなら、私は十分に救われています。昔の私自身も許される気がします。
 それでもまだ痛いなら、とてもおこがましいのですけれど、その人(S子さん、別な記事のY子さん)の代わりに私があなたを許します。だから私の過去の人々の代わりに、あなたも私を許して下さい。私は許されることでしか社会に存在できないのです。

 

 

 5月29日の記事。もう11月だから早く6月に入らなくては。

 この時トラックバックした記事はもう公開されていないようです。「銀色日記」の銀色さんとは精神科医のブログで出会いました。やはり派遣社員で、同僚との人間関係のことを書いていらっしゃいました。ご自分の加害者である部分を責める言葉に、私も申し訳ないことをした過去の人々を重ねます。

 「怒られた」「自己PR語を使う人々」など散々なことを書いておりますが、彼らの側から見れば私は紛れもなくとんでもない人だったのです。

 それだけでも、アスペルガー症候群と診断されてよかったと思っています。過去を憎み、混乱し続けるのではなく、自分も加害者であったと知ることができました。

 質問すると怒る人と怒らない人がいました。それは相手側の問題だと思っていました。
「何でも聞いてね」
と言っているのに聞くと怒るのは、その人が変な人なのだと信じていました。内容、話し方、言い方をどんなに工夫してもやっぱり怒られるからです。しかし私の側の問題であることが、障碍の発覚により明らかとなりました。
 なぜ怒られるのでしょうか。これまで得た知識や主治医らの言葉から研究してみます。まずは敵を知ることです。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」でしたっけ。


1 部分から全体を推測できない

 このことは何回も書いたので詳細は略しますが、指示と無関係な質問をするために怒られます。


2 聞かれたことを自分の言葉で復唱する

 自閉症は聴覚より視覚で情報を与えた方が脳内処理しやすいと言われます。私も
「耳で聞いたことを的確に脳内処理するのが苦手」
なんだそうです。何か作業を指示されると、
「それはこういうことですね」
と復唱するのが癖になっているのですが、相手に確認するというよりは、情報を処理した指令脳が動作脳に伝えるために口に出す、または書くという動作を必要とします。普通の人は一気に指示が届くのでしょうけれど、私はやはりつながりが弱そうです。
 伝言ゲームになってしまうため、また動作脳が理解しやすい言葉に言い換えるために、復唱した時言葉のニュアンスが変わります。本当に細部が微妙に違っていることもあります。
「だからそうじゃなくて」
「あんた人の話全然聞いていないでしょ」
という怒号に変わります。


3 細かいことを聞きすぎる

 学校の授業で教わるような知識ものなら、耳で聞いて処理できないという苦労はなかったのですが、口頭での指示を元に私が実際の行動を取る時、
「こうしてああしてそうする」
という完璧なシミュレーションがないとうまく動けません。そこで、細部に渡って自分のするべき動作を聞いて怒られます。


 対策としては
「わからなくてもわかろうとせずはいはいと返事する」「復唱しない」「細かいことは聞かない」
余計怒られますね。
「指示は全て書いてもらう」
「怒られても平気な人になる」
「質問しても怒らない人に聞く」
決定的な対策はないな。また何か思いついたら書きます。

 

 

 5月27日の記事。復唱したくらいで怒らない、という人多いのですが、内容違っていても怒りませんか。話聞いてないでしょ、と言われると萎縮します。違う、と言われてもう1度説明されるともう「怒られた」事実で頭がいっぱいです。また聞き間違えたらどうしよう、そしてまた怒られることになります。

 毎日書いていますが、絶対怒られない保証が欲しいです。

 ただ、この

「何でも聞いてね」

という言葉が自己PR語であることが、一番のポイントでした。

「何でも聞いてね」

と言われたとしても本当に何でも聞いてはいけません。これは

「私は親切な人だ」

「こいつが後で失敗したら、何でも聞いてと言ったでしょと言えば自分の責任にならない」

という意味だったのです。

 私は診断の際、2種類のIQを提示されました。「言語性IQ(通常の知能テストによる知能)」と「動作性IQ」です。私は(というかアスペルガーは)動作性IQが言語性IQに比べとても低いのです。私は自分を形作るふたつの頭脳を、それぞれ「指令脳」「動作脳」と呼んでいます。(もっとかわいい名前をつけたい)
 感覚としては(医学的な所見ではなく)、指令脳が動作脳に命令して動くはずが、そのつながりが弱くて、動作脳が指令脳の思惑通りに動いてくれなかったり、時には勝手に動いたりします。別人格のようでもありますが、自我はつながっています。今ブログを書いているのは指令脳です。

 先日、診断時とは別な動作性IQ検査を受けて、精神年齢8歳と判定されました。8歳ってアナタ。いくら何でも低すぎませんか。一部分は8歳児並でも全部ではないはずなんですが。全部8歳児なら整合性取れますが、見た目も知能も普通の大人で、一部の行動が8歳児では、ふざけているようにしか見えません。

 私たちの抱える困難、コミュニケーション、想像力、社会性の、いわゆる三つ組の障碍のうち、社会性の問題が深刻になるのは大人になってからです。
 辞書的な意味での社会性は漠然としすぎています。コミュニケーション、想像力と重なる部分を取り除くと、年齢相応のふるまいができることを社会性がある、というのではないかと推測しています。30歳を過ぎてから社会性のなさを非難され始めたからです。

 30歳成人説もあるくらいですから、20代までは社会も子供っぽさを許容します。得意のマニュアル化を計ろうにも、年齢ごとに微妙に変えていかなければならず、すぐ使い物にならなくなります。こういう時20歳ならこうする、30歳ならこうする、とはなかなか説明できませんよね。それでも大人っぽさ、子供っぽさは存在します。
 普通は社会経験を積むと社会性が増すようですが、私が一番大人っぽかったのは新卒1年目です。社会に出る日のために本を読みまくり、社会を知った気になっていた頭でっかちの頃。以降は年々フラッシュバックの元になる経験が増えて、どんどん子供っぽくなります。

 私だって最初から人の親切なアドバイスを
「努力が足りない」
と受け取っていた訳ではありません。何もせずにできないと言っている訳ではなく、相当な努力をしてきました。だから、たいていのアドバイスの内容は1度は経験しています。そのことを指摘されると、以前失敗した時のこと、怒られた時のことをパパッと思い出します。怒った人のことを
「あの人はあのことでも怒ったっけ」
と数珠つなぎに思い出し、体調が悪いと大フラッシュバックにつながります。昔はもうちょっとは素直だったのですよ。社会経験を積むほど社会性がなくなる気がします。

 私の社会性のカギを握るらしい8歳の動作脳ちゃん。私(指令脳)の言うことを聞いておとなしくしていてね。私は外に出られないのです。外から見える動きは動作脳ちゃんが頼りです。

 

 

 5月26日の記事。トラックバックステーション 「若々しい精神を保つには」に参加しました。

>精神年齢を若く保つための方法についてトラックバックで考えましょう。

とありましたが、この記事で書いた「精神年齢」とは確実に意味違います。精神医学的な意味での精神年齢ではありません。私も診断前はこういう意味で「精神年齢」という言葉を使っていましたが、今は安易に口にできません。

 この時はショッキングだったのですが、今は8歳の自分の存在にも慣れて、母や姉のような気持ちで見守っております。準備できる分にはいいのですが、瞬時の行動で8歳児に大人のようなふるまいをさせるのは大変です。

「何で聞かないの」

 難易度の高い言葉です。聞くと怒るし聞かなくても怒るし理解不能ですが、これはもう
「聞いても聞かなくても怒る」
と納得するしかありません。
 私たちにできるのは、いかに怒られる瞬間を予測し、びっくりして思考停止になることを防ぐかを考える以外にありません。
 聞かずに怒られるよりは聞いて怒られる方がまし、と真面目な自閉組は考えますが、そうとも限りません。聞けば怒られ率100%、聞かなければ50%ということもあります。できるだけ早く統計を取り、どちらがより怒られる可能性が低いか調査しなければなりません。そして上司や自分の性格から総合的に判断し迷った時は聞くか聞かないかを決めておきましょう。
 あらかじめ防ぐための対策としては

1 指示は全部書いてくれと頼む
2 「自分で書け」と怒られたら、書いている間は話さないでもらう
3 書いたメモを見せ、間違っていないか確認を取る

という手もありますが、やっている間に怒られる可能性85%です。上司の他に質問できる人(穏やかな性格の人)をキープしておくとよいでしょう。


「だらだら残業する者は能力がない、早めに仕事を終わらせてできるだけ定時にあがる人間こそ有能だ」

 真面目なあなたは本当にその通りだ、と憤慨し、率先して仕事を片付け、早めにあがろうとします。うざがられていることも知らずに。
 上司に叱られてもみんながだらだら残業しているのは、それが正しい行動だからです。空気が読めないのだから、多数派に従っておいた方が安全です。上司の上っ面な正論にまっすぐ反応するあなたを上司は評価するどころか
(暇な奴、ちゃんと仕事をしているのか)
と思っているのです。上司の言葉ではなく、大多数の人がしていることがその職場の価値観です。他の人はあなたには見えないものを見、聞こえない言葉を聞いているのです。

 

 

 5月25日の記事。指示を書き取ってくれて構わないという人は多いのですが、私の経験では、それではとパソコンに向かったりするとあまりいい感じになりません。自分の言っている言葉がパソコンに入力されていくというのは何となく不安を感じるようです。手書きでは遅いし汚いし。

 そして、書いたものをこれでいいですかというと話を聞いていないと言われます。口頭での説明を寸分違わず文字にしても使い物になりません。多少表現が自分の言葉になります。そうすると、話し手は自分の説明と違うように捕らえてしまうようです。

 聴覚認知が弱いので、本当に間違って解釈することもあります。その確認のために書いたものを見せるのに、話を聞いていないとひどく怒られます。見せると怒られるのではないかと思うと怖いです。

 前に説教族に攻撃された時もこのネタ入っていました、確か。指示する側に書いてもらった方が早いのですが、それはさすがに失礼な気はします。

 要するに、失礼なことを言おうが話を聞いていなかろうが書き間違えようが、

「絶対怒らない」

という同意が欲しいところです。