他人に陥れられたことばかり覚えている、いやな記憶力です。どう考えても自分が悪いとは思えませんでした。
その時どう行動したらうまくいったのか、あの出来事を逃れられたのか、何度も考えました。人にも聞いて歩きました。その部署で一番仕事していたのは私だったから、それは周りの誰もが認めていたことだったから、それでも誰よりも怒られるのは期待されているからだという周囲の間抜けな慰めを信じたのも、どんなに考えても事故に遭ったという他ありませんでした。
「人間関係の問題で、片方だけが悪いということはあり得ない」
といろいろな本に(何でも本で学ぶ)書いてありますが
「私のどこがいけなかったの、どうすればよかったの」
と反発しました。
しかし原因は私の側にありました。申し訳なかったと思っています。彼らがどんな風に私を見ていたか、どんな思いをさせていたか、今はよくわかります。(特に「かんさつ日記
」を読むと)
私は加害者でもあったのです。知らなければずっと自分だけが被害者と信じ、時々はずみで思い出しては暴走していたでしょう。私なんかに出会ってしまって、本当にごめんなさい。
トラックバック先の「銀色日記」では加害者としての痛みを描いています。もし痛いと思って下さったなら、私は十分に救われています。昔の私自身も許される気がします。
それでもまだ痛いなら、とてもおこがましいのですけれど、その人(S子さん、別な記事のY子さん)の代わりに私があなたを許します。だから私の過去の人々の代わりに、あなたも私を許して下さい。私は許されることでしか社会に存在できないのです。
5月29日の記事。もう11月だから早く6月に入らなくては。
この時トラックバックした記事はもう公開されていないようです。「銀色日記」の銀色さんとは精神科医のブログで出会いました。やはり派遣社員で、同僚との人間関係のことを書いていらっしゃいました。ご自分の加害者である部分を責める言葉に、私も申し訳ないことをした過去の人々を重ねます。
「怒られた」「自己PR語を使う人々」など散々なことを書いておりますが、彼らの側から見れば私は紛れもなくとんでもない人だったのです。
それだけでも、アスペルガー症候群と診断されてよかったと思っています。過去を憎み、混乱し続けるのではなく、自分も加害者であったと知ることができました。