先日レビュー(練習用)の題材にした 「言語の脳科学」は、言語と脳の関係について書いた本を探していて、タイトルで買いました。この分野の初心者向けの書籍がありそうで意外とありません。脳の認知を扱った本はたくさんありますが、言語メインとなると少ないようです。
 
 その原因が、自分のレビュー(練習用)に書いた文理の壁にのみあるとは思いませんが、言語学と言えば文系の中でも超文系、一方脳科学と言えば理系の中でも超理系です。(イメージです)お互いを尊敬する気持ちがないと、実に気が合わなそうです。
 これもイメージですが、超文系から見た超理系は
「決めつける、融通がきかない、ケチ」
超理系から見た超文系は
「手の内は隠しておいしいところをちゃっかり持っていく」
な感じがします。
 
 レビュー(練習用)にも引用した
「言語学は物理学とアプローチが似ている」
も、超文系は
「言語学は物理学のように、公式にあてはめれば答がただひとつに決まるような単純な学問でもなければ思いこみで証明できる分野でもない、繊細で柔軟で1/f ゆらぎで、決めつけられるものではない」
と反発しそうな気がします。(イメージです、イメージ、本当の言語学者がどのように研究しているのかわかりません)
 
 日本だと、大学入学時に文系と理系にはっきり分かれ、変更は容易ではありません。大学界では
「文系と理系の融合を目指した学際系の学部」
というのが流行っていますが、4年の大学生活で文理融合型人材を育成というのも中途半端になりそうです。
 
 私の卒業した大学は比較的科目選択の自由度が高かったのですが、こういう分野を研究したいならこういう科目選択をするようにという指針もなく、何となく時間割の空いている場所を埋め、レポートを書き、試験を受けて単位をもらったという感じで
「大学時代自分はこれについて研究した」
という満足感がありません。システムではなく私が悪いのですが。
 私のような人は、ガチガチに科目が決まっていてあまり選択の余地がないシステムの方がいいかも知れません。
 
 話がそれてしまいましたが、研究者や大学院生のブログを見ると、日本の研究界はシステムの壁の前に心の壁があって、離れた専門分野の融合が難しそうです。今度は文系の学者の書いた脳の認知について書いた本を読んでみたいです。
 
 
 5月29日の記事。選択肢というのは多すぎても困ったりします。18の頃の自分より今の自分の方が正しい判断ができるかというとそうでもなくて、やっぱり混乱して悩むでしょう。
 ちょっちぷんさんもアメブロ版 を作って過去記事を写していらっしゃいます。私が書いたことを
「育児指針に」
と言っていただくとこそばゆいです。私だって、私のような子供をどう育てたら正解なのかなんて、知らないのですから。
 
 成人発達障害者は発達障害児の親御さんと接すると
「どうして欲しかったか」
聞かれるらしいですが、私だったら子供の立場でしかわからないから、そんなの叱られたくないに決まっています。でもそれはまずいでしょう。育てないといけないんだから。
 社会人になったら親も教師も守ってくれません。家族や友人には自分の言語ルールを守らせる(私にわかる言葉を使ってもらう)ことはできても、社会には言葉の通じない人がたくさんにいます。
 発達障害のお子さんを持つ方さえ、
「大人になると楽になる」
と思っている節があります。(もちろん大半の方はそうではありません)自然に大人になれた訳ではないのに、私が今のように生活していられることに、私や親の努力が全くなかったみたいです。
 
 親と説教族が違うのは、親は子供の成長に道義的責任がついて回りますが、説教族は言いっぱなしで、成功すれば自分の手柄、失敗すれば相手のやる気のなさをののしっていれば何の責任も取らずに済む立場だということです。
 私の両親は何も知らないまま私と格闘し続けたけど、育て方は間違わなかったと思います。
 
 Yahooではまだ1度も、コメント拒否の記事をアップしていません。この記事はとても説教されやすい内容です。コメント拒否にすることで楽に書ける内容もありますが、Yahooではそれをしたくないなあというこだわりがあります。だから、コメント欄は開けたままエントリーします。場合によっては閉じる(あるいは記事自体を非公開にする)かも知れません。
 
 
 5月28日の記事。Yahooでもコメント拒否にしようとしたくらいなので、こちらではコメント拒否にします。お母様ブログを見ると、
「医者には受け入れるように言われるし、甘やかしすぎではいけないし、どうしたらいいか」
という嘆きが伝わります。私では育てられそうにありません。
「どうしろっちゅうねんキー」
とか叫びそうです。
 「本当の」が頭につくとそれだけで胡散臭そうです。
「私はお前の本当の親ではない」
ならわかりますが、
「本当の恋ではない」
「本当の優しさではない」
あたりは何だか意味わかりません。本当かそうでないかをどこで区別するのでしょう。他の人の「本当」は私の「本当」と意味違うみたいだし。
 
 極めつけはもちろん、呪いの予言。
「あなたは本当はこの自己啓発講座を受けたいと思っているのよ」
思っていません。私は「本当に」受けたくないんですが。
「本当は」
って逆らえない響きです。
「自分の心をごまかしているだけ」
と決めつけられたら違うことをどうやって証明しろと。つーかそっちが証明しろよ。
 私の心は私自身のものです。こんなことにジョハリの4つの窓なんか持ち出されても、ジョハリも迷惑でしょう。
 
 少女漫画では
「お前は本当は俺を好きなんだ」
というワルっぽいイケメンが登場し、ヒロインはそれを最初否定するけど、やがて自分の気持ちに気づく、みたいな話があるけど、それ、ぜってーだまされています。
 こういうのがあるから
「本当は○○」
と言われると
「もしかしてそうかも」
というよからぬ考えがよぎるのではありませんか。呪いの予言者はすかさず
「それこそが本当なのです」
と畳みかけます。便利な言葉ではありますけど。
 
 
 5月26日の記事。自分の知らない自分の心があるという話は怖いです。
「本当はあなたはこう思っている」
と言われたら逆らえなくなります。しかし自分に見える心だって私の心です。偽物ではありません。
 このシリーズこれまでの記事を元に、実際にレビュー(らしきもの)を書いてみます。サンプルは中公新書「言語の脳科学 」です。


 チンパンジーに単語を覚えさせることはできるが、文法を操作することを教えることはできないと言われています。文法操作能力が人間固有のものであることにはそれほど異論はないと思いますがこれが生まれつきのものであるかどうか、となると賛否両論ありそうです。

 本書では、文法操作能力が人間にのみ、生来備わっているという説を踏まえて、失語症や、知的能力と言語能力がかい離する発達障害(ウィリアムズ症候群)など様々な材料から、人がどのように言語を獲得していくかという難問にアプローチしていきます。

 実はこの本には裏テーマがあります。タイトルである「言語の脳科学」、前半は文系、後半は理系の学問です。言語学には文理両方からのアプローチができ、研究が進むほどもう一方の視点が欲しくなります。さらに心理学や文化人類学などの分野も関わってきます。研究という世界には分野ごとの壁があり、協力し合ってというのがなかなか難しいようです。

 著者は元々物理学の人ですが、医学や哲学の研究員を歴任しています。
「言語学は物理学とアプローチが似ている」
と本文中にも出て参ります。脳の謎もさることながら、もどかしさをも垣間見る思いです。
「もっともっと」
と渇望する何かを感じ取る者でもあります。


 どんなもんでしょう。型は守ることはできたと思いますが、まだまだ自分が出すぎていないか、著者の意図を間違って受け取っていないか、心配ではあります。(書籍の内容をどう受け取るかには個人差があってもいいとは考えますが、他の人に紹介する責任として)mixiに書くには長すぎるのは、間違いありません。
 
 
 5月25日の記事。人に勧めるというのは責任を感じます。私が面白かった本がみんなつまらなかったらどうしようとか。ただ、自分を抑えた文章を書く練習は収穫でした。自分を抑えるような文章でものを考えると行動面も抑制される、ような気もするからです。(多分妄想)
 レビューを書きたい、と思った時は、読んだ本について書きたかったのですが、書籍対象のレビューと言えば原型は読書感想文です。読書感想文の構成をおさらいします。
 
1 その本を読んだきっかけ
2 ストーリーの概略
3 心打たれた部分を自分の経験とからめる
4 本を読むことによって考えが変わった(自己PR語)
 
 読書感想文の得意な子供ではなかったのでやや自信ありませんが、これで起承転結の基本形は整います。次に、新聞に載っていた書評の構成を解析します。
 
書評A
1 タイトル、本の装丁、著者紹介
2 内容概略
3 文章や登場人物の個性
4 自分が感じたこと
 
書評B
1 登場人物紹介
2 内容概略
3 周辺の意見
4 自分が感じたこと
 
 ある程度長さのある書評なら2と4はほぼ同じで、1(どう導入するか)3(どう展開するか)が腕の見せ所のようです。自分の引き出しや情報量に左右されそうです。
 4が一番個性が出そうに見えますが、当たり前のことや一般的なことをすとんと落として終わり感をかもし出すだけで案外個性を感じさせません。テレビのニュースでレポーターが
「安全管理に問題があったのではないかという声も出ています」
と締める、あのどうでもよいシメの言葉みたいです。
 
 小学生の読書感想文の4の自己PR語もどうでもいいシメと言えばシメなので、ほぼ同じ作りです。この記事そのものも、起承転結に沿って書いたつもりですが、そう見えるでしょうか。
 
 
 5月23日の記事。型が決まれば書けたも同然です。質はともかく型が整っていれば文章は完成します。これだと自信たっぷりみたいですね。そうではなくて形にはなる、ということです。