私のリアル友達の1人はネット時代初期(90年代後半くらい?)から、ネットの掲示板で知り合った人と頻繁にオフ会をして、友達になっていました。まだパソコンも持っていなかった(検索しかできなかった)私には信じられないことでした。
 
 当時まだ海のものとも山のものともわからぬネットの世界で知り合った人と会ったら殺されるか外国に売られると信じていました。親か誰かに
「お前は人を見る目がないからすぐだまされる」
と散々脅されました。その時は雑誌の文通欄のことだったような気もしますが。
 私の友達はまだ元気で生きているので、おそらく滅多にないことと思われます。オフ会で殺されたという報道も聞きません。
 
 その友達によると、ネットで知り合った人の方が趣味が合うし楽しく、現実では出会うことのない違う世界の人の話が聞けて勉強になるそうです。
 そういうものかも知れません。現実の限られた狭い世界で知り合った人よりはネットの方が広く、その中からより高い友達選手権ハードルを越えて集った人たちな訳です。
 ネットがリアルに近づいたどころかリアルを越えてきたようです。ネッ友がリア友になったり、逆にリア友がネッ友になったり。
 
 リア友→ネッ友の例では、mixiの、高校や大学の同窓会のコミュニティはすごく便利だと思いました。いくら、高校や大学の友達と
「卒業してもずっと友達だよ」
と約束しても、多くは疎遠になってしまいます。ネッ友になっていく方が長続きしそうです。
 
 
 6月26日の記事。ネットで知り合って結婚する人も増えた模様です。夫婦の会話 はお互いのブログへのコメントで決まりです。
 先日、最近マンネリ気味の「トリビアの泉」を見ていたら、女性のデリカシーのない行動第5位で、
「これいくら、と聞く」
というのがありました。むむ、私聞いているかも知れません。気をつけよう。
 
 ものの値段を知らないことで常識のなさを露呈することがよくあります。先日母に
「あんた何でそんなにものの値段知らないの」
と呆れられたので
「私が小さい頃値段を聞くと子供がものの値段気にするもんじゃないって怒られたから、常識的に何がいくらするのか学ぶ機会がなかった」
と言ったら一応納得していました。(するのか?)
 こういう注意の仕方をされると、値段のことは考えてはいかんとシャットアウトしてしまいますが、標準的なものの値段を知らないと、高いものを買わされたり安物買いの銭失いになったりします。買い物では、嘘つき(但し私の世界で)な店員とのバトルが大変です。
 
 牛乳とかビールのように毎日のように買うものならわかりますが、テレビやエアコンだとちょっとわかりません。私は生涯に1度もポットを買ったことがない(今も持っていない)ので、ポットがいくらするものなのか知りません。調べればわかるかも知れませんが、ポットを買おうと思わないと普通は調べません。
 こういうものはついている機能によりかなり違うし、激安店と高級店でも違うので、相当数のサンプルを比較検討しないと常識的な価格がわかりません。そして、常識的な値段を知らないと、目の前に示されている値段が高いのか安いのかわかりません。
 
 シンドラーのリフト は値段が安かったそうですが、エレベータがいくらするものなのかさらにわかりません。シンドラー社製エレベータを選んだ役所や会社は安かったという理由で選んだと思われますが、性能や安全性がどうかというのを比較検討するのは素人では難しそうです。ものの値段と妥当性を調べる専門部署とかないと。
 私が前にいた会社も入札で業者を選んではひどい目に合っていましたが、価格だけで選んでいたんだろうなと思い出します。上の人に説明する時に、あえて高い業者を選んだ場合言い訳が大変ですが、値段だけで選べば説明しやすいからです。
 250円のプレミアムアイスが100円のアイスよりおいしいのは確かだけど、2.5倍おいしい訳ではないという事実も、判断の妥当性の難しさに拍車をかけます。
 
 
 6月25日の記事。子供が値段を聞くと怒られるのは全国的な傾向のようです。私は
「どこに住んでいるの」「年いくつ」「お休みの日何しているの」
と聞かれるのが嫌いです。
 前に荒川静香の記事 で書いたように、私はサッカーにもワールドカップにも興味はありませんが、ブログでも会社でもその話題で持ち切りなので、嫌でも断片的な情報が入ってきました。
 
 最初の試合に負けた時の、この世の終わりのような盛り下がりぶりにはたまげました。
「これって甲子園みたいに、ひとつ負けたらもう駄目なんだっけ」
と父に電話で聞いてみたら
「オーストラリアが今回対戦する中で一番弱いから、オーストラリアに負けるようではクロアチアにもブラジルにもかなわないだろうということだ」
と教えてくれました。あーなるほど、ブラジルは強そうですものね、サッカー。
 巨人が楽天に負けるようでは阪神に勝てる訳はないと言っているようなものですね。楽天だって1試合くらい弾みで阪神に勝つことはありそうですが、阪神と楽天の差よりブラジルと日本の差が大きいということでしょうか。(これいろんな人に怒られそうだ)それとも野球に比べてサッカーは番狂わせが少ないのでしょうか。
 
 さらに、クロアチアと引き分けた時の盛り下がりぶりは、
「必ず勝てるという気概が欲しいということです」
どころではありません。
 あまりに話題だったのでクロアチア戦の時は「行列のできる法律相談所」の後ちょっと見てしまいましたが、ルールも展開もよくわかりませんでした。勝ち点上げたみたいなこと言っていたような気がしたのですが0対0だし。
 お陰で翌日会社で
「サッカー見た?」
と聞かれた時
「見ました」
と答えることができましたが、見ていなかったら非国民と非難されるのではないかという考えがよぎりました。
 
 ブラジル戦は荒川静香より視聴率がよかった そうですが、スケートはルールわからなくても見た目で楽しめるのに比べて、サッカーはルールを知らないと走って叫んでいるだけにしか見えません。
 人並みに愛国心はあるつもりですが、ワールドカップについては、興味ないとは口にできない怖さがありました。次の時には話題合わせられるくらいにはなっていないとです。
 
 
 6月24日の記事。2ヶ月経つと何もかも忘れますね。甲子園の決勝の再試合を翌日にやったのにはびっくりです。1日くらい休むと思ってしまいました。
 昔の漫画やアニメの別れのシーンで、列車の窓から手を振る相手を追いかけて、動く列車と平行して走り、しかし列車の方が速く、2人の距離は開くばかり、プラットホームの端まで追いかけて行くけれど、列車は既にはるかかなた、というのがよくありました。
 私は子供の頃、これをやってみたくて仕方ありませんでした。親しい人を列車で見送るような頃合の機会がなかなかありませんでしたが、念ずればかなうこともあるのか、そのチャンスはめぐって来ました。
 親戚の女性の結婚式です。新婚旅行に出かける2人をホームで見送るのイベントに参加することができました。今はこんなのないでしょうね。たいていの新婚旅行は飛行機で行くし。
 
 漫画やアニメで見るのと同じ光景です。新郎新婦の友人が
「がんばれよ」「幸せにね」
などと祝福、私はもうすぐあのシーンを演じられるという喜びで頭がいっぱいです。
 いよいよ出発、花嫁が手を振る、私が列車を追って駆け出そう、としたら、親戚のおばちゃんに
「危ないよ」
と抱えあげられてしまいました。
 私の脳内はパニックです。電車に向かって泣き叫び、手足をバタバタさせて抵抗しました。こんな絶好のシチュエーション、子供心にも滅多にないと知っていました。私は去っていく電車に意味不明の暴言を吐き、鼻水垂らして泣き続けました。年齢は小1になったばかりでした。
 そのお姉さんと特別仲がよかった訳ではないので、周囲の人はいぶかったことでしょう。あるいは私がわめくのはよくあることだったので気にしなかったかも知れません。
 
 あの時すぐに脳内を、大人に抱っこされながらのお別れシーン(「キャンディ・キャンディ」のテリィが3歳くらいの時に父親に引き取られ、母親と涙のお別れ)に切り替えることができたらよかったのですが、私は電車と平行走りができると信じきっていて、あれほど簡単に失敗するとは思いませんでした。
 その後同様のチャンスはなく、大人になった今となっては、恥ずかしくてできません。それに本当にやったら人にぶつかって迷惑です。
 
 ところで、例に出してしまったのでもう少し語りますが、「キャンディ・キャンディ」を読んだ方は覚えていらっしゃるでしょうか。テリィの、母親と涙のお別れ回想シーンを、私は結構最近まで理解できませんでした。なぜテリィは
「港で無理やり別れさせられた」
ことを覚えているのに、その相手が母親だったことを忘れているんだろうと。この解釈は子供には難しいと判断されたのか、アニメでは
「回想シーン中の幼少時のテリィも、船の外で自分の名を呼んで追いかけてくる女性が誰かわからない」
という設定にしていました。当時はその方が納得できました。今だと余計、それ以前どういう生活をしていたんだ、という混乱を招きますが。
 
 
 6月22日の記事。「私はホームを走りました」というコメントはしないで下さい。
 昨日の記事 でも書きましたが、クビの場合は別として、退職する時の慰留はほとんど人格攻撃との戦いです。慰留というと惜しまれているように聞こえますが、そうではなくて、退職を申し出られる立場の人がそれに伴う責任を他の人間に押しつけるための猿芝居です。
「そんなことではどこへ行ってもやっていけない」
「次が決まらなかったらどうするつもりなの。このご時世そんな簡単に次は見つからないよ」
呪いの予言と、おそらくたまりにたまっていたであろう説教の嵐。私には人間のクズよりひどい言葉 が浴びせられます。
「あなたのためを思って」
うるせーうるせー、それが失敗しても責任取る気ないくせに。
「円満退職したためしがない。いつもケンカして」
あの調子なら誰でもケンカになりませんか。あらん限りの言葉でののしられ、ズタズタにされ、次はがんばろうという意欲さえこそげ取られる、誰もがこんな思いをしながら退職するのでしょうか。
 
 みんな退職の時本当のことを言わないのですね。
「母が倒れた」「急に結婚が決まって」「留学することになった」
と言えればいいのですが、私の嘘ってすぐばれそうです。でも女性ならよく上記の理由を使います。入社1週間で
「田舎に帰ることになった」
とか。んな訳ねーと思いつつも、そういう理由がある方が上の人に言い訳しやすいから、すぐばれる嘘でもちゃんとだまされてくれるのかなと今は思います。本当である必要はないのです。ただの儀式だから。
 
 中でも
「母が倒れた」
が一番使いやすそうです。後でばれても
「お陰さまですっかりよくなりまして」
で済みそうです。私の母はとても元気ですが、嘘でも母が倒れたと言うと、本当に倒れそうで嫌なのです。そんな昔話あったではありませんか。
 
 みんな大人になると昔話のことは忘れてしまうのです。まさに子供だましです。嘘をつかない子供に育てたいと親は考えるのでしょうけれど、上手に嘘をつけなければ世の中渡っていけません。
 嘘は悪いことではない、人を傷つけないため、自分を傷つけないため、この世を平和に保つため、とてもとても大事な、素敵な、優しい人たちの言葉なんだと、子供に教えたらやっぱりまずいのでしょうね。
 嘘をつくことで世の中を渡っている人が、他の人間には嘘をついてはいけないと説くのは、他の人間を自分の支配下に置くためのようです。自分は相手の情報を取ろうとするが相手には自分の情報を出さない、販売員の会話術にも似ています。支配する側になるかされる側になるかの、スリリングな交渉。
 
 すぐばれる嘘を平気な顔で突き通す演技力は、社会生活をできるだけ傷つかずにおくるために必要です。どんな理由で辞めるにせよ、明るい気持ちで次に向かいたいものです。
 
 
 6月20日の記事。誰であっても円満退社は難しいようです。嘘をつかない人間は嘘をつく人間に支配されます。嘘をつく人間は、自分が嘘をつくくせに自分が支配している人間の嘘は許しません。