万一にでも
「脳天気の間違いではないか」
と指摘する人がいるといけないので先に書いておきますが、これはネット上でも両説が混在しています。ググっても、有為転変と有為変転の時 は圧倒的な差がありましたが、それよりはずっと僅差です。
広辞苑では能天気となっていたのでこちらを採用することにします。脳天気の方がいかにも脳が天気な感じで言葉の持つイメージを醸し出します。
「脳天気の間違いではないか」
と指摘する人がいるといけないので先に書いておきますが、これはネット上でも両説が混在しています。ググっても、有為転変と有為変転の時 は圧倒的な差がありましたが、それよりはずっと僅差です。
広辞苑では能天気となっていたのでこちらを採用することにします。脳天気の方がいかにも脳が天気な感じで言葉の持つイメージを醸し出します。
この能天気の意味ですが、いつもの広辞苑第四版だと
「軽薄で向こうみずな者。なまいきな者」
となっています。しかしどうもいい意味で使われているような気がします。
「私能天気なの」→明るく前向きでくよくよしません
「あなたって能天気ね」→天真爛漫ね
天真爛漫もほめているのかけなしているのか微妙です。
「軽薄で向こうみずな者。なまいきな者」
となっています。しかしどうもいい意味で使われているような気がします。
「私能天気なの」→明るく前向きでくよくよしません
「あなたって能天気ね」→天真爛漫ね
天真爛漫もほめているのかけなしているのか微妙です。
能天気でググると
「読んだだけで人生が変わる能天気思考法 」
という本の紹介が上位に来ます。タイトルの前半は私の嫌いな
「考え方を変えれば全て解決論法」
を思わせますが、本の画像の帯には
「前進するために必要なもの。それが能天気だ」
とあるのでやはりいい意味で使われています。
「読んだだけで人生が変わる能天気思考法 」
という本の紹介が上位に来ます。タイトルの前半は私の嫌いな
「考え方を変えれば全て解決論法」
を思わせますが、本の画像の帯には
「前進するために必要なもの。それが能天気だ」
とあるのでやはりいい意味で使われています。
能天気には
「あまり物事を深く考えない」
というニュアンスがありますが、私やR氏 を能天気とは言いません。私やR氏の考えなしの行動は
「他人に迷惑をかける、もしくは傷つける」
要素を含んでいるからです。
○「私能天気なんです」
×「私は他人に迷惑をかけたり傷つけたりしても平気なんです」
「あまり物事を深く考えない」
というニュアンスがありますが、私やR氏 を能天気とは言いません。私やR氏の考えなしの行動は
「他人に迷惑をかける、もしくは傷つける」
要素を含んでいるからです。
○「私能天気なんです」
×「私は他人に迷惑をかけたり傷つけたりしても平気なんです」
やっとわかってきました。能天気は善語なのです。だから私の嗅覚に引っかかったのです。
「もっと能天気になった方がいいよ」
という説教を受けたこともあります。だからと言って人に迷惑をかけたり傷つけたりしても構わないのではありません。私が全神経を研ぎ澄まして他人を気づかっているのに
「能天気に」
などと能天気なことを言われたら自分の努力を踏みにじられたようなイライラを感じます。
その裏にある非常によろしくない意味を覆い隠して化粧して
「許されるもの」
の形をとって表示されていることに、苛立ちを感じます。
「もっと能天気になった方がいいよ」
という説教を受けたこともあります。だからと言って人に迷惑をかけたり傷つけたりしても構わないのではありません。私が全神経を研ぎ澄まして他人を気づかっているのに
「能天気に」
などと能天気なことを言われたら自分の努力を踏みにじられたようなイライラを感じます。
その裏にある非常によろしくない意味を覆い隠して化粧して
「許されるもの」
の形をとって表示されていることに、苛立ちを感じます。
能天気という言葉を好んで使われる方がいらっしゃったらごめんなさい。私の受け取り方が汚すぎるのです。自分の生活のために苛立ちの正体を解析しているだけです。能天気な方でしたら気にしないでいただけるだろう、と能天気に考えてみました。
7月3日の記事。わたりとりさんによると、能天気は「中間より善い感触の言葉」だそうです。私はポジティブワードに偏見があります。自分が使うと怒られそうな気がします。でもこの言葉が好きで使っている人もいるし、こういう言葉をさらっと使えないといけない気がします。