昔の漫画やアニメの別れのシーンで、列車の窓から手を振る相手を追いかけて、動く列車と平行して走り、しかし列車の方が速く、2人の距離は開くばかり、プラットホームの端まで追いかけて行くけれど、列車は既にはるかかなた、というのがよくありました。
 私は子供の頃、これをやってみたくて仕方ありませんでした。親しい人を列車で見送るような頃合の機会がなかなかありませんでしたが、念ずればかなうこともあるのか、そのチャンスはめぐって来ました。
 親戚の女性の結婚式です。新婚旅行に出かける2人をホームで見送るのイベントに参加することができました。今はこんなのないでしょうね。たいていの新婚旅行は飛行機で行くし。
 
 漫画やアニメで見るのと同じ光景です。新郎新婦の友人が
「がんばれよ」「幸せにね」
などと祝福、私はもうすぐあのシーンを演じられるという喜びで頭がいっぱいです。
 いよいよ出発、花嫁が手を振る、私が列車を追って駆け出そう、としたら、親戚のおばちゃんに
「危ないよ」
と抱えあげられてしまいました。
 私の脳内はパニックです。電車に向かって泣き叫び、手足をバタバタさせて抵抗しました。こんな絶好のシチュエーション、子供心にも滅多にないと知っていました。私は去っていく電車に意味不明の暴言を吐き、鼻水垂らして泣き続けました。年齢は小1になったばかりでした。
 そのお姉さんと特別仲がよかった訳ではないので、周囲の人はいぶかったことでしょう。あるいは私がわめくのはよくあることだったので気にしなかったかも知れません。
 
 あの時すぐに脳内を、大人に抱っこされながらのお別れシーン(「キャンディ・キャンディ」のテリィが3歳くらいの時に父親に引き取られ、母親と涙のお別れ)に切り替えることができたらよかったのですが、私は電車と平行走りができると信じきっていて、あれほど簡単に失敗するとは思いませんでした。
 その後同様のチャンスはなく、大人になった今となっては、恥ずかしくてできません。それに本当にやったら人にぶつかって迷惑です。
 
 ところで、例に出してしまったのでもう少し語りますが、「キャンディ・キャンディ」を読んだ方は覚えていらっしゃるでしょうか。テリィの、母親と涙のお別れ回想シーンを、私は結構最近まで理解できませんでした。なぜテリィは
「港で無理やり別れさせられた」
ことを覚えているのに、その相手が母親だったことを忘れているんだろうと。この解釈は子供には難しいと判断されたのか、アニメでは
「回想シーン中の幼少時のテリィも、船の外で自分の名を呼んで追いかけてくる女性が誰かわからない」
という設定にしていました。当時はその方が納得できました。今だと余計、それ以前どういう生活をしていたんだ、という混乱を招きますが。
 
 
 6月22日の記事。「私はホームを走りました」というコメントはしないで下さい。