血統転換の奥義(8) | ちゃぬの裏韓国日記

ちゃぬの裏韓国日記

カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

文亨進世界会長が先日認めた(詳しくは「血統転換の奥義」(1)と(4)を参照)「六マリア」を文先生も認めていたらしい。あと「血分け」を堕落論からも考察してみます。


◆「六マリア」と「血分け」の過去記事を見たい方はクリック↓
(1)文亨進世界会長が「六マリア」を認める
(2)実態的血統転換と三日行事の視点から見た血分けの考察
(3)三日行事と聖酒の視点から見た血分けの考察
(4)文亨進世界会長が「六マリア」を認める(発言詳細)
(5)原罪の清算の視点から見た血分けの考察
(6)統一教会以外の視点から見た血分けの考察
(7)主の路程の視点から見た血分けの考察




《文先生も「六マリア」があったと認めていた?!》
真のお父様は、2000年から2001年の暮れから正月にかけて世界幹部のわずかな人数が集まった所で「先生には六マリアがいたことを明かされました。
現代においても庶子を生み出した、女性の信仰があったのです。
残念ながら、日本においては、誰一人、この女性の信仰は立たなかったと私は個人的には見ています。
なにかスキャンダラスなことを、お話しているように捉えるかもしれません。しかし、では何のために統一教会は、イエス様の出生の秘密や、タマルの信仰を学んだのでしょうか。
真のお父様は、「先生には三つの腹(皇族・皇族圏・堕落圏)を統一しなければならないということを思うと気が狂いそうだ」とおっしゃっています。人類を救うためには普通の倫理観では理解できない、選民のみが理解できる見方をしないといけなかったのです。
★モラロリア・ダムさんHPより
http://blogs.yahoo.co.jp/wbbkt408/18039065.html

実はすでに文先生は「六マリア」のことは幹部の前で認められていたんですね。公式発表ではなく、ごく一部の幹部の方とのお話みたいなのでシックには広まらなかっただけなんでしょうね。36家庭を初め草創期の先輩シックの方ならばほとんど知っている事実なんでしょうけど、日本のシックには「血分け」自体受け入れがたい内容だったので、伝道に支障が出るとしてだんだんと「秘儀」扱いになったのが自然な流れだったのでしょうか。




《統一教会公式HPより》
Q15. 統一教会側は“血分け”を否定するが、「堕落論で教えているように、堕落の経路がすべてセックスの関係だったなら、これを回復(復帰)するのは逆のセックスの経路が必要だ。だから“血分け”を間違いなくしているはず」という反対派の批判を聞きました。どう考えたらいいのでしょうか?

A15.このような邪推をし、流言飛語しているのは浅見定雄氏です。浅見氏は『統一協会ボディコントロールの恐怖』(かもがわ出版)の中で、天使長ルーシェルをL、エバをE、アダムをA、と表示しながら、統一教会には「セックスで清め返す」という教えがあるとして、次のように邪推します。

「堕落の経緯がL→E→Aとすべてセックスの関係だったとすれば、これを回復(復帰)するのはこれと逆のセックス経路がどうしても必要なはずである。堕落天使ルーシェルがエバを汚し、そのエバがこんどはアダムを汚したのだとすれば、逆に新しい『無原罪』ルーシェル(L’)が『清い』セックスによって人間の女(E’)を清め、そうして清まった女がつぎに男(A’)を清めればよいのだ。……彼らの論理では、イエスは本当は『第二のルーシェル』でなければならないのだ。そうでないと、最初のルーシェルがセックスで汚した人間の女をセックスで『清め返す』ことはできないからである」(16ページ)

 浅見氏の解釈がねじ曲がってしまうのは、浅見氏が『原理講論』をトータル的に把握していないためです。浅見氏は、堕落論の要点である

1.天使長ルーシェルとエバの霊的堕落の問題が、単なる“性関係”を結んだというレベルの問題ではなく、夫婦となるべき関係でもないのに、“不倫の関係”を結んだという「創造原理に反する行為」であった点
2.その動機が、神の愛ではなく、「自己中心の愛」であるところに問題があった

という重大な2点を見落としています。これらの重要点を見落とすようでは、堕落論はおろか、統一原理のイロハも分かっていないと断定せざるを得ません。『原理講論』には、「アブラハムは彼の妻サライと兄妹の立場から、彼女をパロの妻として奪われたが、神がパロを罰したので、再びその妻を取り戻すと同時に、連れていった彼の甥ロトと多くの財物を携えて、エジプトを出てきた。アブラハムは自分でも知らずに、アダムの家庭の立場を蕩減復帰する象徴的な条件を立てるために、このような摂理路程を歩まなければならなかった(318ページ)と論じられています。これは創世記12章10節~13章1節の物語を解釈したものです。

【図1】$ちゃぬの韓国日記

復帰摂理の中心人物アブラハムは、アダムの立場を蕩減する人物として、一旦、天使長の立場を象徴するパロに妻サライ(妹)を奪われそうになったのですが、再びサライを取り戻す路程を歩みました。これはアダム家庭で起こった堕落の内容を反対の経路で蕩減復帰する路程であったと解説しています。
この場合【図1参照】、アダムの立場を蕩減するアブラハムはアダムのままであり、また、天使長の立場のパロも、やはり天使長のままであって、それは霊的堕落をするときに、夫婦となるべきではない二人(天使長とエバ)が“不倫の愛”の関係を結んで堕落したので、(1)逆にサライ(=エバ)がパロ(=天使長)と“不倫しない”で、「創造原理の相手」である夫アブラハム(=アダム)のもとに帰ってきた、(2)サライは夫の生命と自分の貞操を守るために、“自己中心的な動機”ではなく、「神を中心とした生命がけの心情」をもって、偽りの愛による「誘惑」の試練を乗り越えたのです。
すなわち、堕落が「不倫の問題」だったので「不倫しない」こと、さらには、堕落が「自己中心の動機」によって引き起こされたので、今度は「神を中心とした動機」に立つこと。このように反対の道を歩んだアブラハム路程こそが、まさに復帰ということを意味するのです。
浅見氏が言う、イエスは「第2のルーシェル」だとか、第2のルーシェルであるメシヤがセックスで「清め返す」といった屁理屈は、統一教会では全く教えていない、浅見氏の邪推にすぎません。浅見氏は、統一教会の教えのイロハさえも分かっていないのに、「統一教会の教えはこうだ」と断定的に述べているのです。
★統一教会公式HPより
http://www.uc-japan.org/antuc.aspx

本当は反対派の浅見氏の方が正しく理解していたかもと取れる部分もありますね。「血分け」を知るとそう見えてしまうので不思議です。
浅見氏のいう逆の経路はちょっと違うけど(勘違いしたのかな?よく見ると逆の経路になってない)
下記のおやぢさんの
天使長→エバ→アダム (逆の経路)真のアダム→エバ→天使長 が正解ですよね。
でも淫行で堕落したから今度は逆に聖なる性交で復帰というのは反対派の方なのによく研究しているなと関心させられます。




《堕落の経路からの血分けの考察》
(以下引用)
■統一教会研究家Q氏との対話
> 簡単に説明すると、もともと堕落論をひっくり返したのが復帰
> 論なわけです。すなわち、堕落の経路をさかのぼるのが復帰摂理
> 経路=天子長→エバ→アダムが、今度は真のアダム→エバ→天子
> 長になり、堕落の原因=淫行(性行為)でサタンの血統を受け継
> いだので今度は血分け(性行為)で神の血統を受け継ぐわけです

なるほどなるほど。堕落の動機と経路の反対、ってことですね。

> おやぢさんは、血分はあっただろうと憶測しているようですが、
> 原理講論にも書いてないし教義上説明がつかないとすると、何
> 故そう思うのですか?

この質問に対する回答は大変難しいのですが、端的にお答えします。

・文鮮明先生ご自身が「六マリアの悲劇」についてコメントした、すなわち
「先生は六マリアどころじゃないよ、60マリアだよ」の発言から

・聖書には不倫なる関係がハッキリと記されていることから、倫理道徳的感覚では現代の摂理を推し量れないと思うから
(人間的判断では理解できないということ)

・イエスさまを産んだお母さん自身が、婚約前に不倫なる性的関係を神のみ旨として受け入れつつ婚約者に内緒でのぞんでいたことから

・三日行事が性的儀式という事実がある以上、メシアの秘儀が性的なものでないことはなかろうと考えるから(引用おわり)
★おやぢの告白より
http://www35.tok2.com/home/nrc/oyadi-32.html




にほんブログ村 統一教会