自閉症の山奥中年ニートのゆるい暮らし。ときどき投資。 -3ページ目

自閉症の山奥中年ニートのゆるい暮らし。ときどき投資。

山奥のシェアハウスで社会不適合者たちと暮らしています。発達障害(ASD)だから社会に適応できません。どうやら唯一トレードが好きだから、ひたすらトレードしてるかなぁ。

最近は大自然の中で農作業が主です。

山奥に移住してから、人生において金を稼ぐ才能に長ける人というか、就職なんてしなくても自然に金を儲けられる思考の持ち主という人と出会った。

 

別に特定の組織に属さなくても、“個人”でやってしまえるのだからスゴイよなぁと思ってしまう。

 

その人は、簡単に言うと『買い手』を見つけて、その買い手が欲しいモノをどこからか安く仕入れて、買い手に売るだけである。自らの後ろ盾にネームバリュー(のれん)が付いていなくとも、買い手の欲しいモノの品質さえ高ければまったく問題はなく売れるらしい。

 

彼は他にもパチスロといったギャンブルもやる。

ただギャンブルをギャンブルとせず、キチンと店の当たりの出やすい日にちや曜日に狙いを付けて行き、そして当たりそうな台を選んで遊ぶ(もちろん事前にネットで情報を収集するし、リアルタイムでも情報はチェックする)。

 

競馬もやる。

人生ではじめて彼に競馬やパチスロへ連れていってもらって、彼から解説を交えながら聞くとオモシロイ世界だなと感じる。「地方競馬は〜〜…という事情があり、負けてる奴にも最後は勝たせるようにする」とか、ジョッキー同士の暗黙のルールがありレースを展開する事情があることは初めて聞いて斬新だった。

 

確率と期待値を勘案し、ゲームを無限にやるという前提でやり続ければ、収支はプラスになるというのがお決まりパターンである。

 

これはFXや株の短期売買でも本質は変わらない。

 

ただ自分は競馬やパチスロに行くのはメンドイし、パチスロなんて視覚過敏と聴覚過敏がある自分にとっては地獄の空間でしかなかった。サングラスや耳栓を装備しても、マックス3時間しか店内にいられない。いや、2時間かも。

 

 

まぁ…俺は無理はせず、俺のやれる範囲のことをやるしかできない。

ましてや彼のように顔も広くないので、対人で商売するのがメンドくさい。

 

彼も彼で金に対してそれほど興味がない部類の人間らしく、生活に必要な分の金があれば十分らしく、稼ごうと思えばいくらでも不労所得のシステムを構築できてしまいそうだが、それをしない。

 

それをするエネルギーや時間があるなら、人と話したり、DIYしたり、料理したりするほうが彼にとっては有意義な人生らしいのだ。

 

まぁ…しかし彼の話を聞くと、「就職なんかしなくても金は稼げる」というのは事実であり、物価は上がれど賃金上がらず、格差社会の貧困層に喘いで苦しんでいるのなら、『就職』というのは『貧困苦や精神破綻の牢獄』という気がしてしまい、ニートという言葉が誕生した当時『働いたら負けだと思っている』という名言も、現実的には真実味を帯びた言葉になってきた時代なんだなぁと思う次第である。

 

日本では2004年頃からニートが誕生した。

彼らは新しい時代を生きる価値観のパイオニアだったのだ。

久しぶりに突発的な虚無感に襲われた。

 

いくら山奥が快適な環境だからとはいえ、俺は複雑性PTSDだし自閉スペクトラム症だし、症状に悩まされるときは悩まされる。

 

これはもう宿命みたいなもので、死ぬまで付き合うことになると諦めている。

 

 

 

確かに山奥の暮らしは快適である。

 

しかし自分からは逃れることはできないので、天国に住もうがこれは変わらない。

 

無気力感に襲われやる気がないし、布団に寝込んでしまう。

 

しかし同居人がいるので、適当に心を紛らわせたいときには話ができるのはメリットだ。

 

最近は雨天続きで畑仕事が思うようにできない。

なんか2日に一回くらいは3〜4時間くらいは適度に身体を動かしたいのだが。

 

 

 

人生って『遺伝子』と『生い立ち(環境)』で決まる。

 

これを「環境のせいにするな!」とか言える人は、トラウマレベルで虐げられた経験なんかしていないのだろうし、そもそも医学的にも脳という臓器の成長が妨げられている事象があることが証明されていることを知らない。だから「言い訳だ」と言えるのだ。

 

ハッキリ言う。

社会的に逆転しても(金持ち)になっても、人生の本質なんて変わりませんよ。だって私が過去にそうだったんだもん。もう経験済みだけど、複雑性PTSDレベルの人が人生逆転したところで、何を以てして『逆転』なのか甚だ疑問だった。心的外傷は金で賄えるんかいな。

 

だったら、最初から生活保護のほうが良かった。社会に喰らいついて一人前を目指しても、別に強くなる実感もなく破綻した。社会に身を置けば置くだけ、嫌な記憶が蓄積されていき、そして消えないのだ。周りの連中は人生のライフイベントを順調にこなしていき、しかし自分にはそのイベントが訪れる予感もしない圧倒的な絶望感や劣等感。

 

なんだこれ?

いちいちこんな感情を仔細に記憶してしまう。自閉スペクトラム症の脳は『忘れない』というのが難点だ。

 

そもそも論、私達の種はみんながみんな繁栄できるように設計はされていない。こぼれる奴はこぼれるようにできている。

 

 

 

「胎児の段階で障害を持ってると分かっているなら堕ろすべき」と俺は考えている。

 

「授かった命だから産みたい」というのは、動物の本能や遺伝子レベルの視点では『正しい』のかもしれないが、人間の築いてきた文明を無視しているようで文明の恩恵を授かる現代人の作法ではないと思う。

 

人間がより良く生きられるように発展してきた歴史があり、しかしそれは「生きる素質のない人をも生きられるようにしてしまい、そんな人を『生きずらい』ようにしてしまった。」と思う。

 

生きる素質のない人が生きるのを強要されるなんてハラスメント以外の何ものでもない。

 

そして親の人生は子どものためにあるのではないし、もちろん子どもの人生は親のためにあるのでもない。

 

格差社会…これはある意味では生物学的には真っ当な正しい人間社会の結果だと思う。(日本における格差社会は、明らかに自民党の失策だと思うが)

 

強い者は生き残り、弱い者は淘汰される。

 

これは生物界を見渡せば至極当たり前のことであり、人間だけが例外というのも合点がいかない。

 

人間も生物だし、“思考”があるが、そもそも“思考“という道具を正しく使用しているとは思えない。

 

どうやら人間という生物は、思考至上主義により他生物と自らを差別化しているが、それにより「人間が生物界の頂点に位置している」という定義もバカバカしい。

 

生きていて疲れる。

人間社会は不自然だ。人間社会は気が狂う。

自然の法則性を無視して人間の思考が跳梁跋扈して地球を破壊するなんて、そして行き過ぎた資本主義がデフォルトな価値観で生きることは“婉曲的な自殺”にしか思えない。

 

自然の摂理を無視して生きるほど、生物として勘違いして地球に生きるなんてアホらしく思う今日この頃である。

4月に入りましたね。

 

2024年度のはじまりということで、新生活のために生活スタイルがガラッと変わるフレッシュマンたちがいるでしょう。一方で「もう人生のライフイベントなんてないわ」という人もいるでしょう。

 

私はたまたま2月下旬に山奥に移住してきたので、この地で「あぁ、フレッシュだぜ」という気持ちは若干あります。

 

 

 

山奥の生活には慣れました。

 

一番思うこととしては「山奥に住む人たちは生命力が高い」ということです。建築やら部屋のリフォームやら、専門職じゃなくても自分たちでやってしまえるんですから「スゲーな」と思います。見事な出来栄えですよ。

 

あとは、山菜とか野草の見分ける能力があるので、そこら辺に生えている「のらぼう菜(野良坊菜)」を採って食いました。これがメチャクチャ美味かった。茹でたのらぼう菜をポン酢に付けて食う。

 

ウィキペディアで調べると、繁殖力がハンパないため江戸時代の天明の大飢饉や天保の大飢饉から人々を救ったと伝えられており、「そりゃあ、飢饉を乗り越えるわな」という勢いで食が進みます。

 

…という風に自分たちで生きる術を身に着けている人が多い。なんか災害が起こったら現代文明に頼る大多数の人たちなんて生活を再建する力がないのですぐ死ぬと思いますが、ここの山奥に住む人たちは生き延びるんだろうな。

 

なんかよく分からない野生動物もいるので、イノシシが夜に庭を荒していったり、サルが大根を盗んでいったり、クマがあーだこーだは決して珍しくないので、人間と野生動物の共存やら対立やらもオモシロイ。猟師免許ある人もそれなりにいるし。

 

こんな環境で暮らしていると、都市型生活の脆弱性というか、現代人って文明によって生きる力が奪われてしまって非常に貧相な感じがします。

 

『山奥ニート』という資本主義社会からドロップアウトした人たちを別称した言葉(最近はそうでもなくなりましたが)は、蔑むなんてとんでもない。

 

蔑まされるのは、むしろ文明の奴隷になった現代人の方で、山奥ニートたちは逞しい。

 

「人間本来の“生きる力”をバカにしてるのはどっちなんだい?金に頼って無能なバカに成り下がったのはどっちなんだい?」というのが、私の思うところですね。

 

あ、、、あとはあと偶数月15日は障害年金受給日です。それ以降は原付バイクを入手する予定です。

 

広い村内をツーリングしてみたい。

別に資産から切り崩して原付バイク購入してもいいのですが、それじゃあオモシロくない。せっかくだから、村の手伝いやらで金を稼いだりしてそれで稼いだお金で色々してみたい。

 

障害年金月額約7万円+α(村の手伝い)で生活を楽しんでみようと思います。

もうすぐ山奥に住んでから1ヶ月が経とうとしています。

 

不規則に村の手伝いをして日銭を稼いだり、メッチャ晴天なのに自室に引きこもったりして、好き勝手に生きています。

 

荷物が無造作に置きっぱなしで、部屋が片付かないんだよなぁ〜…毎日部屋を整理する気持ちがあるくせに、まったく手に着きません。要するに「めんどくさい」のです。

 

立錐の余地がない部屋でも生活がなんとかできちゃうしさ。

 

あ、あと前に住んでいたときに全く使わない品々を共用で使うよう提供したら住人からメッチャ喜ばれました。4、5年前に買ったのに全然使う機会のなかった卵焼きをクルクル巻いて作る専用の四角いフライパン(?)とか。

 

とまぁ、数日後にはジャガイモを植えなきゃ。

 

あ、あと経済関係とか知らんわい。

外国為替のレートなんぞ知らん。

今1ドル=160円になりましたか?140円くらいになりましたか?知らんわい。

 

なんとなくテレビは観るけれど、住人とアニメ観たり、簡単な昼ドラ観たりしかしないので、経済関係は知りません。

 

まぁ…ぶっちゃけ私はこの村でシェアハウスでなら障害年金だけで生きていこうと思えば生きられますし、その上に村の手伝いで銭が稼げるならばリッチな生活ができます。(リッチと言っても、山奥の村なので金を使う機会がないけれど)

 

だもんで資産を増やすために投資をやっても意味ないなと思ってしまう感は否めません。

 

やるとしても趣味程度にカチャカチャ弄ぶ程度で。

 

たまたま移住前に仕込んでしまった暗号資産のシバイヌコインが0.0018円から0.007円くらいまで急騰してしまい、今は0.004円くらいですかね?

 

村で暮らすならシバイヌコインを買うくらいなら、本物のシバイヌを飼ったほうが生活が潤います。

 

シバイヌコインは可愛がることはできず甘えてきてもくれないので放置するしかなくて、強いて『育てる』と言うならば、レンディングやステーキングするしかないので寂しいです。

 

…という感じで、なんか…マネーに関係ない環境に身を投じると貨幣経済には興味が失せてしまいますね。

 

ま、村は21時になると真夜中の感覚になっており、夜は長い長い…たぶん退屈な夜にはFXでもやるときがくると思います。なんもやることがない環境ですからw

山奥に住んで2週間経ちました。

 

私には住みやすい土地です。

周りに娯楽物が全然ないんですがw

 

日中過ごしていると、同居人はいるかいないか分からないときもあり、部屋に籠もってるのかなと思ってたらバイトに出掛けて不在だったり、不在かと思ってたら実は自室で眠っていたりと、まぁ自由気ままに生きています。

 

私は適度に身体を動かしたいので、単発で村の手伝いの依頼がきたら時給1,000円レベルの畑仕事や事務作業やらしています。この前は草刈機で竹林の伐採をしまくり、刈りまくった竹が“剣山”になっている足場で作業しました。しかも斜面で不安定だし…“剣山”により、長靴がボロボロに切り裂かれてしまいました。あそこで転倒したら、身体が槍に刺されたみたいになってしまいます。ガチ怖かった。

 

「あぁ…こーゆ〜第一次産業がメインになる土地なら、外傷やらの怪我での救急の応急処置が必要になるなぁ」と元看護師の血も騒ぎましたねw

 

農作業には機械を使用するので、不注意からアッという間に事故に遭いそうで怖いですね。私なんてまだ農作業の初心者ですし。

 

…とまぁ、稼ぎたいときに稼いで、あとはテキトーに生活してます。

 

家のことも同居人と協力し合って、掃除、ゴミ出し、食器洗い…特に当番制も決めず、ルールは定めていません。なんか自発的にやってしまいます。私も「暇だから、溜まった食器洗うか〜」と昼間に洗う感じですね。「廊下ホコリ溜まってるな…ホウキで掃くか…」みたいな。

 

 

 

あ、あと同居人含め、関係者とはかなり知り合いました。やっぱり山奥に住んでいるので、みんな独りじゃ生きられないのを理解しており共助精神が根付いています。

 

いろいろな人と話します。シェアハウス関係者では30代の人が多いかな?20代もいます。その中で感じたことを書きます。

 

基本に社会不適合者気質が多いためか、社会に対して『損切り』の決断が早く、各自身が自分の度量に見合った生き方を選択しているように感じます。

 

私なんて40歳直前まで資本主義に喰らいついた人間ですから、彼らと話していて「あぁ…もっと早くから人生の選択を決断したら、生きやすかったし、働いていたときの嫌な記憶も蓄積されずに済んだのかな」と思ってもしまいます。

 

 

 

結局、人生は『環境』で決まってしまうんですよね。

 

 

 

私は山奥に来るまでは、やはり近代的な建造物に囲まれているだけで“資本主義の匂い”を感じたので、無駄に劣等感に苛まれましたし。でも、ここ山奥は築年数の古い木造建築が多く、地域を散歩していると地元民と「こんにちは〜」と当たり前に話せる環境が心地良い。顔だけ知って、名前は知らない人なんてゴロゴロいても大丈夫。テキトーに「天気いいですね〜」と言ってニコニコしてれば、まずコミュニティにいる資格ありますし。もちろんゴミ出しのルールもキチンと守ります。

 

こんな『環境』の中で生きるのは、ASDの私でも生きやすいのです。今までの資本主義社会が支配する『暗黙のルール』とかにビクビクする機会なんて激減したし。

 

人生ってホントこんなレベルで気楽に過ごせばいいんだなって思いました。

 

 

住人さんの考えとして↓

 

「私は今33歳ですが、25歳のときに結婚とか諦めましたね。親にも「俺は結婚しないよ」って宣言しましたw だいたいこんな給料上がらない社会構造でまともに家族なんて築けるわけないじゃないですか。私は趣味に生きるのが幸せですよ。Netflixだと観たいアニメが追いつかない笑」

 

「毎日精神的に負担がある仕事をずっとやっていく自信がなかったんですよね。もう絶対に社畜に戻りたくないです。」

 

とか。

 

みんな自分の声を素直に聞き入れて、無理しない生き方を選択してるんですよね。

 

資本主義に喰らいついてまで、心身破綻させつつも自死ギリギリまで生きる価値ってなんだろうな?と思ってしまいました。

 

 

こんな山奥で悠々自適に暮らす立場で、資本主義社会で這いつくばる人たちに対してマウンティングしているのは俺じゃないのかw

 

俺、ちょっと嫌なヤツですねw

 

あ、明日は昼間から庭でバーベキューするから楽しみだ〜!!なんか「もち豚の角煮」を作るらしい…よく分からないけど、アウトドアでやれたら何でも美味いからいいかなw