山奥に移住してから、人生において金を稼ぐ才能に長ける人というか、就職なんてしなくても自然に金を儲けられる思考の持ち主という人と出会った。
別に特定の組織に属さなくても、“個人”でやってしまえるのだからスゴイよなぁと思ってしまう。
その人は、簡単に言うと『買い手』を見つけて、その買い手が欲しいモノをどこからか安く仕入れて、買い手に売るだけである。自らの後ろ盾にネームバリュー(のれん)が付いていなくとも、買い手の欲しいモノの品質さえ高ければまったく問題はなく売れるらしい。
彼は他にもパチスロといったギャンブルもやる。
ただギャンブルをギャンブルとせず、キチンと店の当たりの出やすい日にちや曜日に狙いを付けて行き、そして当たりそうな台を選んで遊ぶ(もちろん事前にネットで情報を収集するし、リアルタイムでも情報はチェックする)。
競馬もやる。
人生ではじめて彼に競馬やパチスロへ連れていってもらって、彼から解説を交えながら聞くとオモシロイ世界だなと感じる。「地方競馬は〜〜…という事情があり、負けてる奴にも最後は勝たせるようにする」とか、ジョッキー同士の暗黙のルールがありレースを展開する事情があることは初めて聞いて斬新だった。
確率と期待値を勘案し、ゲームを無限にやるという前提でやり続ければ、収支はプラスになるというのがお決まりパターンである。
これはFXや株の短期売買でも本質は変わらない。
ただ自分は競馬やパチスロに行くのはメンドイし、パチスロなんて視覚過敏と聴覚過敏がある自分にとっては地獄の空間でしかなかった。サングラスや耳栓を装備しても、マックス3時間しか店内にいられない。いや、2時間かも。
まぁ…俺は無理はせず、俺のやれる範囲のことをやるしかできない。
ましてや彼のように顔も広くないので、対人で商売するのがメンドくさい。
彼も彼で金に対してそれほど興味がない部類の人間らしく、生活に必要な分の金があれば十分らしく、稼ごうと思えばいくらでも不労所得のシステムを構築できてしまいそうだが、それをしない。
それをするエネルギーや時間があるなら、人と話したり、DIYしたり、料理したりするほうが彼にとっては有意義な人生らしいのだ。
まぁ…しかし彼の話を聞くと、「就職なんかしなくても金は稼げる」というのは事実であり、物価は上がれど賃金上がらず、格差社会の貧困層に喘いで苦しんでいるのなら、『就職』というのは『貧困苦や精神破綻の牢獄』という気がしてしまい、ニートという言葉が誕生した当時『働いたら負けだと思っている』という名言も、現実的には真実味を帯びた言葉になってきた時代なんだなぁと思う次第である。
日本では2004年頃からニートが誕生した。
彼らは新しい時代を生きる価値観のパイオニアだったのだ。