ASDの中年男性の人生の生き方。ときどき投資。 -3ページ目

ASDの中年男性の人生の生き方。ときどき投資。

シェアハウスで社会不適合者たちと暮らしています。発達障害(ASD)だから社会に適応できません。どうやら唯一トレードが好きだから、ひたすらトレードしてるかなぁ。

最近は大自然の中で農作業が主です。生きることは難しい。

今日は雨であり、外出を控える


しかしながら買い物をしに行った。


近所のスーパーに寄ろうとしたら、入口にどこかの企業人が立っていて何やら来客人と話して勧誘行為をしている。


あーゆ〜のは苦手で避ける。だからスーパーは回避した。


よく街頭でも政治家が立っていて、支援者がビラ配布してたりとかするが、ああいうのが凄く嫌なのだ。


進行方向にそんな姿を目の当たりにしたら、ホントに避けたくなる。スマホを見ながら歩いて、アナタには興味ありませんよ風を装う。


とりあえず7月に参議院議員選挙があるので、俺の町にも自民党議員候補者が立っていたら、逆に攻撃的な気分のときには質問攻めにして戦ってやろうかとも思う。


俺は自民党議員が嫌いだ。


ロストジェネレーションである自分は、ある意味で国に裏切られてきた世代である。


さんざん義務教育で歯の浮くような甘美な価値観を植え付けられて育ったが、今にして思えば完全な奴隷教育を受けてしまった。


見事に手の平を返されたのだ。


1997年の消費税率3%→5%に上がった翌年から一気に就職氷河期に突入し、そして30年に渡る不況が続いている。


しかも自分は障害者だから、ますます社会から冷遇されて生きてきたので社会的には怨恨しかない。


正直な話、俺には『無敵の人』と化した心理が分かるのだ。痛いほどに。


社会に揉まれれば揉まれるほどに、その過酷さが痛感されてしまい、一歩間違えれば自分も犯罪者になっていたことは容易に想像できてしまう。


世襲議員なんて、そんな下層国民の心理なんて理解していない。


「テメェら、いつでも首を洗って待っとけよ!」と画策している一定数の反乱を企んでいる集団もいることは認知している。俺は群れるのが嫌なので組織には属していないだけだが、でもそっち側の人間なのは間違いない。


ぶっちゃけ俺は経済的には恵まれている側だと思う。トレード次第で所得は調整できるし、障害年金も受給している。生活には困らない。


でも、もはや個人的なミクロ経済が大丈夫なんて言ってる場合じゃない。あまりにも格差が広がりすぎてるため、日本人がもたない。みんなタヒんでしまう。もはや日本国は狂っている。経済的に裕福でも、閉塞感でいつでもこの国で窒息死してしまいそうだ。


こんな日本になるなんて、小さい頃は思ってもいなかった。まんまと国に詐欺られた思いで日本人として生きる。

最近は回転寿司屋に行く。行きすぎだ。


スシロー、かっぱ寿司、はま寿司…など。

(くら寿司は避けている。ブラックな情報が多いし、実際に不快な体験もしたので。)


「回転寿司依存症」なのだ。


食べるメニューは決まっている。


玉子巻き、納豆巻き、サバの押し寿司、ガリ大量、ひとまずこれは必須だ。


あとは茶碗蒸し、たこ焼き、エビ天ぷらなどを喰らう。


「たまには違う店に行ったり、違う食べ物を食べたら?」と自問するんだけど、やっぱりASDが根底にあるせいか同一なものを永遠に続けても構わない。“興味の限局性”の一種なんじゃないか。


なんか店員から認知されるのも嫌なので、なるべく冒頭に挙げた店をローテーションしてるが、もはや回り尽くしてしまい、それぞれの店員さんから「あ、また来たんですか?」的な反応されるのもウスウス感じている。


たまには回らない寿司屋にでも行ったらいいとは思うが、なんかあーゆ〜ところはわざわざ高級感を出すのが憂鬱である。


マンガでしか見たことがないけど、寿司職人が「らっしゃいっ!何握りやしょっ!?」とかいう威勢の良い問いに反応したくない。


心の中で「うるせーな…テメェは自分のナニでも握っとけ!」と、楽しんごみたいな返答をするんだろうなと妄想する。


俺にとっては生身の人との触れ合いなんてどうでもいいから、ボタン操作一つで品を提供してくれる回転寿司屋さんは最高級のおもてなしだと思う。


回らない寿司屋は資本主義社会の上位層者の行く店だとか聞いたことがあるが、資本主義のヒエラルキーとかいう問題じゃない。そういう問題じゃないんだ。


放置プレイがデフォルトの店が世にありふれて、世の中が便利になりすぎてボタン一つで食べたいものが食べられる現代技術に万歳。



明日も回転寿司屋に行く。


抑止力は雨天時くらいか。



トレーダーとしてはまったく無名で、さほど稼ぐこと執着していない私がトレードを語る日記。


嘘だと思う人は嘘だと思えばいいし、本当だと思う人はトレードを上達させるキッカケになればという思いで綴ります。


じゃ、書きます。




トレード初心者にありがちですが、トレードをするからトレードを頻繁に行う人がいます。


もちろん観察する時間足チャートや手法にもよるのですが、実は稼いでるトレーダーほどトレードをしていない時間が長い傾向にあります。


YouTubeとかテレビでも、トレーダーを取材するときには『トレードしている姿(含み損益の表示画面)を映している』のですが、実はトレードしていない時間の割合が圧倒的に高いと思っています。


そりゃあトレードをコンテンツにするなら、トレードしてるところを映さないと格好がつかないわな。


「でも…トレードするのにトレードしないでいいの?矛盾してない?」と思ってる人は確かにその通りなんですが、実はキチンと稼いでいるトレーダーほどトレード回数は少ない絶好の機会を待ちに待って、ここぞというチャンスだけを狙ってトレードしてます。一方で稼いでいないトレーダーほどチャートの分析が甘くチャンスでもないところで適当にトレードしたり、感情に任せてトレードしたり、場当たり的なトレード回数が多かったりします。


言い換えると、優秀なトレーダーは利益を最大化しますが、ダメなトレーダーは利益を得る回数を増やそうと躍起になっています。


「回数増やさないと、利益が増えていかないじゃん!」と思っている人は誤解しています。


回数を増やす努力は不要で、すべてはチャートを分析してチャンスが到来したから淡々とトレードするだけです。


そういうチャンスが来てくれたから、ただトレードしただけ。


逆に言えば、チャンスがないならトレードしません。永遠に。


トレーダーの都合なんてクソどうでもよくて、すべては相場の都合でトレードします。


複利で膨らむのは、その積み重ねになります。あくまで結果論で資産が膨らむだけです。


ですから「億トレーダーになるぞ!」と意気込むのは勝手ですが、世の中の億トレーダーさんは相場の都合優先に任せてトレードした結果で自然の成り行きで億っただけです。


というわけで、トレードしていて資産が増えていかないトレーダーさんはおそらくトレード回数が多すぎるかもです。←自分の手法が確立してないから曖昧にやってる、とか。


トレーダーはとにかく「狭く深く」極めればオールオッケーです。自分に合った一つだけの手法を「狭く深く」極めて繰り返していけば、あとはレバレッジが利くので数字は勝手に増えていきます。


一方で一般的な社会人根性は「広く浅く」の能力が重宝されますが、その価値観はトレーダーには邪魔になります。


だから社会不適合者の私でもトレードはできます。社会人として落伍者だからこそ、トレーダーとして大成できるというのは当たり前にある話です。というか、トレードは社会人だからニートだからとか、そういう話とは無関係です。


むしろ怠惰を極めるほどに怠惰になれる人が優秀であり、チャンスのとき以外は何もしないです。


この話、嘘だと思う人は嘘だと思っても構いません。ただ私は本当の話として書いています。真実を真実と見抜ける人だけ、何かのヒントになれば幸いです。

近所の家庭で親が子に対して「お前バカかっ!」と叫ぶ声が聞こえる。しかも頻繁に。


その度に心を痛める。


思えば私も親からバカにされてきた人生だった。


自分が「バカである」と定義付けされた環境で育つと、今後の人生は「俺はバカなんだ」と思い込み生きていくことになる。当然のことだ。


こんな親からは離れたほうがいい。


こんな親に限って「育ててやったんだから感謝しろ」とか恩着せがましいことを言ってくる。


これは呪縛である。


アダルトチルドレンに見られるような世代間連鎖というやつかもしれないが、ホントに辛いものがある。


これはいくら金を積んでも逃れられるものでもない。


なんでこんな辛い思いして生きなくてはならないのか。


シェアハウスにも毒父育ちの人がいる。


いつも他人の機嫌を伺っており、他人の一挙手一投足に警戒しているように見える。


「なぜわざわざこっちを見てくるんだろう?(家庭環境から常に気を張って生きてきたんだろうな…他人の機嫌により自分の人生が決定付けられて苦しいだろうな…)」


こりゃダメだ。と思う。


もはや人生を親に奪われたに等しい。


典型的なアダルトチルドレンで社会的生存能力は欠けている。


日本の古き良き文化


『おもてなし』


ぶっちゃけ私はこの『おもてなし』が嫌いだ。


「そんなに話しかけないでほしいな…」


と物心ついたときから思っていた。


お気に入りの店だからこそ放置プレイをされたい。


店員がフレンドリーに話しかけてくるものならば、店員に対しての反応に気を遣うので気が休まらない。


「あのウッド調の空間が好きなんだけど…店員と絡みたくないな」


こういう理由で何度もお気に入りの店を遠ざけることになった経験がある。


こういう『おもてなし』は対人関係が築くのが下手な人にとっては「そんな要らんわ」というのが本音かと思う。


あと違う例でいえば、少し高めの店で買い物したら手提げ袋に品を入れて、店員が店の出入口まで持っていき客の姿が見えなくなるまで見送るというもの。


ホントにウザい。


これは本当に嫌だ。


店出た後の進行方向に気を遣う。すぐに隠れたいので店員から自分の姿が見えなくなりやすい道をなるべく選ぶ。本当は行きたい方向は逆なのに。それまで見られてるのが嫌だ。そんな時間あるなら店員はサッサと仕事を再開してほしい。


(わざわざ店員が店の出入口まで手提げ袋を持ち運ぶ行為は、一度買い物を終えた客が店内の違う品を手提げ袋に入れるのを防ぐ意味もあるらしい。つまり万引き対策。)


「じゃあ商品売買業じゃなくサービス業ならどうなのさ?」


と思い、美容室での客は美容師さんに同じように見送られている。


「ああ、疲れる。」


というわけで、理想はガストやデニーズみたいなファミレスである。


必要なときにボタンを押し店員を呼ぶ。それ以外は放置してくれる。


コンビニとかも店員は椅子に座ってスマホを弄っても問題ないと思う。必要なときに客の要望に応じてくれたら良い。レジ打ちのオバチャンは椅子に座っても良いし、警察官は制服のままコンビニで買い物しても良い。


社会のことを考えると疲れるだけなのだ。