虚無い日 確実に生きる素質がない人間は存在する | 自閉症の山奥中年ニートのゆるい暮らし。ときどき投資。

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山奥のシェアハウスで社会不適合者たちと暮らしています。発達障害(ASD)だから社会に適応できません。どうやら唯一トレードが好きだから、ひたすらトレードしてるかなぁ。

最近は大自然の中で農作業が主です。

久しぶりに突発的な虚無感に襲われた。

 

いくら山奥が快適な環境だからとはいえ、俺は複雑性PTSDだし自閉スペクトラム症だし、症状に悩まされるときは悩まされる。

 

これはもう宿命みたいなもので、死ぬまで付き合うことになると諦めている。

 

 

 

確かに山奥の暮らしは快適である。

 

しかし自分からは逃れることはできないので、天国に住もうがこれは変わらない。

 

無気力感に襲われやる気がないし、布団に寝込んでしまう。

 

しかし同居人がいるので、適当に心を紛らわせたいときには話ができるのはメリットだ。

 

最近は雨天続きで畑仕事が思うようにできない。

なんか2日に一回くらいは3〜4時間くらいは適度に身体を動かしたいのだが。

 

 

 

人生って『遺伝子』と『生い立ち(環境)』で決まる。

 

これを「環境のせいにするな!」とか言える人は、トラウマレベルで虐げられた経験なんかしていないのだろうし、そもそも医学的にも脳という臓器の成長が妨げられている事象があることが証明されていることを知らない。だから「言い訳だ」と言えるのだ。

 

ハッキリ言う。

社会的に逆転しても(金持ち)になっても、人生の本質なんて変わりませんよ。だって私が過去にそうだったんだもん。もう経験済みだけど、複雑性PTSDレベルの人が人生逆転したところで、何を以てして『逆転』なのか甚だ疑問だった。心的外傷は金で賄えるんかいな。

 

だったら、最初から生活保護のほうが良かった。社会に喰らいついて一人前を目指しても、別に強くなる実感もなく破綻した。社会に身を置けば置くだけ、嫌な記憶が蓄積されていき、そして消えないのだ。周りの連中は人生のライフイベントを順調にこなしていき、しかし自分にはそのイベントが訪れる予感もしない圧倒的な絶望感や劣等感。

 

なんだこれ?

いちいちこんな感情を仔細に記憶してしまう。自閉スペクトラム症の脳は『忘れない』というのが難点だ。

 

そもそも論、私達の種はみんながみんな繁栄できるように設計はされていない。こぼれる奴はこぼれるようにできている。

 

 

 

「胎児の段階で障害を持ってると分かっているなら堕ろすべき」と俺は考えている。

 

「授かった命だから産みたい」というのは、動物の本能や遺伝子レベルの視点では『正しい』のかもしれないが、人間の築いてきた文明を無視しているようで文明の恩恵を授かる現代人の作法ではないと思う。

 

人間がより良く生きられるように発展してきた歴史があり、しかしそれは「生きる素質のない人をも生きられるようにしてしまい、そんな人を『生きずらい』ようにしてしまった。」と思う。

 

生きる素質のない人が生きるのを強要されるなんてハラスメント以外の何ものでもない。

 

そして親の人生は子どものためにあるのではないし、もちろん子どもの人生は親のためにあるのでもない。

 

格差社会…これはある意味では生物学的には真っ当な正しい人間社会の結果だと思う。(日本における格差社会は、明らかに自民党の失策だと思うが)

 

強い者は生き残り、弱い者は淘汰される。

 

これは生物界を見渡せば至極当たり前のことであり、人間だけが例外というのも合点がいかない。

 

人間も生物だし、“思考”があるが、そもそも“思考“という道具を正しく使用しているとは思えない。

 

どうやら人間という生物は、思考至上主義により他生物と自らを差別化しているが、それにより「人間が生物界の頂点に位置している」という定義もバカバカしい。

 

生きていて疲れる。

人間社会は不自然だ。人間社会は気が狂う。

自然の法則性を無視して人間の思考が跳梁跋扈して地球を破壊するなんて、そして行き過ぎた資本主義がデフォルトな価値観で生きることは“婉曲的な自殺”にしか思えない。

 

自然の摂理を無視して生きるほど、生物として勘違いして地球に生きるなんてアホらしく思う今日この頃である。