山奥に住んで2週間経ちました。
私には住みやすい土地です。
周りに娯楽物が全然ないんですがw
日中過ごしていると、同居人はいるかいないか分からないときもあり、部屋に籠もってるのかなと思ってたらバイトに出掛けて不在だったり、不在かと思ってたら実は自室で眠っていたりと、まぁ自由気ままに生きています。
私は適度に身体を動かしたいので、単発で村の手伝いの依頼がきたら時給1,000円レベルの畑仕事や事務作業やらしています。この前は草刈機で竹林の伐採をしまくり、刈りまくった竹が“剣山”になっている足場で作業しました。しかも斜面で不安定だし…“剣山”により、長靴がボロボロに切り裂かれてしまいました。あそこで転倒したら、身体が槍に刺されたみたいになってしまいます。ガチ怖かった。
「あぁ…こーゆ〜第一次産業がメインになる土地なら、外傷やらの怪我での救急の応急処置が必要になるなぁ」と元看護師の血も騒ぎましたねw
農作業には機械を使用するので、不注意からアッという間に事故に遭いそうで怖いですね。私なんてまだ農作業の初心者ですし。
…とまぁ、稼ぎたいときに稼いで、あとはテキトーに生活してます。
家のことも同居人と協力し合って、掃除、ゴミ出し、食器洗い…特に当番制も決めず、ルールは定めていません。なんか自発的にやってしまいます。私も「暇だから、溜まった食器洗うか〜」と昼間に洗う感じですね。「廊下ホコリ溜まってるな…ホウキで掃くか…」みたいな。
あ、あと同居人含め、関係者とはかなり知り合いました。やっぱり山奥に住んでいるので、みんな独りじゃ生きられないのを理解しており共助精神が根付いています。
いろいろな人と話します。シェアハウス関係者では30代の人が多いかな?20代もいます。その中で感じたことを書きます。
基本に社会不適合者気質が多いためか、社会に対して『損切り』の決断が早く、各自身が自分の度量に見合った生き方を選択しているように感じます。
私なんて40歳直前まで資本主義に喰らいついた人間ですから、彼らと話していて「あぁ…もっと早くから人生の選択を決断したら、生きやすかったし、働いていたときの嫌な記憶も蓄積されずに済んだのかな」と思ってもしまいます。
結局、人生は『環境』で決まってしまうんですよね。
私は山奥に来るまでは、やはり近代的な建造物に囲まれているだけで“資本主義の匂い”を感じたので、無駄に劣等感に苛まれましたし。でも、ここ山奥は築年数の古い木造建築が多く、地域を散歩していると地元民と「こんにちは〜」と当たり前に話せる環境が心地良い。顔だけ知って、名前は知らない人なんてゴロゴロいても大丈夫。テキトーに「天気いいですね〜」と言ってニコニコしてれば、まずコミュニティにいる資格ありますし。もちろんゴミ出しのルールもキチンと守ります。
こんな『環境』の中で生きるのは、ASDの私でも生きやすいのです。今までの資本主義社会が支配する『暗黙のルール』とかにビクビクする機会なんて激減したし。
人生ってホントこんなレベルで気楽に過ごせばいいんだなって思いました。
住人さんの考えとして↓
「私は今33歳ですが、25歳のときに結婚とか諦めましたね。親にも「俺は結婚しないよ」って宣言しましたw だいたいこんな給料上がらない社会構造でまともに家族なんて築けるわけないじゃないですか。私は趣味に生きるのが幸せですよ。Netflixだと観たいアニメが追いつかない笑」
「毎日精神的に負担がある仕事をずっとやっていく自信がなかったんですよね。もう絶対に社畜に戻りたくないです。」
とか。
みんな自分の声を素直に聞き入れて、無理しない生き方を選択してるんですよね。
資本主義に喰らいついてまで、心身破綻させつつも自死ギリギリまで生きる価値ってなんだろうな?と思ってしまいました。
こんな山奥で悠々自適に暮らす立場で、資本主義社会で這いつくばる人たちに対してマウンティングしているのは俺じゃないのかw
俺、ちょっと嫌なヤツですねw
あ、明日は昼間から庭でバーベキューするから楽しみだ〜!!なんか「もち豚の角煮」を作るらしい…よく分からないけど、アウトドアでやれたら何でも美味いからいいかなw