ASDの中年男性の人生の生き方。ときどき投資。 -10ページ目

ASDの中年男性の人生の生き方。ときどき投資。

シェアハウスで社会不適合者たちと暮らしています。発達障害(ASD)だから社会に適応できません。どうやら唯一トレードが好きだから、ひたすらトレードしてるかなぁ。

最近は大自然の中で農作業が主です。生きることは難しい。

山奥に移住してきて3か月が経つ。それなりに慣れてきた。

 

最初は20時でも真夜中の感覚があり、夜が長かったが今ではそれがデフォルトになった。

 

 

 

やはり『シェアハウス』という伝手を辿り移住してきたのは強い。

 

人は群れると「なんとかなるでしょ」という安心感がある。

 

具体的に何が?とは言えないが、生活に安心感がある。

 

誰かしらいるので生活の脆さは誰かがカバーしてくれる。

 

もちろんその分自分も何かやれることはやって貢献する。

 

仕事みたいに「必ず○○をやれ」とかいう理不尽さがないからプレッシャーがない。

 

そして仕事をするにあたり最大のストレスとなる人間関係がないので最高だ。

 

シェアハウスではゆるいつながりをするので、お互いに絡みたくないときには絡まなくても良い。

 

絡みたくないときは自室に引きこもっていれば良いのだし。

 

(「絡みたくない人とは絡まなくてもいい」というのは最強だ。仕事だとそうはいかないので死ぬ。)

 

住人たちは「一日8時間×5日間の労働人生を続けていられるか!」という思いが強いので、

 

個人個人が自分に合った収入の糧を得ている。

 

まぁ、ゆるく住む分には快適なのだ。

 

都会みたいに殺伐としていないので精神衛生上良好に過ごしている。

 

人がいるところに情報があるので、何やら日銭を稼ぐ仕事の話はある。

 

律儀にそれなりに仕事をしていれば、信用されてさらに別の仕事の話がくる。

 

決して仕事は強制されたものではなく、あくまで個人の裁量で引き受ければいいので気が楽である。

 

日々暮らせる分の収入があれば、あとは自分の好きな時間を過ごしている人が多い。

 

自分の場合は投資もしているので、それを考慮して給与所得を多く稼がないように設定している。

 

(翌年の住民税非課税世帯を目指しているので、障害者の自分は合計所得金額が135万円を超えないようにしている。)

 

それとは別に非課税対象の障害年金を受給しているのでオイシイ。

 

(ちなみに一般的な年金は『老齢年金』と呼ばれるものであり課税対象。)

 

自分の場合は特殊ケースだが、投資していなくても年金を受給していなくても、

 

集団でいれば「何とかなる」という気持ちを維持できるのは強い。

 

もしも、これが単独でこの村に移住してきたらどうしよう・・・

 

まるで生きていける気はしない。

 

やっぱり人に助けられているなぁと痛感する。

 

 

 

この山奥には人里を離れ自治会にも入らず人目を避けるように暮らしている移住者もいるらしい。

 

村人は「あそこに人が住んでいるらしい」という情報程度しか知らないらしい。

 

特に問題行動は起こしていないので放置しているらしいのだが。

 

村の環境からして、人目を避けて完全に孤独に住めることはイメージできてしまう。

 

しかし自分からすると、この村でそんな感じで住めることがスゲ~と思ってしまう。

 

どうやって暮らしているんだろうか。

 

この隣の村ではヤバい地域があって、犯罪者に近い人格の人をかくまう地域もあると聞く。

 

なんかよくわからないけど、とりあえず自分の住んでいる地域は治安が良いほうだ。

 

自由な村と思いきや治外法権的な地域もあるので、グレーなところもリスキーで面白いっちゃ面白い。

 

 

 

話は逸れたが、どこに住んでいても独り身の人はお金の心配をしなくてもいい社会だ。

 

徹底的に社会保障を調べればいい。

 

生活保護の正しい知識を手に入れたらいい。

 

格差社会になった現在、低所得者層は低所得者層のままでいる可能性が高いので、高所得者になる努力するよりも低所得者が生きていける情報を仕入れるほうが安全で安心で精神衛生上健やかであると思う。

 

別に他人の目を気にしなくていい。

 

気にしているから無理して自分のキャパを超えた仕事をして、我が身を潰して病気になって最悪死ぬ。

 

どんどん生活保護は受けたほうが個人のためでもあるし、社会のためになると思う。

 

文句あるなら受給者にではなく国会議員へ言えとすら思うし。

 

そもそも文句言う人は、自身が人生で生活困窮に陥る可能性を考えたことがないのだろうか。

 

俺は1億円近く資産の目途があった時期でも、全然お金を使う性分じゃなくても家族がいなくても、自分が生活保護を受けてしまうかもしれないという可能性は頭から消えたことはなかった。

 

デジタルで資産を管理している限り、どうなっちゃうか分からないし。

 

最近だって東京都議会員の人がマイナンバーカード偽造されて勝手にスマホが解約されて、結果として金銭的な被害に遭った聞くし(『SIMスワップ』というもの)。


どうしろっちゅうねん。

 

最近は証券会社でもマイナンバーカードの提示を求めて情報が一元化されていくことを考えると、

 

「どこかでヤラれたら一瞬で終わりやんけ」という気持ちが強い。

 

もはやアッパーマス層も、準富裕層もクソもねぇわなと思う。

 

ま、資産額なんてどうでもいいのだが。

 

お金のことは気にせず生きていける社会がいい。

 

来世は地球人ではなく、地球外生命体に生まれ変わりたい。

 

資本主義は疲れるのだ。

思いっきり愚痴の記事です。

 

入居して一週間の人が、村のルールに背いてやらかしてしまった。

 

初日から何かをやらかしそうな雰囲気をしていたのだが、心配していた通りやらかしてしまった。

 

まさかシェアハウスを超えて、自治会にまで及ぶとは・・・

 

結果、トラブルを起こした張本人は近日中に退去することになった。

 

完全に彼に非がある。

 

シェアハウス内だけでの揉め事ならまだしも、今回は自治会のルールに背いた。

 

村人からすると、俺らみたいな意味不明の集合体が生活していることが脅威であり、シェアハウスに住むにあたり自治会とは事細かに約束をしていた。

 

本人が問題を起こす現場に俺が居合わせており、直接注意した。

 

現場で村の規約を諭したのにも関わらず、彼は頑なにそれを拒否して村のルールに背いた。

 

その人はもともと他人の忠告に耳を貸さない性格だった。

 

これ即ち、彼のみの問題では収まらず、村人たちからシェアハウス入居人全員の心象が悪くなってしまうのだ。

 

彼と共同生活をするということは、入居人の住処が剥奪されるリスクがあることを意味する。

 

もっと突き詰めれば、彼は彼自身の行動が自分の首を絞めるという自殺行為をしていることに気づいていない。

 

そんな人をシェアハウスに置いておくわけにはいかない。

 

というわけで、先日住人と張本人とで話し合い『退去』というところまで至った。

 

あぁ・・・疲れた。

 

しかし、これが村社会でもある。都会のように近隣住民とは無関心の関係性ではいられない。

 

やはり監視の目がある。ここは特に気を遣うのだ。

 

俺、特に管理人、オーナーさん・・・お疲れ様でした。

私は消費者金融数社から借金をして、返済の目処が立たなくなり債務整理をした過去があります。


当時「ビジネスをしよう!」ということで組んだパートナーがいて、私はお金に関して恐ろしいほどに無知であり、さらにはASD(自閉スペクトラム症)という発達障害の特性からか『他人を信用してしまいやすい』ためにまんまと騙されてしまいました。消費者金融から借金したのも、パートナーから唆されたからでした。


あのときの俺…バカバカと思います。


悪人にとっては鴨がネギ背負ってやってきた感じだったのでしょうね。


そして、その後は投資でそれなりに数千万円の資産を築き、それも盗難されてしまって…という感じで、お金に関しては無関心のくせにさんざん振り回された経験があります。


でもそんな経験からか「人間ってお金のために血眼になり人生をメチャクチャにするし、平気で人を殺めるし、勘違い野郎にもなれるし、ん〜…オモシロイ生き物だなぁ」とも感じました。




そして今日の本題ですが『借金』って悪いのか?ということを書きたいと思います。


一般的には「悪い」という回答が大半を占めそうですし、上の経験をする前の私も同じ回答をしていました。


しかしながら、今の私なりの回答は「人による」です。借金を良しとするのも悪しとするのも「その人次第」ですね、結論としては。


なんとなくでも会計の知識のある人は貸借対照表を想像してみてほしいのですが、借方(左側)には資産で、貸方(右側)には負債と純資産です。つまり負債(借金)は資産の一部になります。


借入金など行いそれを資産の一部にして、利益を生み出していきます。


つまりは、借金しても利益を生み出すよう活用していけば「良い」、逆に利益を生み出さない活用をしていけば「悪い」となります。


それを個人単位で考えても同じことだと思います。


包丁という道具を美味しく料理するために活用したなら「良い」、逆に人を傷付けるために活用したなら「悪い」と同じことです。


借金を「悪い」という答えしかできない人は、利益を生まない(自他ともに傷付ける)発想しか思い付かないのでしょう(または単に一般的なイメージの「悪い」に洗脳されているだけ)。


私個人的には資本主義に興味はないけれど、地球という星は資本主義に毒されているので最低限のマネーリテラシーは身に着けておいたほうがリスクヘッジにはなりそうです。社会人になるとお金の知識がない人は搾取されますし、騙される機会も多いですし、損しやすいですし、ニュースも何を言っているのか理解に苦しみますし、企業や行政や自治体の職員からも軽んじられます。ハッキリ言っちゃえば、丸腰で資本主義に立ち向かっても食い物にされてしまう(そしてリアルに死ぬ)。


私は貨幣経済が嫌いですが、それは私個人の都合であって大多数の人たちにはどうでもいい話です。だからお金の知識は資本主義の世界に生きる以上は必須です。


で、その借金が「悪い」というイメージに毒されているのは、活用の仕方が下手な人たちの人生が事例として紹介されているからでしょう。


ギャンブルで損して消費者金融で借りまくり返済目処も立たず、ヤミ金に手を出してヤクザから取り立てされて…とか典型的なそんなイメージですか笑


『闇金ウシジマくん』みたいな笑


そんな事例なんぞ少数だし無視無視w

もっと広い俯瞰で考えて見ましょう。


まず「借金ができる」ということは「信用がある」という意味ですし、「借入額が大きい」ほど「信用力が高い」という意味です(一般的には)。


なるほど…これを活かさない手はない。


ということで意図的に借金してしまい、ちゃんと返済していけば信用力も増すというものです。


「ほうほう…アイツちゃんと返済するんだな。よっしゃ、俺もっと貸したいわ(だって貸した額が大きければ大きいほど、その分だけ利息もらえるし〜)」となるので、貸手(債権者)は額を大きくしてくるはずですし。返済能力ある人にはドンドン貸したいですからね。


つまり金融業は金を貸すことで儲けるわけです。


借手(債務者)も借りるだけ借りてキチンと返済していけば信用力も増すので、借りられる金額も大きくなります。(身近な似たような例では、クレジットカードの返済をやっていったら信販会社から「ショッピング枠やキャッシング枠の上限を上げました」という通知がくるというもの)


もちろん借手は借りた金を利益を生み出すことに活用すれば建設的ですよね。


だから本当はお金を貸し借りする行為は双方ともにWin-Winになるはずなんです。


しかし、そこで借りた金を返済しないケースが発生すると、その構図が破綻します。


破綻したらどうなるかは…言わずもがな。


だからチャンスが到来したらば、自分の手元に金がなければ借金してしまって投資したりビジネスしたりするのは賢い選択になります(もちろん返済するのを前提として)。


仮想通貨が流行の兆しをみせた時代には、ある会社員は『会社員』という信用力を担保にして銀行から借金してビットコインを大量に購入してしまって億り人になったという人もいました。(もちろんビットコインに投資しても利益を生まない可能性もあった。)


違う例では、ローンで住宅を購入して、その住宅を担保にしてさらなる借り入れをする…んで近年のように不動産が高騰したようなタイミングで売却してしまって高額で利確した人とか。


個人レベルでもこんな風な目的で借金をするのは建設的かと思います(利益を生む可能性のものに投資をする)。


よく「投資は必ず余剰資金でやろう」とは言います。投資未経験の人は投資の勝手や要領が分かっていないので余剰資金でしたほうが良いかと思いますが、そうじゃない人はどんどん活用したほうが良いと個人的には思いますね。


『リボ払いは危険』とは言われていますが、リボ払いは使い方によっては信用を高める機会になるので意図的にリボ払いにしても全然いいかと思います。それでキチンと毎月返済していけば信用力も高まるのは必然です。もし途中で利息が膨らむのをストップさせたいならば一括で支払ってしまえばいいですし(但しキチンと個人で残債を管理できる人であれば有効な話です)。


…これらのことを言えるのは私には投資の経験がありますし、金融機関から借り入れしてあれこれ揉まれた経験もありますから言えるのですが。


あと最悪な場合は自己破産をしてしまい、生活保護を受ければ問題ないじゃんと思ってるのでw


生活保護を受けられないということはありえませんし、それは日本国憲法第25条生存権で保障されています。行政の水際作戦に遭うことを想定しても理論武装していけば問題ないし、弁護士やらNPO法人に頼るのもいいですしね。




総括です。

結局のところ、借金が良いか悪いかなんて個人に依ります。私が私以外の人にあれこれ説き伏せるものでもなければ、私以外の人が私を説き伏せるものでもないですし。


ホリエモンがあれこれお金のことを話せど、私には彼のような実行力もなければ人脈もないし、彼のアドバイスを受けて行動しても私は失敗しますよ(望ましい結果が出るまで継続できない)。


お金に限らず、人生は全般的にそんなもんでしょう。


ゆたぼんみたいに「学校行くな」言っても、本当に行かなくてもいい人もいれば、行ったほうがいい人もいます(最近のゆたぼんは学校に行ってるみたいですがw)


「あれしたほうが良い、これした方が良い」みたいな他人の助言なんて人生の観点からすると、どっちでも良いはずです。アドバイスを聞き入れたほうがいい人もいれば、無視したほうがいい人もいて当然です。


結局のところ、包丁を「良く」使うも「悪く」使うも本人次第ですからね。


自分の技量や伸び代や年齢や状況や…いろいろ鑑みて決めればいいんじゃないでしょうか。


個人はガチで個人差あるので。


と、いろんな分野の能力値が凹凸すぎる発達障害の私の書いた記事でした〜



山奥に住んで仕事がないと思っていたら、逆に仕事がある。


というのも単身で移住したら仕事の募集は目に入らないが、シェアハウス経由で移住したので人間が蠢く環境だからか仕事の話があるのだ。


そして第一次産業が盛んな地域だから農林や家の改修系の仕事がある。こういうのは求人誌や求人サイトには掲載されないような仕事だ。


「〇〇さん家の庭の倒木を除去する」


「あそこの畑の手入れをする」


「☓☓地域でDIYの仕事人を募集している」


みたいな。


その中で日当12,000円のほぼ毎週末には確定している仕事ある。しかも行きたいときに行けばいいから、毎週行かなきゃならない義務もない。


まぁ、マイペースで働きたいときに働けばいいから気が楽だ。この前のGWには連勤で働いてしまったので後悔した。調子に乗って連日働いてしまったのだ。筋肉痛になった…痛い。


連休続いたら、隔日でやるのが良いと学んだ。




ところで障害者手帳を所持している俺は、前年の合計所得金額が135万円以下になると住民税が非課税となる。俺は毎年住民税非課税世帯を目指している。資産運用もしているので、単純に税金面から考慮しても働き過ぎには注意しなくてはならない。ちなみに障害年金受給額は非課税所得だ。


住民税非課税世帯でなければコロナの給付金みたいのが貰えないし、低所得者を対象とした優遇を受けられなくなる。だから中途半端に合計所得金額が135万円を超えてしまったら、住民税を納めるハメになるので逆に支出がデカくなってしまう。


だもんで資産運用してるだけで合計所得金額135万円を超えてしまったなら仕方ない。そのときはあらゆる所得控除や税額控除を駆使して納税額を少なくするための努力をするのだ。もちろん働きもしない。


そんな風に生きていくんだとしたら、定職に就いて働くなんてバカらしい話なのだ。

先日、原付バイクを購入した。

 

村内は交通ルールがゆるいため、何の問題もなく運転できる。

 

しかし隣町に出てしまうと、見慣れない標識や標示が目に付くため「ん?」と思うことも多い。

 

そしてもっと栄えているところに行けば、車両通行帯が2つ3つあるため、ますますドキドキする。

 

ちなみにその道は自分で原付バイクで走っていないのだが、同居人の車に同乗したときにその道を通るので、自分で運転することをシミュレーションしてみるのだ。

 

車両通行帯が2つあるところは「右側のレーンに進路変更したいときには、進路を変える3秒前には方向指示器をつければいいんだよな・・・そのときに、車が突っ込んできていたら(“追い抜き”しようとしている車と距離を測れなかったら)どうしよう・・・」とか「二段階右折すべきところで標識に気付かなくて、小回り右折してしまったらどうしよう・・・」とか、心配性だからいろいろ考えてしまう。

 

しかし同居人によると「実際原付バイクでも二段階右折すべきところで、二段階右折したら逆に危ないから実際小回り右折している原付バイクは多い。特にはじめてその道を通る人(土地勘がない人)とかはよくやっている」という話を聴くと安心する。

 

ただ一番嫌なのは、煽り運転されることだ。

 

いくら俺が交通ルールを遵守しようと、ならず者から絡まれたらもう嫌だ。


原付バイクだからってナメてくる奴もいるらしいし。

 

よくSNSとかYouTubeで観るムチャクチャな奴。

 

本当はそんな奴に対しては、ぶっ飛ばして懲役100年くらいにして運転免許を剝奪してしまって永久追放してしまいたい。

 

なんなら死刑でもいいと思っている。

 

しかし残念だがそんなことはできないので、本当にそんな輩とは遭遇したくないと願っている。

 

ただ煽り運転ではないのだが、この前は村内を走っているとき後ろから民間バス、車2台くらいに後ろから追いかけられる形になり、すごい嫌だったんだけど、そんなときは積極的に左に方向指示器を出して徐行レベルで走行して「停まるよ~」という意思表示をして先に行かせる。「ふ〜・・・後ろを走られたくねぇ~・・・」と思うが、すぐに回避ができるのが嬉しい。

 

「どんどん俺を追い越してくれ。俺は俺のペースで走りたい。俺の許可なく俺の後ろを走るな」という感じである。

 

あと原付バイクの最大のメリットは交通ルールに混乱してワケが分からなくなったら、方向指示器を左につけて原付バイクを停めてしまってエンジンを切ってしまい『歩行者』になってしまえるというリーサルウェポンがあるのは最強である。

 

『歩行者』は何でもできるから最強だ。

これがあるから原付バイクは強くて安心である。

 

「なんかわけわからなくなったら、とにかく『歩行者』になろう!!」

 

と固く決意して今日も原付バイクで走る。近日中には隣町にいかないとなぁ・・・

 

やっぱりASDだから過剰に不安感を抱くからだろうか。

 

にしても俺の原付バイクは49㏄なのに同居人のバイクは636㏄とかこの世のものとは思えないものを乗っている。

 

「もはや高速レベルだから、走行したら空気との摩擦が生じて発火するんじゃないの?」という感じである。

 

あぁ原付バイクで良かった・・・

 

同居人は頭が狂っているんじゃないのかな。