読書記録をさぼっていた既読本が何冊もあって、本書はそのうちの1冊。ページの隅が折り返してあった部分を読み返して、読書記録を書いておいた。半年以上経過しているので、読了直後に感受していた “言霊の霊威の凄さ” を伝えることができない。もう一度、最初から全部読み返して書いたら、まったく違った読書記録になるだろう。2014年10月初版。

 

 

【アワ歌を広めたワカヒメと「ミカサフミ」】

宮崎  アワ歌というのを調べてみると、これを広めたのがワカヒメさんだったということがわかってきた。つまり、アワ歌は、イザナギ・イザナミノミコトが、民の言葉が非常に曇ってきた、濁ってきたので、これを正そうということでお始めになったのですが、おととし(2012年)の11月、アマノコトネさんと一緒に訪れた河口浅間神社の前にあります富士山御師の家の屋根裏部屋から、偶然、250年ぶりに古文書が出てきた。その古文書を調べてみたら、「ミカサフミ」(※巻末参照)の今まで欠けていた部分で、ちょうどアワの歌に関する部分が出てきたのです。・・・(中略)・・・。

SUMIKO! その古文書では8代目アマカミであったアマテルカミがワカヒメ様に、アワ歌とはこのようなものですよと説明されていたんですね。

宮崎  そうです。だから、このミカサフミを今回の本の最後にでも付け加えていただくといいんじゃないかと思います。(p.22)

 🐭ことで、ミカサフミに欠けていた部分の資料が、巻末12頁にわたって掲載されている。興味がある方は、どんぞ。

 言霊の神である「ワカヒメさま」に関することが知りたくて、本書を読み始めたのだけれど、「アワ歌」も言霊パワーに関する重要事項なので、下記リンクをつけておきます。

  《参照》  『瀬織津姫とムー大陸再浮上』まありん(ヒカルランド)《後編》

          【言霊・日本語・日本人の復活】

          【あわの歌の不思議】

  《参照》  『言霊アワ歌の力』石田英湾(群馬マクロビオティックセンター)

 

 

【伯家神道とホツマツタヱとミカサフミ】

宮崎  なぜそこから出てきたかということですが、江戸時代に中期に、伯家神道の学頭たちが河口湖に行って、御師たちに伯家神道を教えていたのです。(p.26)

 当時、伯家神道<白川伯家>と、吉田神道<吉田家(卜部家)>の2つがあったらしい。

宮崎  そのときに、伯家神道を教えたテキストが相当出てきた。・・・(中略)・・・。そのテキストの1つに、これがあった。ということは、ホツマツタヱとかミカサフミが伯家神道の中の重要な一部を占めていたということが、傍証されるわけですね。

伯家神道は宮中、天皇と皇太子と摂関家神道教育をしていましたから、現在でも天皇陛下は「トホカミエヒタメ」というご真言を賢所で述べておられるはずです。そのご真言はどこから来たのかというと、古事記にもないし。日本書紀にもない。ホツマツタヱとミカサフミにしかないわけです。(p.27)

 伯家神道は、天皇家の神道。その一部をなすホツマツタヱとミカサフミは、GHQの指令に忠実な🐙な御用学者さんたちによって、長いこと偽書扱いされてきた。

 ホツマツタヱは、神代文字ヲシデによって五七調の長歌体で記された古文書。記紀の原点にもなったと言われ、縄文・弥生・古墳時代までの歴史と文化が、1万行にわたって記されている抒情詩。

 《参照》 『宇宙原理ホツマ』鳥居礼(たま出版)

 《参照》 『「秀真伝」が明かす超古代の秘密』鳥居礼(日本文芸社)

 

 

【縄文のキーワード「よみがえり」】

コトネ  ともかく初めのとっかかりは、ワカヒメってどんな女性? というところから、私たちは入っていったんです。結局、いろんなことを解くために、小淵沢にある井戸尻遺跡に、縄文という時代にどれほどの文化があったのかということを探しに行きました。そこで見つけたのは「よみがえり」という言葉だったのです。よみがえりということを、縄文の人たちはものすごく大切にした。自分たちの魂がこの地にもう一遍戻ってくる。そういう文化だったんじゃないかと気付かされた。(p.39)

 よみがえり=黄泉還り=生まれ変わり。

 

 

【豊かな感情・豊かな心情】

 ワカヒメが生きておられた、日本の古代を見るにつけ、そこには豊かな文化が存在し、豊かな人の道が存在しておりました。

 そこには人が人として生きる素晴らしい術や、食文化が存在し、漢字が渡来する以前の豊かな文明が見えてきたのです。

 我々の祖先がどんなに豊かな感情を持ち、どんなに豊かな心情を持つ人々であったのかがわかりますと、日本人が知っておかなければならない和歌の力や、神代という時代の人々は、確かに神様であられたということを理解させて頂けましたことで、日本人としての誇りがふつふつと湧いてくるのを止めることができませんでした。(p.91-92)

 “我々の祖先がどんなに豊かな感情を持ち、どんなに豊かな心情を持つ人々” とあるけれど、我々現代人は物が豊富で便利な世界で生きているので、古代人に比べて、感情・心情の感度はかなり下がっているはず。であれば、言霊もそれほどパワフルなものではなくなっている、という事になる。

 真摯で誠な感情・心情が乗っていないのであるなら、言霊にはならず、単なる音になってしまう。

 《参照》 『ギャラクシー・コード』大野靖志(サンマーク出版)《後編》

          【言霊とは】

 

 

【和歌という日本独特の文化】

 ワカヒメ様を知りますとまず、和歌という日本独特の文化がこの当時から存在し、その和歌を伝えるための文字があり、哲学があり、音があり、言葉を学ぶためのアワ歌がありました。当時言葉は社会の起源であったのです。情報の感知に言葉は欠くことのできないものであったと思われます。(p.99)

 ワカヒメを漢字にすれば、“稚日女”、“和歌姫(秘め)”。

 私たちがワカヒメを世にお出しするに当たり、今のような物質文明のなかった古代の人々の暮らしの中に、その時代の人の持っていた「たおやかな」思いや「勇壮な」叡智に触れることができたこと、和歌の力のすばらしさを世に問うことができることに心から感謝したいと思います。(p.133)

 我々現代人は、それほど和歌を意識していない。とはいえ、日本人が好む流行歌の歌詞は、訓読みの大和言葉でできているものがほとんどである。このことは、音読みの歌が一首も入っていない『万葉集』が編纂された時代の、古代人の感覚と、本質的な部分は何ら変わっていないことを表している。

 《参照》 日本文化講座⑩ 【 日本語の特性 】 <前編>

       ■ 音読みの日本語 vs 訓読みの日本語 ■

       ■ 日本古来の文化芸術“短歌”の世界に見られる日本語の特性 ■

 

 

【みそひと文字】

 ワカヒメは、2歳の時に、イサミヤ(筑波神社)から、住吉にあるカナサキの所へ斎楠舟(イワクスフネ)でやってきて、和歌を習っていた。カナサキは、ワカヒメの養父。今の近畿地方を治めていた国神であり海運王だったとも記述されている。

 なぜ、三十一なのか、と、一度尋ねたとき、カナサキは、

「和歌のみそひ(三十一)文字は、大変に理にかなっているもので、これはクニタマが、天を巡る三百六十五日を四つの季節に分けて、さらに、上旬、中旬、下旬にと分けると、三十一になるからです。」

 と、教えてくれたのでした。(p.196)

 《参照》 『6と7の架け橋』辻麻里子(ナチュラルスピリット)《中編》

        【スターゲートを設置するリズム】

 《参照》  『宇宙人の告白』 田村珠芳 (TO文庫) 《後編》

        【神秘なリズムをもつ「和歌」】

 《参照》 『天の岩戸開き アセンション・スターゲイト』Ai(明窓出版)《中編》

        【神歌(やまと歌)について】

 《参照》 『日月地神示』白峰聖鵬(明窓出版)《前編》
        【大和民族の役目】

 

 

【クニタマが乱れます】

 すべての、いのちあるものが支えあって、このチダマがありますことを、もしも人がわすれて、ひとのためだけのマツリごとを行えば、アメなる恵みを自分たちだけが受けようとするようになれば、クニタマが乱れます(p.193)

 チダマとは、「地(ち)(だま)」のこと。

 クニタマとは、「国球」であり、チダマと同じ意味。

 「国魂」と書けば、国魂=国常立(クニトコタチ)神の魂。国常立神=地球神。

 地球が乱れるのは、世界の雛形である日本人が自然を蔑ろにしているから。

 日本人が乱れるのは、日本語が乱れているから。

 日本語は、内側から “自然を、世界を、全てを” 観る言葉。

 

 

【クニトコタチの八人の息子とタの一族】

 言葉の伝承こそ、この国を守る物であることはクニトコタチの八人の息子の「トホカミエヒタメ」の子孫たちが一番しなければならない、大事業であったのだ。(p.124)

 八人の息子の「ホカミエヒメ」のうち、中心となったのは“の一族”と“の一族”だったらしい。

 クニトコタチのオオン神は八人それぞれの子供たちにこの地上で生きるための知恵と宝を渡した。

 トヨケの所のタの一族には光り輝く一本の棒が渡された。これを、祀り大切にした。(p.123)

 トヨケとは、伊勢の外宮に祭られているトヨウケ(豊受大神)のこと。

 この棒に手を触れると答えがでる、しかしその答えに準ずる知識を必要とした。

 トヨケは自分の学んだことを後の人々まで教育する使命感に燃えていた。

 日嗣の御子の誕生をだれよりも望んだのはトヨケである。(p.123)

 伊勢神宮に祀られている “天の御柱” は、この光り輝く一本の棒のことらしい。

 

 

【タの一族(タカミムスビ家)の長・トヨケ】

 トヨケは一族の中ではかなりの技術を持っていた。トヨケはタカミムスビ家タの一族の長であった。(p.122)

 五・七の和歌は宇宙語に似ている。この音の並びこそ人の心を鎮めることができる。イサコ=イザナミはトヨケの娘であり巫女である。実はイサコもヒルコと同じようにして生まれた子供であった。故にトヨケは手元に置きイサコの力を使いモトアケの謎に挑んだのである。(p.122-123)

 トヨケの娘がイサコ(イザナミ)で、イサコの娘はヒルコ(ワカヒメ)。

 つまり、ヒルコ(ワカヒメ)は、トヨケ(トヨウケ)の孫。

 トヨケ(トヨウケ) ⇒ イサコ(イザナミ) ⇒ ヒルコ(ワカヒメ) と言霊の秘儀が伝承されていった。

 

 

《中編》