《前編》より

 

 

【ヒルコ(ワカヒメ)系図】

 p.138-139 に、ヒルコ(ワカヒメ)系図が書かれているのだけれど、それによると、イザナギとイザナミの子は4人いて、上から、ヒルコ、アマテル、ツキヨミ、ソサノヲ、となっている。

 ヒルコが8歳の時に生まれたアマテル以下3人は、みな男子。

 

 

【ヒルコ:名前の由来】

 ヒルコと名付けられたのは、昼に生まれたから。

 ヒルコ=蛭子=障害児、ということではない。

 ヒルコが2歳の時、父・イザナギは42歳。男は42歳を大節年(オオフシドシ=厄年)とする慣習から、親心ゆえにヒルコを川に流すという儀礼に従った。つまり、宮中では捨て子にしたヒルコを、住吉に住むカナサキが「拾った」ことにして育てると決まっていた。イザナギの “定められた禊祓いの期間(オエクマというらしい)” が終わったので、12歳の時、ヒルコはワカヒルメ(若昼姫)として、両親の所へ戻った、と書かれている。

 古代は近親婚が一般的だったから、障害児が生まれる確率が高く、そういった子は船に乗せて海や川へ流すという葬送は、世界中で普通に行われていたのだろう。しかし、本書の主人公である「ヒルコ2歳の川流し」の真相は、それではない、🐭こと。

 

 

【オモイカネ】

 オモイカネ様はアチヒコと言われておられました。・・・(中略)・・・大変に頭はよくトヨケ様の教育を受けておりました。・・・(中略)・・・。アチヒコの家柄は大変古くトヨケ様の御爺さんの代からタカミムスビ家に功のあった家臣でありました。・・・(中略)・・・。頭がよい人と言うのものは身の回りも清楚な人であるだけではなく、立ち居振る舞いに無駄が無く、知識を得ることには貪欲ですが謙虚な態度が光っておりました。・・・(中略)・・・。いつも慌てずに賢い判断ができたアチヒコですがワカヒメからの恋の歌は思いもよらない事でしたので、「おもいかねる」という事からオモイカネとお名前が付いたのです。

 この恋もカナサキがトヨケ様の命令により目合わせた経緯もあり、何が何でも断れない状況に置かれていました。(p.106-109)

 🐭ことで、オモイカネとワカヒメは夫婦になった。

 

 

【天照大神の妹? の ワカヒメ様】

 その祖霊(神様)の御一人である、ワカヒメ様のことを最初に知ったのは、和歌浦にある、玉津島神社に伺ったときのことです。

 由来略記には「社伝によれば神代以前の創立にして天照大神の御妹稚日女尊を祀り、後、此の大神をいたく尊崇せる神功皇后を合わせ祀り、その後、光孝天皇の御悩を平癒せしめられし衣通姫を御勅令により合祀せらる」とあります。(p.93)

 ワカヒメ(稚日女)様は、“天照大神の妹さん” だっ🐭の?

 p.138-139 の、ヒルコ(ワカヒメ)系図と違うじゃん!

 男(弟のアマテル=天照大神)を立てた🐭ことだろう。まあ、いいや。

 ところで、

 玉津島神社は、「和歌の家」である冷泉家が祭っている5社の内のひとつ。

  《参照》 『冷泉布美子が語る 京の雅・冷泉家の年中行事』南里空海(集英社)《前編》

         【御文庫:冷泉家の御神体と五社】

 

 

【4つのお名前】

 この御姫様は、ヒルコヒメ=ワカヒメ=ニウツヒメ=シタテルヒメと私の知っているだけで一生に4つのお名前を持っておいでのようです。

 古代では名前というものはとても貴重なもので、その人の功績によって与えられたようなのです。名はとても大切にされました。この名前を追うだけでも何かを教えて頂けそうです。(p.98)

 そう、この4つの名前を知っているだけでも、神社巡りをする時に大きい。

 石清水八幡宮には、広田社(天照大御神)と生田社(稚日女命)の摂社があった。

  《参照》  石清水八幡宮

        【摂社・末社】

 

 

【ニウツヒメとシタテルヒメ】

 和歌山の高野山の下に神野野(このの)という所があり・・・(中略)・・・そちらの社長さんが丹生都姫神社に連れて行ってくださいました。「ニウツヒメ様、ニウツヒメ様」とお声をかけた瞬間に不服そうに

 シタテルじゃ

 と、お声がかかりびっくりしてこちらの主祭神を確かめました。(p.110)

 姫なのに、「・・・じゃ」なんて言うの?

 まるでオッサンみたいだけれど、古代の女性はそう言ったのかも。

 確かにこの地は和歌浦のワカヒメ様の御料地だったのだけれど・・・

 ニウ=丹生=水銀ということを確認し、なぜニウの神様となられたのかを探ってみました。

 ニウの神とは、製錬と水銀を扱える者たちを束ねる首長です。当時のトヨケ様はこの技術を持っておられました。一大技術集団がこの日本には存在したのです。特に和歌山のこの地は水銀の埋蔵量も豊富でした。今でも水銀の毒性が強く飲めない水が流れているほどです。ワカヒメはアマテラス様から熊野で暮らすことになったイザナミ・イザナギの老後の暮らしのためにと扶養のためにこのお役目を担われ丹生の一団を束ねられたのです。(p.110-111)

  《参照》  丹生都比売神社

 丹生は水銀であり、神社の赤い鳥居は、この丹生で着色されている。

 丹生酒殿神社という所に詣でますと、

 シタテルヒメ様から

   私が水銀を取り出す技術をこの地のものに教えた。

   酒造りの技術は欠かせない物であった。(p.111)

 ワカヒメ様は、和歌の神であり、水銀も扱えて、お酒も造れた!

 ダビンチも真っ青な、万能のお姫(秘め)様。

 これらの技能は、すべて祖父のトヨケから受け継いだもの。

 ちなみに、丹生酒殿神社は丹生都姫神社の北側3kmほどの所にある。

 

 

【イザナミ亡き後】

 ワカヒメの回想として書かれていること。

 父君とツクヨミはアワウミ(近江)のタガミヤに移り、ソサノヲだけは、どうしても、母の思い出深い地から離れたくないと、私とキシイに残っておりました。(p.229)

 タガミヤは、多賀大社 のこと。

 キシイは、ワカヒメとソサノヲの両親(イサナギとイザナミ)が住んでいた熊野の地名。

 

 

《後編》