本書は、『人は死なない』で一躍有名になった東大医学部教授の著作だけれど、チャンちゃんはその本を未だに読んだことがなく、この本が初めて。密教を学んでいた15年以上前に、『生きがいの〇〇』というシリーズタイトルを出していた飯田史彦さんの著作は何冊か読んでいるけれど、「大学教授が見えない世界(スピリチュアル)を書くと、こうなるんだぁ~。良い子向けの道徳書みたいで面白くないなぁ~」と思いつつ敬遠気味が続いていたのだけれど、保江先生の著作を読んでいた時、「私がアシュターの艦長だった時、矢作直樹は副艦だった」、という記述(下記リンク)があったので、古書店で見つけたこの本を読む気になった。
《参照》 『願いをかなえる「縄文ゲート」の開き方』 保江邦夫 (bio) 《後編》
【中今:高次元につながるとき】
《参照》 『空洞地球』 ダイアン・ロビンス (徳間書店) 《後編》
【アシュター司令部(コマンド)の地上への貢献】
アウトロー系のチャンちゃんが、本書の感想を短く書くなら、「よく抑制のきいた方が認(したた)めた道徳書に近い処世術本」という感じ。2014年6月初版。
【おかげさまのベーシック(基盤)】
私は、肉体とは別に魂があると表現しますが、魂レベルでは私たちはみなつながった存在だと思っています。それが「おかげさま」のベーシックな部分であり、もちろん亡くなった方もそこに参加しています。(p.16)
「おかげさま」は、肉体を持つ人間同士の関係だけで表現しているのではなく、霊界や魂界の縁にまで及んで表現しているのだということ。
諸外国の人々に比べて日本人の霊格が高いといわれるのは、見えない世界が意識の射程に入っているからこそなのだけれど、霊格を育む教育=徳育(道徳教育)が行われなくなり、意識の射程に入っているのはモノ・カネだけという日本人がテンコ盛り増えている。そういう人々は、そもそもからして「おかげさまで・・・」という表現を口にすることはないだろう。
《参照》 『人間力のある人はなぜ陰徳を積むのか』 三枝理枝子 (モラロジー道徳財団)
【「おかげさまで」】
《参照》 『金子みすゞをめぐって MISUZU TALK1』 矢崎節夫他 (JULA)
【日本文化論として】
【日本人の遺伝子】
《参照》 『おかげさまで生かされて』 ペマ・ギャルポ (あ・うん)
【おかげさま】
【 「おかげさま」 の精神を取り戻せ】
【様々な経験を学びに変えるのが人間の使命】
肉体は魂の乗り物であり、まるで着ぐるみのような存在です。重くて動きづらく、時には捨ててしまいたい衝動に駆られることもあるでしょう。
それでも私たち人間には、肉体に伴う人生で得る様々な経験を学びに変える使命があります。この人生を大いなる存在から賜ったからこそ、おかげさまで人生を楽しんでいますとご報告することは、私たちに与えられた使命なのです。(p.16)
“肉体を持つ人生を、大いなる存在から賜った”と表現されているけれど、これでは硬いしチョットとっつきにくい。スピリチュアル本の中にある一般的表現で言い換えるなら、“人間は、二元性世界でなければ体験できないことを体験するために、わざわざマスターソウルから分かれて地球生命圏にやってきた勇敢な魂たちであり、善悪喜悲こもごもの感情や体験をできるだけ多くマスターソウルに持ち帰るのが使命” となるだろう。
【霊性の高さを失いつつある現代日本人】
古来、日本人は生と死を同一視していました。一万年を超える歴史を持ち、この世とあの世を精神レベルで自在につなぐことができた日本人は、死は単なる肉体の死であり、魂は永遠の存在であると知っていたからです。
自分たちが大いなる存在に生かされている事実を知り、大自然と融合して生きることが最も大切だと知っていたのです。だからこそ、そうした霊性の高さを失いつつある現在の状況は困ったものです。
見えない世界(あの世・魂の世界)や大自然と融合していないと霊性の高さが失われる、と言っている。
国家が潰れないためには、単に受験勉強用のノウハウを教え込むのではなく、人としてのあり方、自分と他人を結びつけるおかげさまネットワークの存在、自然の素晴らしさ、そういう基本的な道徳を教育の場で十分教えることが必要だと思います。(p.139)
【人生の学びと霊性】
死に対する誤解や恐怖心は、それが未知なるものであるから生まれます。
死んだらどうなるかを知らないからです。まずは「あり得ない」という考え方を、自分の中から追い出してください。この世はわからないことだらけです。人間が知らないことのほうが多くて当然なのです。自在な姿勢で、多くの意見や様々な視点による情報を受け入れるあなたでいてください。(p.21)
本を読む習慣を身に着けている人なら分かり切ったことだろう。読書は、知識及び意識を常に最新のものにアップデイト(更新)するための作業である。
限られた範囲内の人付き合いだけで続けていると、発想の幅が狭くなり、異質な人とのコミュニケーションがないと人は成長しない。そんな状態の人生を、著者さんは ”内向き” と表現している。
内向きが続くと、「おかげさま」が感じられなくなります。
世間とのコミュニケーションが不十分ですから、客観的に自分が見えません。自分の内側との対話が出来なくなり、お天道さまの見守りを意識できず、本来持っているはずの霊性が落ち込んでしまいます。実にもったいない話です。(p.70)
「そうだろうか?」と思ってしまった。
近年、地球に生まれてきている子たちは霊性(≒周波数)の高い子たちばかりなので、「孤独が普通」の人生を生きるようになるだろう。故に、そんな子たちは、先に地球に来ている周波数が高くない大人たちのように人付き合いから学ぶより、ネット情報から必要な物を効率よく学ぶようになるだろう。
チャンちゃんは、人を介しての学びの中心はカルマに関することくらいで、幽界が切り離されつつある現在の地球に転生して来る魂たちが、カルマ由来の人間関係から学ぶことの比率は、次第に小さくなると思っている。
そもそも、周波数の高い子たちは負のカルマが希薄なのだから、多くのことに関して固定観念バッチシのコテコテ地球人から学ぶより、宇宙から直接情報をダウンロードすることで賢明かつ軽快に生きて行くようになるだろう。周波数が急速に上昇しつつある近年から近未来にかけての地球では、”(地球人にとっての)常識”が急速に色あせ陳腐化してゆくはずである。
《参照》 『宇宙人の流儀』 サアラ・池川明 (大和出版) 《後編》
【バイオコンピュータを使いこなす】
【「さしでやる」】
いじめは世界中に存在します。・・・(中略)・・・。いじめが陰湿なことの代名詞となっているのは、ターゲットを攻撃しようとする中心人物が周囲を巧みに籠絡して味方につけ、集団で一人を攻撃するからです。
日本には昔から「さしでやる」という言葉があります。誰もができるだけ対立は避けたいわけですが、それでもどうにもならない時は、自分と相手の二人で決着をつけようというわけです。(p.74)
学生の頃、大きな電気店でバイトをしていたのだけれど、全てのスタッフが集う際、本を読むことだ好きだったチャンちゃんは、ちょっと気が利いたことが言えたので、バイト店員であったにもかかわらず店長さんに一目置かれていた。それが気に食わなかったらしく、若い社員さん3人に倉庫で囲まれたことがあった。その時、「3回戦するのはかまわないから、1対1にしてくれる」と言ったら、何もなく終わってしまったのだけれど、怯懦な者ほど、「さしでやる」 勇気がないから、集団リンチを企画したり、同類を集めて卑劣な噂流しのような情報戦を張るのである。
いじめる側の人間の感性は曇っています。・・・(中略)・・・。自分は誰からも愛されていない、生きるのが怖い、一人で行動するのが怖い、その怖さを払拭したくて誰か生贄を作る、この悪循環です。(p.75)
いじめをする側の人間は、たいてい家庭問題や経済問題を抱えている。その捌け口がいじめなのである。霊知なき人々は、いじめという卑劣な悪業を積むことで、自ら悪循環のアクセルを延々と踏み続けるのである。
【人生の課題】
人生の課題は、しかるべき時に解決できなければ本人を追いかけます。
その時にうまく逃げたとしても、何か別の場面で形を変えながら、また同じ課題を突きつけてくるのです。不思議なくらい、これは誰の身にも起きます。
自利と利他はセットです。
自分だけがいい目を見ようとしても、巡り巡ってそのツケを払わされる時が必ずやってくるのです。(p.91)
《参照》 『高次の存在と最短距離で繋がる法』 真印 (東方出版) 《前編》
【“この世学校”での「悩み」は、高次の企画書にある「課題」】
【人をだますなと教える日本人の特質】
人をだますなと教えるのも、日本人の特質です。
海外に目を向けると、人にだまされるなと教える国や民族があります。この言葉の背景には、だまされるくらいならだませ、人を疑えという意図が見えます。
日本人はお人よしだからだましやすい、高潔な民族だからつけ入りやすいと考えられがちです。
それでも私は、人をだますなと教える日本人の心が好きです。その心根を持つことこそ、自利・利他を実現できる最良の方法だと思います。(p.151)
《参照》 『驕れる中国 悪夢の履歴書』 黄文雄 (福昌堂) 《前編》
【対極的な日本と中国】
個人単位であれ民族単位であれ、道徳力は霊性の高低に比例している。日本民族が他民族に比べて高潔で霊性が高いのは紛れもない事実だけれど、日本人の中にも霊性の高低差は当然ある。魂が幼く周波数が低い人の行為にはとことんうんざりするけれど、社会全体とすれば、周波数高き人々の“忍耐という愛”がベースにないと、暴力や裁判による争い社会になってしまう。
《参照》 『高次の存在と最短距離で繋がる法』 真印 (東方出版) 《前編》
【魂レベルの視点で物事を見る】
【魂の年齢と成熟度合い】
【リビング・ウィル(終末期医療における事前指示書)】
実例として私のリビング・ウィルをあげておきます。
矢作直樹の生前意思確認
●借金はありません。
●急性期・慢性期を問わず終末期での積極的医療を受けることを希望しません。
●蘇生の必要な状況では蘇生を望みません(DNR)。
●異状死でなければ、肉体は・・・(中略)・・・、遺骨・・・(中略)・・・を希望します。無宗教なので葬式、墓や戒名などは不要です。
●遺産について (省略)
平成26年〇月○日
矢作直樹
自著
これを読んで、「チャンちゃんのリビング・ウィルと、まるで同じだなぁ~」 と思ってしまった。
因みに、遺書は、全部手書きで書いておけばいいそうです。
【その循環に身を置く】
人生はギブ・アンド・テイクではありません。ギブ・アンド・ギブです。
見返りを期待せずに惜しむことなく与えると、いつしか全く別のところから自分の元へギフトが届きます。ギフトを期待して与えるわけではありません。与えたら忘れてしまうのです。
これがつながっているということであり、その循環に身を置くと本当の快適さを得ることができます。やってあげているのにという感情は、この際、とことん手放しましょう。そうではなく「自分がしたいからそうしている」と勝手に考えるといいと思います。(p.108)
チャンちゃんも、“見返りを期待せずに惜しむことなく与えると、いつしか全く別のところから自分の元へギフトが届きます” という経験をしている。長年にわたって小さなギブ・アンド・ギブを続けていたら、累積が三桁を超えた頃だったと思うけれど、ギブしたものの数十倍にも及ぶギフトだった。
霊智ある人なら、このような考え方になるのが当然、というより必然。
霊智なき人は、ギブ・アンド・テイク(単なる経済行為)や、テイク・アンド・テイク(宇宙銀行では大赤字)で生きている。
【「天皇」という神主】
天皇陛下は日本人そのものであり、そもそも天皇という役割は日本の最上位に位置する「祈る人」です。日本という国家のまさに扇の要であり、精神的支柱であり、神の世と人の世をつなぐ役割なのです。
つまり、「神とつながることを民と共有する」役目を持ち、平和と安定を祈る最も重要な神主、それが天皇陛下という存在なのです。(p.159)
天皇陛下には到底及びませんが、私も自分が生かされていること、この世でともに生きる人が生かされていることに対して、日々感謝しながら祈ります。・・・(中略)・・・。祈りは大いなる存在に通じるエネルギーなのです。(p.159)
《参照》 『続2012年 地球人類進化論』 白峰 (明窓出版) 《中編》
【天皇陛下のお仕事】
天皇陛下が、神と繋がる祈りを実践してくれていても、民でそれをしている人々はどれほどいるのだろうか。
私心を離れた祈りを習慣化している人は、人生の紆余曲折が少なくなるのでは・・・と思っている。
祈りは大いなる存在に通じるエネルギーであり、祈る意識は祈りのエネルギーが流れる導体である。
上記の書き出しは、「清明正直」に生きるという章の中に書かれているのだけれど、「清明正直」な意識による祈りでないと、導体としての性能が良くない(抵抗値が大きい)ので、大いなる存在にまでは届かないだろう。
【別品の心】
若い人には「別品の心」を持っていただきたいと願います。
別品は「きれいな女性」を指す、いわゆる誉め言葉として現在では通っていますが、本来は「普通と違う」とか「特別な品」という意味を持ちます。江戸時代の歌舞伎の脚本にも、この言葉が登場します。
私たち日本人は、歴史的な背景、文化・伝統的な素地、高い霊性、ぶれない道徳心といった別品の心を代々、受け継いできました。別品の心を持つということは、人と自然を愛し、易きに流れず、自利・利他の精神をいつでも発揮するということです。(p.167-168)
下記リンクには、「品」という言葉に関わって、関連することが書かれている。
《参照》 『大和古流の「躾」と「為来」』 友常貴仁 (三五館) 《後編》
【日本人の魂靈が宿るところ】
【 大和的品ある世界 ⇔ 幽玄 】
《参照》 『乙女の教室』 美輪明宏 (集英社)
【人間がその生涯をかけて求めるべき、究極の境地】
<了>