《前編》 より

 

 

【諫早上陸】

 キリストは船で長崎の諫早へ上陸した。

 諫早をローマ字で書くと、Isahaya、つまり Isaya が上陸した場所だから、イサヤの音に漢字を当てて地名にしたのだ。(p.56)

 最終目的地は徳島県の最高峰である剣山を目指したのだった。

 20代の頃日本に来たときは、秋田、青森のあたりを旅していたキリストであったが、今回はなぜ剣山を目指したのか。それは剣山の山頂付近にユダヤの同朋たちにより集落がすでに形成されていたからだった。(p.57)

 その集落とは「祖谷」。「祖谷」といえば、アレックス・カーさんの著作 『美しき日本の残像』 を思い出すけれど、その本はあくまでも日本文化系の人文書であって、秘められた古代史を解明するような内容では全然ない。

 

 

【平家と祖谷】

 剣山の徳島県側の山奥に祖谷山村という小さな集落がある。平家の落人が密かに住んでいた場所だ。

 平清盛は壇ノ浦の戦いより前に病死したことになっているが、死んではいなかった。清盛は安徳天皇を連れ、三種の神器も携えて祖谷山村まで逃げ延びてきたのだ。

 平家のルーツはペルシャだから、キリスト教徒であったことは間違いないだろうという。実際、この祖谷山村には栗枝渡神社(クリシト)という鳥居のない神社があり、ここで清盛は平家の再興を祈願していたのだ。(p.65)

   《参照》  『古代日本人とユダヤの真実』 中丸薫 (KKベストセラーズ)
            【四国:徳島の祖谷】

   《参照》  『うれしうれしで超えよう2012年の銀河パーティ』中丸薫・中山康直(徳間書店)

            【日本の「後ろの正面」】

 祖谷と書いてイヤと読ませているが、日本語ではそうは読まないだろう。・・・(中略)・・・。イサヤの中抜きでイヤなのかもしれない。クリシト神社は、誰がみてもキリストの当て字だとわかるのではないだろうか。(p.65)

 

 

【鍋島藩】

 当時、イギリスはインドや香港を押さえており、日本にもすでに香港から佐賀港にまで常設の航路を完成させていて密やかな交易もあった。その交易の相手とは、佐賀の鍋島である。(p.102)

 鍋島藩は、当時すでに、海底ケーブルでも香港とつながっていたという。鍋島というと、『葉隠』を思い出すけれど、日本近代史の隠れ中枢は、まさに鍋島藩だったのである。現在でも警察中枢の実権は鍋島藩が握っている。

  《参照》  『 「明治」 という国家 〈上〉』 司馬遼太郎 日本放送出版協会

             【佐賀、「鍋島藩」 の個性 】

 

 

【鍋島と徳川家康】

 イギリス国教会と鍋島藩は、イエズス会によってここまで普及してしまったキリスト教を、いったん根絶やしにしておこうという考えで合意した。

 鍋島が、それを実行させた人物、その人物こそ江戸幕府初代征夷大将軍である、徳川家康だった。(p.104)

 「はぁ? 鍋島が家康に? どういうこと?」 って誰だって思うだろう。

 相当な家康さんフリークなら知ってるんだろうけど、チャンちゃんはパープリン病が重篤化しそうになった。

 鍋島さんは、将来を見据えた英才教育の一環として、竹千代に八丁味噌をすすめたり四足歩きを教えたりもしていたのだという。

 因みに、家康さんは保江先生の前世でもあるらしい。久能山東照宮には、家康さんの手形があるけれど、現在の保江先生の手形にピッタリだとか。

 

 

【家康が出したキリスト教禁止令】

 家康が出したキリスト教禁止令は、実際には「(バチカン系の)キリスト教に帰依するものは、浄土真宗に入れ」と改宗を迫るものだったのだ。(p.116)

 すっげぇ~~~妙案!

 

 

【浄土真宗】

 中国で景教が全土を席巻していた頃、781年に長安に建てられた「大秦景教流行中国碑」では、景教のことを“真宗”と呼んでいる。師匠の法然が興した浄土宗を継いだ親鸞が、浄土真宗としたのは単なる偶然ではないだろう。(p.120)

 景教とは古代ユダヤ教のこと。景教において世尊とはキリストを意味する。

   《参照》  『なぜ日本中枢の超パワーは「天皇」なのか』 中丸薫・ベン・アミー・シロニー 《前編》

           【日本の仏教】

           【空海の密教】

   《参照》  『失われたアイデンティティ』 ケン・ジョセフ 光文社 《後編》
           【阿弥陀信仰】

 余談だが、信者数で見ると、浄土真宗は日本最大の仏教宗派だが、イギリスの小学校の教科書では、日本は仏教国ではなく、キリスト教国になっているという。(p.124)

 

 

【明治維新:天皇すり替えの真相】

 長州藩は、田布施に集まった若者の中から大室寅之助という青年を明治天皇の替え玉の候補として用意していた。

 だが、すり替えといっても、イギリスの本音は、孝明天皇と皇太子を暗殺し、誰でもいいから自分たちの意のままになる替え玉を次期天皇として据えればいいというもので、・・・(後略)・・・。(p.145)

   《参照》  『なぜ日本中枢の超パワーは「天皇」なのか』 中丸薫・ベン・アミー・シロニー 《前編》

            【孝明天皇と明治天皇の間】

 これに関するキーマンは、伯家神道神官・高濱清七郎さんだそうですので下記リンクを付けておきますが、真相は書きだしません。本書の最重要箇所ですから、ご自分で・・・。

   《参照》 『ついに、愛の宇宙方程式が解けました』 保江邦夫 (徳間書店) 《前編》

            【岡山:神道の要衝地】

 

 

【大正天皇】

 一般的には、大正天皇はひ弱で短命だったという印象だろう。在位もわずか15年しかない。

 ところが実際は正反対で、大正天皇は実に頭の良い、健康で立派な体格の方だったのだ。

 ・・・(中略)・・・。

 大正天皇は、どうすればイギリスによる日本の植民地化をあきらめさせることができるか、誰にも相談することなく自分一人で戦略を練って断行されたのだ。(p.157)

 どうしたのかというと・・・

 大正天皇はまだ皇太子の時代に、鍋島に依頼してガーター騎士団への入団を果たされた。(p.158)

 一体、どんな奥の手を使われたのであろうか?

 考えられることは、たったひとつしかない。

 日本の地で最期を迎えたキリストに関するすべての真実を当時の団長に巧みにリークされたのだ。(p.159)

 これによって、大正天皇はガーター騎士団の後継者候補になったらしい。

 傀儡であるはずの日本の天皇の皇太子が、騎士団の団長になったら、イギリス側は誰も逆らえなくなってしまう。

 結局、大正天皇は何者かに毎日毒を盛られ、だんんだん体が弱って、わずか在位15年で崩御されたのだ。もちろん、病死という扱いだが。(p.160)

 

 

【消えたB29】

 昭和天皇は、東京の民と日本を守るために、秘伝の祝詞が書かれた巻物をお開きになり、祝詞を唱えられたという。

 このとき、はるか遠くの太平洋上では、原爆初号機を搭載したB29がこつ然と消えてしまったのだ。

 重い原爆を搭載したB29は、自機防衛のための武器をすべて外しているため、周囲を護衛戦闘機に囲まれているのだが、数十名の戦闘機パイロット全員が一瞬にして消滅したのを目撃している。(p.164-165)

 これについては、『祈りが護る國 アラヒトガミの霊力ふたたび』の最初に詳細に記述されている。

 「天皇なんて、ただの象徴でしょ。庶民のような生活苦の憂いなどない優雅な特権階級でしょ。羨ましいこってす」 とかって思っているような人々ほど、『祈りが護る國・・・』や本書を、ご自分でキッチリ読んでみてください。

 

 

<了>

 

 

保江邦夫・著の読書記録