3巻 《前編》  より

 

 

【伊賀と甲賀】

「・・・伊賀の忍びは、特定の主を決めることはなく、お金を払ってくだされば、どなたのどんな依頼でもお受けいたします。甲賀は主をきめ、生涯その1人の手足となるのですが」

その漆黒の瞳が揺らがない代わりに、思わず俺の目が揺れた。 (p.94)

チャンちゃんの目も、思わず揺れた。

こう語っているのは伊賀の忍びである呉羽なのだけれど、呉羽自身は、主君を定めている。

このような伊賀と甲賀の違いが、事実なのか、それとも、物語を盛り上げるための単なる仕掛けなのか、忍者の歴史に詳しくないチャンちゃんには分からないけれど、ネットで見てみたら、どうやらこの違いは事実らしい。

 

 

【花田色】

少しくすんだ青。花田色。

露草の青で染めた、いわば日本の青の原点の色。

純度が高くなればなるほど、青は何もかも破壊する色になると、俺は良く知っているけれど。(p.146)

こう語っているのは、高師直役を演じている大和。雛鶴(千鶴子)の弟。

青の純度が高くなれば、鋭利の極に達する感があるから、何もかも破壊する色になると思うことも分からないではないけれど、露草の青で染めた「日本の青」のみならず、赤・橙・黄・緑・青・藍・菫の帯状スペクトルに並ぶ7色全てが純度を上げてゆき、帯状スペクトルの両端である赤と菫の間に、赤と青の混色である純度の高い「日本の色:紫」を置くなら、帯状直線スペクトルは螺旋円環スペクトルに変容する。そして、純度を上げるということは、色彩の周波数を上げること、すなわち次元上昇=アセンションに相当する。

この場合、起こるのは、破壊ではなく創造である。

   《参照》  『色と形の深層心理』 岩井寛 (NHKブックス)

            【紫に潜在する両極性】

   《参照》  『22を超えてゆけ』 辻麻里子 (ナチュラルスピリット)

            【宇宙の光】

大和は、修羅に堕ちている。

本書において、大和は、最初からそういうキャラクター設定になっている。

 

 

【歴史を書き換える】

大和は、名に相応しくない(日本の本質を知らない)未熟者である、とチャンちゃんは断言する。

尤も、大和は過去の歴史を変えてしまえば、現在と未来が歪むと考えているが故に、「大和が学んで知っている通りの歴史を作る」という意志で行動しているのだから、チャンちゃんの断言は、テンデまるでウルトラ御門違いなものである。

とは言え、「過去の歴史の作り変えは、時空の歪みをもたらす」という大和の思い込みは、根本的に間違っている。歴史を作り替えたら、変えたなりのパラレルワールド(PW)が別途創出されるだけである。PWは無数に存在する。人は、自らの意識によって、その中のどのPWを選ぶのか、というだけのことである。このことを理解できるなら、歴史(時空)修正部隊のメンバーとして行動することに躊躇はないだろう。

本書は、2012年末以前の2010年に著されたものだから、著者さんも御自身の過去世の記憶に忠実に描くことを望み、それに違わぬように大和を配するという構想にしていたのだろう。

しかし、周波数の変曲点である2012年末を超えた2019年の今なら、大和に、歴史(時空)修正部隊、すなわち、ウイングメーカーとしての役割を持たせ、大塔宮と雛鶴姫に、異なった運命を辿らせることは可能だろう。

   《参照》  『ウイングメーカー』 shima訳 (VOICE)

と言っても、著者さんは、自分自身の想いをこの作品の中で表現することで、自他救済としての重荷を降ろすことができたのだろうから、今更、歴史修正版の『キミノ名ヲ』を書く気などないだろう。それは分っている。

チャンちゃんはただ、この読書記録を読んだ人が、過去(世)の記憶に囚われる必要のない時代に入っているのだ、ということに気づいてもらうために書いただけ。自分の潜在意識に蓄えられている過去(世)の感情を、マイナスに捉えているならマイナスの事象が眼前に展開し、それをプラスに捉えようとするならプラスの事象が眼前に展開する。「今」の認識を変えれば、「過去」も「未来」も即時・同時に変わるのだということを。

過去と未来の歴史(PW)は無数に存在する。

このことを、心にシッカリと銘記してちょうだいネ。

   《参照》  『異国のヴィジョン』 北川智子 (新潮社)

          【タイムライン】

 

 

【足利家と新田家】

足利家と新田家は同じ先祖の源義家という人から出ている。

足利庄に根を下ろしたのが、義家の息子の義国で、新田庄に根を下ろしたのが、義国の息子の義重だった。

義重は元々足利庄にいたが、足利庄は弟に譲り、自分は父の義国と共に新田庄を開拓して新田庄を治めることになる。・・・中略・・・。

「・・・足利家は名門。対して俺の新田家は、ただの地侍。それはどうしてだ?」

・・・中略・・・。

「その弟の子、つまり足利家の者が、北条家の娘を代々妻にして姻戚関係を結んでいったから」

この時代は妻の家のほうが強いから、足利家は北条家と血が交わったことで、源頼朝や北条政権に寄り添いながら栄えていく。

「対して新田の祖となった義重は、源頼朝にいろいろと歯向かったせいで不興を買い、鎌倉殿での立場が微妙になっていく、結局、あまり鎌倉殿に貢献しなかったとされて、それが足利家と新田家の差に繋がっていく」(p.160)

竹田和平さんは、

足利尊氏について、「源家総領の血統を自負する尊氏は・・・」と書き、

新田義貞については、「源氏の頭領を自任する英雄義貞は・・・」と書いている。

武家源氏直系の血筋ということであれば、新田義貞が「源氏の頭領」になり、公家につながる血の濃さなり武家としての活躍の度合いで言うなら、足利尊氏が「源家総領」に相応しいということか。

竹田和平さんは、新田家を「源氏」、足利家を「源家」と異なった表現をしているけれど、新田は、武家源氏のみの血筋であるのに対して、足利には、後に公家源氏の血も混ざっていることを意識していたからだろう。血統としても公武合体していないと日本の中枢には立てないのである。

いずれにせよ、最も精緻な「日本文化(室町文化)の原型(粋)」を花開かせるべく、時代の仕組みを担っていたのは、足利尊氏であったことに間違いはない。

   《参照》  『京都の秘密 経営の絶対ヒント 深見所長講演録5』 (菱研)

            【日本的美意識と銀閣寺】

            【義政と能阿弥】

しかし本書のテーマは、大塔宮と雛鶴姫の恋の物語だから、二人の命運が閉じた時(足利尊氏が後醍醐天皇に反旗を翻す直前)を以て終了している。故に、足利尊氏の登場は、エキストラ程度である。

 

 

4巻 へ続く