巻 《後編》  より

 

 第4巻の副題は「キンノクニ」。暗転して行く運命の中で、光に満ちた国になれば・・・という希求の象徴。

 

【奥州守】

「・・・私は、奥州の平定を望んでおる。・・・中略・・・。鎌倉殿もない。だから新しく奥州鎮守府なるものを置こうと思う。・・・中略・・・」

大塔宮様はだだじっと後醍醐帝を見つめていた。

恐らく、すでに大塔宮様は後醍醐帝に適任を推挙している。

「・・・その補佐役である奥州守には、北畠顕家。そなたを任ず」 (p.148)

鎌倉殿(鎌倉幕府)を倒し、いわゆる「建武の中興」がなり、新体制を敷くに際し、大塔宮は征夷大将軍になり、北畠顕家はわずか16歳で、奥州へ飛ばされることになった。

 

 

【大塔宮と真白】

「・・・己、が恐ろしい。ヒナのことになると、見境がなくなる。私はこのような男ではなかったはずなのに」

そう言った彼の言葉に、目を見張る。

私が、彼を壊した?

 

完璧な『帝の皇子』だった彼を、私が『ただの男』に落とした?

 

歯車が、狂っていく。

もう一度交わす激しいキスの果てに、彼は呟いた。

「・・・ヒナは但馬の国へ行け」

但馬が地名だとすぐに気づくけれど、明らかに京ではない。

「子が生まれるまで、しばし距離を置こう。このままでは、私もヒナも良くない。但馬に私の所領がある。近くに赤松家もあるから、何かあればすぐに助けてくれる」 (p.146)

但馬の国は、現在の兵庫県北部。

大塔宮は、真白を奥州に追いやるまで、真白から雛鶴を引き離すために、7か月目の雛鶴を内密に但馬へ出発させたらしい。

 

 

【破滅の約束】

大塔宮はこれ以上真白を自分の周りに置くことはなく、できるだけ姉ちゃんを遠くへ引き離したいと望むはず。

そこへ切り出される、奥州鎮守府の札。

大塔宮様が選ぶのは、一人しかいない。

大塔宮様は己の後ろ盾である北畠家を、自ら選んで追いやっていく。歴史の上から見ると、理解できないその行動の裏にあるのは、ただ一つ、愛だけ。(p.129-130)

北畠家は、後醍醐天皇の信頼厚い北畠親房の家。大塔宮の母方の家系でもあり、雛鶴は、そこに南の方として住んでいた。

やっぱり、女に溺れる人間に国なんて治められない。

玄宗皇帝と楊貴妃も、結局愛ゆえに全てを失った。

比翼と連理の約束。

それは破滅の約束にしか思えない。(p.130)

政治は本来、最大多数の最大幸福実現を目指す世界、ないし、変革期には時代の仕組みを担う役割の世界であるべきなんだろうけれど、その実態は、利権に群がる黒い欲望をうまいこと裁きつつ遣り繰りするという、見え透いた、とてつもなく周波数の低い世界。清らかな人間が放ちうる最も周波数の高い愛の世界とは本質的に交わらない。

政治を舞台にしながら、比翼と連理の約束をするなら、破滅必着のストーリになるに決まっている。比喩としてであれ、美しい愛の形を、政治の世界に持ち込むのは、カテゴリーエラーみたいなものだろう。

 

 

【紫苑】

「あら、紫苑。・・・中略・・・。秋の花ですよ。野菊の仲間ですが、花弁が薄紫のものは紫苑です」

「紫苑の・・・、花言葉・・・・」

 ・・・中略・・・。

「『君を忘れず』」

・・・中略・・・

一言も言葉を交わさず、この瞳に映すこともできずに、ただ花だけ置いて、遠い地へ行ってしまった。

どこまで行っても、白い、白い、雪原の人だったように思う」(p.192)

真白くんが奥州出発に際して、置いていった別れの花言葉は 『君を・・・』。

でも、

紫苑なんかより、紫色のライラックを置いてった方がクールじゃん、とチャンちゃんは思う。

その場合の、別れの花言葉は 『初・』。

 

 

【阿野廉子】

しばらく沈黙が続いたあと、後醍醐帝は一度ぱちりと扇を鳴らした。

まるでこれで仕舞だ、とでもいうように。

「大塔宮護良。本日をもって、征夷大将軍の任を解任す」 (p.200)

廉子の長子、恒良が、東宮(皇太子)になることは、すでに決まっていた。

 

 

【始まりの場所へ】

始まりの場所へ。そして、終わりの場所へ。

「か、鎌倉・・・? 配流にするならば、鎌倉に送る必要が・・・」

「主上、大塔宮様は危険です。その帝位を狙う逆賊でございます。北に逃がせば、北畠家が、西に逃がせば九州の菊池氏や阿蘇氏がそれぞれ大塔宮様を保護することでしょう。どこに逃がしても、ただ大塔宮様を京から追いやっただけの話。いつだってこの場所へ舞い戻ってこれましょう」

後醍醐帝は俺を呆然として見つめている。

「さらに強大な力をつけ、さらに帝の座にふさわしくなられて、主上の前に立ちふさがりますよ。ですが、その点鎌倉は安全。鎌倉を治めているのは、主上の御子。そして足利直義。あんなに敵対している足利家の下です。力を蓄えることはできません」

「・・・そうしよう」

後醍醐帝は躊躇もせずに、こくりと頷いた。 (p.228)

後醍醐帝が、帝中心の中央集権国家を望んでいたのなら、帝自身が常備軍を持たなければならない。それには、大衆に人気があった大塔宮こそが最適な人材であったにもかかわらず、父である後醍醐帝は、その役割を足利尊氏に持たせ、息子である大塔宮の征夷大将軍という役割を解任してしまい、次いで鎌倉へ配流!!!

足利尊氏と阿野廉子のいずれ側の奸智奸計によって唆されたにせよ、父が子を左遷し配流するということも、この時代ならありえたことなのだろう。

 

 

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