明るい未来を選び取ろうとする意匠に満ちた著作。2019年4月初版。
【第四の波】
スピリチュアルは意識に基を置く認識体系なので、定量化・数量化という低次元の説明様式に固着する人にとっては「まやかし」としか思えなくとも、「観測者の意識が、観測結果に影響を及ぼす」というハイゼンベルグの定理を基とする量子力学に関して最低限の知見がある人にとっては「まやかしなどではない」ことは明らかで、このような認識段階に達している正常な知性を持つ真っ当な人々の意識を急速に変容させつつある。
それは、農業革命→産業革命→情報革命→意識革命というとらえ方です。
大きな社会変革、暮らしのあり方に変容をもたらすものを革命と呼びますが、定住し食糧を得るようになった農業革命からはじまり、工業化をもたらした産業革命、情報産業が時代の花形となる情報革命、そして、意識革命という、精神のよりどころ、ありどころが、根底から変えてしまう精神の革命が訪れようとしています。(p.46)
アルビン・トフラーの『第三の波』が出版されたのは、今からもう40年も前。コンピュータによる情報革命が起こることを予見していた著作で、世界は『第三の波』に記述されていたとおりに変化してきた。そして、情報革命は、既存の社会の産業形態を変えるだけでなく、インターネットによって供給されている数多の情報によって、人間の意識を急速に変容させつつある。このことが極めて重要なのである。
大きな社会変革、暮らしのあり方に変容をもたらすものを革命と呼びますが、定住し食糧を得るようになった農業革命からはじまり、工業化をもたらした産業革命、情報産業が時代の花形となる情報革命、そして、意識革命という、精神のよりどころ、ありどころが、根底から変えてしまう精神の革命が訪れようとしています。(p.46)
意識という目に見えない領域が主となるため、それこそ意識しなければ認識しづらいのですが、この波は、2012年の冬至から始まりました。
そう、皆が「アセンション」と呼んでいた、その日です。(p.46-47)
人類の意識変革は、地球の周波数上昇に伴って起こっている事象。そう、皆が「アセンション」と呼んでいた、その日です。(p.46-47)
スピリチュアルは意識に基を置く認識体系なので、定量化・数量化という低次元の説明様式に固着する人にとっては「まやかし」としか思えなくとも、「観測者の意識が、観測結果に影響を及ぼす」というハイゼンベルグの定理を基とする量子力学に関して最低限の知見がある人にとっては「まやかしなどではない」ことは明らかで、このような認識段階に達している正常な知性を持つ真っ当な人々の意識を急速に変容させつつある。
【量子力学】
下記リンクからそこに紐付くリンクを末端まで辿って行けば、量子力学が語っている「時間の概念の変容」についてのアウトラインも分かるだろう。カチンコチンの石頭でない限り。
《参照》 『この世のすべては波動でわかる』 ジュード・カリヴァン (徳間書店)
量子力学とは、陽子・中性子といった原子核以下の非常に小さい領域を扱う学問です。
これによって、物質の客観的な実在性を扱う古典力学の根本的な見直しが図られるようになりました。
今も量子力学の研究は毎年どんどん進化していますが、確たるエビデンスを証明する前に、すでにその成果は量子コンピュータなど、さまざまな最新テクノロジーの開発に欠かせないものとなっているのです。
私たち人類は、「量子」という極微で遍満するエネルギー(粒子性と波動性がある)が、私たちを取り巻く世界のすべてにあることを発見したときから、今まで常識とされてきたマクロな物理法則を飛び越え、常識が全く通用しない、より本質的で精妙な、物質を超えたエネルギー世界への探求が本格化したといえましょう。(p.49)
スピ系著作内で、比較的多く用いられている量子力学の用語は、「エンタングルメント」だろう。これによって、物質の客観的な実在性を扱う古典力学の根本的な見直しが図られるようになりました。
今も量子力学の研究は毎年どんどん進化していますが、確たるエビデンスを証明する前に、すでにその成果は量子コンピュータなど、さまざまな最新テクノロジーの開発に欠かせないものとなっているのです。
私たち人類は、「量子」という極微で遍満するエネルギー(粒子性と波動性がある)が、私たちを取り巻く世界のすべてにあることを発見したときから、今まで常識とされてきたマクロな物理法則を飛び越え、常識が全く通用しない、より本質的で精妙な、物質を超えたエネルギー世界への探求が本格化したといえましょう。(p.49)
下記リンクからそこに紐付くリンクを末端まで辿って行けば、量子力学が語っている「時間の概念の変容」についてのアウトラインも分かるだろう。カチンコチンの石頭でない限り。
《参照》 『この世のすべては波動でわかる』 ジュード・カリヴァン (徳間書店)
【量子の非局在性=量子もつれ(エンタングルメント)】
「時間の本質」は、直線的時間軸(過去→現在→未来)ではないということ。
このことを、明確に認識することが最重要。
【意識革命の本質】
さて、ずばり、意識革命とは、どんな意識の革命なのでしょうか?
それは、自分の中に神を見出す、ということです。
もう、誰かやどこかや何かに頼るのではなく、自分の内側に、すでに神性意識があることに気づき、そこを知って生きるフェイズです。
もっというなら、自分自身が神だった! と知って生きる、その次元です。
これは、観念論でも比喩でもなく、本源的なリアリティとして伝えています。 (p.50)
仏教やキリスト教などの宗教団体に属して、その教学に洗脳されていると、神は「帰依の対象」だったり「裁く存在」だったりするのだろうけど、金集め宗教の枷に嵌ることなくスピリチュアルを学んできた人々なら、そんな陳腐な認識体系はとっくに卒業しているはずである。
《参照》 『神とひとつになること』 ニール・ドナルド・ウォルシュ (サンマーク出版) 《前編》
《参照》 『神とひとつになること』 ニール・ドナルド・ウォルシュ (サンマーク出版) 《前編》
また、日本古代の重要文研であるカタカムナによると、「カミ」は以下のようになる。
《参照》 『カタカムナ 言霊の超法則』 吉野信子 (徳間書店) 《後編》
《参照》 『カタカムナ 言霊の超法則』 吉野信子 (徳間書店) 《後編》
【肉体を持ったものが神】
上に書き出した最後に“これは、観念論でも比喩でもなく、本源的なリアリティとして伝えています”とあるけれど、今、地球の周波数が上昇しつつある過程で、従来の地球において認識の基礎とされている「表面意識状態」という枠を超脱した「変性意識状態」下において、奇妙な事象に遭遇している人々はたくさんいるはずである。このような体験を重ねるにつれて、本源的なリアリティを認知するようになり、“意識の分水嶺”の左右を誤ったり疑ったりすることはなくなるだろう。
上に書き出した最後に“これは、観念論でも比喩でもなく、本源的なリアリティとして伝えています”とあるけれど、今、地球の周波数が上昇しつつある過程で、従来の地球において認識の基礎とされている「表面意識状態」という枠を超脱した「変性意識状態」下において、奇妙な事象に遭遇している人々はたくさんいるはずである。このような体験を重ねるにつれて、本源的なリアリティを認知するようになり、“意識の分水嶺”の左右を誤ったり疑ったりすることはなくなるだろう。
【日本語が持つオリジナリティ】
日本語というのは、どの語族にも属していない非常にユニークな言語です。
その発祥は・・・? というと、なんと人類発祥以来の言語形成プロセスである「自然発生音」がもとになってつくられているのです。(p.164)
それが積み重なって、やがて言葉として成立し、継承されていったものと考えられます。
実は、当時の音(言葉)の名残が、今もまだ現役で使われているのです。
それを、大和言葉(原日本語・和語)と言います。(p.165)
《参照》 日本文化講座⑩ 【 日本語の特性 】 <後編>
その発祥は・・・? というと、なんと人類発祥以来の言語形成プロセスである「自然発生音」がもとになってつくられているのです。(p.164)
それが積み重なって、やがて言葉として成立し、継承されていったものと考えられます。
実は、当時の音(言葉)の名残が、今もまだ現役で使われているのです。
それを、大和言葉(原日本語・和語)と言います。(p.165)
■ 音が媒介する意味の広がりをもつ日本語 ■
●《言霊》それは日本語の中に生きている縦の秘儀である●
日本語(とくに大和言葉やオノマトペ)は、発する音(言葉)と出来事(事象)の間の隔たりが、それほどないという特徴があります。(p.165)
日本語は、このようなオリジナリティを持つがゆえに、“自然と対象物のイメージが湧きやすい”という特徴があり、“適した音(言葉)を言えば、適したものが現象化しやすい ― という言霊信仰(言葉は霊力を持つ)”が、現代にも引き継がれている。と書かれている。
私たちは直感的に、言葉は事(事象)と場(空間)に影響を与えることを知っているんですね。(p.166)
《参照》 『宇宙一切を動かす「数霊」の超メッセージ』 はせくらみゆき・深田剛史 (ヒカルランド)
【日本語】
【 「令和」の“音秘め翻訳” 】
新元号「令和」も、まさしく言霊の力が働いています。
おとひめ翻訳で見てみると、れ(尊い)い(伝わる・光)わ(調和)となり、令和とは尊い光の調和ということになります。・・・中略・・・。令和を英語でいうと Beautiful Harmony となるそうなので、やっぱりそうかとうれしくなりました。(p.166)
“おとひめ翻訳”なら、“尊い光の調和”という明るい解釈になる。おとひめ翻訳で見てみると、れ(尊い)い(伝わる・光)わ(調和)となり、令和とは尊い光の調和ということになります。・・・中略・・・。令和を英語でいうと Beautiful Harmony となるそうなので、やっぱりそうかとうれしくなりました。(p.166)
しかし、
“カタカムナ48音の思念表(上掲)”を用いると、れ(消失する)い(5次元)わ(調和)となり、“5次元の調和が消失する”という真反対の暗い解釈になってしまう。
未来はいつだって確定したものではないのだから、どちらの解釈に近い未来を引き寄せるかは、地球人類の集合意識次第。
スピ本の著者たちは、明るい未来を引き寄せるために、暗い側の未来は示さないという姿勢を保持している方々が多い。
スピリチュアルは常にそうであるべきなのだけれど、著者さんは、「予祝」という言葉で示される日本人の生き方に則して、以下のように書いている。
【予祝:日本人に与えられた成功法則】
《参照》 『奇跡の日 人類、地球そしてフォトン・ベルト』 渡邊延朗 ガイア出版
ではここで、日本人が古来行っている「予祝」という考え方を、ご紹介したいと思います。
予祝とは、前もってそれが実現したかのごとく、お祝いすること。つまり、前祝のことです。春にお花見をすることも、夏に盆踊りをすることも、秋の豊作を願って行う予祝のひとつです。
そんな予祝、なんと神代の頃からすでに行われていたってご存知でしたか? (p.160)
天岩戸開き神話のこと。予祝とは、前もってそれが実現したかのごとく、お祝いすること。つまり、前祝のことです。春にお花見をすることも、夏に盆踊りをすることも、秋の豊作を願って行う予祝のひとつです。
そんな予祝、なんと神代の頃からすでに行われていたってご存知でしたか? (p.160)
《参照》 『奇跡の日 人類、地球そしてフォトン・ベルト』 渡邊延朗 ガイア出版
【フォトン・ベルトの時代 = 天の岩戸開き】
「予祝」とは、日本人に与えられた素晴らしい成功法則であり、神様からの贈りものです。パラレルジャンプが起りやすい方法でもあります。
どうぞ、望む世界をどんどん予祝して、素晴らしい世界を軽やかに、創造していきましょうね。(p.161)
どうぞ、望む世界をどんどん予祝して、素晴らしい世界を軽やかに、創造していきましょうね。(p.161)
【縄文の生き方】
ところで、今も使われているという原日本語 ――― 大和言葉は、いつの時代に育まれ、発展していったのだと思いますか?
それは、あの縄文時代です! (p.166-167)
この記述の後、5つの大和言葉(ワ・マコト・ヒト・ミナカ・イマ)についても解釈が示されている。
それは、あの縄文時代です! (p.166-167)
この(5つの)単語を一文でまとめてみると、大調和の調えの民――和の民たちは、和(ワ)をもって貴しとし、誠(マコト)の心で行動し、神の分魂であるヒトとして、ミナカより考え、創造しながら、今のときを、喜び朗らかに生きて行こう、ということになります。
そうするとどうなるのか?
それは、大いなる和が、どんどん行き渡り、すべてが響き合って調和する、素晴らしい世界になっていくよと教えてくれているのではないでしょうか。 (p.174)
そうするとどうなるのか?
それは、大いなる和が、どんどん行き渡り、すべてが響き合って調和する、素晴らしい世界になっていくよと教えてくれているのではないでしょうか。 (p.174)
【黎明令和 ― 本来の「命令」】
令命 = 天意のまま生き(令)ていこうとする、肉体を持った神である私(命)
命令 = 肉体を持った神である私(命)が、天意のままに生きる(令)
黎明(令命)令和 = 夜明け(天意のままに生きていこうとする私)こそが尊い光の調和を導く
「私には、天意が何だか分からない」という人は、「天意」を「あい」(愛)と読めばいい。
とくに、「黎明令和」という言葉が繰り返し響くので、「これはいったい何ですか?」と内奥に問うと、
「黎明令和は、夜明けて開く大調和(弥勒の世)という意味です」
と言います(閃きます)。
そして、
「もうすでに天岩戸は開いているから、あとは心の岩戸を開いて、天の御心のままに、進んでおくれよ」
という想いが届くので、「ふーん、そういうものかなぁ」と思いました。
また、黎明令和の黎明という字は、令命という言葉にも変換でき、その意は“天意のまま生きていこうとする命”としてとらえられるなぁと思い、感心していたところ、ハタと、逆さ文字は「命令」であることに気がつきました。
あ、そうか! 本来の「命令」は、誰かに指図されるのではなく、肉体を持った神である私(命)が、天意のままに生きる(令)という、自発的な命の発動の仕方だったんだな、と直覚したのです。
この発見?! で、「命令」という言葉が、素敵なものに感じちゃう私って・・・単純(笑)。 (p.200-201)
4月に年号の「令和」は発表されて以来、いろんな解釈がネット上に溢れていたけれど、この解釈がベストだろう。「黎明令和は、夜明けて開く大調和(弥勒の世)という意味です」
と言います(閃きます)。
そして、
「もうすでに天岩戸は開いているから、あとは心の岩戸を開いて、天の御心のままに、進んでおくれよ」
という想いが届くので、「ふーん、そういうものかなぁ」と思いました。
また、黎明令和の黎明という字は、令命という言葉にも変換でき、その意は“天意のまま生きていこうとする命”としてとらえられるなぁと思い、感心していたところ、ハタと、逆さ文字は「命令」であることに気がつきました。
あ、そうか! 本来の「命令」は、誰かに指図されるのではなく、肉体を持った神である私(命)が、天意のままに生きる(令)という、自発的な命の発動の仕方だったんだな、と直覚したのです。
この発見?! で、「命令」という言葉が、素敵なものに感じちゃう私って・・・単純(笑)。 (p.200-201)
令命 = 天意のまま生き(令)ていこうとする、肉体を持った神である私(命)
命令 = 肉体を持った神である私(命)が、天意のままに生きる(令)
黎明(令命)令和 = 夜明け(天意のままに生きていこうとする私)こそが尊い光の調和を導く
「私には、天意が何だか分からない」という人は、「天意」を「あい」(愛)と読めばいい。
<了>
はせくらみゆき・著の読書記録
『数霊に秘められた宇宙の叡智』 ★★★