《前編》 より

 

 

【マクガバン・レポート】
 1970年代のアメリカで、医療費増加による財施危機打開のため、7年間にわたって数千万ドルを投じてまとめられたレポート。
 そこには、心臓病など諸々の慢性病の原因は肉食中心の食生活であって、薬では治らないと書かれています。付け加えて、世界中の食事の中で一番素晴らしいのが、室町時代の日本食だと発表しました。精白しない穀物を「5」、季節の野菜や海藻を「2」、小さな魚介類や小動物を「1」、といった割合が一番健康にいいと述べています。 (p.158)
 欧米での生活経験がある人たちの中には、「あれは食事というよりエサに近い」とすら言う人がいるし、アメリカ人みずから、「あれはジャンク(ゴミ屑)フード(食)」と言っているのを聞いたこともある。作るのも出すのも「バサッ、ドサッ」って感じで、略奪文化のままであると。そういうのに比べると、日本食は、明らかに栄養面までキチント考慮された繊細な文化である。だから、日本の和食は世界遺産になったのである。
 5:2:1 は、臼歯、門歯、犬歯の本数割合に合致している。

 

 

 

【野菜の芯や節】
 野菜の芯や節は、実際は栄養価が高く漢方薬やサプリメントの材料になる部分。また、野菜全体を繋ぎ合わせている部分が芯や節で、その接着部分を食べなくなったからこそ、人は人と繋がれなくなっているという料理家の言葉に、私も共鳴します。(p.160)
 チャンちゃんも共鳴するし、「全体食が基本」と分かっているから、皮までは普通に食べているけれど、芯や節までとなると、それなりの調理法が必要だろう。マクロビを提供するプロにでもならないと、そこまでするのは少々大変。

 

 

【米農家の経営実態】
 日本の食を支える重要な仕事なのに、農家さんは赤字ばかりです。・・・中略・・・。米農家さんの一俵(60キロ)当たりの生産費用は現在、約1万7000円。それにたいして販売価格は1万3000円を切っていて、近年下がる一方です。一俵作るごとに4000円も赤字です。 (p.162-163)
   《参照》  『日本のリアル』 養老孟司 (PHP新書) 《後編》
            【日本のコメ農家】

 米作は、最も手間がかからないけれど、作るのに必要な機械が高額だからこういうことになってしまう。自給自足分を作るだけなら機械を一切使わずとも作れないことはないけれど、脱穀機だけはないと大変すぎるだろう。また化学肥料等を全く使わない不耕起農法にこだわる場合は、冬季潅水による自然農法が絶対条件。しかし日本の農業は、住友化学との癒着関係で構築されているから、冬季には農業用水路に水は流れていない。冬季潅水が可能な田圃はかなり限られている。
  《参照》  『神国日本八つ裂きの超シナリオ』 菅沼光弘×飛鳥昭雄×ベンジャミン・フルフォード 《前編》
            【モンサントと住友化学】 

 

 

【子どもたちに希望を見せられるのは・・・】
 夢を追う人が私の知恵を活かしてくれるのなら、これからも隠さずに伝えます。その知恵を、次の夢追い人に伝えてもらいたい。もっともっと、たくさんの小さな個人自営業者が日本中に増えてほしい。・・・中略・・・。作家の村上龍さんがかつて「今の日本には何でもあるが、希望だけがない」と言いました。子どもたちに希望を見せられるのは、プロのスポーツ選手や芸能人やミュージシャンだけではありません。近所で活き活きと楽しそうに働く“ダウンシフターズ”なのかもしれません。 (p.170)
 日本が高度経済成長を始めた初期の頃は、趨勢とすれば日本人全体がアップシフターズだったのだけれど、現代のダウンシフターズが意図しているのと同じような慎ましい生活実態だった。
 勘違いしてはいけないのは、「経済的成長が幸せを生んだのではない」ということ。それが証拠に、成長が飽和段階に来ると、人は幸せを感じず夢や希望を語れなくなったのである。現代の大人たちは「もっともっと病=麻薬(カネ)による禁断症状抑止モルヒネ注射依存患者状態=幸せ≒希望」という愚かな勘違いをしていただけのことである。「アップシフトは、幸せの幻想であった」と自覚できていない大人たちは、だから、若者に対して希望を語れない。
    《参照》  『入国拒否』 小林よしのり+金美齢 幻冬舎
            【 「日本には何でもあるけれど、希望だけがない」 】

 

 

【就職=「自立」?】
 企業に就職することで、・・・中略・・・、様々な経験を積むことができます。・・・中略・・・。勤めていた会社に感謝しています。それを伝えつつも、あえてこう言いました。“就職することは、会社に生活を依存しきってしまうことかもしれません。就職=「自立」ではないかもしれないですよ”。(p.201)
 そう、就職=「自立」ではない。就職=「依存」である。このことを自覚せずに生きていると、貨幣経済システムと言う麻薬による禁断症状を断つことが困難になってゆく。
   《参照》  『魂の退社』 稲垣えみ子 (東洋経済新報社) 《前編》
            【つまり、会社で働くということは・・・】

 

 

【システムから降りたら“自分探し”が終わった】
 なんでも買わないと生活できない。何かを買えないと幸せになれない。そう思っていると無意識のうちに恐怖心が生まれ、ますます頑張って働かねばと思い込み、カネの奴隷になってしまいます。・・・中略・・・。
 だから私は会社を辞め、自分でできることを少しずつ増やしてきたというお話をたくさん書きました。お金は少々でも、食べ物を始め、自分で何でも「do」できれば、買うものが少なくても豊かに暮らせます。するとお金は単なる物々交換手段という役割に落ち着きます。やっと、お金に支配されることから脱し、お金の上に立てたのです。お金に左右されなくなったとき、どう生きたらいいのかという永久に続くと思っていた「自分探し」が、いつの間にか消えていました。(p.215-216)
 ダウンシフトする生活の完成形を目指していたプロセスが、中途半端なものではなかったことが、本書から十分感じ取ることができる。行動を先行させつつ「真剣に生きていた」ら、「どう生きたらいいのか」などという問題が浮上してくるはずはない。

 

 

【「わが社を選んだ理由は何?」】
 「モノが溢れているこの社会は、何だかオカシイと思います。ファッションの最先端で流行が目まぐるしく変わる小売りの最前線でこそ、そのオカシサを自分の目で確認できると思ったからです」 (p.41)
 確認できたうちのひとつが、下記の事例だろう。

 

 

【カシミヤと黄砂の関係】
 在社時代のあるとき、カシミヤストールが流行したことがありました。インド・カシミール地方の高山地帯の山羊からとれる貴重な素材ですから、一部の高級店でしか買えないはずです。しかし流行とともに・・・中略・・・チェーンスーパーの棚でも大量に見かけるようになりました。・・・中略・・・。少し調べてみると、カシミヤ山羊の内モンゴルでの過放牧が進んでいました。そして過放牧は、中国の砂漠化を進めてしまう原因のひとつだということがわかりました。・・・中略・・・。そして、砂漠化により日本では黄砂被害が年々ひどくなっています。 (p.226)
 経済を優先すると、さまざまな問題が生じてしまう。砂漠化やPM2.5など、中国発の諸問題は良く知られているけれど、日本だって1964年の東京オリンピックの頃の映像を見ると、ゴミだらけの街の様子や、公害問題が花盛りであったことがよくわかる。
 中国政府とて、このままでは持続不可能であることは分かっているから、手を拱いているわけではない。ちゃんと日本の過去の経緯を研究しているのである。それどころか、現在の日本の原発管理の杜撰さ状況でさえ、よく調べている。
 何も学ばず、何も努力せず、意識においてすら何ら関わることがないのは、経済システムに組み込まれて消費することしか能がない一般消費者という名の経済システム奴隷くらいだろう。

 

 

【活動を始めたダウンシフターズ】
 自分も辛いが、そのつらさを我慢して頑張っても社会的意義が見いだせないとしたら、何のために働かねばならないのか、自分が頑張って仕事したら、知らない遠くの何処かで誰かを悲しませていた、苦しませていた、病気にさせていた、殺していたとしたら。
 今、ここまで考えた末に仕事を辞め、ダウンシフターズとして働き出した人たちが、これまでとはまったく違うやり方で人生を歩き出し、スモールビジネスを各地で立ち上げています。 (p.227)
 その多くの実例が、1ページにわたって簡略に記述されている。
 上記の人たちには共通点があります。そこにおのずと人が集まってくること。そして出会いが広がってゆくこと。仕事を辞めて新たに働き出したら望んでいたパートナーと出会って結婚したという例を何人も見てきました。未来の方向性が同じだと出会いもスムーズで絆も深くなり、2人で協力して夢に進めるのでしょう。 (p.228-229)

 

 

【次のステージ】
 田んぼ探しを兼ねて、数年前から次の住まい先を探す旅をしてきました。まだどこかは定まっていませんが、東京を離れることを考えています。 (p.236)
 そんな未知の近未来ですが、地方に行っても貫こうと決めていることが二つあります。それは今までにも実行してきた「半自給」と「ミニマム主義」の実践です。(p.237)
 著者の現在の ブログ(たまにはTSUKIでも眺めましょ) には、2018年3月をもって“たまTSUKI”は閉業しましたとあるから、千葉県匝瑳市への移住は完了したらしい。
 地方なら生活費はかなり小さくなるから、「半自給」 と 「ミニマム主義」 を継続しやすいはずである。グローバル化を超えたローカル化の実践は、とても興味深い。
 地方都市の行政にかかわる若い職員たちが、このような実践者たちから広く学ぶ意思があるなら、地方移住推進再生に大きく貢献できるはずである。しかしながら、チャンちゃんの実家のある山梨県甲斐市のように、公的イベントに来賓として招かれ壇上で居眠りをしているような老害市長が先頭に立つ市なら、若い職員たちもただのボンクラとして給料をむさり続けるだけだろう。
 畢竟するに、時代を動かすのは個人である。昔からの地方在住者たちは、もともとの経済のパイが小さいにもかかわらず、ダウンシフトする必要性すら理解できていない。それほどまでに意識進化の遅れたオッサンたちが、行政資金や地域自治会の区費に寄生してこれを貪りあうという呆れた実態である。
 故に鋭意あるダウンシフターズは、ボンクラ市のボンクラ区に単独で移住するよりは、できるだけ志を同じくする人々で同じ地域に集まって移住生活を実践するほうが遥かに効果的である。但し、地理条件として標高600m以上であることはMUSTだろう。

 

 

   《参照》 稼ぐ仕事の縮小、ひいては貨幣経済の縮小が幸せな未来シナリオではないでしょうか(総務大臣補佐官 太田直樹氏)

 

 

 

<了>