【肝心なことは】
それは生命エネルギーには男女両側面があり、その両方を祀ることの意義を古代人は理解していたからに他ならない。
生命エネルギーの男性的な側面は、正義、英知を表し、女性的な側面は、清め、癒し、慈しみを表している。
今、生命エネルギーの男女両方の側面をそのまま純粋なかたちで把握することが必要である。神という形ではなく、エネルギーとして把握できれば理想的だ。
肝心なことは、日本全体で両側面の流れを良くすることであり、そうすることが日本人のアセンションを促す。(p.100-101)
チャンちゃん自身は、自らの御魂が、どうやら神武・崇神系で多くの罪づくりなことを、過去世においてテンコモリやってきたらしいことを感じながら、参拝する神社が、縄文系なのか弥生系なのか、あるいは、旧約のユダヤ系なのか新約のユダヤ系なのかを気にしながら参拝していた時期があった。
しかし、近年は、どの神社であろうと、あるいは、どの国のいかなる教会であろうとモスクであろうと、「過去世において、罪を犯していたやもしれません。そのことを深くお詫びします。新しい時代が、争いのない平和な世界になることを祈念します」という気持ちで祈り参拝している。
縄文の人々が、自然の一部として感受していたエネルギーを龍神ないし水神と呼んで、人間寄りの人格神名を用いなかったことは、叡智の伝承者として相応しいありかただったのであり、弥生以降の人々は、宗教という神計(=奸計)教義によって徐々に洗脳され叡智を失っていたのである。
領地争い正当化のために祖先神を神に仕立て上げ、エネルギー体を排除してきた過程は、まさにアセンションと真反対のディセンションそのものである。
全ての存在は、エネルギー体としての在りようが大元であり、次元が下がるほど性別が明確になり(二元化し)、やがては、人格神という最終的に偽装された神になるのである。つまり、神々が悪用され、神々こそが争いのもとになるのである。西洋社会の有り様こそがまさにこれであり、このような仕掛けが、現在の地球支配者(闇の権力)によって数十世紀に渡って仕組まれ、悪しき効果をいかんなく発揮してきたのである。
日本民族は、このような世界を終わらせることを託されている民族である。欧米流の宗教的侵略に抗して、日本の神社は、エネルギー次元の存在を、かろうじてそれぞれの神社に潜め共存させてきた。主祭神がどう呼ばれていようと、また、その御魂の系譜が何であろうと、摂社や末社に本来のエネルギー次元の存在が、様々な神名でひそやかに残されてきた。これは、東経135度の融合極性最大の地場エネルギーが強く作用していた日本だからこそ起こり得た事なのだろう。日本語民族だからこそできたことのはずである。
《参照》 『ガイアの法則』 千賀一生 (徳間書店) 《前編》
【経度0度と経度135度の文明的特徴】
阪神・淡路大震災が起こった1995年以降、地球風水である『ガイアの法則』に従って、東経135度に位置する日本が、地球の活性ポイントになっている。数十世紀の間、極東という辺境の一部にすぎなかった日本が、すでに、エネルギー的には世界の中心になっているのである。
日本の在り方、日本人のやり方が、本来あるべき方向に糺されるなら、日本は、エネルギー次元的にも、物質次元的にも、名実ともに、速やかに世界の中心となれるだろう。
であるにもかかわらず、中心となる神社が、未だに糺されていない。
【伊勢神宮の生命エネルギー構成】
「両義」 内宮(陽)・外宮(陰)
「四象」 内宮の正宮(太陽)、荒祭宮(少陰)、外宮の正宮(少陽)、多賀宮(太陰)
最大の歪みは、内宮の正宮。
伊勢神宮の内宮では、本来男神を祀るべきところを天照大御神という架空の女神を祭っている。本来の男神を祀るように改めることで一本の柱が立つ。
さらに外宮では、豊受大神という素性のはっきりしない女神を祀っている。本来の女神を祀ることで、柱が立つ。
二本の柱がしっかりと立つことが重要だ。そうすることで、両側面でのエネルギーの流れの滞りが解消し、より多くのエネルギーが流れるようになるだろう。
伊勢神宮が重要なのは、日本国内におけるその地理上の位置が重要というのではない。伊勢神宮が全国の神社の頂点に立つ神社だから重要なのである。
伊勢神宮が右を向けば他の神社も右を向く。女神のアマテラスを祀るのを止め、本来の男神と女神を祀るようになれば、全国の神社がそれにならうだろう。全国の多くの地で生命エネルギーの両側面での流れが良くなり、より多くのエネルギーが流れ込むようになる。その結果、多くの人の意識レベルが高められてゆく。(p.101)
本書には、内宮の主祭神が天照大御神となった経緯も、外宮の主祭神が豊受大神になった経緯も記述されていて、どうすれば本来の祀り方になるのかも書かれている。
天照大神、豊受大神のそれぞれについて、その本当の姿・由来について、いろんな著作で、いろんなケースが書かれているけれど、本書のような「終局的な見解」には至っていない。
本当の姿・由来は著述家によって様々に表現されるけれど、それはさておき、畢竟するに、本来のエネルギー次元の認識を持ちやすい「呼び名」であればいい。
いかなる「呼び名」が適切であるかは、人それぞれスピリチュアルな認識の深さによって異なるけれど、一例を挙げるなら、山水治夫さん は、女性性エネルギー次元の存在を「セオリツ姫」、男性性エネルギー次元の存在を「ニギハヤヒ」と呼んでいる。
最適な呼び名は、日本人の集合意識に最も納まりの良い名前であることだけれど、それぞれの用語を用いて「祈る(意乗る)」ことによって、「二極性(対立・分離)を治め、結んで平和を招く」のに最適であると思うのであるなら、その人にとっては、それでいい。
エネルギー次元の存在は、人間が向ける意識によってこそ、物質次元への導通がよくなるからである。
《参照》 『瀬織津姫システムと知的存在MANAKAが近現代史と多次元世界のタブーを明かす』 中山康直・澤野
【ニギハヤヒとセオリツヒメ】
1年近くホッポラカシタまま、本書の後半をなかなか読む気になれなかったのは、下記リンクのような事実があったからなのかもしれない。
『天皇とユダヤとキリストそしてプレアデス・メシアメジャー』 赤塚高仁・小川雅弘・村中愛
【同座されました】