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 「ゲゲゲの鬼太郎」などで知られている妖怪漫画の作者、水木しげるさんに関する回想録。同じことが2回ないし3回も書かれていたので、「著者さんは、もしかしてアルツハイマー」と思いつつ読んでいた。水木しげるさんという方は、かなり面白い方だったらしい。2016年4月初版。

 

【妖怪は世界共通】
 水木さんはできるだけ原始的な生活をしている原住民と生活することを好み、実に見事にその生活に適応していた。そしてそういう場所で『水木しげるの日本妖怪大全』を出すと、あっというまに老若男女に囲まれ、人だかりができてしまうのである。(p.9)
 著者さんは水木しげるさんと一緒に、マレーシア(セイノ族)、メキシコ、オーストラリア(ニューギニアのバイニング族)などの妖怪探検ツアーに行ったノンフィクション作家さん。
 大人たちは、例えばカッパを見て「これはカエルのハントゥ(お化け)だろう。セイノではカタと言うんだ」と決めてかかってくる。恐ろしく共通しているものが多い。・・・中略・・・。世界の妖怪は共通しているんだなあ、というのが僕の素直な感想だった。(p.9)
 踊りがたけなわになったころに、なんとあんた『ぬりかべ』が出てきたんですよ。びっくりしましたよ。・・・中略・・・。でね、『あれは何の妖怪?』と聞いたら、『ボストンバッグの妖怪』だと。でも形は全く同じなんですよ。(p.105)

 

 

【妖怪界の快】
―― 見えないものを絵にするのも大変だけど、字にするのも大変ですね。
水木 : 見える見えない・・・というより、「感じ」です。これが大事なんですよ。私なんかは、妖怪を描いているときには、霊界にひたっているわけです。これは気持ちいいですよ。・・・中略・・・。妖怪をいじくっていると、その世界に入ってしまうわけです。(p.120)
 この記述から、水木さんは、明らかに異能(脳)の持ち主であったことが分る。ところが、スピリチュアルなセンス(感覚)のない人がこの記述を読んでも、人文的な比喩程度にしか理解しない可能性がある。

 

 

【専門家や権威という輩】
 マレーシアであるセイノの精霊像を見たとき「お化けの本質をついてますよ」と言ったことがあったが、多分このセリフは水木しげる以外には言えないだろう。(p.11)
 博物館の絵を見て、その意味が分かるのは自分の方なのに、なぜ何もわからん連中が勝手に(写真撮影禁止などという)規則を作るのかと、かえって怒っていた。水木しげるの生は、彼の目からはまったく理不尽に見える規則との闘いだったのだろう。(p.106-107)
 お土産屋で妖怪関連のモノを物色していても、水木さんは専門家や権威などの意見には一切耳を貸さずに、自分自身の判断だけを貫いていたという。専門家や権威なんて見えてもいず感じてもいないのに、それでイケシャアシャアと飯を食っているような連中なのだから、見えている水木さんにとって、そんな連中の意見など“屁でもない”のは当然である。
 地球の歴史は周波数変動の歴史である。周波数が変われば人類の認識しうる周波数帯も連動して変わる。それ故に、かつての人類には妖怪や妖精が見えていたのに、現代の人類には見えなくなっているというだけのことである。

 

 

【荒俣宏と京極夏彦】
 旅の途中で弟子の荒俣宏さんや京極夏彦さんの話がよく出た。僕は荒俣さんは『帝都物語』のころから大ファンだったが、京極さんの作品を読んだことがなかった。帰国してから読むことになるのだがすばらしい作品揃いで、特に『鉄鼠の檻』は凄かった。こういう出会いも水木先生との縁のおかげである。(p.13-14)
 へぇ~。京極さんの作品は一つも読んだことがない。そのうち読んで見よう。
 このブログ内にある 荒俣宏さんの読書記録 に小説はない。それでも、荒俣さんは見えざる世界を視野に入れていた作家であることは『人生の錬金術』を読むだけでも分るだろう。
 チャンちゃんとすれば、見えざる世界を意識に含んだものでないなら、世に著される必要などないとすら思っている。作者も読者も批評家も、表の世界にしか意識が及んでいないなら、そんな世界はまるで意味がないですよ。中学生・高校生の頃、ヘッセの『デミアン』を読んだことがある人なら、表世界の解釈しか施されていない極限的にバカバカしい書評を読まされて、よけいに困惑するという体験を、おそらく全員がしているだろう。
   《参照》  『オルフェウスの卵』  鏡リュウジ (実業之日本社)
           【ヘルメティック・サークル】

 

 

【水木さんの場合】
 水木しげるさんは、ご自身のことを「水木さん」と言っていた。
―― 先生は『総員玉砕せよ』という漫画の中で・・・中略・・・日本兵の死体が無数に描かれていますよね。・・・中略・・・。頭の中に刻み込まれていた死体の「絵」もあったわけですか?
水木 : あのですね、水木さんの場合はですね。全部スクリーンのように記憶してしまうんですよ。ですからそうした死体の記憶も簡単にでてきます。(p.46)
 水木さんは、右脳が開発されていた所謂天才だった(蛇足だけれど、空海も、「求聞持聡明法」の実践によって、この能力を持つようになったと言われている)。そうでなければ、あんなに詳細かつリアルな絵など描けるわけはない。

 

 

【鬼太郎は・・・】
赤田:そういえば、先生の紙芝居で「蛇人」というのがあったそうですね。
水木:ああ、「蛇人」は鬼太郎ですよ。第1回ですよ。私は「蛇人」って、あれを描いたんですよ。蛇人が第一回でしたよ。あの鬼太郎は。蛇でしたよ。蛇から生まれたんですよ。(p.79)
 水木さんは、人類の進化過程をキャッチして、初期の鬼太郎を描いたんだろう。
 鬼太郎を主人公にした「ガロア」という宇宙モノの作品もあったと書かれている。

 

 

【「怪」の認識】
 日本に帰ってしばらくして、水木さんが「小便が出ることも『怪』、生そのものが『怪』という意の文章を書かれているのを見た。
 水木さんはこれまで、自分を「怪」の世界に近づけようとしていた。ところが、自分も、自分の生理現象も、おや、世界そのものが「怪」である、ということに、あるとき気づかれたようだ。世界が「怪」である以上、自分を「怪」の世界に近づける必要もない。
 これは水木的「怪挙」といえよう。世界中への冒険旅行は水木しげるにとって、ますます「怪適」になったにちがいない。(p.112)
 水木さんには、「生そのものが『怪』」という認識を持つにいたった直接の体験が、その頃あったのだろう。
 水木さんの意識転換は、単に人文的意味合いの意識転換などではないはずである。なぜなら、水木さんは「常日頃、眠る(あちら側の実在界にいる時間)を重視していた」ことが書かれているからである。
 そもそも平時に妖怪を感じることができていた水木さんのような方だからこそ、周波数が上昇しつつある近年の地球環境の中で、夢と実在の間にある比重ポイントが、夢の側へ移行(シフト)したのだろう。下記リンクの用語でいうなら、ナル・ポイントのこちらから向こうへ移行(シフト)していた可能性は十分ある。
   《参照》  『ピラミッド体験』 坂本政道 (ハート出版)
           【ナル・ポイントのむこうとこちら】

 

 

【水木先生の実像】
 僕が(『ゲゲゲの女房』の)何に違和感を持つかというと、戦争で片腕になったというのに、そのうえ極貧から耐えながらも漫画一筋を貫き通した、男性的で寡黙な男ことして表現された水木さんである。・・・中略・・・。いいですか、はきり言っときますが、水木先生は1ナノメートルもあんな人ではありません。(p.135)
 実像としての具体的例を書き出そうとしたら、長くなって大変だから書き出さないけれど、要は、「社会意識に染まらない無垢な魂そのままの人」だったらしい。だからこそ、大勢の人々から面白がられ慕われていた。
 著者のような職業ジャンルの人々にとって、
 そのおもしろさというのは、いろいろあるけれど、基本的にはやっぱりその人たちはみんな編集者であり、ジャーナリストであり、教養人なわけだから、自分の持っている知識人的世界、これも悪く言えば、それでちょっと肩が凝っているところが、揺らいで、ほぐされる。ひどい場合には、剥落していくような・・・ (p.146)
 つまり、知識人と言われるような左脳偏重の虚構世界を生きている人々が、水木先生の処に来れば、『アサッテの人』になってしまわないように、妖怪たちが癒してくれていたのである。
 妖怪君たちは、日本において神霊界の基盤をなす八百万の神々である。多くの人々が妖怪君たちを認知してこなかったから、日本がこれほど危機的な状況になってしまったとも言える。この辺の事情が、何となく分かる方は、下記のリンクを辿ってください。水木しげるさんが描いていた妖怪たちのことが冒頭から言及されています。
  《参照》  『たった今、宇宙銀行の財布の口が開きました』 小川雅弘 (ヒカルランド)
           【タイトル解題】

 

 

【人間と妖怪の仲介者】
 水木さんの弟子のひとりである古川益三さんが言っていること。
 (横道に逸れますが、古川さんには、『人類アカシャ全史』というゲリー・ボーネルさんとの共著作があります。)
「あの方は本来、妖怪と人間の仲介役なんですよ。そのために片腕をなくしている。・・・中略・・・。前世もそうなんです。サンカだったんです。・・・中略・・・雷に打たれることによって片腕をなくしている。だから同じですよ。それで妖怪とコンタクトするようになっちゃった。語り部みたいになって、妖怪について語っていた。・・・中略・・・。
 ただ、妖怪と人間の中間に立つというのは大変だと思いますよ。
 妖怪ってみんな好きだって言うけど、実際に会ったら怖いし、だから差別もするし、迫害して虐待して、河童なんかもういなくなったんですよ。いる場所がなくなってしまった。
 その妖怪との仲介に立つわけですから、そこに水木さんの優しさがあると思う。生命に対する愛というか、地球に対する愛。
 何年かおきに水木ブームが来るでしょう。あれは妖怪がやってるんです、まちがない。初めは自分たちを知ってもらいたい、というのがあったんだけれども、今はもう『水木さんを助けたい』っていうのが大きいみたいです」 (p.154-155)
 2015年に水木さんが亡くなってしまった今、妖怪君たちは、『地球を助けたい!』って思っている。だから、その目的のために行動することを決意した人々を助ける約束までしてくれている。上でリンクした【タイトル改題】を読んだ人なら、分かるでしょう。
 妖怪君たちも妖精ちゃんたちも、みんなアースキーパーです。地球を守ることに、本気の人なら守ってくれます。
   《参照》  『エンジェル・フェアリー』 ドリーン・バーチュー (ダイヤモンド社)
           【妖精が助けてくれる人】
           【妖精との信頼関係をつくるには】

 

 

【解毒剤・水木しげる】
 水木しげるは現代社会において大いなる解毒剤なのである。 (p.172)
 現代人に顧みられなかった「妖怪」を、世に知らしめたからという意味の他に、直接、本人に接した人々にとっては、その存在・人間性そのものが、強烈にインパクトのある解毒剤になっていたらしい。
 水木さんの人間性に関して、興味深く記述されていそうな、面白そうな著作が紹介されているので、最後に書き出しておきます。
 この人(松田哲夫)が編集した水木先生の半生記 『ねぼけ人生』 は水木関連本の最高傑作であり、いまだに右に出るものを僕は知らない。とにかく次から次へと面白い話が泉のように湧いてくる、抱腹絶倒の名著である。(p.232)

 

 

                     <了>