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 本書に描かれているのは、過去世のカルマを癒すための「魂の転生物語」だけれど、スピ系のヒーリング・セミナーに興味があって出たことがある人なら、モロに入り込んでしまうだろう。多くの人々に共通するであろう、魂の傾向(課題)が描かれている。下手な小説を読むより遥かに面白い。5時間ノンストップで読み終えてしまった。続編があってほしい内容である。2013年5月初版。

 

 

【再会する魂たち】
2040年8月28日
 あと何日かしたら、新しい体験が始まる。「古代の森研究所」の研究生として、二年間ここで学ぶのだ。いったい何が待っているのだろう。(p.13)
 副題が「2040年からのミッション」となっているから、この部分を書き出しておいたのだけれど、2040年という記述は、ここ以外、本書内のどこにもない。
 「古代の森研究所」というところに集ってきた若者たちが、退行催眠、合気道、農作物栽培を通じて共同生活しながら、成長してゆく過程が描かれている。
 主な登場人物は、イルギーナ、カマラの女性二人と、リウ、ヒプソットの男性二人。

 

 

【退行催眠(=ヒプノセラピー)による浄化】

 われわれは人類の意識進化のために、何か具体的に貢献する方法はないか、と話し合いました。その結果、われわれ地球人類が数千年にわたって蓄積してしまったマイナスの感情と、負の連鎖による争いをなくし、浄化する方法を研究することにしたのです。・・・中略・・・。
 では具体的にどうしたらいいのか。
 そこでわれわれが注目したのは退行催眠です。ヒプノセラピーとも言います。(p.19)
 アーサー・ヤノフが『原初からの叫び』を書くにいたった技法が、今では退行催眠とかヒプノセラピーと呼ばれているのだろう。日本でもよく知られている ドロレス・キャノン も、ヒプノセラピーを活用している。
   《参照》  『エグザイルス』 ロバート・ハリス 講談社
             【プライマル・セラピー】

 

 

【「解放」って】

 解放といえば、森の中に入っていく瞬間にそう思う。
 あの感覚を別の言葉で言おうとすると、
 うーん、「すべてを森という生命体に委ねていく感覚」かな。
 ・・・中略・・・。
 「解放」って、何物からも束縛されていないことかと思っていたけど、ちょっと違うのかも。
 こうして、大自然と同化している時に一番感じられる感覚。それが解放。(p.142)
 この記述を読んで、初めて鹿島神宮へ行った1994年、大きな樹木の生えた広大な神域の中を歩いた時の感覚を思い出したのであるけれど、日本の神社が鎮守の杜の中に作られていたことと無関係ではないだろう。
 日本社会は、王権や教皇権といった強権支配からの「解放(Liberate)」を、西欧社会ほどには苛烈に経験してこなかった。
  《参照》  『未知への旅 「日本」とのつながりを求めて』  丸山敏秋 新世書房
          【freedom & liberty】

 しかし、意識レベルでの完璧な「解放」は、誰一人として成し遂げている人はいない。
  《参照》  『アセンションの超しくみ』 サアラ (ヒカルランド)  《前編》
          【社会意識(コントロール・グリッド)という檻から出る】

 現実世界における、「自由(freedom)」を束縛する権力からの「解放(liberty)」
 仮に、この段階を卒業したとしても、
 心の世界における、「自由」を束縛するトラウマなどの意識からの「解放」
 という段階がある。
 “大自然と同化している感覚”由来の「解放」は、上記2つのいずれでもないけれど、
 どちらかというと、後者に近い。
 “すべては一つである”という感覚をもって生きることに近いだろう。
 これが出来たなら、それは意識進化の到達点のはず。

 

 

【合気道、ラセン、踊り】

 「ラセンだ。本当だ。それが極意だよ。極意はラセンをどう作り出すかなんだ。そして、ラセンを生み出すためには柔らかさが必要なんだ」 (p.153)
 森の中で光と踊り、リウと踊り、合気道ではヒプソットと踊った。
 そうね、合気道も一種の踊りなのかもしれないな。(p.156)
 螺旋運動と踊りという表現から、「踊るシバ神」の像を想起する。
 回転運動は、宇宙流動にシンクロするための技法で、螺旋運動は拡散・収縮を生む。
  《参照》  『狂の精神史』 中西進 (講談社文庫)
            【狂ほす】
  《参照》  『予定調和から連鎖調和へ』 保江邦夫 (風雲社) 《前編》
            【ダンサーとは喧嘩するな】

 

 

【木刀の素振り】

 木刀の素振りは、数を振った者だけが知る世界があった。
 素振りの姿が次第に形になってきた頃、イルギーナは木刀を持った瞬間に身体にスッとしたものが生れたのを感じた。それは瞑想でフワフワしたものが、ピシッと収まる感じだった。そして、つぎの瞬間、自分の肉体を通して、宇宙とつながる感覚を得た。刀というものは木刀とはいえ、正しく持った途端に心を収まらせる力があった。・・・中略・・・。瞑想だけを続けると、どうしても浮遊感が生れてくる。それは一種の幽体離脱ともいえる状態だ。このような状態からグラウンディングさせるために木刀を振らせるのだ。(p.167-168)
 武道は、天地の理法を会得するための技法であることは言うまでもないけれど、
  《参照》  日本文化講座⑨ 【 日本神道と剣 】 <前編>
           □■□■□ 「 剣 と 刀」 そして 「 武道 と 武術 」 □■□■□
 木刀の素振りという基本動作の中に、「グラウンディング」が含まれていることが分る。
  《参照》  『ピラミッド体験』 坂本政道 (ハート出版)
           【地球コアにつながる】
 敵を殺すための武器のはずなのに、いったいこれは何だろう。
 木刀を持つと、神と向き合う気持ちがするのだ。
 うまく表現できないが、「振る自分」と「それを見ている自分」が感じられる。
 「それを見ている自分」とは、この「肉体を持った自分」とはまた違って、すべてを見抜く自分のようなものだ。
 だから誤魔化しが利かない。
 しかも、この二つの自分を認識したあとには、さらに、その二つの自分さえも消えて、ただそこに在るという瞬間があった。
 これが無心・・・・。 (p.168)
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 かつて鹿島神宮の神域で、木刀の素振りをする機会を持ちながら、ここにあるような素振りの効果を体感するまでに至らず、終わってしまっていたことがあった。体感・体得するまでには、ある程度の回数と時間が絶対に必要だろう。説明不足と時間不足では、何の効果も生まない。
    《参照》   『もう朝だぞ!』  友常貴仁  三五館
              【天地と一体になる】

 

 

【尊厳】
 武器を持つと強い心が生れた。頼れるものはこの木刀と自分だけなのだという気持ちになれるのが好きだった。女だからこうだ、というのを超えた世界なのだ。
 何物にも侵されない心がある。自分の尊厳を守り、切り開いていくという気持ちが生れてくるのを、木刀を振って初めて感じた。それは、これまでの、誰かに依存していく生き方とは全く対極にあった。(p.169)
 武道には、このような尊厳を育む土壌があったことを、長らく忘れていた。
 武道を実践していない日本人は、“不可侵な心”も“尊厳”も忘れてしまっていないだろうか。木刀を持っているなら、毎日、振ってみたらどうだろう。
    《参照》   『大和的』 友常貴仁 (三五館) 《前編》
              【神器日本刀】

       

 

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