《前編》 より

 

【サンパピエ】
「人権宣言の国」フランス。だが実際には、移民にたいして非情な差別が吹き荒れている。滞在許可が出ない。労働許可が出ない。親の代からフランスに住み、フランス語を自由に話し、懸命に働き、税金を納め、地域に溶け込み、子どもがフランス人と同じように学校に通っていても、それでも出ない。「サンパピエ(Sans papiers)」と言われる人々である。パピエはもともとは「紙」の意味で、ここでは身分証明書類を指す。サンは英語の without にあたる。要するに身分証明書のない人々である。(p.100)
 フランスは1899年以来、フランスの地に生まれた者ならば、親の出身地に関わらずフランスの国籍を取得できるという現地主義を掲げてきた。人手不足の高度成長時代になったから。ところが、失業時代になると、
 ついに1993年、保守政権のもとで国籍法が改悪された。あからさまな血統主義には移行しなかったものの、現地主義の原則が大きく崩されたのだ。これによって、旧法で合法だった多くの移民たちが、突然「不法移民」に転落した。(p.102)
 ひどい話である。
 これでは、「人権宣言の国」フランスは「人権奪取の国」になってしまっているだろう。
 とは言え、今回、パリ市内の幾つもの観光施設を巡った中で、その係員をしている人々の6割以上は、旧植民地出身の系譜にある人々であることを確認している。もしかしたら、フランス政府は、対外的イメージアップのために、観光関連施設でのスタッフに限って肌の黒い人々を多く採用しているのだろうか、と勘繰ったりもする。

 

 

【「リベルテ、エガリテ、フラテルニテ」】
 私を見つけた男性住民が寄って来た。「市議会は公開と定められているんだ。それなのに傍聴に来た住民を実力排除するなんて、共和国憲法違反だ。それを伝えてくれ。頼むから、それを伝えてくれ」
 ・・・中略・・・。
 玄関前の階段で泣き崩れている女性にもう一度目を向けると、その頭上に、フランスのどこの公共建物にも掲げられている標語があった。-
「リベルテ、エガリテ、フラテルニテ(Liberte Egalite Fraternite = 自由、平等、博愛)」。現実と理想の悲しい乖離が、そこにはあった。(p.185-186)
 南仏のヴィトロール市議会でカトリーヌ・メグレという、新たにその座に就いた女性市長の命令によって行われたこととして記述されている。女性は強い。憲法違反をしてでもファシストぶりをいかんなく発揮する。
            【ナショナリズムと民主主義は対】

 

 

【フランスのイメージと実際の生活】
 ある仏週刊誌が「フランス人は馬鹿だ」と題した特集を組んだことがある。一般に思われているフランスのイメージと実際の生活がいかに違うかを、面白おかしく分析したものだった。そのなかにも、やっぱりあった。
「サンローラン、シャネル、ゲラン・・・・フランスを芳しく香りたてるこれらの名前。ところがフランス人は、身体衛生の雄などではない。一人あたりの石鹸の年間消費量は586グラムを超えていないのだ。・・・女性は男性よりも清潔だ。いや、より不潔ではないというべきか。冬に毎日シャワーを浴びる女性は28%のみ、夏でも50%なのだから」 (p.120-121)
 “やっぱりあった”とあるくらいだから、この話は、もう多くの日本人が知っているだろう。ベルサイユ宮殿にはトイレがないとか、家の窓から糞尿を道路に捨てていたという話の中で香水のことが語られるのを聞いている人は多いはずである。
 石鹸の消費量が少ないということは、香水を石鹸代わりに用いている人が多いということ。
ただフランスに限らず諸外国人のために書いておくなら、フランスを含め多くは「硬水」の国なので、頻繁に髪を洗ったらゴワゴワになってしまうらしい。毎日シャンプーなんて論外なのである。
   《参照》   『水と人』 日下譲 (思文閣出版)

             【軟水文化の日本】

 

 

【ディプレッシオン】
 すっと以前に、今もパリで活躍する精神科医の太田博昭氏が、『パリ症候群』という本を出版した。パリに住む日本人にいかに神経症が多いかを、具体例で示した著作であった。・・・中略・・・。
 だがパリでは、日本人だけでなく、フランス人自身も頻繁に神経症に苛まれていることを、私はだいぶ後になって知った。・・・中略・・・。
 ただ、よく観察してみると、カフェで滂沱の涙を流している女性や、車を運転しながらも涙を拭っている女性をよく見かけることに気づいた。また外国人労働者がよく、「パリの冬は最悪だ。フランス人もみんなディプレッシオン(Depression)にやられて、暗い顔をしている」と言うのも、何度も耳にした。ディプレッシオンとは鬱のことである。(p.151-152)
 倦怠感タップリなかったるいフランスの映画や小説に触れている人なら、「そもそもからして、そんなんなんだから、フランス人なら、鬱くらい、すぐになるだろう」と思うに違いない。
    《参照》   『フランス人のまっかなホント』 ニック・ヤップ/ミシェル・シレット (マクミランランゲージハウス

              【人生を描く映画】

 

 

【ウルトラリベラリズム】
 「リベラル」「リベラリスト」という言葉が、日本でよく使われる。その語感には、「鷹派」に対立する「鳩派」のような、あるいは「硬派」に対立する「柔軟派」のような、妙にポジティブな印象がある。だがフランスでは、この言葉は全く別の語感を持つ。それは労働者や国民の既得権を突き崩してでも、企業中心の自由競争主義を推し進めようとする人々に向けられる、むしろネガティブな、抵抗感を伴う言葉なのである。
 グローバル化、欧州統合、ユーロの導入、数々の規制緩和、市場開放、その成功のためのリストラや解雇の横行・・・。これらの背景に流れる思想が、リベラリズムである。しかもそれはいま、かつてなく露骨な手段で、徹底的に推進され始めている。これをフランス人は、「ウルトラリベラリズム」と呼び始めた。(p.220)
 内部地球の生活様式こそが、地球進化の方向なのだけれど、これを邪魔しているのが地表人類を数世紀にわたって支配してきた「闇の権力」と言われる連中である。ウルトラリベラリズムの推進勢力こそが「闇の権力」連中である。フランスを含むEU諸国家はすべて、EUを企画した「闇の権力」の歯牙にかかって切り裂かれている。
    《参照》   『空洞地球 2012バージョン&アセンション』 中丸薫 (徳間書店) 《3/4》

              【内部地球の生活様式】

 「闇の権力」の中核となっている連中は、魂の進化において袋小路に入った種族である。ゆえに倫理等の価値基準で語っても全く意味はない。しかし、中核連中程に劣化した種族の魂をもたない者たちであるなら、以下のリンクの記述が理解できるかもしれない。
    《参照》   『モチベーション3.0』 ダニエル・ピンク (講談社文庫) 《前編》

              【「企業利益の最大化」と「社会利益の最大化」】

 

 

【フランス人にとってのお洒落】
 彼女は、ナチス占領下のパリジェンヌたちの話をした。彼女たちは、家にあるぼろ布を器用に利用して、フランス国旗を象徴する青白赤をさりげなく使ったお洒落な帽子を作り、それをナチス兵の前で堂々と被って歩いた、というエピソードだった。フランス人にとってお洒落とは、そういうものである。自分のポリシーの表現である。今もそれは変わっていないと私は思う。(p.277)
 ブランド物を買い漁ったり他人と同じ格好をしてゾロゾロ歩く日本人に対して、フランス人のお洒落がどういうものかを、彼女(フランソワーズ・モレシャンさん)の話として記述している。
 欧米諸国は個人主義を基盤とした自己主張の国だから、意見であれファッションであれ、“同じ”であることは、ほぼ“お馬鹿”と同様に見なすのである。他者を気遣い人とあまり違わず目立たずに生きる日本人とフランス人(日本人以外)は、文化的なあり方が違うだけで、どちらが正しいかという判定は意味がないけれど、今後の世界において、日本人が世界を善化させる推進力としての役割を果たす上で、日本人的あり方の功罪(長所と欠点)は、下記リンクを踏まえた上でキチント弁えておくべき。
    《参照》   『ギャラクティックファミリーと地球のめざめ』 ジャーメイン&サーシャ(リサ・ロイヤル)《後編》

              【一体意識への先導役】

              【日本人:地球を統合する使命】

 

 

【香水の故郷、南仏のグラース】
 香水は、フランスの誇りである。・・・中略・・・。私が伝えたいのは香水を作り出している人々である。そう、香水の故郷は、有名ブランド企業などではない。この南仏の小さな街、グラースだったのである。
 ニースやカンヌで知られるリゾート地、コートダジュールから、内陸へ約20キロ。なだらなか丘陵の斜面に、その街は、中世の面影を残してひっそりと佇んでいた。(p.306)

 温暖な気候と水資源に恵まれていたグラースでは、17世紀初頭から、ジャスミンやオレンジ、バラ、チュベローズなどの花の栽培が始まっていた。この花の香りに目をつけたのが、当時の皮革業者たちだった。皮独特の不快な臭いを、花の香りを利用することで消そうと考えたのである。
 やがてこの発想は、さらに進展してゆく。18世紀になると、花の香漂うエレガントな「におい手袋」が登場したのだ。・・・中略・・・。
 こうして始まった香りの産業は、徐々に皮革産業から独立。丘の斜面には花畑がどんどん広がり、何百種類もの香りを嗅ぎ分ける調香師たちが育ち始める。この調香師は、今も「ネ(nez)」と呼ばれる。ネとはフランス語で「鼻」の意味だ。そして19世紀になると、産業革命の波とともに、香水原料製造工場が出現した。以来グラースは、香水原料の世界一の生産地として長らく君臨することになったのである。「グラースがなかったら、シャネルの5番は生まれなかった」と言われる所以である。(p.308)
 で、この後、香水に欠かせないジャスミンのことがいろいろ書かれている。
 「わかっただろう? ジャスミンの花摘みは朝が勝負なんだよ。太陽が照り付けると、香りの成分は水分とともにどんどん蒸発してしまうんだ。だから朝6時から10時まで。それを過ぎたら花はしぼんでゆく」
 ジャスミンは、7月から10月頃まで、毎日次々と花を咲かせる。その間、毎朝毎朝、早朝からこの手摘みの作業を続けるのである。1キロのジャスミン精油を製造するのに必要な花は、なんと百万個。1トンの花を摘むのに必要な労働時間は、実に二千時間に及ぶ。しかもジャスミンは、ほとんどの香水の原料として不可欠な存在である。ジャスミン成分を調合しないと、バラの香水もオレンジの香水も生きてこないのだという。何の知識も仕入れずにやって来た私は、その苦労を知って、恥じ入った。この栽培農家の人々の手作業があってこそ、香水は作られていたのである。
 だからグラースの栽培農家の人々は、唯一ジャスミンだけをフルール(fluer)と呼ぶ。英語のフラワー。つまり「花」である。そしてジャスミンを摘みに行くことを、アレ・オ・フルール(Aller aux fleurs)と表現する。「花へ行く」という意味である。なんて素敵な言葉なんだろう。そこには彼らの労働への誇りと、フランス人らしい美意識が、さりげなく統合されている気がした。(p.310-312)
 香水にとってジャスミンがそんなに重要な花だったとは知らなかったから、「へぇ~」と思いながら、ついつい長文を書き出してしまった。

 

 

<了>