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 あれもこれも書かれているけれど、総じてつまらない本である。このようなタイトルの作品であれば、ある程度は仕方がないにしても、浅く広くというだけでポイントがない。ちょうど学生時代に読んでいたNHKブックスのような本だった。まさに大学の理学部の先生が書いた一般向けの本の典型という感じである。
 読書記録を残したくなるような内容がないけど、無理して書いておこう。1987年8月初版。

 

 

【自然の水に対する感謝と畏敬と祈りの心】
 水ものたらした利便性は大きい。水汲みに苦労してきた女性や子供の労働は著しく軽減された。また水道は防火にも便利であった。さらに大切なことは伝染病の発生を防止することなど公衆衛生上に極めて有利なことであった。
 しかし簡易水道以降は、村人たちは水を金で買うことになった。 ・・・(中略)・・・ 蛇口から出る水には神さまは認められなくなった。自然の水に対する感謝と畏敬と祈りの心は消失して行った。川を汚さないとする生活規範はゆるみ、それに伴って川は排水路という機能以外の意味を持たなくなってしまった。琵琶湖はただの大きな水ダメにしか過ぎなくなったのである。(p.94-95)
 我々が生まれてきた時は、水道など当たり前にあったから、水に対する感謝と畏敬と祈りの心が消失して行ったという記述を読んで、「なるほど・・」 と思う。
 日本の言霊において “神” とは “火水” なのであるから、水と琵琶湖に関するこの記述を契機として、日本文化の深層へと話が続いて行けば面白いであろうに、理系の先生の記述はここで終わるのである。ふぅ・・。

 

 

【軟水文化の日本】
 流れる水は、流れない水に比べて、地層との接触時間が短くなるので、地層よりの溶存成分量が比較的少量になるのである。
 日本の水には、降水量が多いことと流速が速いことによって、軟水が多くなるのである。世界中で、日本ほど澄んだ水および軟水が多いところはない。(p.203-204)
 日本は、山がちな島国だから、大陸諸国に比べて河川は短く平均して急流である。速く流れる水は地層との接触時間が短いので、マグネシウムやカルシウムといった塩類が多く溶け込んだ硬水にはならず軟水になっている。この地理的特性によって軟水がもたらす日本文化が生じている。
 軟水は塩類が希薄で比較的純水に近いため、素の味を活かすことができる。だから素材の味を活かした日本の食文化ができたといえるだろう。繊細で奥深い味わいの日本酒も、軟水でなければ到底できはしない。
 味でも、匂いでも、色彩でも、濃いものに慣れてしまうと、薄いものの中にある繊細さが分からなくなる。同じ水とは言え、硬水が基盤となっている諸外国の文化と、軟水が基盤となっている日本文化では、繊細さのスタート地点が異なるのである。

 

 

<了>