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 新聞に連載されたコラムが元になった著作なので、文字数の関係で面白さや奥深さが殆どない。単語や一文が記憶に残る程度。2002年1月初版。

 

【構造が生み出す色】
 ゴム原料のラテックス溶液は乳のように白濁しているが、酸アルカリの度合いを調節して粒子間の力の到達距離を変えると、オパールのような虹色を呈する。結晶配列が光を分解するからだ。ミクロの結晶構造ならX線で起こる現象が、粒子間距離が大きいこの系では、目に見える光の波長領域で起こる。
 色素ではなく、構造が生み出す色である。これはプラスチックによるオパール合成技術につながった。(p.38-39)
 このことを発見したのはコロイド(微粒子が液体などに溶解している状態)学者の蓮精(はちすせい)先生(筑波大学名誉教授)だという。
 構造が生み出す色は、耐光性や耐温性に優れているから大いに用途があるだろう。コロイド以外でも、金属表面の研磨技術によって様々な色を発現させる技術を持つ日本企業は幾つかあるはず。

 

 

【コロイド系ですべての構造を】
 コロイド学者の間では、引力があるという異論もあるらしいが、すでに述べたように、理論家は結晶化には引力は本質的ではないと考えている。蓮先生は、統計力学研究者の間では、剛体球が結晶になる現象を現実の系でつきとめた研究者として知られている。
 晩年の蓮先生は、さらに研究を進め、適切なサイズと組成のコロイドを混ぜれば、合金構造として実現する複雑な結晶構造のほとんどすべてが再現できることを突き止めた。球の大きさを二種類選ぶと、適当な組成比ごとに適材適所の最密構造で結晶格子が決まる。コロイド系の実験で、合金構造の統一的な説明に成功したのである。(p.41)
 へぇ~。球の大きさが3種類以上のコロイド系でも結晶格子構造ができているのだろうか?
 土壌においても産業においてもクラスター化(粒度組成の整った:団粒化:上流から下流まで関連産業が揃っている)された状態は、最適と看做されるけれど、これ以外の領域においてもクラスター化という言葉をキーワードとして考えたら、いろんなことに役立つだろう。

 

 

【フラクタルの拘束】
 フラクタルのインパクトは大きく、「自己相似の自然観」の可能性は重要だが、私は形の方が広く大きい立場だと考えている。・・・中略・・・。もしフラクタルを知らなければするであろう工夫を怠らせていることも事実だ。研究が活性化し、形への関心が広まったことに感謝しながらも、より高い立場を探し求める心意気が重要なのである。(p.89)
 フラクタルのもとに関しては、
    《参照》   『新ミレニアムの科学原理』 実藤遠 (東明社) 《前編》
              【フラクタルの原理を保証するもの】

 著者は、フラクタルのように、確立した用語や概念に囚われてしまうと、返って発想の自在性が失われがちになることを懸念している。
 本を読むようになると、最初のうちはいろんな用語や知識や概念を知ることで満足するのだけれど、そのうち同じような内容の著作を何度も読んでいると、既存の知的体系や常識をも覆す新発見的な見解に興味が向くようになる。継続していれば、おのずと様々な閉塞感をもたらしている用語や知識や概念を脱ぎ捨てたくなるものなのである。
 言葉は、理解するものでもあり拘束するものでもあるという根本的なことは、きちんと認識しておくべき。
    《参照》   『ブとタのあいだ』  小泉吉宏  メディアファクトリー
 ところで、チャンちゃんがこの本に期待したのは、形と言えば必ず出てくるフラクタルのようなありふれたことではなく、下記リンクに記述されている「カンデラブロの地上絵」のような、「形の異次元とのかかわり」だったのだけれど、これに関するヒントとなりそうな記述はまったくなかった。
    《参照》   『[UFO宇宙人アセンション] 真実への完全ガイド』 ペトル・ホボット×浅川嘉富 《3/4》
              【ナスカの地上絵の役割】

 

 

【自然の形】
 かのアインシュタインが書いた河川蛇行の論文(1926年)でも、遠心力という言葉を使っている。流れの鈍い内側ではよどみがちで、運ばれてきた土砂や流木は沈殿する、という具合に、蛇行は自然の理である。止めようとしても止まるものではない。川の中心線での縦断面を見るならば、川底の勾配が一定なことも安定ではない。堆積が起こった地点ではのろくなって、さらに堆積する。川底の勾配は流れの方向に振動しており、極端に言えば階段状化する傾向がある。極端な場合として、離島状の洲もこの延長上に捉えてよかろう。(p.91-92)
 アインシュタインが河川蛇行の論文を書いていたなんて、初めて知った。
 子どものころは舗装されていない道はいっぱいあったけれど、たいてい等間隔に水溜りができていた。走る車は流水に相当する。近年、都市に生まれ育っている子供たちは、もしかしたら、直線や平面というのは不自然な状態なのだと言うことを、認識していないかもしれない。
 人間が行う治水も、自然に反して、強制的に抑え込む考えには無理がある。魚心あれば水心というけれど、水心と砂心に配慮しないと、人心は成就しない。(p.92)
    《参照》   『都江堰 創建者李冰父子』 田中穣二  光陽出版社
              【治水の奥義、「深淘灘低作堰」】

 

 

【シンメトリーの呪縛を受けていない日本人の役割】
 ブタペストに向かう直前、ウィーンに寄り、きわめて対照的なヴェルデヴェーレ宮殿を訪れた。
 その左右対称の完璧さは、上の館の中央から展望したとき、外部の境界の塔が対称に配置されていないことにいらだちを覚えるほどである。彼らにとっては、対称性の概念を離れては、文化を考えられないのであろう。乱れを捉えるときにすらである。
 日本庭園と比べながら、われわれがやるべきことは、日本庭園の秩序のようなものを表現できる科学、あるいはそれと調和した科学なのだと改めて思った。シンメトリーの呪縛を受けていない者の役割を意識したのである。(p.99)
    《参照》   『ニッポン人には、日本が足りない』 藤ジニー 日本文芸社
              【生け花】

 陶器においても日本人はシンメトリー愛好しない。模様も人為的なものより、かけられた釉薬が炉の中で変化する自然の営みに任せた出来栄えに魅了されたりするのである。
    《参照》   『歪みを愛でる』 川尻潤 (ポーラ文化研究所)
 諸外国人のように、統一的に整然と支配しようとする人為的な傲慢は人を幸せになしない。不自然だからである。
 自然に任せて「みんな違って、みんな好い」という美学が、日本人本来のあり方なのかもしれない。和は統一を意味しない。違うもの同士を“結ぶ”ことを意味する。
 “日本庭園の秩序のようなものを表現できる科学”とあるけれど、フーリエ級数を使ってみると、なんとなく日本文化を理解しやすいはずである。
    《参照》   『美的のルール』 加藤ゑみ子 DISCOVER
              【形】

 

<了>