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 中国・四川省にある、古代中国の3大土木工事の一つが都江堰なのだという。私は初耳というか初目目なのだけれど、胡錦濤主席のような水利工学系の中国人技術者で、都江堰を知らないような人は決していないのだろう。
 なお著者は、土木工事の技術者ではなくジャーナリスト。40年ほど前、偶々、日蝕の日に都江堰を見ていたことが記憶にあったので、晩年になって自ら中国語を習ってこの書籍を著したということらしい。


【都江堰は古代の三大土木工事の一つ】
 都江堰は、中国・四川省の省都、成都の西方50キロ、岷江の中流の設けられた古代の治水施設である。
 中国では、都江堰は、万里の長城、南北大運河とならんで、古代の三大土木工事の一つとされている。 (p.7-8)
 都江堰は、2千年あまりにわたって活躍し続けている現役バリバリの治水・利水施設なのだという。
 岷江は下流にゆくと、長江(揚子江)と名を変える。
 都江堰は、現代中国の最大土木工事であった三峡ダムの上流に位置している。

 

 

【岷江の水量】
 中国の大河は、夏の豊水期と冬の渇水期の水量はけた違いに異なる。岷江の場合も、最大・最小流量の比率は72対1もあり、豊水期は幅1キロもの川いっぱいの濁流が音を立てて流れるのに比して、渇水期にはわずかしか流れない。このような自然の配分だけに頼っていては、渇水期の冬から春にかけて、春耕用の最大需要時に、灌漑用水の確保ができなくなる。  (p.31-32)
 渇水時の取水を第一目的とした堰は、同時に豊水時の余水を吐き出す機能をもたせなければならない。それらを十分考慮した設計がなされている。

 

 

【難工事】
 青城地方に伝わる伝説には、古堰創建のうちで、最難工事だったと思われる宝瓶口開鑿のこんな話が伝えられている。
 岩を焼き、もろくして切り開くにしても、鉄の道具が要ると考えた李冰は、灌県の北方、汶川県の鉱山の鉄器がすぐれていると聞いたので、息子の二郎をやって鉄の道具を求めさせた。 (p.63)
 宝瓶口とは、渇水時に用水を取り込む堰口の固有名称。その部分は巨大な岩盤である。現在のようにダイナマイトも土木機械もない時代の岩盤掘削である。豊富な労働力を渇水期に集中的に投入したのではあろうけれど、人間は機械に頼らずとも凄いことをするものである。

 

 

【李冰の石刻像】
 中国政府は、1964年には、鉄筋コンクリート造りの電動開閉式水門を建設した。これによって、内・外江への水量調節と洪水を防ぐ機能は従来とは比較にならないほど大きくなり、人による困難な作業は大いに軽減されるようになった。
 この外閘門建設の際、奇しくも河底から東漢建寧元年(紀元168年)の銘が入った李冰の石刻像が発見された。・・・(中略)・・・。石造は高さ2.9m、重さ4.5tもあり、・・・(中略)・・・、石像はいまは李冰を祀る伏竜殿の大殿に安置されている。 (p.34-35)
 河底に自分の石像を沈めてまでして、治水の安定を祈念するという、その思いというか気迫が凄い。

 

 

【治水の奥義、「深淘灘低作堰」】
 李冰があみだし、二千年にわたって守り続けてきた治水の奥義、準則などが大きな字で刻み込まれていて、今に至るまで、維持、管理や修築のおきてとして守られてきているという。 (p.16-17)
 「深淘灘低作堰」 とは、 「流れの筋は深く、堰は低く作るべし」 というほどの意味らしい。中途半端な水量ではない中国の河川であるから、このような施工概念で臨まなければ、とうてい自然の水流を制することはできなかったのだろう。
 日本の中世の土木工事として名高い幾つかの治水工事とは、明らかに規模が違っていることが分かる。
 

<了>