《前編》 より
 

 

【永遠性の獲得】
「寿命、すなわち、死というものが最初から与えられて生を受ける生命は、二元性の次元にある生命、すなわち、雌雄が存在する生命だ。
 だが、地球の生命の99.9%以上は、大腸菌がそうであるように、一元性の次元にある生命体、すなわち、雌雄未分化の生命体だ。死についてすべてのカラクリは、あなた方のまだ知らない性なる原理の奥に秘められた性質にある」(p.235)
 二元性の論理思考に狎れ切った現在の地球人は、雌雄に分化することこそが進化した形態であると思い込んでいる。それこそが人類の進化を行き詰まらせていることに気づけていない。
   《参照》   『地球維新 ガイアの夜明け前』 白峰 (明窓出版) 《後編》
            【二元性を統合する不老不死】
「生命は進化の先端で、二元性の性をもう一度一元性に帰化させる時が必ず来る ・・・(中略)・・・ それは、懐かしい永遠性の時代への回帰であると同時に、今までにない新たな一元性の生命のあり方を創出することになるだろう」 (p.238)
「あなた方は、一元性の性次元を実現する時、時間的制約を越えた今のあなた方の想像を絶する魅力的な存在となるだろう」(p.277)
「人類が求め続けてきた永遠の若さというものは、あなたがたが予想するよりもはるかに早く、現実のものとなる。 ・・・(中略)・・・ 生命はいずれ、最も適した年代に達した段階で永遠にその若さを保つことができる存在へと飛翔する」(p.233)

 

 

【男女(陰陽)という性差に関する人間観】
「あなた方に祖先は、遠い昔、封建主義とは次元を異にする、宇宙本来の原理に基く人間観を維持していた。
 宇宙法則に反する現代の平等感は、対人間の摩擦を生じさせる不自然な人間観だ」 (p.161)
「陰陽の相対性で成り立つ宇宙の原理は常に逆説的であることを知らねばならない。広大なる自己提供によってのみ、高次な自立性は生まれ、真の自由が生まれる。個我の意志は、それが強いほど他の存在との摩擦を生み、自由を喪失させるのだ」(p.289)
 個我を屹立させる西洋文明のあり方は、必然的に摩擦と対立を生んでしまう。個我を主張せぬ日本文明のあり方こそが、真に自由を生むあり方なのである。

 

 

【「絶対的ゆだね」「広大なるあけわたし」】
「性、すなわち、宇宙原理の生命における直接的表出において、存在の本質原理は、女性側にシンボリックに表出される。性交時において、女性は、敬愛する男性の思うがままにされる時、自身が相手の思い通りの存在とされるその実感が強ければ強いほど、より深い喜悦と一体感に引き込まれるようにできている。これは人間界のみの法則ではない。
 あなた方が人に語ることさえはばかられると思っているこの性の裏に潜む原理は、存在とは何かの根本原理であるとともに、あなた方を根本領域へと帰一させる働きなのだ。
 この関係の本来は、先に伝えたシュメールの森で時に裸体で舞った女性たちの、自然界の高次な『目』に見られてゆだね舞うその関係と本質において同一である。見えざる『目』への絶対的ゆだねは、見えざる次元とを結ぶ人体の性中枢の開花をもたらす」 (p.284-285)
「あなた方はまだ理解できないかもしれないが、女性は、広大なるあけわたしの次元に至る時、それに応じた宇宙次元の包容力が生まれるのだ。 ・・・(中略)・・・ 。あなた方はまず母性が宇宙の本質に由来することを知らねばならない。女性が真の母性を取り戻す時にこそ、あなた方の社会も母性に包まれ、すべてが愛に満たされることになるのだ」(p.286-287)

 

 

【古代社会の奴隷制】
「あなたは、古代社会のなぜあれほどまでに奴隷制が多く、反逆が見られないかを疑問に思ったことがあるはずだ。あなた方の世界観では、それを理解することはできないが、その解答はここにある。 ・・・(中略)・・・ 古代のそれらの多くは、宇宙の原理に基づくものであり、現代のあなた方が連想しているような強制的奴隷制ではなかった」(p.290)
「そこでは、あなたがたが奴隷と呼ぶかもしれない献身者たちは、決して束縛を感じることなく自ら自身を敬愛する存在に提供したのであり、身を捧げることのできる自身に最大の喜悦を感じていたのである。 ・・・(中略)・・・ 。あなた方が服従性と思うかもしれない献身性が、いかに宇宙的なそれであるか、いかに全存在的であるかにあったのである」(p.291)
 トマスモアの『ユートピア(理想郷)』にも奴隷が描かれていたけれど、つまり、こういうことだったのである。
 支配・被支配という関係ではなく、献身の能動・受動関係こそが、宇宙的流動(スピン)に一体化する鍵だったのである。

              【隷属の心理】

              【「隷属の心理」と「献身の心理」】

 

 

【流動を生む高低差】
「宇宙は常に流動する存在だ。 ・・・(中略)・・・ 流動の象徴である『水』を思い起こすがよい。 ・・・(中略)・・・ 。あなた方は、流動は、高低なくしては生じないという宇宙の初歩的な法則を忘れている。高低がある時、陰陽が生まれ、流動が生じるのだ。流動が失われる時、生命は、あなた方が認識している死ではなく、真の意味での死に至る。スピンを失う時、存在は、悦びを失い、創造性を失うのだ。高低、すなわち、陰陽こそが、悦びの発露であり、我々は、あなた方とは反対に、いかにこの陰陽をダイナミックに躍動させるかを、人間関係の基軸にしていたのだ。
 この陰陽こそ、性なるものの宇宙的原点なのだ」 (p.293)
 陰陽の高低差あってこそ、性なるものは宇宙原理に沿った創造性を発揮できることになる。
 日本文化は、これを「敬愛」という表現で言い表わしてきたのだろうし、仏教系の経典に頻出する用語で言うなら「帰依」ということだろう。
「現代のあなた方は、高低の『低』となることは不利ととらえ、誰もが『高』を求め、その一方で、それを否定する平等を自ら主張している。この矛盾につぐ矛盾が、あなた方を至福の領域から引き落とし、あなた方を苦しめている。あなた方は、『低』こそが、流動の創造であり、至福の提供者であることを知るべきだ」(p.294)
             【 水から学べ 「自由自在」 】 
 このような創造性を生む性差(高低差)のあり方を損なう観念にフェミニズムがある。

 

 

【フェミニズムの陥穽】
 私は、聞きながら、かつて読んだアメリカのマリー・ロビンソンという精神科医の本『性的服従の効用』(現在絶版)を思いだした。 ・・・(中略)・・・ 「不感症の女性は例外なくフェミニストの考え方をもっている」という驚くべき事実を発見した。(p.295)
 彼女も、女性の感度の鍵が男性への絶対的信頼にあり、それが欠如した場合、不感症に限らず、情緒不安定や鬱など、様々な問題が表れることを指摘し、夫の力は恐れの対象ではなく、自分を守るためにあることを現代の女性は理解する必要があると言っている。また、女性の本質は「本源的な利他行動」にあり、女性の性的満足や精神的な豊かさは、「本源的な利他行動」なくしては成立しないことを指摘している。(p.296)
 今や日本中どこにでもある男女共同参画推進センターに行ってロビーにある印刷物を見てみれば、ある事実に気づく筈である。そこでは、女性に、男性と同等であるという権利意識を植え付け、さらにDV(家庭内暴力)への対策を教えているのである。
 これは、女性性を放棄することで自ら火中に飛び込むことで被害者となり、その上で加害者である夫を制圧するために権利意識を植え付けるという、性差が有する自然の理(高低差)にそぐわぬ「矛盾」と「崩壊」の無限ループに陥れていることになるのである。愚の極みである。
 女性性(献身性)が封印された状態でのセックスは、陰陽の交流にはならず、同極同士の反発になってしまう。これは必然的に心理次元に苛烈なマイナスを蓄積することになる。献身性も利他性も欠いた女性たちは、これによる悪循環を一番よく知っているはずである。

 

 

【DV(家庭内暴力)に関する偏向報道】
 近年の警察庁のデータによる、年間80人を上回る日本人男性が自身の妻によって殺されているという事実である。これは、男性的な対抗意識が、女性に増大しているということではないだろうか。
 「その通りだ。 ・・・(中略)・・・ 。
 だが、文明権力者たちはこの病的状況に着目させないようにしむけている」 (p.326)
 夫の妻に対するDVだけが社会問題としてさんざん報道されていながら、妻が夫を殺した事件が報道されていないという事実に注意しなければならない。
   《参照》   『聖書の暗号は知っていた』 伊達巌 (徳間書店) 《前編》
              【ウーマン・リブ運動の企み】